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プロローグ
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戦場に白刃が閃き、皮一枚を掠める。
「……っ」
戦慄。
小柄な体躯をした少年は、上体を大きく反らせて、横薙ぎに振るわれた日本刀の刃をかわす。少年はそのまま、ブリッジの要領で地面に手をつき、体を回転。
ぴょんぴょんと数回、回転しながら後退する。だが、少年を逃すまいと、日本刀を握った少女が常闇から姿を現し、少年の後を追う。
「あっははは! 逃がさないよ~! 君をバラバラにしてぇ~、イクのコレクションにしてあげるねぇ~?」
「誰が……!」
少女は月明かりのもとに、高揚した肌を晒し、興奮しているのか顔が赤くなっている。少年は少女から逃げながら、腰に挿していた木刀を抜き放つ。
刹那――キンッと、甲高い金属音がビルの屋上に響き渡る。少年と少女の振るった刃が衝突したのだ。
2人は刃を合わせると同時に、後方へ飛び退く。少年は今し方立っていたビルから、隣のビルへと飛び移る。
少女は、そんな少年を追って、数メートルはあろうかというビルの間を、軽々と飛び越える。
「や~ん……そんなに逃げないでよぉー。おにごっこよりもぉ~、イクともぉっと楽しいことしようよぉ~!」
甘ったるい声音とは裏腹に、過激な剣戟が少年を襲う。幾度となく、木刀と刀がぶつかり合う。
触れれば一瞬、油断すれば刹那、少年の首と胴体が切り離されるであろう、的確な少女の攻め。苦しい戦いを強いられた少年は、苦悶の表情を浮かべる。
「この……! 調子に乗るなよ……!」
「くふふ~おチビちゃんが怒ったぁ~。か~わいい~」
「チビじゃないし!」
チビ――少年は、木刀で少女の日本刀を弾き返す。
「おっとっと~」
少女は腕ごと上方へ弾き飛ばされ、胴体がガラ空きとなる。少年が懐に潜り込めば、木刀で致命傷を与えられる距離。
「……!」
だが、少年は踏み込まずに後退。逃げることを選択した。
「くふふ……絶好のチャンスだったのにぃー、どうして逃げるのかなぁー?」
「そんな安っぽい罠になんか引っかかるか! 飛び込んでたら斬ってただろ!」
「あっははは! さっすがだねぇ~。くふふ、でもぉ、逃げてばっかりじゃあ、私には勝てないよぉ、おチビちゃ~ん?」
「チビじゃないし!」
キンッキンッと、ビルからビルへと飛び移りながら、2つの人影が火花を散らす。
「くふふ……あっははは! やっぱり、君ってば本当に強いねぇ! ああ……はあ……興奮してきちゃったぁ。イク、濡れちゃうぅ~。ねぇねぇ、やっぱりイクと付き合お? ね? いいでしょぉ? きっと、楽しいぃよぉ?」
「断る! 俺に好きな人がいるって知ってるだろ?」
少年は木刀で、少女の日本刀を再び弾き飛ばしながら、彼女の誘いを強く拒む。
「やーん、いけずぅ……でもぉ、そんな君もだ~ぃ好きぃ……だからぁ、イクだけの物にしてあげる!」
クワッと、恍惚とした瞳を見開き、少女は一瞬で少年との間合いを詰める。その間合いは、日本刀の切っ先が届くギリギリの距離。
小柄な上に木刀である少年では、リーチの差がありすぎる。この間合いでは、ただ少年が一方的に斬られる――。
「知ってると思うけどぉ、イクの居合いは、ちょっと刺激的だからぁ……勝手にイカないように、『キ・ヲ・ツ・ケ・テ・ネ?』」
「っ……!」
いつのまにか少女は鞘に納刀していた日本刀の柄に手をおき、少年が日本刀の間合いに入ったと同時に居合い一閃――鞘から白磁の刃が解き放たれる。
月明かりを反射した刃が閃光を放ち、少年の首を狙って飛翔。直撃はまぬがれない……かのように思われた。
「えぇ……?」
少女は目を見開いた。
たしかに、捉えたと思った少年の姿が、忽然と消えてしまったからだ。
少女の居合斬りは、虚しく空を斬り裂いたのみ。少年の姿はすでに、そこにはない。だが、人一人が目の前から掻き消えるなどありえない。
少女は目だけで辺りに目を配る。すると、ちょうど少女の真下――死角となっていた懐に、少年の小さな体が潜り込んでいた。
「うそっ!? 小さすぎて視界から消えちゃった!?」
「なっ――別に小さくないし!? このっ!」
小さいだのチビだの言われていた少年は、さすがに怒ったのか……ただでさえ小さな体で、姿勢を低くさせて少女の足元を払う。
「うわっ……きゃっ!?」
少女は居合斬りの直後で、姿勢が定まっておらず、簡単に尻もちをつく。少年はその好きに、少女が持っていた日本刀をぶんどって、遠くに放り投げた。
これでもう追ってはこれまい。
少年はそう判断し、少女に背を向けて走り出そうとしたが、その足を少女に捕まれてしまい、無様に顔面から倒れ込む。
「あいた!?」
「くふふ……つーかまえたぁ~! ハルく~ん?」
足を掴む少女を振り払い、なんとか逃げ出そうとする少年。しかし、倒れた拍子に木刀を失なったうえに、力は少女の方が上であった。
悲しいかな……体が小さいからだろうか。性別上では力が優っているはずの彼女に、少年はなすすべもなく、少女に上から抑えつけられてしまう。
「はあああ~ハルく~ん……や~っと、捕まえたよぉ。これでもう、動けないよねぇ~?」
「ぐっ!?」
少女は仰向けに転がした少年の腹部に座り、四肢を己の手足で拘束する。見事の固技で、少年は身動きを封じられてしまった。
「くふふ……それじゃあぁ~、イクとぉ、イ・イ・コ・ト……しちゃおっかぁ~」
「や、やめろおおおお! ズボンのベルトに手をかけるなよおおお!」
「あっははは~。よいではないかぁ~よいではないかぁ~」
「そういうプレイじゃねえええ!」
どれだけ抵抗しても、非力な少年では少女を力づくで押しのけることはできない。
ましてや、「やめろ」と言ってもやめるような人間ではなかった。
少年は、ギリっと奥歯を強く噛みしめて、大きな声で叫んだ。
「俺の初めては絶対、あの子に捧げるんだあああ!!」
ビルの立ち並ぶ夜の街に、少年の声が轟いた。
※
ここは剣の実力によってすべてが決まる国――ブレイド国。世界各国から、剣の腕に覚えがある猛者が集い、日々戦い身を投じ、剣士が己の武を極めるためにある国である。
ブレイドにおいて、剣士というのは職業だ。一種のプロスポーツ選手みたいなもので、剣士同士の戦いは人々の娯楽となっている。
そんな国だからだろうか。ブレイドで生まれた子供達は、幼きころから、弱肉強食の世界で生きているため、強者が弱者を虐げるなど日常茶飯事となっていた。
少年――宮本みやもとハルノブも、例外ではない。
「おい! ハルノブ! 邪魔すんなよ!」
「だ、ダメだよ……! こ、子猫をいじめるなんて!」
ハルノブ――当時8歳――は、「みゃーみゃー」と鳴いている子猫の前に、両手を広げて立っていた。
ハルノブの前には、彼よりも一回りも、二回りも大きな体をした子供達であった。
彼らは、まだ小さな子猫をいじめて遊んでいた。これも、弱肉強食といえば、弱肉強食――しかし、ハルノブはそれをよしとしなかった。
「よ、弱い者いじめなんて……ぼ、ぼぼぼ僕が許さないぞ!」
「お前……! チビのくせに生意気なんだよ! おい、みんなやっちまおうぜ!」
子供達のリーダー的な存在が命令すると、よってたかってハルノブを袋叩きに、ボコボコにした。
ハルノブはただ、小さく丸まって、子猫を守りながら耐えるしかなかった。これが彼の現実だった。
ハルノブは生まれつき、体が弱く、よく風邪を引くし、運動もあまり得意ではない。少食なのもあって、ハルノブの身長は同い年の子供に比べて、ずっと低かった。
非力で小柄――その上、泣き虫であった。この国で、そんな三拍子がついてしまったら、いじめて欲しいといっているようなもの。
ハルノブの幼少期は、いじめ、いじめ、いじめ……そういう過酷な状況の中で、彼は生きていた。
学校でも先生から、「もっと強くなれ」といわれ、親からも「強くなれ」の一点張り。
だが、いじめっ子達から子猫を守ったように、彼はあまりにも心優しかった。とても、闘争の多いこの国には不釣り合いな性格……故に、強くなれというのはあまりにも酷な話しであった。
殴られ、蹴られ――それでも、彼は抵抗せず、ジッと耐え続ける。
しばらく耐えていると、声が轟いた。
「ちょっと……なにしてるのよ!」
「げっ……出た出た。沖田が来た……行こうぜー」
「あっ……ちょっと! あなた達!」
ハルノブが耐え忍んでいた折、可愛らしい少女の声が聞こえたかと思うと、彼をいじめていた子供達が、うんざりした声とともに、どこかへ退散してしまった。
ハルノブが不思議に思って顔を上げると、目の前に可憐な少女が、腰に手を当てて立っていた。
「まったく! ねえ、大丈夫? ハルノブくん……?」
少女はそう言って、ハルノブに手を差し伸べた。
白銀を思わせる白い髪に、透き通った赤い瞳。彼女の名前は、沖田レン――ハルノブの初恋相手であった。
「え、あ、うん……い、いつもありがとう。レンちゃん」
ハルノブは初恋の人に、恥ずかしいところを見られてしまい、やや顔を赤くさせる。
ハルノブがこうしていじめられるのはよくあることで、レンが彼を助けることもよくあることだ。なぜなら、2人はいわゆる幼馴染という間柄で、よく遊ぶことがあった。
「別にいいのよ、これくらい……。それより、今回はどうしてボコボコにされてたの?」
ハルノブは、彼女の手を取って立ち上がる。その際、彼に守られていた子猫が飛び出し、どこかへ行ってしまった。
それで察したのか、レンは苦笑した。
「子猫……守ってあげてたんだね」
「うん……まあ、あっはは……情けないよね。もっと、かっこよく守ってあげられたら、よかったんだけど……。僕、小さくて弱っちいから……」
挙句、好きな女の子に助けられていては世話ない。だが、レンは「そんなことない」と首を横に振る。
「あいつらなんかより、ハルの方がかっこいいよ? なんていうのかな……ハルノブくんは、心が強いの」
「こころ……?」
「うん。私は、そっちの方が、好きかな……?」
「っ……そ、そっか」
初恋相手に、そんな思わせぶりな言い方をされてしまうと、まだ8歳のハルノブはいろいろと勘違いしてしまうというかなんというか……。
ハルノブは照れてしまい、顔を背ける。そんな彼を他所に、レンは花が咲き乱れるような笑顔を浮かべた。
「今度、あいつらが来たら、私が倒してあげる! 私は強い女だからね! 私がずっと、ハルを守るから!」
レンは、ハルノブと同い年ながら、とにかく強かった。家が古くから続く武士の血族というのもあるのだろう。
同い年のみならず、上級生の男子すら負かしてしまうほど、レンは剣の才能に恵まれていた。
しなやかな筋肉に、8歳ながらすらっと長い手脚、なによりその身長――女の子の方が成長が早いというが、レンの身長は、ハルノブと比べて頭一個分くらい違う。
男の子としては、非常に心苦しいところ。初恋の相手よりも身長が低いというのは、やはり年頃は気になってしまう。
「……? どうかした?」
「え、あ、いやあ……あはは……」
じっと見られていたことが不思議だったのだろう。レンが尋ねたが、まさか身長が……などと言えるはずもなく、曖昧な笑みを浮かべて誤魔化した。
それから、ハルノブとレンは幼馴染として親交を深める。ハルノブの恋心は、彼女と過ごす間、日に日に大きくなっていった。
だから、ハルノブはある時、レンに告白することにした。
「す、好きです……! 付き合ってください!」
「え……」
突然の、幼馴染からの告白にレンは困惑した表情を浮かべた。それからやや、間を置いてからレンは気まずそうに口を開いた。
「……その、私よりも弱い男の子は好きになれない……かな。ハルノブくんのこと、ずっとお友達としか見たこと……なかったし……」
「――――」
男、宮本ハルノブ8歳は、あえなく初恋の女の子に振られて撃沈。
その日、彼は枕を涙で濡らした。
日々、男子達からはチビだの、ヘタレだの、非力だのといじめられ……女子からは「自分よりも小ちゃい男の子とかなくない?」と揶揄される始末。
「……ぼ、僕だって、好きでチビじゃないのにぃ!」
やはり、チビなのがいけないのだろうか。チビで、弱虫で、非力だから、初恋の幼馴染に振られてしまったのだろうか……。
そうだ。レンは、「自分よりも弱い男の子は好きになれない」と言ったのだ。ならば、簡単な話――強くなればいい。
「僕は……まだ、レンちゃんが好きなんだ……! 絶対、レンちゃんよりも強い男になって、また告白するんだ!」
こうして宮本ハルノブは、家を出て母方の祖父が開く道場で、弱虫な己を鍛え上げることにした。
学校にも行かず、友達とも一切遊ぶことなく、ただ強い男になるために修行を重ね続けた末に――ハルノブは、免許皆伝に至った。
宮本ハルノブ17歳――念願叶い、胸を張って強い男と言えるくらいにまで成長した今日この頃……彼の身長が、まったく伸びなかったのは言うまでもない。
「……っ」
戦慄。
小柄な体躯をした少年は、上体を大きく反らせて、横薙ぎに振るわれた日本刀の刃をかわす。少年はそのまま、ブリッジの要領で地面に手をつき、体を回転。
ぴょんぴょんと数回、回転しながら後退する。だが、少年を逃すまいと、日本刀を握った少女が常闇から姿を現し、少年の後を追う。
「あっははは! 逃がさないよ~! 君をバラバラにしてぇ~、イクのコレクションにしてあげるねぇ~?」
「誰が……!」
少女は月明かりのもとに、高揚した肌を晒し、興奮しているのか顔が赤くなっている。少年は少女から逃げながら、腰に挿していた木刀を抜き放つ。
刹那――キンッと、甲高い金属音がビルの屋上に響き渡る。少年と少女の振るった刃が衝突したのだ。
2人は刃を合わせると同時に、後方へ飛び退く。少年は今し方立っていたビルから、隣のビルへと飛び移る。
少女は、そんな少年を追って、数メートルはあろうかというビルの間を、軽々と飛び越える。
「や~ん……そんなに逃げないでよぉー。おにごっこよりもぉ~、イクともぉっと楽しいことしようよぉ~!」
甘ったるい声音とは裏腹に、過激な剣戟が少年を襲う。幾度となく、木刀と刀がぶつかり合う。
触れれば一瞬、油断すれば刹那、少年の首と胴体が切り離されるであろう、的確な少女の攻め。苦しい戦いを強いられた少年は、苦悶の表情を浮かべる。
「この……! 調子に乗るなよ……!」
「くふふ~おチビちゃんが怒ったぁ~。か~わいい~」
「チビじゃないし!」
チビ――少年は、木刀で少女の日本刀を弾き返す。
「おっとっと~」
少女は腕ごと上方へ弾き飛ばされ、胴体がガラ空きとなる。少年が懐に潜り込めば、木刀で致命傷を与えられる距離。
「……!」
だが、少年は踏み込まずに後退。逃げることを選択した。
「くふふ……絶好のチャンスだったのにぃー、どうして逃げるのかなぁー?」
「そんな安っぽい罠になんか引っかかるか! 飛び込んでたら斬ってただろ!」
「あっははは! さっすがだねぇ~。くふふ、でもぉ、逃げてばっかりじゃあ、私には勝てないよぉ、おチビちゃ~ん?」
「チビじゃないし!」
キンッキンッと、ビルからビルへと飛び移りながら、2つの人影が火花を散らす。
「くふふ……あっははは! やっぱり、君ってば本当に強いねぇ! ああ……はあ……興奮してきちゃったぁ。イク、濡れちゃうぅ~。ねぇねぇ、やっぱりイクと付き合お? ね? いいでしょぉ? きっと、楽しいぃよぉ?」
「断る! 俺に好きな人がいるって知ってるだろ?」
少年は木刀で、少女の日本刀を再び弾き飛ばしながら、彼女の誘いを強く拒む。
「やーん、いけずぅ……でもぉ、そんな君もだ~ぃ好きぃ……だからぁ、イクだけの物にしてあげる!」
クワッと、恍惚とした瞳を見開き、少女は一瞬で少年との間合いを詰める。その間合いは、日本刀の切っ先が届くギリギリの距離。
小柄な上に木刀である少年では、リーチの差がありすぎる。この間合いでは、ただ少年が一方的に斬られる――。
「知ってると思うけどぉ、イクの居合いは、ちょっと刺激的だからぁ……勝手にイカないように、『キ・ヲ・ツ・ケ・テ・ネ?』」
「っ……!」
いつのまにか少女は鞘に納刀していた日本刀の柄に手をおき、少年が日本刀の間合いに入ったと同時に居合い一閃――鞘から白磁の刃が解き放たれる。
月明かりを反射した刃が閃光を放ち、少年の首を狙って飛翔。直撃はまぬがれない……かのように思われた。
「えぇ……?」
少女は目を見開いた。
たしかに、捉えたと思った少年の姿が、忽然と消えてしまったからだ。
少女の居合斬りは、虚しく空を斬り裂いたのみ。少年の姿はすでに、そこにはない。だが、人一人が目の前から掻き消えるなどありえない。
少女は目だけで辺りに目を配る。すると、ちょうど少女の真下――死角となっていた懐に、少年の小さな体が潜り込んでいた。
「うそっ!? 小さすぎて視界から消えちゃった!?」
「なっ――別に小さくないし!? このっ!」
小さいだのチビだの言われていた少年は、さすがに怒ったのか……ただでさえ小さな体で、姿勢を低くさせて少女の足元を払う。
「うわっ……きゃっ!?」
少女は居合斬りの直後で、姿勢が定まっておらず、簡単に尻もちをつく。少年はその好きに、少女が持っていた日本刀をぶんどって、遠くに放り投げた。
これでもう追ってはこれまい。
少年はそう判断し、少女に背を向けて走り出そうとしたが、その足を少女に捕まれてしまい、無様に顔面から倒れ込む。
「あいた!?」
「くふふ……つーかまえたぁ~! ハルく~ん?」
足を掴む少女を振り払い、なんとか逃げ出そうとする少年。しかし、倒れた拍子に木刀を失なったうえに、力は少女の方が上であった。
悲しいかな……体が小さいからだろうか。性別上では力が優っているはずの彼女に、少年はなすすべもなく、少女に上から抑えつけられてしまう。
「はあああ~ハルく~ん……や~っと、捕まえたよぉ。これでもう、動けないよねぇ~?」
「ぐっ!?」
少女は仰向けに転がした少年の腹部に座り、四肢を己の手足で拘束する。見事の固技で、少年は身動きを封じられてしまった。
「くふふ……それじゃあぁ~、イクとぉ、イ・イ・コ・ト……しちゃおっかぁ~」
「や、やめろおおおお! ズボンのベルトに手をかけるなよおおお!」
「あっははは~。よいではないかぁ~よいではないかぁ~」
「そういうプレイじゃねえええ!」
どれだけ抵抗しても、非力な少年では少女を力づくで押しのけることはできない。
ましてや、「やめろ」と言ってもやめるような人間ではなかった。
少年は、ギリっと奥歯を強く噛みしめて、大きな声で叫んだ。
「俺の初めては絶対、あの子に捧げるんだあああ!!」
ビルの立ち並ぶ夜の街に、少年の声が轟いた。
※
ここは剣の実力によってすべてが決まる国――ブレイド国。世界各国から、剣の腕に覚えがある猛者が集い、日々戦い身を投じ、剣士が己の武を極めるためにある国である。
ブレイドにおいて、剣士というのは職業だ。一種のプロスポーツ選手みたいなもので、剣士同士の戦いは人々の娯楽となっている。
そんな国だからだろうか。ブレイドで生まれた子供達は、幼きころから、弱肉強食の世界で生きているため、強者が弱者を虐げるなど日常茶飯事となっていた。
少年――宮本みやもとハルノブも、例外ではない。
「おい! ハルノブ! 邪魔すんなよ!」
「だ、ダメだよ……! こ、子猫をいじめるなんて!」
ハルノブ――当時8歳――は、「みゃーみゃー」と鳴いている子猫の前に、両手を広げて立っていた。
ハルノブの前には、彼よりも一回りも、二回りも大きな体をした子供達であった。
彼らは、まだ小さな子猫をいじめて遊んでいた。これも、弱肉強食といえば、弱肉強食――しかし、ハルノブはそれをよしとしなかった。
「よ、弱い者いじめなんて……ぼ、ぼぼぼ僕が許さないぞ!」
「お前……! チビのくせに生意気なんだよ! おい、みんなやっちまおうぜ!」
子供達のリーダー的な存在が命令すると、よってたかってハルノブを袋叩きに、ボコボコにした。
ハルノブはただ、小さく丸まって、子猫を守りながら耐えるしかなかった。これが彼の現実だった。
ハルノブは生まれつき、体が弱く、よく風邪を引くし、運動もあまり得意ではない。少食なのもあって、ハルノブの身長は同い年の子供に比べて、ずっと低かった。
非力で小柄――その上、泣き虫であった。この国で、そんな三拍子がついてしまったら、いじめて欲しいといっているようなもの。
ハルノブの幼少期は、いじめ、いじめ、いじめ……そういう過酷な状況の中で、彼は生きていた。
学校でも先生から、「もっと強くなれ」といわれ、親からも「強くなれ」の一点張り。
だが、いじめっ子達から子猫を守ったように、彼はあまりにも心優しかった。とても、闘争の多いこの国には不釣り合いな性格……故に、強くなれというのはあまりにも酷な話しであった。
殴られ、蹴られ――それでも、彼は抵抗せず、ジッと耐え続ける。
しばらく耐えていると、声が轟いた。
「ちょっと……なにしてるのよ!」
「げっ……出た出た。沖田が来た……行こうぜー」
「あっ……ちょっと! あなた達!」
ハルノブが耐え忍んでいた折、可愛らしい少女の声が聞こえたかと思うと、彼をいじめていた子供達が、うんざりした声とともに、どこかへ退散してしまった。
ハルノブが不思議に思って顔を上げると、目の前に可憐な少女が、腰に手を当てて立っていた。
「まったく! ねえ、大丈夫? ハルノブくん……?」
少女はそう言って、ハルノブに手を差し伸べた。
白銀を思わせる白い髪に、透き通った赤い瞳。彼女の名前は、沖田レン――ハルノブの初恋相手であった。
「え、あ、うん……い、いつもありがとう。レンちゃん」
ハルノブは初恋の人に、恥ずかしいところを見られてしまい、やや顔を赤くさせる。
ハルノブがこうしていじめられるのはよくあることで、レンが彼を助けることもよくあることだ。なぜなら、2人はいわゆる幼馴染という間柄で、よく遊ぶことがあった。
「別にいいのよ、これくらい……。それより、今回はどうしてボコボコにされてたの?」
ハルノブは、彼女の手を取って立ち上がる。その際、彼に守られていた子猫が飛び出し、どこかへ行ってしまった。
それで察したのか、レンは苦笑した。
「子猫……守ってあげてたんだね」
「うん……まあ、あっはは……情けないよね。もっと、かっこよく守ってあげられたら、よかったんだけど……。僕、小さくて弱っちいから……」
挙句、好きな女の子に助けられていては世話ない。だが、レンは「そんなことない」と首を横に振る。
「あいつらなんかより、ハルの方がかっこいいよ? なんていうのかな……ハルノブくんは、心が強いの」
「こころ……?」
「うん。私は、そっちの方が、好きかな……?」
「っ……そ、そっか」
初恋相手に、そんな思わせぶりな言い方をされてしまうと、まだ8歳のハルノブはいろいろと勘違いしてしまうというかなんというか……。
ハルノブは照れてしまい、顔を背ける。そんな彼を他所に、レンは花が咲き乱れるような笑顔を浮かべた。
「今度、あいつらが来たら、私が倒してあげる! 私は強い女だからね! 私がずっと、ハルを守るから!」
レンは、ハルノブと同い年ながら、とにかく強かった。家が古くから続く武士の血族というのもあるのだろう。
同い年のみならず、上級生の男子すら負かしてしまうほど、レンは剣の才能に恵まれていた。
しなやかな筋肉に、8歳ながらすらっと長い手脚、なによりその身長――女の子の方が成長が早いというが、レンの身長は、ハルノブと比べて頭一個分くらい違う。
男の子としては、非常に心苦しいところ。初恋の相手よりも身長が低いというのは、やはり年頃は気になってしまう。
「……? どうかした?」
「え、あ、いやあ……あはは……」
じっと見られていたことが不思議だったのだろう。レンが尋ねたが、まさか身長が……などと言えるはずもなく、曖昧な笑みを浮かべて誤魔化した。
それから、ハルノブとレンは幼馴染として親交を深める。ハルノブの恋心は、彼女と過ごす間、日に日に大きくなっていった。
だから、ハルノブはある時、レンに告白することにした。
「す、好きです……! 付き合ってください!」
「え……」
突然の、幼馴染からの告白にレンは困惑した表情を浮かべた。それからやや、間を置いてからレンは気まずそうに口を開いた。
「……その、私よりも弱い男の子は好きになれない……かな。ハルノブくんのこと、ずっとお友達としか見たこと……なかったし……」
「――――」
男、宮本ハルノブ8歳は、あえなく初恋の女の子に振られて撃沈。
その日、彼は枕を涙で濡らした。
日々、男子達からはチビだの、ヘタレだの、非力だのといじめられ……女子からは「自分よりも小ちゃい男の子とかなくない?」と揶揄される始末。
「……ぼ、僕だって、好きでチビじゃないのにぃ!」
やはり、チビなのがいけないのだろうか。チビで、弱虫で、非力だから、初恋の幼馴染に振られてしまったのだろうか……。
そうだ。レンは、「自分よりも弱い男の子は好きになれない」と言ったのだ。ならば、簡単な話――強くなればいい。
「僕は……まだ、レンちゃんが好きなんだ……! 絶対、レンちゃんよりも強い男になって、また告白するんだ!」
こうして宮本ハルノブは、家を出て母方の祖父が開く道場で、弱虫な己を鍛え上げることにした。
学校にも行かず、友達とも一切遊ぶことなく、ただ強い男になるために修行を重ね続けた末に――ハルノブは、免許皆伝に至った。
宮本ハルノブ17歳――念願叶い、胸を張って強い男と言えるくらいにまで成長した今日この頃……彼の身長が、まったく伸びなかったのは言うまでもない。
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。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
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