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初めての朝

2.団欒

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「おはよう! おとーさん!」
「……おはよう」

 リビングの中央に置かれたテーブルには、暖かな朝食が並んでいる。
 座っているのは男が一人。名をボリスという。
 少々恰幅のいい彼は立体映像機に映し出されているニュースを読んでいたらしい。ホーリーの挨拶に数秒の間を空け、視線と共に彼は返事をした。
 男らしく低い声は、不機嫌よりも戸惑いを多分に含んでいる。

「お父さん」
「あ、あぁ。
 すまない。まだ、その」

 叱るような妻の声に、ボリスは視線をさまよわせ、軽く頭を掻いた。
 言い訳をしたいけれど、その言葉さえ見つからない。この場で何を話せばいいのか、彼には見当もつかないのだ。

「ふふ」

 困り果てた様子の父を見て、ホーリーは小さく笑う。
 そうして、彼の隣へと座り、目をじっと合わせる。

「大丈夫だよ。私も、まだ緊張してるもん」

 柔らかに細められた青色は、歳不相応な懐の広さを示しているかのように深く色めいていた。

「だって、こうして朝からお父さんと会うのは初めてだから」

 窓から差し込む太陽の光がホーリーの髪をきらきらと輝かせる。
 ボリスはその美しさに妻を思い、そして、目の前にいる子供が我が子であることを再認識した。今までとて、理解していなかったわけではないけれど、それでもどこか、遠い世界の話のように思えていた部分があるのも事実。
 彼はホーリーの髪に触れ、やっと優しげな笑みを返すことができた。

「そう、だね。
 私達は、まだこれから、たくさん知らなければならないことがある」
「うん。これからはずっとずーっと一緒だもん。
 私も、お父さんも、お母さんも、時間はたっぷりあるよ!」

 頬を紅潮させて破願するのには深い理由がある。
 ホーリーは生まれながらにして、ある特殊な体質を有しており、両親と共に暮らすことができなかったのだ。マリーは仕事を変えることで娘と顔を合わせる時間を作っていたが、生きていくためには金が必要である以上、ボリスが同様の行動にでることはできなかった。
 おかげで彼はホーリーがこの家にやってきた昨晩まで、週に一度、昼頃から顔を合わせるのが精一杯だったのだ。

「良かったわね、あなた。
 ホーリーの朝をちゃんと迎え入れられるだろうか、って悩んでたものね」
「おい!」
「あら? 言っちゃダメだったかしら?」

 マリーはくすくすと笑いながら、ボリスの対面へ座る。
 食事の用意はできており、後は親子揃って楽しく食べるだけだ。

「私のことは気にしなくていいのに」
「いや、私はだな……」

 本人はあっけらかんとしたものだが、対応する側の彫りすとしては思うところもある。
 何よりも可愛い我が子と過ごす初めての朝だ。何一つ不備も悲しみもない、完全なものにしたいと思ってしまうのは当然のことだろう。

「そんなことより! ほら、早くご飯食べよう!
 私、お父さんとお母さんと一緒に朝ご飯食べるの楽しみにしてたんだから」

 ホーリーがスプーンを手に取ると、両親もそれに続く。
 彼らとて、いつまでも重たい話をしたいわけではない。どこにでもある普通の家庭として娘と朝を過ごし、昼を越え、夜を迎えるのを楽しみにしていた。

「お母さんの料理美味しいね!」
「向こうに居たときも作ってあげてたでしょ?」
「でもお家で食べるともっと美味しい気がするの」

 湯気のたつ野菜スープ。表面が狐色に焼きあがったトースト。塩のきいたスクランブルエッグにウインナー。ありふれた朝食だ。調理方法に何かひと手間があるわけでもなく、おおよその家でそう変わらぬ味を食べることができるだろう。
 それでも、ホーリーにとっては特別な朝食だった。
 わずかに違う塩の加減や、スープに入っている具材。卵の固さ。そんなものが、泣きそうになるくらい、大切で、嬉しいものになる。

「今日から学校でしょ?
 大丈夫? 緊張してない?」

 スープの暖かさにホーリーが目尻を緩めていると、マリーが心配そうに尋ねてきた。
 家族と共に暮らすことができなかった彼女は、同様の理由によって小学校卒業までの教育を同年代の子供達がいる学び舎で受けることができなかった。母と共に行った公園で遊んだ友人はいたけれど、同じ年の子達と集団生活を送るのは初めてのことになる。戸惑うことも多いだろう。今まで育ってきた環境による引け目や怯えもあってしかるべきものだ。

「緊張はしてるよ。でも、平気!
 だって、それよりもワクワクの方が大きいもん」

 まだ見ぬ友人達は、何を好み、何を考え、何をするのだろうか。
 授業の進み方は、学ぶものは、行事は。

 学校生活というものを本や話の中だけで知ってきたホーリーにとって、学校という施設はは興味の塊のような場所だった。絵本でも小説でも、そこは楽しさに満ち溢れていた。いつか、同じ場所へ通うことが、幼いホーリーの夢ですらあった。

「なら良かった」
「心配する必要なんてないさ。
 こんなに可愛い子なんだ。クラスのみんなが放っておかない」

 親の欲目というものを差し引いても、ホーリーは可愛らしい少女だ。
 性格も明るく、人見知りもしない。多くの人間に好かれる才能を有していると言っても過言ではないだろう。

「そうね。きっとすぐに彼氏を作ってくるわ」

 ニコニコと話を聞いている娘を見て、マリーは微笑みを浮かべて肯定の言葉を返す。
 そこに不服を唱えるのはボリスだ。

「……それは、ちょっと」
「過保護ね」
「いや、親として当然のだな」

 顔を合わせてきた時間の短いボリスにとって、ホーリーはまだ赤子も同然という気持ちがどこかにある。実感と認知の齟齬を上手くすり合わせることができない。
 否、たとえそれらが上手くいっていたとしても、何故ようやく共に暮らせるようになった娘から、彼氏の話など聞かねばならないのか。今しばらくは自分達と楽しい家族団欒だけを楽しんでいればいい。

「簡単に彼氏なんてできないよ」
「そう思ってる子に限って、ってのがあるのよ」
「母さん、ホーリーもこう言ってるじゃないか」

 ここぞとばかりにボリスが言葉を重ねていくが、マリーの対応は冷たいものだ。
 小学校を卒業したばかりで、まだあどけなさが残っているとはいえ、年頃の男女が同じ建物の中で長時間過ごせば、生まれるものもあるだろう。

 切ない片思いで終わるのか。幸せな両思いになるのか。
 その辺りは母であれ父であれ、関与していい部分ではない。
 ホーリーは普通の子供ではないけれど、そこに在る心は他の子供達となんら変わることのないものだ。親にできることは、ただ彼女を信じ、見守るだけ。

「美味しかった!」
「キレイに食べてくれてお母さんも嬉しいわ」

 テーブルに乗せられている皿は全て空になった。卵のひとかけら、スープの一滴すら残っていない。実に気持ちの良い食事終わりの風景といえるだろう。
 口元を軽く拭ったホーリーは食後のうがいをするため、席を立つ。
 家族との会話をもっと楽しみたい気持ちはあるが、時計は家を出なければならない時間を示しつつある。まさか初日から遅刻をするわけにもいくまい。

「ホーリー」

 とて、と靴下に包まれたホーリーの足がフローリングを鳴らしたところで、ボリスが声をかけてきた。
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