上 下
1 / 40
帝国新米回復兵編

プロローグ 戦場にて

しおりを挟む
 ゲイルスティア帝国、あるいは単に帝国。長い歴史を帝国は次々とその領土を広げる侵略国家で。肥え太った国は中枢の命令が末端まで行き届かなくなり、破滅を迎えようとしていた。
 そんな中、時の皇弟が領土の半分を奪取してオストマ皇国を建国。半分の領土に分かれた帝国と皇国は、バラバラになっていた諸侯をまとめ上げ、安定した大国として存在し――戦争を始めた。
 始まりは、帝国皇帝の怒りにあった。かつての国土を思う皇帝は、自らが収めるはずの領土を不遜な反逆者が有していることに激怒した。
 安定した国内情勢によって侵略戦争を行うだけの余裕があったことも、戦争へとつながった。
 皇帝は即座に戦時令を発令、各街へと伝令を飛ばして戦争の準備を勧めさせ、そして皇国へと重い一撃を食らわせた。

 寝耳に水な皇国とはいえ、侵略者帝国を相手に座して侵略を許すわけがなかった。即座に軍をまとめ、帝国の軍を迎え撃つ。
 かつての帝国分裂の際分かれた側である皇国は内部の腐敗あるいは習慣の固定化が進んでおらず、融通の利く組織と新たな流れを歓迎する風潮によって、帝国よりも文化や技術の面で大いに上回る大国へと成長していて。
 初戦こそ大敗に終わった皇国だが、続く二戦目、三戦目にて、その技術を生かした兵器と柔軟な組織運営によって起用した戦争経験豊富な平民軍人たちの活躍により、帝国軍を国境まで押し返した。

 けれど帝国軍とてこのまま押し返されて終わりとはいかなかった。長い歴史を持つ帝国の誇りである魔法部隊を出動、大規模魔法によって皇国に甚大な被害を与え、そして死兵として強襲してきた皇国兵単騎によって、魔法部隊もまた大きな被害を受けて。
 止まれなくなった帝国と皇国は戦線を広げ続けた。

 そうして一進一退の中、泥沼の戦場が広がっていった。




「回復兵、こっちだ!」

 苦痛と絶望のうめき声。広がる血と死の香りに、わずかに混じる消毒液や薬草の匂い。怒気と怨嗟の叫び声があちこちから上がる。
 シート一枚敷いただけの床の上では、無数の負傷兵がうめき声をあげていた。四肢のない者、大やけどを負って皮膚がただれた者、臓器が見える者――五体満足の者など、探す方が難しかった。

 そんな半死人たちの間を、一人の少女が必死に走る。顔に無表情を張り付けて、小さな籠を両手で抱えて走るのは十歳そこらの少女。肩上で無造作に切られた髪を揺らし、光の消えた金の瞳で軽く周囲を見回し、呼ばれた先へと歩み寄る。
 しゃがみ、籠を脇に置く。
 新たに担ぎ込まれた負傷兵の状態を確認。片足が酷く焼けており、このままでは壊死すると判断されて。けれど、少女にできることは少なかった。
 手持ちのしなびた薬草の中から、火傷に効くものをいくつか取り出し、水を混ぜてすりつぶす。
 必死に戦友へと声をかけていた兵が顔を上げ、始めて少女の顔を捉えて、盛大に顔をしかめる。絶望、それから、嫌悪、怒り。

「チッ、無能のアウローラかよ」

 歯を食いしばってうめく兵の侮蔑の言葉に耳を貸すこともなく、回復兵アウローラは薬を調合し、患者に塗る。
 そして、目を閉じる。
 世界に存在する精霊たちへと、祈りを送る。魔力に乗せた願いを運べば、精霊たちは人々の思いに応えてくれる――それが、魔法。

「……ヒール」

 騒がしい救護室の中に、小さな声が響いて。蛍の光ほどの小さな光が、伸ばされたアウローラの両手の前に出現し、男の足へとゆっくりと浸透していく。
 ただ、それだけ。
 男の傷が癒えることはなく、そのうめき声の声量も変わらない。痛みに脂汗を浮かべ、舌を噛まないように縛られたタオルを噛みしめ、呻き続ける。

「くそが……回復魔法使いなら助けろよ!これくらいの傷、さっさと回復してくれよ!なぁ、この無能回復魔法使いがッ」

 兵士の悲鳴が、響き渡る。その声は、アウローラの心を揺さぶることなく、右から左へと流れて行く。
 回復兵、と呼ぶ声。新たに担ぎ込まれた負傷者を運んできた者が、必死に手の空いている回復兵を呼び求める。
 顔を上げていたアウローラと、兵士の目が合う。その目が、顔が、軽蔑に染まり、視線があらぬ方へと外される。

 怒りは、なかった。感情を抱くだけ、無駄で、無意味だから。
 強制徴兵によって戦場へと連れてこられた回復魔法使いアウローラ。一市民に過ぎない彼女は、今日も多くの兵士に悪意を向けられながら、無数の負傷者がうごめく救護室を駆けずり回る。

「アウローラはよくやってるよ」

 夜になり、戦場はしばしの静寂に満ちていた。敵味方の区別がつかなくなる夜間、基本的に戦いが行われることのない平和な時間――それは、回復兵たちにとっての休息の時間ではなかった。
 無数に響く、助けを求めるうめき声。血と腐敗と死の匂いは、体どころか魂にこびりついて離れる気配はない。
 高熱にうなされる負傷者たちの多くが、一晩を越せずに死んで行く。けれど、回復魔法という癒しの力があれば、その死者の数は大きく減る。
 回復魔法を扱う回復兵たちにとって、夜もまた主戦場の一つ。

 とはいえ、魔法に必要なエネルギーである魔力は、何も無限に存在するわけではない。魔力は生命体が生活していくうえで生み出される余剰エネルギーだとされており、健康的な生活が、より多くの魔力を生み出す。
 要は、よく食べて、よく寝て、精神的な安息を得て、そして初めて十分な魔力を体は生産するということだった。
 だから、回復兵には一般兵よりほんの少しだけ豪華な食事が与えられる。最も、豪華といってもただでさえ辺境の農民がたべるような塩味のない干し野菜スープとブロック状の保存食にカビ臭いチーズがある程度。これが十分な食事と言えるのかは不明だが、アウローラは何も言うことなく食事を食べ続ける。
 肩に、衝撃。スプーンから跳ねたスープが器へと舞い戻った。

「チッ、まともな回復魔法一つ使えない奴がいいご身分だよな」

 ぶつかって礼の一つもないどころか悪意をぶつけてくる男の言葉に、アウローラが動きを止めたのは一瞬のこと。すぐに黙々と食事を再開し、白けたとばかりに鼻を鳴らした兵士たちが空いているテーブルへと歩き去っていく。

「大丈夫よ、アウローラ。あなたは本当によくやってるよ」

 アウローラの横に座っていた赤髪の女性が、わしわしとアウローラの髪を無造作に撫でた。女性、といってもその年齢はアウローラより三歳ほど年上なだけで、まだまだ外見には幼さが残っていた。若く美しいはずのその容姿は、濃い隈と水気のない肌、濁った瞳という三拍子によってかすんでいた。
 疲れのにじむ微笑を浮かべて、アウローラのことを見つめながら、女性は撫でる手の動きを止める。

「……どうしたの、ユリーカ?」

 ユリーカと呼ばれた女性回復兵は、わずかに目尻を下げてアウローラの目を真っすぐに見つめる。その目には、贖罪と、憐憫。
 貴族子女だというユリーカ・フレベルは、アウローラのような若い女性がこのような戦地にいることに申し訳なさを抱いていて、よくアウローラにこんな色の瞳を向けていた。髪と同じ、くすんだ金の瞳がアウローラをじっと見つめる。その輝きも、髪と同じで最初に見た時に比べればずいぶんと色が落ちていた。
 はらり、と頬に掛かった一束の髪の中には、根元の方が白い毛が混じって見えた。

「あなたの騎士様が来たわよ」

 色々な感情を飲み込んで、ユリーカは茶目っ気に微笑む。パチン、と小気味よいウインクが様になっていた。
 ランプが揺れた気がした。机を挟んで向かい側に立った少年が、アウローラのことをじっと見下ろしていた。その目にも、かつてのような曇りなき輝きはなくなっていた。

「……レイン」

「うん、元気そうだね。アウローラ?」

 埋没しそうな茶色の髪と瞳をした少年レインに、アウローラはこくりとうなずきを返す。
 少しだけ濁った笑みを、アウローラを慈しむ笑みを浮かべたレインが、食事もそこそこにアウローラの現状を聞く。
 アウローラは、まるで言葉を思い出すようにつたなく、自分の現状を語った。――あるいは、レインに語れるような話を必死に思い出して、語った。

 二人の語らいは、長くは続かなかった。ユリーカが席を立つのに合わせて、アウローラもレインに一言詫びて席を立った。
 肌がひりつく感情の波が、アウローラに、そして少しだけレインに向いていた。

 ごめんね――口の中で小さく詫びて、アウローラはレインに背を向ける。
 去り際、アウローラはレインが持っていたトレーの上に乗っていた食事の内容を思い出す。アウローラの半分ほどのスープに、カビの見えるブロック食に、わずかなチーズの切れ端。一般兵の中でも粗末なその食事は、きっと無能なアウローラと共にいるから。

『アウローラのことを僕が守ってあげるから――』

 顔を真っ赤にして白い花を差し出してきたレインの顔が瞼の裏に思い浮かんで、アウローラは小さく首を振って過去を追い払う。

 感情は、いらない。感情は、戦場で死を招くだけだ――

 何度も心に言い聞かせ、アウローラは先を行くユリーカの背を追って歩みを早めた。
 その背に、濁ったレインの視線が向けられていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界修学旅行で人狼になりました。

ていぞう
ファンタジー
修学旅行中の飛行機が不時着。 かろうじて生きながらえた学生達。 遭難場所の海岸で夜空を見上げれば、そこには二つの月が。 ここはどこだろう? 異世界に漂着した主人公は、とあることをきっかけに、人狼へと変化を遂げる。 魔法の力に目覚め、仲間を増やし自らの国を作り上げる。 はたして主人公は帰ることができるのだろうか? はるか遠くの地球へ。

英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜

駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。 しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった─── そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。 前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける! 完結まで毎日投稿!

対人恐怖症は異世界でも下を向きがち

こう7
ファンタジー
円堂 康太(えんどう こうた)は、小学生時代のトラウマから対人恐怖症に陥っていた。学校にほとんど行かず、最大移動距離は200m先のコンビニ。 そんな彼は、とある事故をきっかけに神様と出会う。 そして、過保護な神様は異世界フィルロードで生きてもらうために多くの力を与える。 人と極力関わりたくない彼を、老若男女のフラグさん達がじわじわと近づいてくる。 容赦なく迫ってくるフラグさん。 康太は回避するのか、それとも受け入れて前へと進むのか。 なるべく間隔を空けず更新しようと思います! よかったら、読んでください

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

かの世界この世界

武者走走九郎or大橋むつお
ファンタジー
人生のミス、ちょっとしたミスや、とんでもないミス、でも、人類全体、あるいは、地球的規模で見ると、どうでもいい些細な事。それを修正しようとすると異世界にぶっ飛んで、宇宙的規模で世界をひっくり返すことになるかもしれない。

天使の国のシャイニー

悠月かな(ゆづきかな)
ファンタジー
天使の国で生まれたシャイニーは翼と髪が虹色に輝く、不思議な力を持った天使。 しかし、臆病で寂しがり屋の男の子です。 名付け親のハーニーと離れるのが寂しくて、泣き続けるシャイニーを元気付けた、自信家だけど優しいフレーム。 性格は正反対ですが、2人はお互いを支え合う親友となります。 天使達の学びは、楽しく不思議な学び。 自分達の部屋やパーティー会場を作ったり、かくれんぼや、教師ラフィの百科事典から様々なものが飛び出してきたり… 楽しい学びに2人は、ワクワクしながら立派な天使に成長できるよう頑張ります。 しかし、フレームに不穏な影が忍び寄ります。 時折、聞こえる不気味な声… そして、少しずつ変化する自分の心…フレームは戸惑います。 一方、シャイニーは不思議な力が開花していきます。 そして、比例するように徐々に逞しくなっていきます。 ある日、シャイニーは学びのかくれんぼの最中、不思議な扉に吸い込まれてしまいます。 扉の奥では、女の子が泣いていました。 声をかけてもシャイニーの声は聞こえません。 困り果てたシャイニーは、気付けば不思議な扉のあった通路に戻っていました。 シャイニーは、その女の子の事が頭から離れなくなりました。 そんな時、天使達が修業の旅に行く事になります。 5つの惑星から好きな惑星を選び、人間を守る修業の旅です。 シャイニーは、かくれんぼの最中に出会った女の子に会う為に地球を選びます。 シャイニーやフレームは無事に修業を終える事ができるのか… 天使長サビィや教師のラフィ、名付け親のハーニーは、特別な力を持つ2人の成長を心配しながらも温かく見守り応援しています。 シャイニーが成長するに従い、フレームと微妙に掛け違いが生じていきます。 シャイニーが、時には悩み苦しみ挫折をしながらも、立派な天使を目指す成長物語です。 シャイニーの成長を見守って頂けると嬉しいです。 小説家になろうさんとエブリスタさん、NOVEL DAYSさんでも投稿しています。

【完結】ご都合主義で生きてます。-商売の力で世界を変える。カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく-

ジェルミ
ファンタジー
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 その条件として女神に『面白楽しく生活でき、苦労をせずお金を稼いで生きていくスキルがほしい』と無理難題を言うのだった。 困った女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。 この味気ない世界を、創生魔法とカスタマイズ可能なストレージを使い、美味しくなる調味料や料理を作り世界を変えて行く。 はい、ご注文は? 調味料、それとも武器ですか? カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく。 村を開拓し仲間を集め国を巻き込む産業を起こす。 いずれは世界へ通じる道を繋げるために。 ※本作はカクヨム様にも掲載しております。

プラネット・アース 〜地球を守るために小学生に巻き戻った僕と、その仲間たちの記録〜

ガトー
ファンタジー
まさに社畜! 内海達也(うつみたつや)26歳は 年明け2月以降〝全ての〟土日と引きかえに 正月休みをもぎ取る事に成功(←?)した。 夢の〝声〟に誘われるまま帰郷した達也。 ほんの思いつきで 〝懐しいあの山の頂きで初日の出を拝もうぜ登山〟 を計画するも〝旧友全員〟に断られる。 意地になり、1人寂しく山を登る達也。 しかし、彼は知らなかった。 〝来年の太陽〟が、もう昇らないという事を。  >>> 小説家になろう様・ノベルアップ+様でも公開中です。 〝大幅に修正中〟ですが、お話の流れは変わりません。 修正を終えた場合〝話数〟表示が消えます。

処理中です...