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新米剣士編

第28話 近づく再戦

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「……ああ、なんでも皇帝陛下の弟君が殺されたって話だぞ。知らんのか?」

 ここがいい、と確信を持って告げたイエルに促されて入った鍛冶屋にて。並ぶ数打ち品を見に行ったアウローラの後姿から視線を逸らして尋ねたイエルに、店主はそう答えた。

「皇弟殿下が、殺された?いつの話だ?」

 これほどの一大事を聞いていなかったのかと、不審気な視線をイエルに向けた店主が、そうだな、と虚空を見上げて考える。その目には、暗い未来への憂いの光があった。

「もう二か月は前になるか。温かくなり始めた頃のことだよ」

「……そうか。こんな時に森に踏み入っている場合じゃなかったな」

「森?ってああ、冒険者か。あの若いのもそうか?」

「彼女は弟子だな。それで、剣を頼みたいんだが」

 がしがしと髪を後ろ手で掻く男は、あー、と言いながら顔をしかめる。

「……あいにく材料も燃料もないんだ。既製品の販売以外は無理だぞ」

「他の店はどうだ?」

「多分どこも似たような状態だな。上が戦争ムードだってんで、商人どもがこぞって軍の大規模な施設を抱える街に品モンを集めてるぞ」

 皇国の魔法に日和見をしていた帝国は皇弟の死をきっかけに、再び戦争へと走ろうとしていた。既に出来上がっているこの流れは止められそうになくて。
 春の農作業が終わる今の時期にはもう戦争が再開されてもおかしくはないだろうと、イエルは諦めに似た心持でため息をついた。

「……それで、既製品はあるんだったか?」

「ああ、あるが……そこに並べているもの以外は、かなり高いぞ。その分の性能は保証するけどな」

 アウローラへと視線を向けて、イエルは少しだけ考える。今後成長しても数センチ背が伸びる程度だろうアウローラは、今の体格に合った長さの剣でよくて。問題は、その筋力にあった。剣士の中では圧倒的に筋力に乏しいアウローラが十分に使いこなせる剣は、オーダーメイド以外ではないだろうと考えていた。
 それでも一度見ておくかと、イエルの目ではこの街最高の鍛冶屋が品質を保証する一点ものをみるべく、イエルはアウローラを呼び寄せた。

 店の入り口に鍵をかけ、店主はイエルとアウローラを奥の部屋へと案内した。
 そこには金属製の棚と、並べられる沢山の種類の武器があった。多いのは剣、次いでナイフ、槍、メイス、斧といったところ。その剣が並ぶ一角へと、アウローラは吸い寄せられるように近づいて行った。

「触ってもいい、ですか?」

「おう。ただしむやみやたらと振り回すなよ?」

 棚を壊したら弁償だぞ、と注意する店主に頷きを返して、アウローラは一本の長剣へと手を伸ばす。
 真っ白な、雪のような剣だった。鞘もグリップもガードも、白い剣。その剣身を慎重な手つきで露出させ、アウローラは息を飲んだ。
 白く、氷のように半透明の刃が、鞘の中から姿を現した。水晶のような透明な刃を、アウローラは最後まで鞘から出す。棚へと鞘を置いて、両手で剣を握る。試しぶりができるほどの広さを持つ部屋の中央へと進み出て、軽く数回、その剣を振る。
 剣は静かに風を切った。
 ふわり、と舞ったフードが落ち、アウローラの顔があらわになる。植物の繊維を編んだ紐で縛った黒髪が揺れた。

「……ドラゴン?」

「よくわかったな。クリスタルドラゴンっていう高位ドラゴンの牙を加工した剣だ。丈夫さと切れ味は保証できる。問題は、高位ドラゴン特有の残留思念でな。気に入らない相手が自分を握ると使われまいと妨害してくるんだが……手に刺すような痛みが走ったり、頭痛がしたりしないか?」

 もう一度、剣を振って。片手を手放して突きを放って。
 アウローラは不思議そうに首を傾げながら店主を見た。
 こりゃあたまげた、と店主がつぶやいた。
 無意識のうちに腰に提げた剣を撫でながら、イエルは小さく笑みを浮かべた。

「……イエル。これがいい」

 それから、一応とばかりに他の剣を振った後。
 アウローラは最初に手に取ったクリスタルドラゴンの牙を使った剣を両手で抱きかかえ、イエルにせがんだ。最も、その金の半分ほどはアウローラが狩った魔物の代金だったが。

「……これで足りるか?」

「ああ、十分だな」

 ぼろの皮袋をひっくり返して確認した男は、いくつかの硬貨を袋に戻してイエルに返す。

「……買えたの?」

「ああ、今日からそれはお前の相棒だ。サービスで剣帯もつけてやる。きちんと扱ってくれよ。手入れは……説明の必要はなさそうだな」

 店主は一度イエルに視線を向け、それから、再びアウローラへとまっすぐに目を向けて、その剣を頼むと頭を下げた。
 アウローラもあわてて頭を下げ、それから覗き込むようにイエルを見上げて小さく笑った。ぎゅっと、その両腕に真っ白な剣を抱きながら。





「……雨か」

 朝からどんよりと垂れこめていた暗い空からは、とうとう霧雨のような雨が降っていた。暗く沈んだ街は、雨に煙って白くかすれていた。
 言いようのないよどみをはらんだ街が、そこにはあった。

「急ごう?」

「ああ……けどその前に余った金で衣服を買ってくぞ。次に街に来る時にもこの格好をしていたら目立ちすぎる」

 毛皮感がむき出しな自分の服を見下ろして苦笑するイエルを見て、アウローラはそうかな、と首を傾げた。本当に女性らしくないな、とアウローラを見ながらイエルは目を細めた。その眼には、けれど小さな寂寥の光があった。

「ひとまず古着屋まで走るぞ」

「うん!」

 二人は鍛冶屋の軒下から飛び出し、雨の中へと駆け出した。

 多少の水をはじく毛皮のマントも、降りしきる雨粒のすべてをはじくことはできず、マントはずっしりと重たくなった。体が少しずつ冷え、吐く息が少しだけ白くなる。
 バシャバシャと水たまりを踏む二つの足音だけが街に響いていた。
 気づけば、周囲に人影はなくなっていた。
 その異様さに、イエルもアウローラも、気づかなかった。

 さあああ、と地面に振る霧雨の中、十字路に差し掛かったイエルが、突然足を止める。
 その先に、先ほどまで見えなかった黒いマント姿の影が見えた。

 雨の中にぼんやりとたたずむ、フードで顔を隠した人物。背丈はイエルと同じくらい。雨で重く垂れさがったマントの裾が、その人物の細めな体のラインを浮き彫りにしていた。
 気配を感じられなかったことに、イエルがピクリと眉を上げる。アウローラもまた、イエルの纏う空気の変化と、目の前の存在の放つ異様な空気に、戦闘モードへと意識を切り替えた。
 先ほど腰に提げたばかりの剣の柄に手を伸ばす。

 一歩、黒コートの人物がアウローラとイエルのほうへと一歩を踏み出す。こうしている今も、アウローラは男の気配がつかめなかった。
 持ち上げられた手によって、フードがめくられる。

「やぁ、久しぶりだね、アウローラちゃん……それにイエルも」

 フードの奥から現れた男は、ありふれた茶色の髪と瞳をした、どこにでもいそうなひょろりとした男。相変わらず張り付いた笑みを浮かべ、けれどどこか異様な光を帯びた瞳をした彼の名は、ホウエン。元帝国兵にして、アウローラとともに皇国の捕虜となり、現在皇国兵として活動している男だった。

「な、ぁ……」

 呆然と、イエルがホウエンを見て口を開閉する。のどまでせりあがった言葉は、けれど言葉になることはなくて。ただ、無意識のうちに背負う剣へと伸びた腕が、その柄を強く握りしめた。
 そんなイエルの様子にも気づかず、アウローラは突然目の前に現れたホウエンに目を白黒させていた。
 皇国兵となっているホウエンがどうしてこのような場所にいるのか、まさかホウエンも皇国から脱走してきたのか、だとすればこうして接触してくる意味は、それにイエルを知っているのはなぜだろうか、そもそも本当にホウエンは脱走してきたのか――

「ホウエン、どうしてここに?」

 一歩、アウローラがホウエンの方へと足を踏み出して。

「止まれ」

 必死な――ともすれば悲痛さのにじんだ悲鳴のような声を響かせ、イエルが勢いよく剣を鞘から抜き放ち、振り下ろす。

 ギィン、とアウローラの目の前で、漆黒の剣とナイフがぶつかり合う音がした。
 大量の魔力が込められているはずのイエルの剣が、ナイフによって阻まれていた――ナイフが、アウローラの目の前にまで突き出されていた。

 イエルが剣を押し込む。
 ホウエンが数メートル後方へと跳ぶ。
 ホウエンは、片手でナイフをくるくると回しながら楽しそうに笑い続ける。

「ふふふふふ、やっぱり君ならイエルにたどり着いてくれると思ったよ」

「……どういう、こと?」

 ひどくのどが渇いた。隣から、刺すような感情がたたきつけられているのを感じた。イエルからの、不審感。それに耐えるように片手できゅっと体を抱きながら、アウローラは震える声でホウエンに尋ねた。

「そこの彼が、イエルが脱走兵だということは、アウローラも知っている……みたいだね。まさかイエルがそこまで話しているとは……うん、期待以上だ」

「……アウローラ、こいつと知り合いか?」

 ひどく冷たい声が、氷のごとく感情の欠落した声が、アウローラの耳朶を揺らした。その声の奥底に、必死に隠された怒気を感じながら、アウローラはただまっすぐにホウエンへと視線を向けながら、イエルに答えた。

「……前に、皇国の魔法に巻き込まれて砦で死にかけて捕虜になったとき、ホウエンも一緒につかまってたの。それ以来、捕虜仲間として一緒に活動してた時期があったよ。でも、もう一年半以上前のことだよ。私は最前線に飛ばされて、ホウエンとはそれっきり……いや、違う」

 アウローラは、思い出す。絶望の記憶とともに、焦燥の声とともに、地の底でのホウエンとの再会を。

「ひどいなぁ。せっかく重要な情報を教えてあげたのに。それなりに役には立ったでしょ」

 皇国によって街が消されるという話。それを、ホウエンは死出の手向けとばかりにアウローラに告げて、消えた。アウローラを地下牢から解放するわけでもなく、ただ、話して、消えた。それが、ホウエンとの再会であり、大切な街の人たちを助けることができなかったアウローラの絶望につながった。
 アウローラの体から、恐ろしい怒気が、殺意が、敵意が噴き出す。イエルが小さく眉間にしわを寄せた。自分の知らない確執が二人の間にあることが察せられた。

「……どうして、私に教えたの?」

「ん?ああ、街の処分のことかな?それなら、君を絶望させるためと、状況をなるべく再現するためだよ」

 街の処分――小さくつぶやいたイエルを見て、雨に髪を濡らしたホウエンが「ああ」と声を上げた。張り付いた前髪を掻き上げて、まるで獣のように笑う。

「皇国魔法部隊オベリオンは、もう二度戦線で活躍しているんだよ。一つ目は、イエル、君を殺しそこなった砦への攻撃」

 ぎょっと目をむいたアウローラが、ホウエンから視線をそらして横に立つイエルの顔を見上げる。そこには、虚無のように表情を消したイエルの姿があった。
 ふるりと体が震えた。それは、雨によって体が冷えたからか、それとも。

「二つ目は、アウローラちゃんが囚われていた街を焼き滅ぼすためだよ。ねぇ、アウローラちゃん、どうしてあの街が消されることが決定したと思う?」

 どうして――震えが止まらない声で、アウローラはおうむ返しにホウエンに尋ねる。嫌な予感がした。それを肯定するように、気づけばアウローラとイエルを取り囲むように、黒いマント姿の男たちが雨の中に立っていた。
 包囲されていることに、ようやく二人は気づいた。
 互いに背を向けるその意識は、けれどやっぱりホウエンへと向いていた。

「……君にイエルの居場所を探らせるためだよ。だから、砦の時のように大規模魔法で街を焼き尽くして、そこから命からがら脱走させて、その行き先を探った。イエルと同じ方角へアウローラちゃんが逃げるように、脱走ルートとは反対側から兵士を進ませて、逃走先にはあえて兵士を置かなかった。ドラゴンが住む森になんて入られたときには失敗したと思ったよ。アウローラちゃんの実力では、ドラゴンに会ったら一瞬で食われていただろうからね」

 でも、とホウエンは楽しそうに続ける。その張り付いたような笑みには、確かな狂気が宿っていた。

「君は死ななかった。死なず、そして僕が望んだとおりにイエルに出会った。そうしてイエルを、街に連れてきてくれた。感謝するよ。おかげで僕のこの任務も完遂できそうだ」

 ホウエンの言葉が、アウローラにはひどく遠く聞こえていた。耳鳴りがした。それは、次第に明確な言葉へと変化していく。聞き覚えのある声が、アウローラへと恨み言を重ねる。

 どうして私たちを殺したのですか?
 あなたのせいで、私たちは死んだんです――アウローラが火災の中で助けた少女の、姉の声が聞こえた。
 それから、その妹の、両親の、アウローラが治療した街の住人たちの、声がした。

 許さない――耳鳴りが、ひどくなった。

 吐き気がこみ上げる。
 震えが止まらなかった。

 自分のせいで、彼女たちは死んだ。
 私が、あの街にいたから――

 もし自分がいなければ、アウローラは、半ば停止した思考の片隅で考える。

 街を放棄するにしても、皇国はきっと、街に入ろうとする帝国兵を襲撃するとか、伏兵を忍ばせて帝国軍幹部を殺害するとか、軍事拠点に罠を設置しておいて兵士を選択的に殺すとか、そういう手段をとっただろう。

 街一つを焼き滅ぼすのは、明らかにやりすぎだから。戦争の狂気を考えてもなおおぞましいそんな手段を使えば、今後皇国に占領された元帝国の街は、場合によっては全住民がゲリラと化して自らの命を守るために死兵として皇国軍に立ち向かってくることになりかねないから。

 そんな最悪な選択肢を取らせたのが、自分の存在が街にあったからで――

「ははっ」

 乾いた笑い声が、アウローラののどから零れ落ちた。
 ぎょっと目を見開いたイエルは、この状況にもかかわらず敵から目を離して背後のアウローラへと振り向いた。

 斜め後ろから覗き込んだアウローラの顔には、笑みが浮かんでいた。ゆがんだ唇を釣り上げて、大きく見開かれた瞳孔が痙攣するように震え、目からは静かに涙を伝わらせていた。

「さて、改めて名乗っておこうか、皇国特殊部隊アウトレイジが一人、ホウエン。皇国第四皇子、イエル・オストマを捕縛させてもらうよ」

 ぱしん、と回していたナイフを握ったホウエンが、持ち上げた手を振り下ろす。
 その動きと同時に、黒マントの男たちが一斉にアウローラとイエルに殺到した。
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