契約妃は隠れた魔法使い

雨足怜

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25渦巻く気持ち

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 ふっと胸にこみ上げた昏い感情に、そんな思いを友人に対して抱く自分に、怒りを覚えていた。
 どうしてこんなことを考えているのかと、自問自答を繰り返す。

 ――どうして、うらやましいだなんて。

 わかっている。
 わたしだって、いつか結婚して、それなりに夫と幸せに生きていくのだと、そう思っていた。
 結婚式では家族を含めた大切な人達に祝福されて、期待で胸を膨らませて。愛する人と一緒になり、明るい未来を夢見て手を取り合って、支えあって生きていく。

 そんな日々は、失われた。
 王子殿下は、おざなりな結婚式にとどめ、わたしは瑕疵付き令嬢にされた。

 濃密な怒りには、暗い、暗い、嫉妬の心が混じっている。
 わたしが手に入れられなかったものを手にしようとしているアマーリエを、わたしは妬んでいた。

 固く目を閉じて、必死に醜い思いを胸の奥底に鎮めようとする。
 けれど、そうすればするほどに、一層心は痛み、苦しみが大きくなる。
 幸せに、なりたかった――その思いはまるで、もうわたしは、決して幸せを手に入れられないと、あきらめているようだった。

 別に、幸せなんてたくさんあるのに。
 例えば、今の生活だって、こっそりと精霊に見放された土地に行って思うままに魔法が使えるのだから、十分なのだ。魔法を使って狩りができているのだから、楽しい生活で、幸せな、はずなのだ。
 幸せだ。十分だ。
 鳥籠の鳥としてふるまっているだけで、その実、わたしは籠の鍵は自分で開け閉めして出入りできる、自由な鳥であるはずなのだ。

 ならば、このまま籠から飛び立ってしまおうか、なんて。
 瞼の裏に浮かぶいくつもの大事な人の顔が、それを許さない。

 目を、開く。
 じっと見つめてくるエインワーズ様が、瞳で告げる。
 話してみろ、と。

 その包容力に、心臓がトクンと弾む。
 多分、時折こうして見せる真剣なまなざしに、アマーリエは虜になったのではないか、そんなことを思った。

 自然と、口は動いていた。
 わたしが、意識して止めることもできない間に、本音がぽろりと零れ落ちる。

「羨ましいと、そう思いました」
「羨ましい?」
「……はい。幸せそうなアマーリエが、羨ましいと」

 言ってしまったと後悔して、けれどもう、一度出た言葉は引っ込められない。
 だからもう、いっそのこと全部話してしまえと、まっすぐにエインワーズ様を見つめ返す。
 その目に、語りかける。言葉をぶつける。

 こんなにも愛されて、愛する人と一緒になれる。輝かしい未来に期待を膨らませ、一世一代の大舞台に気合を入れる。
 結婚式で、きっと二人は多くの人から祝福を受ける。幸せになるんだと、そういってもらえる。
 わたしとは違って――わたしは、自分が得られなかったものを、アマーリエの中に見出し、今更ながらに求めているのだ。

 ずっと、男の気配一つしなかったような、狩りばかりの女だったのに。
 本当に今更で、だからこそわたし自身の醜さが一層誇張されて嫌になる。

「別に、住めば都といいますか、今の生活にだってそれなりに満足しているんです。でも、比べてしまいました。自分も、アマーリエのようにあれたらと。こんなわたしでも、愛する人と夫婦になって、幸せに暮らすことを夢見ることくらいありましたから」

 それはもう、はるか昔のように思える。
 精霊のいたずらをこの身に受けた以上、普通の結婚はできないと半ばあきらめていて。
 それでも心のどこかで「そんなことは関係ない」と、一途に愛してくれる人が現れるのを期待していた。

「友人の結婚に嫉妬するなんて、ひどい女ですよね?」

 ひどい女だと言ってくれ。
 そうすれば少しだけ落ち着けられる。自分が悪いのだと納得できる。自分の醜さが、少しだけ許された気になれる。

 だというのに。
 この場にいるのは、アマーリエが愛したエインワーズ様、その人で。

「……いや、ひどいのはクローディア嬢の夫だ。この場限りとして言うが、正直アヴァロンに物申したいところでね。女性の大舞台を台無しにしたあいつに思うところがないわけじゃない」

 ああ、ひどい人だ。
 どうしようもなく、彼の言葉がわたしの心にしみこんでいく。
 傷口にするりと入り込んで、心に空いた穴を埋めようとする。
 そうして、嫉妬も、怒りも、心の穴から漏れ出すことはなくなって。

 代わりに、それらの思いは心の中でますます濃縮されてしまうのだ。

「その言葉は、聞かなかったことにしておきますね」

 王子殿下への不敬ともとれる言葉の数々は、わたしへの慰めのため。
 それを求めていなかった、なんて言葉は、さすがに口をついて出ることはなかった。

 平静を装って告げれば、ますますエインワーズ様の顔は険しくなる。
 文官肌だなんだと言っておきながら、やはり彼は男の人なのだな、と理解した。
 体に宿る怒りが、彼の肉体を一層大きく、恐ろしいものに見せていた――まあ、わたしがひるむほどではないけれど。

「この際だからもっと言っておこうか。オレは、もっとあいつが苦しめがいいと思う。クローディア嬢が苦しんでいる以上に、苦悩すればいいと思う」

 ああ、そうだ。
 アヴァロン王子殿下は、苦しめばいい。悩めばいい。
 わたしばかりが苦悩させられるなんておかしな話だ。たとえ王子殿下であっても、娶った女を放り出して、妻の名前も顔も覚えていないなどありえない。
 許されざる行いだ。
 もっと責めてしまえ。そうして、薄めるのだ。

 心の中で渦巻く、アマーリエへの嫉妬を。

 唇をかみしめながら、足元をにらむ。
 そこには露に濡れた石畳が見えるばかり。
 どこか冷え冷えとした石肌を前に、心が少しずつ落ち着いてくる。

 目を閉じて、深呼吸を一つ――

「だから、今のあいつを見ながら、内心でざまぁみろとせせら笑っているわけだが」

 顔を上げる。
 言葉は、確かな形を持ったように、わたしの体の中で動き出す。

 今の殿下を見ながら、せせら笑っている?
 どうして?
 殿下が、苦悩しているとでもいうの?

「それは、どういう――」
「おっと。これ以上は秘密だ」

 いつもの軽薄な様子に戻ったエインワーズ様は、まっすぐに伸ばした人差し指を唇にあて、気障にウインクをしてくる。
 おもちゃを見つけたとでも言いたげなその目が鬱陶しいだなんて、さすがにそんなことは言えなくて。
 言葉を飲み込むべく口を堅く閉ざしたわたしは、問いかける機会を失った。

「ただまあ、アマーリエを愛でる同志である君に、いつか必ず幸せが訪れることを予告しておこう。……そう遠くないうちに、な」

 何を言いたいのだろう?
 まさか、アヴァロン王子殿下が改心するとでもいいたいのだろうか。妻であるわたしの顔すら覚えていないような人が?
 おかしな呼び方でわたしに声をかけてくるような人が?

 まさか、あり得ない――

 その言葉を口にできなかったのは、きっと、殿下の瞳を思い出したから。
 焼け焦げそうなほどの熱をはらんだ、あの目を。

 ぞくり、と体に走ったのは悪寒か、あるいは――

 思考の海に沈むわたしの心を落ち着けるように、さわやかな風が吹き抜けていく。
 湿り気を帯びた冷たい風に乗って、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 甘ったるいと顔をしかめるエインワーズ様が、小さくくしゃみをした。

 そうしてわたしの心は、現実の庭園に舞い戻った。
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