白猫のいない日常

雨足怜

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例えるならばスミレの花のような

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 学校に来ず、自分の世界にますます磨きをかけた人。

 そんな彼が、登校初日、ふらりと立ち上がって昼休みの教室から去って行った。

 その後ろ姿に、私は何か言いようのない不吉さを見出したのだと思う。

 気づけば私は友人に断りを入れて、食べかけのお弁当箱に蓋をすることもなく教室を飛び出していた。

 左右に続く廊下を見渡せば、行きかう生徒たちの奥に、音を立てずにリノリウムの床を踏みしめて進む彼の姿があった。
 別にわざと足音を消しているわけではないのだろうけれど、彼からはあらゆる音が感じられなかった。
 存在感が無いというよりは、自然すぎて埋没してしまっているよう、という表現がふさわしいだろうか。

 それは、コンクリートの隙間に花開くスミレと花壇に咲いている草花で、後者にはあまり目を留めないのと似ている。

 素朴ながらに花弁を広げるスミレの花――そう呼ぶにはやや華がない気がする彼は、けれどだからこそ気品とは違う価値を手にしているように思えた。

 ひょうひょうとしたありかた、つまりは、大人びている、という印象を。

 するりと人込みの間を滑りぬけながら、彼はまっすぐに廊下を進んでいく。
 その歩みに迷いはない。

 寂しげな背中を、私は置いて行かれないように半ば必死に追った。
 押しのけるように横を通れば、相手の生徒が小さく文句を言ってきたけれど、小さく頭を下げるだけにとどめて、彼の背中を見失わないように努めた。

 ――なぜこんなにも真剣に彼を追っているのか、自分に問いかけながら。

 彼の姿は、そのうちに人気の少ない上の階へと移動していった。
 音楽室や視聴覚室などの特別教室が並ぶ四階の廊下には、彼以外の生徒の姿はない。

 耳障りな足音が一つ、嫌に大きく反響して廊下の先へと消えていく。
 見つからないようにと歩く速度を落とす。

 果たして、彼は私の追跡に気づくことなく、そのまま廊下の突き当りまでまっすぐ進んで、さらに階段を上った。

 その先にあるのは、屋上へと続く扉。

 危険だからという理由で、私たちが通うこの学校も屋上は立ち入り禁止になっている。
 だから、鍵が閉まっている屋上に用があるのではなく、屋上へと続く人気のない階段に用があったのだろうと、そう思った。

 私も、たまに無性に一人になりたいことがあると、この階段に足を運ぶことがあった。
 廊下や特別教室から死角になった階段は薄暗い上に埃っぽくて、告白の場所にもなりはしない。生徒たちもわざわざ四階に上ってくることはまずなくて、人気のないそこは一人になるには恰好の場所だった。

 四方を灰色に囲まれた、階段先、屋上へと続く扉の前の狭いスペース。
 そこは私の避難場所。私が私でいるための、自分のための空間。
 色を失ったその世界は、自室と同じような安心感を心にもたらすのだ。

 プライベートの空間が侵されているような気持の悪さを感じつつも、共感による仲間意識も芽生えた。

 そういうわけで、彼も一人になるためにこの場所に来たのだと私は悟ったのだ。
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