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放浪剣士編
第35話 紡がれる出会いと繋がる道
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冒険者パーティー。複数人で組んで依頼を受ける冒険者たちが作るチーム。
その一つであり皇国の伝説的なパーティーであった一団こそが、イエルがかつて所属していた「イリェンス」だった。
英雄イエーリの再来とも呼ばれたその一団は各地で伝説を残していた。
ある街では川に住み着いた凶悪な魔物を退治して交通を回復させ、ある森では土砂崩れを察知してふもとの村の住人全員の命を救い、大都市を襲ったドラゴンを撃退し、古代の遺跡にて隠し通路を見つけて驚くべき発見をして。
あちこちでロマンスを繰り広げ、英雄譚を残し、名声を広めていった。
そんなイリェンスの一人であったと自称する店主は、アウローラの対面に座って、楽しそうにカップの薬草茶を揺らしながら当時の思い出を語った。
「……まあ、昔の話ではありますけれどね。帝国と皇国が戦争を開始して、徴兵令を受けた私たちも戦争に参加して――」
暗い顔をした男が、言葉をためらう。見ず知らずの相手に話すような内容かと逡巡したのは、一瞬のことだった。聞かせてください――まっすぐな目で告げるアウローラを見て、男はその言葉を口にすることに決めた。
「パーティーメンバーの一人が、命を落としたのですよ」
まあ、戦場においてはありふれたことです――そう語る男の目には、けれど今でも消しきれない憔悴の輝きがあった。悔いるようなその顔には、覚えがあった。イエルがかつて見せた顔だった。
「……大切な人だったのですか?」
「そう、ですね。大切な仲間で……そして、イエル君にとってはそれ以上の存在でした」
恋人だったのですよ――店主の言葉が、アウローラの耳の奥で木霊した。
考えてみれば当然のことだった。見た目の年齢から二十代前半くらいだったイエルにこれまで恋人がいないことの方がおかしかったのだ。当たり前のこと。
そう、わかっているのに。
アウローラはきゅっと締め付けられるような痛みを感じて、そっと胸に手を当てた。
それが故人を悼む行為だと感じたのか、男は苦笑を浮かべた顔でアウローラに小さく頭を下げた。
「……イエルは、元気ですか?」
自分たちが別れた後のイエルを知っているのだろうと、そう確信をもって告げられた店主の言葉に、アウローラの呼吸が止まった。体の奥から、絶望の気配が立ち込めた。歯を食いしばって、その痛みを飲み込んだ。それだけで、店主はイエルがどうなったのかを悟った。
その視線が、一瞬だけアウローラの腰へと向かう。そこに提げられている剣が、イエルが持っていたものであると理解して、店主は小さくうなずいた。
それはあるいは、イエルの最後の意思を、あるいは思いを継いだであろうアウローラへの感謝の意味があったかもしれなかった。
「……正直、いつかはこうなると思っていたのです。彼は、死に急ぐように生きていましたから。絶望と復讐に心を染めた彼にはもう、私たちの言葉は届きませんでした。戦場で無茶を繰り返して、黒の死神と呼ばれるようになってからは特に……」
びくん、とアウローラが肩を弾ませる。おや、と眉尻を上げた男が、アウローラの反応を見て動きを止める。彼はてっきり、アウローラがイエルの戦友だと、あるいは軍での顔なじみだと思っていた。だから、イエルの呼び名を知っていて当然だろうと、そう思っていた。
その勘違いの理由の一つは、歳不相応に達観した、アウローラのまとう戦場帰りの空気。さらには、その雰囲気によってアウローラが成人してすらいない少女だと見抜けなかったから。
「……黒の、死神」
けれど呆然とつぶやくアウローラの声音、あるいは感情の消えたその顔が、兵士としてのイエルの呼び名を知らなかったことを告げていた。
「失礼ですがイエル君とどのような関係だったのでしょうか?」
アウローラが、固く口をつぐむ。途端に、周囲の声がはっきりとアウローラの耳に飛び込んだ。少し離れたテーブルの者が、話を聞いているのではないかと考えて。そして何より、事実を話した場合に、目の前の男が敵意を見せる可能性を思えば、言葉はのどに引っかかって出てこなかった。
イエルの友人に、冒険者仲間に敵と見られるのは嫌だ――ホウエンという存在を棚に上げて、アウローラは視線を俯かせて震えていた。
長い、時間が経った気がした。ちらちらと店主をうかがうお手伝いの少女の視線が、テーブルへと向いていて。けれど店主は、あくまでもじっと、アウローラの言葉を待ち続けた。せかすことなくただそこに座っていた。
大きく深呼吸を一つして。覚悟を決めたアウローラは、目の前の男にだけ届くような声量で、うつむいたまま呟いた。
「……私は、元帝国兵で、皇国の捕虜から皇国軍に所属するようになった回復兵で――」
店主の反応が怖くて、顔を上げることはできなかった。視線の先、強く握りしめた拳から血の気が抜けて白く染まっていた。
一度、言葉を区切って。けれど、言わなければならないことだと覚悟を決めて、アウローラは最後の言葉を紡いだ。
「――イエルと、同じ、脱走兵です」
イエル君と、同じ――かみしめるように、男は小さく呟いた。アウローラへの敵意は、そこにはなかった。
バッと、勢いよくアウローラが顔を上げる。そこには、孫を見つめるような瞳をした、敵意など全く持っていない店主の姿があった。
「……私を、嫌わないのですか?軍に突き出さないのですか?私は、裏切り者、なんですよ……?」
目をつむって、店主は静かに首を横に振る。それから、理解できないという顔をしたアウローラを見て、目じりを下げてほほ笑んだ。
「ただの市民には、国という枠組みにあらがうことはできませんし、何より国同士の争いは、市民である私たちの心を決めるものではありませんから。私とあなたは、同じ人間。それだけでしょう?」
「それ、は……」
ひどい喉の渇きを覚えて、アウローラは置きっぱなしになっていた薬草茶へと手を伸ばす。それはもう、とっくに冷めてしまっていた。
「あなたの戦いを、聞かせてもらえませんか?」
あくまで一人の人間として尊重するという姿勢を続ける店主に探るような目を向けたアウローラは、やがて静かに話し始めた。
一度口を開いてしまえば、言葉はとめどなくあふれた。
イエルが、帝国で恐れられていた「黒の死神」だったこと。ホウエンの言葉。それを加味して、アウローラはこれまでの出来事を話した。
帝国兵としての戦い。
砦の壊滅と味方に命を狙われた黒の死神――イエルの逃亡、捕虜となってからの生活。逃亡、イエルとの出会い、ホウエンとの闘い、イエルの死、逃走――
その全てを聞き終えるころには、まだ空高くにあったはずの太陽は、だいぶ西に傾いていた。
「そう、ですか。そんなことが……」
閉じられた店主の目には何が見えているのか、そんなことが気になりつつも、アウローラは黙って薬草茶をカップによそった。
「……ホウエンは、私たちイリェンスの魔道具技師であり、そして斥候担当でした」
店主は静かに、イエルを殺したホウエンについて語った。
魔道具に強いあこがれを抱いた青年だったこと、イエルの剣の師匠であり、ナイフ使いとして絶技と呼べる技量に至った優れた戦士であり、斥候だったこと。ともに行動することになった最初の頃から、皇国という国に仕える影の兵士である片鱗はあったこと。
おそらくは特殊な訓練を受けて育ってきたホウエンを思って、店主は小さく息を吐いた。
「……あなたは、彼を殺しますか?」
そう、店主に尋ねられて。アウローラは、ホウエンと再会した際にどうするか、その方針が自分の中にないことに気づいた。
アウローラにとって、ホウエンは捕虜時代を共に生きた戦友であり、サバイバル技術を教わった師匠であり、自分を苦行に追いやった憎き敵であり、イエルを殺した復讐対象でもあって。
たくさんの思いは複雑に絡み合って、ただ一つの思いに定まることはなかった。
言葉が出ないといった様子のアウローラを見て、店主は小さく顔をゆがめた。
あの旅の時間は、培った仲間としての絆は、嘘などではないと。彼はただ国に仕える兵士として忠実に職務を全うしただけなのだと、そう思いながら。
できれば、彼を殺さないでほしい――大切な存在であったイエルを目の前で殺されたと告げるアウローラに対して投げかけるべきではないそんな言葉を、店主は思わず口にしようとして。
カラン、カランと、扉に括りつけられた鈴が鳴り響いた。
どたどたと忙しない足音に焦りがにじんでいるのに気づいて、店主は店の入り口へと視線を向けた。
店内に飛び込んできた男は、顔なじみの相手だった。
店主がイリェンスの一員だったと知っている、数少ないこの街での友でもあって。
両手を膝に当てて肩で息をしていた男が、顔を上げる。青白い顔が、店主の視界に映った。
肌がひりついた。戦いの気配を、全身が感じていた。
「……が、魔物が街に近づいているんだッ」
男のそんな叫びが、店主の予感を肯定した。
その一つであり皇国の伝説的なパーティーであった一団こそが、イエルがかつて所属していた「イリェンス」だった。
英雄イエーリの再来とも呼ばれたその一団は各地で伝説を残していた。
ある街では川に住み着いた凶悪な魔物を退治して交通を回復させ、ある森では土砂崩れを察知してふもとの村の住人全員の命を救い、大都市を襲ったドラゴンを撃退し、古代の遺跡にて隠し通路を見つけて驚くべき発見をして。
あちこちでロマンスを繰り広げ、英雄譚を残し、名声を広めていった。
そんなイリェンスの一人であったと自称する店主は、アウローラの対面に座って、楽しそうにカップの薬草茶を揺らしながら当時の思い出を語った。
「……まあ、昔の話ではありますけれどね。帝国と皇国が戦争を開始して、徴兵令を受けた私たちも戦争に参加して――」
暗い顔をした男が、言葉をためらう。見ず知らずの相手に話すような内容かと逡巡したのは、一瞬のことだった。聞かせてください――まっすぐな目で告げるアウローラを見て、男はその言葉を口にすることに決めた。
「パーティーメンバーの一人が、命を落としたのですよ」
まあ、戦場においてはありふれたことです――そう語る男の目には、けれど今でも消しきれない憔悴の輝きがあった。悔いるようなその顔には、覚えがあった。イエルがかつて見せた顔だった。
「……大切な人だったのですか?」
「そう、ですね。大切な仲間で……そして、イエル君にとってはそれ以上の存在でした」
恋人だったのですよ――店主の言葉が、アウローラの耳の奥で木霊した。
考えてみれば当然のことだった。見た目の年齢から二十代前半くらいだったイエルにこれまで恋人がいないことの方がおかしかったのだ。当たり前のこと。
そう、わかっているのに。
アウローラはきゅっと締め付けられるような痛みを感じて、そっと胸に手を当てた。
それが故人を悼む行為だと感じたのか、男は苦笑を浮かべた顔でアウローラに小さく頭を下げた。
「……イエルは、元気ですか?」
自分たちが別れた後のイエルを知っているのだろうと、そう確信をもって告げられた店主の言葉に、アウローラの呼吸が止まった。体の奥から、絶望の気配が立ち込めた。歯を食いしばって、その痛みを飲み込んだ。それだけで、店主はイエルがどうなったのかを悟った。
その視線が、一瞬だけアウローラの腰へと向かう。そこに提げられている剣が、イエルが持っていたものであると理解して、店主は小さくうなずいた。
それはあるいは、イエルの最後の意思を、あるいは思いを継いだであろうアウローラへの感謝の意味があったかもしれなかった。
「……正直、いつかはこうなると思っていたのです。彼は、死に急ぐように生きていましたから。絶望と復讐に心を染めた彼にはもう、私たちの言葉は届きませんでした。戦場で無茶を繰り返して、黒の死神と呼ばれるようになってからは特に……」
びくん、とアウローラが肩を弾ませる。おや、と眉尻を上げた男が、アウローラの反応を見て動きを止める。彼はてっきり、アウローラがイエルの戦友だと、あるいは軍での顔なじみだと思っていた。だから、イエルの呼び名を知っていて当然だろうと、そう思っていた。
その勘違いの理由の一つは、歳不相応に達観した、アウローラのまとう戦場帰りの空気。さらには、その雰囲気によってアウローラが成人してすらいない少女だと見抜けなかったから。
「……黒の、死神」
けれど呆然とつぶやくアウローラの声音、あるいは感情の消えたその顔が、兵士としてのイエルの呼び名を知らなかったことを告げていた。
「失礼ですがイエル君とどのような関係だったのでしょうか?」
アウローラが、固く口をつぐむ。途端に、周囲の声がはっきりとアウローラの耳に飛び込んだ。少し離れたテーブルの者が、話を聞いているのではないかと考えて。そして何より、事実を話した場合に、目の前の男が敵意を見せる可能性を思えば、言葉はのどに引っかかって出てこなかった。
イエルの友人に、冒険者仲間に敵と見られるのは嫌だ――ホウエンという存在を棚に上げて、アウローラは視線を俯かせて震えていた。
長い、時間が経った気がした。ちらちらと店主をうかがうお手伝いの少女の視線が、テーブルへと向いていて。けれど店主は、あくまでもじっと、アウローラの言葉を待ち続けた。せかすことなくただそこに座っていた。
大きく深呼吸を一つして。覚悟を決めたアウローラは、目の前の男にだけ届くような声量で、うつむいたまま呟いた。
「……私は、元帝国兵で、皇国の捕虜から皇国軍に所属するようになった回復兵で――」
店主の反応が怖くて、顔を上げることはできなかった。視線の先、強く握りしめた拳から血の気が抜けて白く染まっていた。
一度、言葉を区切って。けれど、言わなければならないことだと覚悟を決めて、アウローラは最後の言葉を紡いだ。
「――イエルと、同じ、脱走兵です」
イエル君と、同じ――かみしめるように、男は小さく呟いた。アウローラへの敵意は、そこにはなかった。
バッと、勢いよくアウローラが顔を上げる。そこには、孫を見つめるような瞳をした、敵意など全く持っていない店主の姿があった。
「……私を、嫌わないのですか?軍に突き出さないのですか?私は、裏切り者、なんですよ……?」
目をつむって、店主は静かに首を横に振る。それから、理解できないという顔をしたアウローラを見て、目じりを下げてほほ笑んだ。
「ただの市民には、国という枠組みにあらがうことはできませんし、何より国同士の争いは、市民である私たちの心を決めるものではありませんから。私とあなたは、同じ人間。それだけでしょう?」
「それ、は……」
ひどい喉の渇きを覚えて、アウローラは置きっぱなしになっていた薬草茶へと手を伸ばす。それはもう、とっくに冷めてしまっていた。
「あなたの戦いを、聞かせてもらえませんか?」
あくまで一人の人間として尊重するという姿勢を続ける店主に探るような目を向けたアウローラは、やがて静かに話し始めた。
一度口を開いてしまえば、言葉はとめどなくあふれた。
イエルが、帝国で恐れられていた「黒の死神」だったこと。ホウエンの言葉。それを加味して、アウローラはこれまでの出来事を話した。
帝国兵としての戦い。
砦の壊滅と味方に命を狙われた黒の死神――イエルの逃亡、捕虜となってからの生活。逃亡、イエルとの出会い、ホウエンとの闘い、イエルの死、逃走――
その全てを聞き終えるころには、まだ空高くにあったはずの太陽は、だいぶ西に傾いていた。
「そう、ですか。そんなことが……」
閉じられた店主の目には何が見えているのか、そんなことが気になりつつも、アウローラは黙って薬草茶をカップによそった。
「……ホウエンは、私たちイリェンスの魔道具技師であり、そして斥候担当でした」
店主は静かに、イエルを殺したホウエンについて語った。
魔道具に強いあこがれを抱いた青年だったこと、イエルの剣の師匠であり、ナイフ使いとして絶技と呼べる技量に至った優れた戦士であり、斥候だったこと。ともに行動することになった最初の頃から、皇国という国に仕える影の兵士である片鱗はあったこと。
おそらくは特殊な訓練を受けて育ってきたホウエンを思って、店主は小さく息を吐いた。
「……あなたは、彼を殺しますか?」
そう、店主に尋ねられて。アウローラは、ホウエンと再会した際にどうするか、その方針が自分の中にないことに気づいた。
アウローラにとって、ホウエンは捕虜時代を共に生きた戦友であり、サバイバル技術を教わった師匠であり、自分を苦行に追いやった憎き敵であり、イエルを殺した復讐対象でもあって。
たくさんの思いは複雑に絡み合って、ただ一つの思いに定まることはなかった。
言葉が出ないといった様子のアウローラを見て、店主は小さく顔をゆがめた。
あの旅の時間は、培った仲間としての絆は、嘘などではないと。彼はただ国に仕える兵士として忠実に職務を全うしただけなのだと、そう思いながら。
できれば、彼を殺さないでほしい――大切な存在であったイエルを目の前で殺されたと告げるアウローラに対して投げかけるべきではないそんな言葉を、店主は思わず口にしようとして。
カラン、カランと、扉に括りつけられた鈴が鳴り響いた。
どたどたと忙しない足音に焦りがにじんでいるのに気づいて、店主は店の入り口へと視線を向けた。
店内に飛び込んできた男は、顔なじみの相手だった。
店主がイリェンスの一員だったと知っている、数少ないこの街での友でもあって。
両手を膝に当てて肩で息をしていた男が、顔を上げる。青白い顔が、店主の視界に映った。
肌がひりついた。戦いの気配を、全身が感じていた。
「……が、魔物が街に近づいているんだッ」
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