上 下
41 / 56
別れ

4.ケジメ

しおりを挟む
 ボリスは乱雑に頭を掻きながら立ち上がる。
 娘から離れたくはないけれど、来客を放っておくわけにはいかず、娘と同性であり、彼女の傷により深く寄り添うことのできているマリーを玄関にやるわけにもいかない。
 選択肢を持たぬ彼は扉向こうにいる相手を確認する手間を省き、直接玄関を開放する。

 軽い音と共に外の風景が目に入った。

「……は?」

 彼よりも頭が数個分低い身長。柔らかな赤毛。ボリスを見上げる意志の強い緑色の瞳。
 そこに立っていたのは、制服を来たままのエミリオであった。

「どういうつもりだ?」
「ケジメを、つけに」

 目をすがめたボリスに怯えることなく、エミリオは言葉を詰まらせつつもしっかりと声を発する。
 後ろ暗い様は微塵もなく、毅然とした態度で彼は立つ。

「オレはホーリーを幸せにするって言ったのにできなかった」

 軽く唇を噛むその動作一つで、彼が心底後悔していることがわかる。
 ホーリーとその家族へ向けた宣言に嘘はなかった。軽い気持ちで口にしていたのであれば、エミリオはここまで苦しい思いをすることはなかったはずだ。

「甘かった。オレも、ホーリーも」

 生きる時間を軽く考えていた。
 睡眠というものを正しく理解してきれていなかった。
 片方だけの過ちではない。二人の過ちだ。そして、宣言はエミリオが立てたものだ。

「別れたのはオレとホーリーの問題です。
 だけど、お二人に宣言した言葉に関しては、オレ達だけの問題じゃない」

 一人を愛し、守り続けることができなかった男として、ケジメをつけなければならない。ホーリーが許そうとも、司法が問題として扱わずとも、エミリオの心はそれを良しとしないのだ。誓いを破った罪は決して軽くない。

「……いい度胸だ。
 そこだけは評価してやろう」
「あなた?」

 ゆっくりと、しかしハッキリとボリスが頷いたところに、マリーとホーリーがやってきた。
 いつまで経っても帰ってこぬ彼に、何かあったのではないかと思い二人そろって様子を見にきたらしい。

「エミリオ君」

 壁から顔を覗かせていたホーリーは、父の背の向こうに在る見慣れた姿に目を見開く。昨日と何ら変わらぬ姿だというのに、彼を見るのはずいぶんと久しぶりに思え、彼女の心はどのようにバランスをとればいいのか咄嗟の判断に迷ってしまう。
 まだ会いたくない。しかし、好きな人の顔を見ることができなのは傷を負った心をわずかとはいえ癒してくれる。

 名を口にした。次に、何か言わなければ。
 ぐるりと思考が回るも、ホーリーの口は沈黙から逃れることができない。

「ホーリー」

 同じ目だ。
 別れを告げた時と同じ瞳にホーリーは息を詰まらせる。

「格好悪い姿を見せることになるぞ」
「いいんです。格好をつけたくてここに来たわけじゃないんで」
「そうか」

 ボリスの大きな手が拳を作る。
 そこで彼が何をしようとしているのか気づいたホーリーは、二人の間に身を投げようとし、止められる。

「お母さん!」
「ダメよ」

 マリーは首を横に振り、事態の静観を促す。
 詳しいことは何も聞いておらずとも、彼女は今からここで何が行われようとしているのか気づいたようだ。元より、男が二人、事の次第を認め合っているのだ。余計な口出しは無用。

 ホーリーは母を見つめ、体から力を抜いた。
 何故止められたのかを理解することはできなかったが、きっと、こうしておくべきなのだろう。

「歯を食いしばっておけ」
「ウッス」

 硬い拳が振り上げられ、エミリオは気合を入れる。
 足が一歩、踏み込み、腕が伸びる。その一挙手一投足を彼は視界に納め続けていた。

 肉体同士がぶつかり合う鈍い音が響いたのは、数秒してからのことだ。

「エミリオ君!」

 成熟しているとは言い難いエミリオの体が吹き飛び、地面へ崩れ落ちる。
 ホーリーの位置からは確認することができなかったが、彼は口の端からわずかに血を流しており、相当のダメージが予想された。

「……これで勘弁してやる」
「アザァッス」

 血をぬぐい、エミリオはふらつく足でどうにか立ち上がる。

「ホーリー」
「だ、大丈夫?」

 仁王立ちしているボリスを押しのけ、ホーリーはエミリオのもとへと駆け寄っていく。目の前でわけもわからぬまま好きな男が殴り飛ばされる姿を見たのだ。一度は見届けるべきなのだろうと自分を納得させたが、その後まで冷静に眺めてはいられない。
 心もとない立ち方をしているエミリオを支え、間近から彼の顔を覗き込む。
 隠そうとしてる痛みの全てを知ろうとするホーリーへ、エミリオは穏やかな表情を返した。

「オレ達、友達に戻れるかな」

 それは、ただの友人であった。
 とても大切な、ただの友人。

 ホーリーの恋人であったエミリオは、今、ボリスに殴られて消えてしまった。

「……うん」

 頷く。
 恋人は残らなかったけれど、自分の学校生活を変えてくれた友人が帰ってきた。それだけで充分だ。

「そっか」

 エミリオは笑う。
 真っ白な歯をきらめかせ、清々しげに。

「んじゃ、オレ帰るわ」
「平気なの?」
「こんくらい大丈夫だって」

 支えていた手を離し、ホーリーとエミリオは互いに一歩分後ろへ下がる。
 恋人としての距離ではない。友達としての距離がそこには在った。

「また明日」
「うん。また、明日ね」

 ホーリーが手を振れば、エミリオもそれに返す。
 また明日。恋人としての誓いは消え、明日への約束が新たに交わされる。

 街灯や店、家の明かりの中へ消えていく彼の背中は、とても堂々としたものだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

現実的理想彼女

kuro-yo
SF
恋人が欲しい男の話。 ※オチはありません。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

処理中です...