上 下
21 / 40
新米剣士編

第21話 隻腕の救世主

しおりを挟む
 こぽこぽと湯が沸騰する音が響く。心地よい、体になじんだ薬草の匂いを嗅ぎながら、アウローラはまどろみの中にいた。
 パチン、と火の粉が爆ぜる音。歩みに合わせてきぃきぃと揺れる床板がどこか懐かしかった。

 そんなまどろみも、次第に薄れて行って。

 アウローラは重い瞼をゆっくりと開いた。
 薄暗い部屋の中。ゆっくりと体を起き上がらせようとすると全身が痛んで、アウローラは小さくうめいた。

「……起きたか」

 聞き覚えの無い声が耳に入って、アウローラは体に掛けられていた毛布を蹴り飛ばして立ち上がった。
 くらり、と視界が揺れる。頭に手を当てたアウローラは、油断なく周囲へと視線を彷徨わせる。
 舞っていた毛布が、ひらりと床に降り立った。

 視界の先、暖炉の火にあたっていたのは三十代ほどの男だった。無造作に伸ばした黒髪と黒の瞳が特徴的な、どこか厭世的な雰囲気を纏った男。節くれだった手には無数の傷跡が見えた。
 両手を焚火にかざした男は、視線だけアウローラの方へと向けているばかり。
 アウローラは必死に警戒している自分が酷く馬鹿らしく思えて、ふらりと床に座り込んだ。

「……もう丸二日も寝ていたんだが、起きて早々ずいぶんと元気だな?」

 からかいの音のない、純粋に不思議で仕方ないと言った男の低い声がアウローラの耳朶を揺らす。

「私は二日も寝てたの?」

「だからそう言っている。……腹は減っているか?」

 そう尋ねられると同時に、くぅ、と小さくアウローラのお腹が鳴った。腹部を抑えてわずかに赤面するアウローラを見て、「女だな」と小さくつぶやいた男は、火にかけていた鍋の蓋を取り、その中を確認した。

「……この辺りは夜は冷える。若い女の体には毒にしかならん」

 だからこっちへ来いと、男が対面の席を顎で示す。そんな粗野がどこか懐かしくて、そしてアウローラは父のことを思い出した。
 もうずいぶん昔に亡くなってしまったように思う、父。アウローラの父も、男のように口数が少なく、粗野なふるまいが多かった。けれどそんな男らしいところに母は惹かれたらしいと、祖母が語っていたところまでひと固まりでアウローラの脳裏をよぎった。

 つぅ、と透明な雫がアウローラの頬を滑った。
 その涙に反応することなく、男はお玉で掬った鍋の中身を木椀によそい、アウローラへと手渡した。
 手の中のお椀から、温かな熱がアウローラへと伝わる。自分の体がどれだけ冷えていたか、アウローラは理解した。

「悪いな、ここにはあんな布団しかなくてな」

 ガリガリと髪を掻いた男が、自分の分のスープをよそって、さっそくとばかりに口をつけて、動きを止める。その眉間には、深いしわが寄っていた。
 そんな男の様子を眺めながら、アウローラはスープに口をつけ、熱いのにも構わず勢いよくスプーンで掻き込み、飲み干した。
 体が栄養を求めていた。ずっと寝ていたという二日分、そしてそれ以前の栄養不足を訴える体は、もっと、もっとと食事を要求する。

 物欲しそうな眼で鍋を見て、けれどここでお代わりを要求するのは不躾にもほどがあるだろうと思って、アウローラは動きを止める。

「……好きなだけ食ってくれていい」

 まだ一口目を食べたばかりの男が、椀を空にしたアウローラを見てそう告げた。

「……いいんですか」

「ああ、流石にもう飽きた」

 飽きた?と不思議そうに繰り返すアウローラの顔を見て、男は苦い表情をした。
 そんな男に首を傾げながらアウローラは次の椀をよそって、今度は味わうように口に運んだ。優しい薬草の風味。アウローラの知識が、疲労回復や滋養にいい薬草ばかりだと告げていた。麦を煮詰めた優しい味付けを、目の前の無骨な男が作ったと思うと少しだけおかしくて、アウローラはわずかに口元を緩めた。

「もう二日……七食はずっとコレだからな」

 二口目をようやく食べ終えた男を見ながら、アウローラはその言葉の意味を咀嚼する。七食、二日――二日寝ていた自分。導き出される答えは、アウローラがいつ起きてもいいように、男が毎日アウローラに合わせた食事を作っていたという可能性で。

 温かな感情が、胸の中に広がって。
 そうして、緩みっぱなしの涙腺から、またもや涙があふれた。

「ありが、とう、ございます……」

「気にするな。ただの勝手な同族意識だ」

「……でも、すごく、うれしい、です」

「そうか、だったら俺の分まで食ってくれ。正直、もうこれ以上食えそうにない」

 盛大に顔を歪めてお椀の中を睨む男を見て、アウローラは声を上げて笑った。

「…………さて」

 食事を終え、男に洗い物を買って出たアウローラがやるべきことを終わらせた後。
 手持無沙汰で先ほどと同じ場所に座った二人の静寂を打ち破ったのは、男のそんな真剣な声だった。

「お前は、脱走兵だな」

 ビクリ、とアウローラが肩を跳ねさせる。胸の中に広がっていた温かな思いが、一気に冷えていった。
 逃げないと、でももう遅いかもしれない、何か毒を盛られた可能性は――十分な栄養を摂ったおかげで回り始めた頭は、そんな空転を始めて。

 待て、というように持ちあげられた男の隻腕が、アウローラの一切の思考を吹き飛ばした。そんな不思議な気迫が、目の前の男にはあった。
 髪は伸び放題なのにひげはきちんと剃っているらしい男は、その顎を軽く撫で、それから手を膝に持って行った。

「俺も、脱走兵だ。だから、先ほど同族意識と言ったんだ」

 食事の席での言葉を、アウローラは思い出す。
 男の気遣いで胸がいっぱいだった時、確かに彼はそんなことを言っていたかもしれない――ずいぶんと注意力が散漫になっていると、アウローラは気を引き締めた。

 そんなアウローラを見て、男は少しだけ苦笑を浮かべ、それから目を閉じた。

 昔を懐かしむように、閉じられた瞼の奥で瞳が過去を映しているのを、アウローラは感じ取った。

 男が過去を見つめる間、アウローラはじっと男を観察していた。

 体のあちこちに見える古傷。刃物によるものもあれば、火傷のようなもの、あるいは何かに噛みつかれたような歯型も見えた。隻腕になったのは最近なのか、傷口には少々色あせた包帯が無造作に巻き付けられていた。
 服装は山師という言葉が似あう毛皮製で、けれど丁寧になめされたからか近くにいても匂うことはなく、狐のそれと思われる皮はふさふさした毛皮が立っていた。少々こそばゆそうだった。

 顔は、少々顎の細めな、優男風。ただ、頬にある古傷と鋭く細められた黒曜石のような瞳が、男の容姿に野性味を与えていた。
 長い黒髪はすでに肩甲骨に当たるほどに伸び、きちんと手入れがされている様子はなく、伸ばしっぱなし。

 全体的に見て不潔に見えない程度には身だしなみに気を使っている様子だった。

 わずかに上を向いた男の目尻に光るものが見えたのは、気のせいだと思っておくことにした。

 対して――とアウローラは自分の体へと視線を向ける。
 傷の無い白い肌は骨と皮だけのように細く、髪は男のことなど悪く言えない適当具合。まるで物語に出てくるお化けのような真っ白な服は、この森の中においてひどくおかしく見えただろうと思った。
 よく自分を助けてくれたな――そこまで思って、アウローラははて、と首を傾げた。

 自分が一体どのような経緯で男に助けられたのか、必死に頭を働かせて思い出そうとして。
 ドラゴンに吹き飛ばされ、近づいてきた巨体の首が落ちた、そこまでをアウローラは思い出した。そして、その時ドラゴンの首を斬った黒い影が、目の前の男性なのではないかと、アウローラは確信にも似た思いを抱いた。

 そのことに気づいたと同時に、男がゆっくりと目を開けて。

「ドラゴンから助けていただき、ありがとうございました」

 アウローラは床に額をこすりつけて、心からの感謝の言葉を述べた。

 お、おう、と動揺した男の声がアウローラの後頭部に響いた。それから、少々上ずった声でもういいと言われて、アウローラはパッと顔を上げた。
 そして、耳を真っ赤に染めてあらぬ方を向き、指で頬を掻く男を見て、アウローラはくすっと笑った。

 う、と男が頬を引きつらせた。
 そして、互いに顔を見合わせて。
 不思議と可笑しさが腹の底からこみ上げて来て、二人は互いに小さく笑った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

仔猫殿下と、はつ江ばあさん

鯨井イルカ
ファンタジー
魔界に召喚されてしまった彼女とシマシマな彼の日常ストーリー 2022年6月9日に完結いたしました。

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

ReBirth 上位世界から下位世界へ

小林誉
ファンタジー
ある日帰宅途中にマンホールに落ちた男。気がつくと見知らぬ部屋に居て、世界間のシステムを名乗る声に死を告げられる。そして『あなたが落ちたのは下位世界に繋がる穴です』と説明された。この世に現れる天才奇才の一部は、今のあなたと同様に上位世界から落ちてきた者達だと。下位世界に転生できる機会を得た男に、どのような世界や環境を希望するのか質問される。男が出した答えとは―― ※この小説の主人公は聖人君子ではありません。正義の味方のつもりもありません。勝つためならどんな手でも使い、売られた喧嘩は買う人物です。他人より仲間を最優先し、面倒な事が嫌いです。これはそんな、少しずるい男の物語。 1~4巻発売中です。

ペーパードライバーが車ごと異世界転移する話

ぐだな
ファンタジー
車を買ったその日に事故にあった島屋健斗(シマヤ)は、どういう訳か車ごと異世界へ転移してしまう。 異世界には剣と魔法があるけれど、信号機もガソリンも無い!危険な魔境のど真ん中に放り出された島屋は、とりあえずカーナビに頼るしかないのだった。 「目的地を設定しました。ルート案内に従って走行してください」 異世界仕様となった車(中古車)とペーパードライバーの運命はいかに…

天使の国のシャイニー

悠月かな(ゆづきかな)
ファンタジー
天使の国で生まれたシャイニーは翼と髪が虹色に輝く、不思議な力を持った天使。 しかし、臆病で寂しがり屋の男の子です。 名付け親のハーニーと離れるのが寂しくて、泣き続けるシャイニーを元気付けた、自信家だけど優しいフレーム。 性格は正反対ですが、2人はお互いを支え合う親友となります。 天使達の学びは、楽しく不思議な学び。 自分達の部屋やパーティー会場を作ったり、かくれんぼや、教師ラフィの百科事典から様々なものが飛び出してきたり… 楽しい学びに2人は、ワクワクしながら立派な天使に成長できるよう頑張ります。 しかし、フレームに不穏な影が忍び寄ります。 時折、聞こえる不気味な声… そして、少しずつ変化する自分の心…フレームは戸惑います。 一方、シャイニーは不思議な力が開花していきます。 そして、比例するように徐々に逞しくなっていきます。 ある日、シャイニーは学びのかくれんぼの最中、不思議な扉に吸い込まれてしまいます。 扉の奥では、女の子が泣いていました。 声をかけてもシャイニーの声は聞こえません。 困り果てたシャイニーは、気付けば不思議な扉のあった通路に戻っていました。 シャイニーは、その女の子の事が頭から離れなくなりました。 そんな時、天使達が修業の旅に行く事になります。 5つの惑星から好きな惑星を選び、人間を守る修業の旅です。 シャイニーは、かくれんぼの最中に出会った女の子に会う為に地球を選びます。 シャイニーやフレームは無事に修業を終える事ができるのか… 天使長サビィや教師のラフィ、名付け親のハーニーは、特別な力を持つ2人の成長を心配しながらも温かく見守り応援しています。 シャイニーが成長するに従い、フレームと微妙に掛け違いが生じていきます。 シャイニーが、時には悩み苦しみ挫折をしながらも、立派な天使を目指す成長物語です。 シャイニーの成長を見守って頂けると嬉しいです。 小説家になろうさんとエブリスタさん、NOVEL DAYSさんでも投稿しています。

キュウカンバ伯爵家のピクルス大佐ですわよ!

紅灯空呼
ファンタジー
★第一部【ヴェッポン国自衛軍編】  ウムラジアン大陸一の軍事強国ヴェッポン国の名門武器商キュウカンバ伯爵家には、とても令嬢とは呼べない凄まじいお転婆娘ピクルスがいる。しかも自衛軍の大佐なのだ。ある日、隣の大国デモングラから戦闘機ボムキャベッツが飛んできた。軍用ヘリコプターに乗って移動中だったピクルス大佐はチョリソール大尉に迎撃を命じる。 ★第二部【ピクルスの世界巡遊編】  キュウカンバ伯爵家のご令嬢ピクルス大佐が世界各地へ旅をする。まず向かった先は大陸の東部に浮かぶ列島・ヤポン神国。そこで伝統的行事の『神攻略戦』という恋愛模擬体験遊戯に加わる。その後、一度ヴェッポン国に帰ったピクルス大佐は、世界各地を舞台にした壮大なRPG『奪われた聖剣を取り戻せ!』に参戦することとなる。 ★第三部【異世界転生ヒロイン編】  前世とそっくりな世界の別人へと転生したピクルス大佐が、ゲームのヒロインとして大活躍する。そのゲームは二つあり、最初がトンジル国のダブルヒロイン乙女ゲーム『烏賊になったお嬢様』で、次はアルデンテ王国で行われる心トキめくアクションゲーム『四級女官は王宮を守れるか?』だ。より良いエンディングを目指して、ピクルス大佐は奮闘するのである。

【完結】ご都合主義で生きてます。-商売の力で世界を変える。カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく-

ジェルミ
ファンタジー
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 その条件として女神に『面白楽しく生活でき、苦労をせずお金を稼いで生きていくスキルがほしい』と無理難題を言うのだった。 困った女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。 この味気ない世界を、創生魔法とカスタマイズ可能なストレージを使い、美味しくなる調味料や料理を作り世界を変えて行く。 はい、ご注文は? 調味料、それとも武器ですか? カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく。 村を開拓し仲間を集め国を巻き込む産業を起こす。 いずれは世界へ通じる道を繋げるために。 ※本作はカクヨム様にも掲載しております。

男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。

カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。 今年のメインイベントは受験、 あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。 だがそんな彼は飛行機が苦手だった。 電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?! あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな? 急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。 さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?! 変なレアスキルや神具、 八百万(やおよろず)の神の加護。 レアチート盛りだくさん?! 半ばあたりシリアス 後半ざまぁ。 訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前 お腹がすいた時に食べたい食べ物など 思いついた名前とかをもじり、 なんとか、名前決めてます。     *** お名前使用してもいいよ💕っていう 心優しい方、教えて下さい🥺 悪役には使わないようにします、たぶん。 ちょっとオネェだったり、 アレ…だったりする程度です😁 すでに、使用オッケーしてくださった心優しい 皆様ありがとうございます😘 読んでくださる方や応援してくださる全てに めっちゃ感謝を込めて💕 ありがとうございます💞

処理中です...