白猫のいない日常

雨足怜

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色の奔流

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 昔話、というか昔の担任の愚痴を言い合っているうちに目的の音楽室にたどり着いて、私たちはさっそく掃除を始めた。

 北館四階、階段を上がってすぐのところにある音楽室は、主に三年生が使う教室だ。
 生徒数が軽く千人を超えるこの中学校には、音楽室が二つあって、だから私たちは二年の初夏となった今の時期もまだこの音楽室を使ったことがない。

「ほんと、おかしいよね。三年生が使う教室をなんであたしたちが掃除するんだか」
「一応は共用のスペースだからね」

 結花をなだめようとしたけれど、思わずこぼれた苦笑に不満が漏れ出てしまっていたのだろうか。或いは、「一応は」なんていうあからさまな言葉に反応したのかもしれない。

 結花は賛同者を得たとばかりに強くうなずき、まくしたてるように続ける。

「三年生が掃除すればいいじゃない。四階とか、上ってくるだけでも面倒なのよ。せめて一階に教室があるあたしたちのクラスじゃなくて、二階とか三階に教室があるクラスが掃除当番になればいいじゃない?」
「でも、代わりにお手洗い掃除の担当学級に選ばれるかもしれないよ?」

 果たして、ひいこら言いながら階段を上って、使ったこともない教室の掃除をするか、あるいはトイレ掃除か。
 その選択はわたしからしてみれば釣り合うもので、けれど結花にとっては比べるまでもないことだったらしい。

 くしゃりを顔をしかめたのは、あまり綺麗じゃないトイレを想像したからか。しきりに首を横に振りつつ、結花は小さく吐息を漏らす。

「……そうね、妥協するわ。トイレ掃除に比べれば四階まで上がって、使ったこともない教室の掃除をするほうがましね」

 結花は愚痴を止めた――相変わらず眉間には深いしわが寄っていて、不満たらたらなのは明らかだったけれど。

 そんな不機嫌そうな結花に怯えて、男子は遠巻きに私たちに視線を送りながら床を掃いていた。
 視線のいくつかが、けれど結花の胸元に向かっているのはいつものことだ。

 ピンクと、雑多な色が混じりあったマーブル模様。
 視界がねじれ、ゆがんでいるように錯覚される色の奔流に少しばかり吐き気がした。

 ……というか、結花はもう少し男子の視線に頓着するべきだと思う。
 ボタンを二つも開いているせいで谷間は見えるし、かがめばブラが姿を見せるのだ。

 ただでさえ夏服で防御力が低いのに、少し気を抜きすぎじゃないだろうか。……なんて、私も暑いからボタンを一つ外しているけれど。

 そう、私は一番上まできちんとボタンをとめるほど優等生ではないのだ。

 ……一体誰に言い訳をしているのだろうか。
 考えていて無性に恥ずかしくなって、私はうつむきがちになって掃き掃除に集中した。

 ちなみに、この学校には衣替えの決まった日付は存在しないから、生徒はそれぞれが勝手に夏服と冬服を変えることになる。
 だから生徒によっては一年中冬服、あるいはその逆でずっと夏服を着ている生徒もいる。

 今の生徒は九割が夏服。昼間は暑いけれど、夕方、風があるときなんかはまだ肌寒い。
 だから私はまだ、朝と夕方はブレザーを着ている。

 そんなことをいちいち心の中で確認しているのは、きっと昼に見た彼の姿を思い出したから。

 瞼に焼き付いたように、紺色のブレザーに身を包んだ彼の立ち姿が鮮明に頭の中に現れる。
 青い空を背景に、色白な彼が空に手を伸ばす姿は、くじけながらも神に祈りを捧げる信心深い巫女を思わせた。
 ……少し表現がおかしい気がする。

 それはさておき、轟くんは日中もずっとブレザーを着ていたけれど、暑くないのだろうか。

 益体もなく回る思考はけれど、肩を引かれる動きによって霧散した。

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