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初めての朝
1.起床
しおりを挟むピピ、と甲高い機械音が室内に響く。
「……ん。もう、朝?」
わずかに掠れた声がこんもりと盛り上がった布団の中から聞こえてくる。
そっと出てきたのは声の主ではなく、細く白い腕。数十秒ほど辺りをさ迷った後、指先が小さな端末へと触れた。布団の中にこもっている人間へ朝を伝え、起床を促してくる音を止めるべく、手は端末を握り締めてからゆっくりと戻っていく。
端末が完全に引き込まれたところで、激しい音がぴたりと止む。
静けさが部屋を支配し、空気が一呼吸したかのように感じられた。
「あー、よくねたぁ」
布団が押しのけられ、中から一人の少女が現れる。
寝起きのせいか、舌足らずになっている彼女は軽く伸びをしてから床へ足をつけた。一年を通し、室内は常に適温が保たれているため、絨毯のない部分に素足が触れても冷たさを感じることはない。
皮膚がフローリングに触れ、離れ、数度、ぺたり、という音を立てた。
まだ眠気を落としきれていない瞳を顔に乗せた彼女は、自身の瞳と同色の空を見るべく窓際へと近づいてゆく。一歩踏み出すごとに腰近くまである柔らかな金色の髪が揺れ、昨晩使ったリンスの香りをほのかに漂わせる。
緩慢に動く彼女の手がカーテンを掴めば、軽快な音と共に外の景色が現れた。
快晴の空。見える町並み。
一軒家の二階から見える最高の風景と共に、太陽の暖かな光が室内へと差し込んでくる。
人工的な温度管理とは違う優しい温もりは、ベッドから出たばかりの少女を再度眠りの世界へと誘う。瞼がゆるりと落ち、視界が青から黒へと変わってゆく。
「ホーリー。起きてるの?」
意識が夢の世界に浮かぶより早く、部屋の外から聞きなれた女性の声が届けられた。
「わっ! あ、うん! ちゃんと起きてる! 起きました!」
たゆたう脳が一気に覚醒し、心臓が跳ね上がる。連動するかのように肩を揺らした少女ことホーリーは今度こそ覚醒を果たす。
先ほどまで半分閉じていた目もぱっちりと開かれ、爛々とした光のある青が自身の存在を主張していた。
彼女がこの世に生まれて数十年。共に過ごした時間は短くとも、優しくも厳しい母の声を忘れるはずがない。
「おはよう、お母さん!」
勢いよく部屋の扉を開けば、数歩程離れた場所に母、マリーの姿がある。
「はい。おはよう」
ホーリーの顔を見て柔らかな笑みを浮かべた彼女は、娘と同じ色の髪と瞳を有していた。
揃って歩けば彼女ら二人が親子であることは疑いようもない。父親の遺伝子を全て飲み込んでしまっているかのように錯覚してしまう。
かろうじて、ホーリーが父から受け継いだであろう部分といえば、明らかな違いが見られる目つきだろうか。
大きな丸を描くような可愛らしさのあるホーリーと比べ、マリーの目は切れ長で力強い。首元でそろえられた金糸の髪も相まって、温和な娘と気の強い活発な母親、という印象だ。
「朝御飯できてるわよ。
早く仕度してきなさい」
軽く頭をひと撫で。
ホーリーはとろけるような表情でその行為を受け取る。見る者の目尻を緩ませる優しげな光景であるが、直後、寝起きで空腹を訴える呻き声を上げ始めた胃に、彼女は慌てて母の脇を通り抜けた。
いくら母とはいえど、年頃の乙女としてはあまり聞かれたくない音だ。
「はーい!」
階段をテンポ良く駆け下り、パジャマのまま洗面所へと向かう。
先に食事を済ませてしまうというのも手順としてはありなのだろうけれど、ホーリーは起床後すぐに歯を磨くタイプであった。朝食の重要性を理解していないわけではないけれど、女子として、何よりも優先すべきことがそこにある。
顔も髪も服装も、全て整えてからでなければ、食事に集中することもできやしない。
やってきた洗面所の鏡の前には父と母、そして娘であるホーリーの分、三本の真新しい歯ブラシが並んでいる。色別にわけられたそれを見て、彼女の頬が緩む。
「わっ! あ、あ!」
ふと鏡に視線をやれば、幸せをいっぱいに溶かし込んだ顔をした自分がいる。目も口元も、どこもかしこも締まりがなく、ホーリーはあまりの恥ずかしさに顔を赤く染めてしまった。
だが、羞恥の心をもってしても胸の奥底から湧き出てくる暖かな喜びを止めることはできず、だらしのない表情は収まることを拒絶してしまう。
「もぉ……」
不満げな声を上げるも、表情とは全く一致しない。
ホーリーは軽く自分の頬を数度捏ね、今すぐの対処を諦める。
顔を洗い、歯を磨き、絡んだ髪の毛を整えていれば顔の赤さも、だらしなさも消えてくれることだろう。そんな一抹の望みをかけての決断であった。
何せ、今日は特別な日。
表情一つをいつまでも気にかけ、朝の貴重な時間を浪費するわけにはいかない。
とろけた顔をそのままに、気合を入れなおしたホーリーは顔を洗うべく設置されているパネルを操作する。この家のものを使うのは始めてだが、他社製品やバージョン違いであったとしても大きく操作は変わらないため、特に迷いはなかった。
丁度良い具合に泡立った石けんを手のひらで受け止め、顔につける。ふわふわとした感触を楽しんだ後、噴出口に顔を近づければ優しい勢いのぬるま湯が泡を綺麗に落としてくれた。
いっそのこと、顔へ泡を乗せる手順から広げるところまで全自動でやってくれたのならば、所要をさらに短縮できるだろうに。ホーリーは胸中で三日に一度の愚痴を零す。
洗うべきところを洗い、髪をキレイに整え、ホーリーは再び自室へと戻る。時間が進むと共に、用意が進むごとに彼女の胸は鼓動を強くしていく。逸る気持ちはほんの少し残っている怯えを飲み込み、ひたすらに前進することを体に命令していた。
自室のクローゼットを開ければ、可愛らしい私服にまざり、真新しい制服が一着吊るされている。
それを手に取ったホーリーは、パジャマを脱ぎ、やや固めの生地へ身を通す。
「バッチリ!」
姿見に映った自身を見て、彼女はとびっきりの笑顔を浮かべた。
白いブラウスに赤いリボン。紺色のスカートには薄く濃紺のチェックが入っている。よくあるシンプルなデザインだが、だからこそ安定した可愛さのある制服だ。
胸ポケットに刺繍されている校章は、ここからもっとも近い公立中学校のもので、可愛らしい花がモチーフとなっている。特筆する何かがあるわけではない学校だが、ホーリーはそこへ通える日を心待ちにしていた。
鏡の前で一回転。前も後ろも問題ないことを確認し、彼女は朝御飯の良い匂いのするリビングへと向かう。
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