上 下
12 / 45

11そして二年が経って

しおりを挟む
 僕たちが化け狐の八代師匠の下で妖術の訓練を始めてから早二年。
 彼女は驚くべき速度で妖術を身に着け、まるで手足のように自由自在に操って見せていた。
 もはや、僕はかくれんぼで彼女を見つけることは不可能だった。

 変化の術で別のものに成りすますのはもちろん、彼女はいくつもの自分の幻影を生み出すことを可能として、それによって僕のことをもてあそんだ。
 ――かわいらしく頬を染めた彼女につんつんと肩をたたかれ、頬を赤らめた僕を見て変化の術であの爺さんの姿に戻ったお茶目の師匠のいたずらを、僕はきっと一生許さない。

 変化の術をほぼマスターした彼女に比べて、僕の成長は亀の歩みのようだった。
 記憶にあるウサギと亀の童話。そこでは必死に努力する亀がウサギを追い抜くという話だったが、残念なことにどれだけ僕が微々たる速度で成長を続けていても、努力を怠らない彼女に追いつくことなどどだい無理な話だった。
 努力を続けて妖術を身に着けた妖狐の彼女と、まともに身につけられたのは生前の少年の姿変わる変化の術だけの僕。
 僕と彼女の差は開くばかりで、ここの所、僕は彼女を避けてしまっていた。

 彼女もまた、僕がよそよそしくなったことを気にしつつも、楽しい妖術の訓練にばかり励んでいて、僕たちの溝が狭まることはなかった。

 そんなある日、師匠が久方ぶりに旅に出ると告げた。
 季節は秋。八代師匠が行先に告げたのは、神が集まる大舞台、出雲だった。
 神在月、という言葉を思い出した。確か神無月――十月には、神様は出雲に集まって様々なことを協議するのだ。
 だから十月は、出雲は神がいるから神在月で、ほかの場所には神様がいないから神無月なのだ。
 僕はそこでようやく、僕のことをからかってばかりな八代師匠が、神様と自称していたことを思い出した。
 まあ、妖術の難しさを痛感している僕は、変化の術を巧みに操って見せる師匠のことを神じゃないなんて言えないのだけど。

「いや、コツさえつかめれば変化の術はそれほど難しくない術だぞ?むしろお前が下手すぎるんだ」

 ……こんな風に思考を読んでくるあたり、やっぱり師匠は神様なのだろう。

「いやいや、お前がわかりやすすぎるんだよ。わしでなくとも、お前の感情を読むことなどたやすいぞ?なあ?」

 師匠が視線を向けた先には、旅装束に身を包んだ彼女がいた。最も、正確には僕たちさんにんともが、旅に出るために人間の格好をしているのだけれど。

「……そういえば、人間として旅をするうえで名前を呼ぶ機会も多い。仮でもいいが、自分の呼び名はないのか?」

 師匠は彼女にそう聞いて、彼女は僕に視線を向けた。

「特にはないわ。名前なんて、あまり重要だとは思えないもの。けれど、そうね、せっかくだからあなたに決めてもらいたいわ。ねぇ、今後私を呼ぶときに使う呼び名よ。大事に決めてよね?」

 そういって、彼女はクスクス笑って僕にウインクする。
 僕は心臓をはねさせながら、ああでもないとこうでもないと考え、そして――

「ユキメ、はどうかな?」

 真っ白だから「雪」、そして意外とたくましいところがあるから、雪から顔をのぞかせた春の新芽ということで「芽」で雪芽。
 その呼び名をどのように思ったのか、彼女は数度ユキメと繰り返し、満足そうにうなずいた。
 こうして、彼女はユキメという名前を得た。
 僕はといえば、彼女が僕の考えた名前を名乗ってくれるという事実に天まで飛んで行ってしまいそうな多幸感に包まれていた。そして、名前を拒否されなくてよかったという安堵と、名前の由来を丁寧に説明しなくて済んだことにほっと息を吐いた。

「なぁるほど?雪の芽なぁ?」

 なぜかにやにやしていた師匠は放っておいて、ユキメは僕のことをまっすぐ見つめながら、その柔らかそうなピンクの唇を震わせた。

「それで、あなたの名前はどうするの?」

 こちらは、考えることもなく僕の喉からするりと言葉が出た。
 無意識だったから、僕はその名を口に出していたことに気づいてひどく驚いた。
 それは確かに僕の名で、けれど僕が失った名前だったから。
 新しい生を歩むうえで、心機一転、新たな名前を考えよう、ユキメと関連した名前がいいなぁ、雪は冬を連想するし、僕は秋かな、毛皮の色から紅葉とかをイメージして――という僕の思考は、すべて無駄になった。

「ハクト」

 その三文字を聞いては、彼女はぱちぱちと目を瞬かせる。師匠もまた、どこか怪訝そうに僕のことをじっと見つめていた。

 内心で動揺しきりな僕をよそに、彼女はパッと顔をほころばせ、僕の名を口にした。

「ハクト!いい名前ね。あなたにぴったりだと思うわ!」

 その太陽のような笑みに、僕の思考はすべて溶かされ、頭が真っ白になった。だから――

「おい、ハクト。お前は別行動だ」

 突如そう告げた師匠の言葉を、僕はすぐに理解することができなかった。

「……え?」

「だから、お前は別行動だ、ハクト」

 空耳ではなかった。
 その言葉をかみしめる。別行動?誰と?決まっている。師匠と――そして、ユキメとだ。
 僕は突如として、言いようのない激情が体の奥からこみあげてくるのを感じた。
 不安、不信感、怒り、孤独感、悲観――
 濁流のような感情に思考がのまれ、満足に頭が働かない中、それでも僕はゆっくりと唇を震わせた。

「……どう、して?」

「そうよ。納得のいく理由を説明してもらうわよ」

 僕の言葉に賛同してくれたユキメが、キッと師匠のことをにらむ。
 そんなユキメを、師匠はまあ落ち着けって、と手で制し、飄々とした態度のまま僕に向き合う。
 そこにはいつもと変わらぬ雰囲気の師匠がいて。
 けれどその瞳は、どこまでも真剣に僕のことを見つめていた。

「ハクト。お前には、やらなければならないことがある、だろ?」

 師匠の言葉の意味が理解できない――ことはなかった。
 なぜなら、僕はハクトだから。
 ハクトと名乗り、そして僕は記憶の欠損を回復した。
 僕は名づけによって、あるいは名乗りによって自分という存在を定義した。
 僕は、転生前の人間だったころから、変わらずにハクトという存在だと。
 そしてその定義によって、曖昧な境界上にあった僕の記憶が、すべて復活したのだ。

 僕はすべてを思い出した。
 僕は、前世の心残りを含めて、そのすべてを思い出したのだ。
 そうだ、僕が変化の術でこの姿以外になれないのは、きっと僕の心が叫んでいたからだ。
 忘れるな、目をそらすな、と。

 僕は、ユキメとの幸せな日々を夢想して、過去から目をそらしていた。
 未来を見つめることで、過去の自分を見て見ぬふりをしていた。
 けれど僕はハクトだ。
 僕の心残りを、僕の願いを、僕が無視してどうするのだろう。

 師匠は言っていた。妖術にとって、変化の術にとって重要なのはイメージだと。
 そしてイメージとは、言い換えれば思いなのだと。
 僕は、かつての僕の姿しか取れないほどに、その姿に強い思いを抱いていた。
 なぜなら、その姿で成さねばならないことがあったから。

 僕は、過去と向き合う覚悟を決めた。
 僕は、過去を乗り越え、そして、妖狐として生きていくという、決意をした。

 そんな僕の思いを感じたのか、ユキメは何か言おうと口を開き、けれど何も告げることなくその言葉を飲み込んだ。

 そうして、僕とユキメは袂を分かった。
 ユキメは師匠とともに出雲へ。
 僕は、生きているかもわからない母を探して、「ハクト」の心残りを解消するために。

 小指を突き出した僕を見て、ユキメは不思議そうに首を傾げた。
 真似してやりな、という師匠の言葉を受けて、ユキメはおずおずとそのほっそりとした女性らしい小指を突き出した。
 僕はユキメと小指を絡めた。そして、彼女の瞳をじっと見つめながら、口を開いた。

「からなず。必ず、また会おう、ユキメ」

「……ええ。必ずまた会いましょう、ハクト」

 僕とユキメの小指が離れる。
 そのぬくもりを名残惜しく思いながら、僕はその手を下ろし――

「約束を破ったら、わしが責任をもって針を千本のませてやるさ」

「……どうして師匠が罰を与えようとするんだよ。それに、僕はユキメとの約束は絶対に破らないよ」

 暗に「師匠との約束をしっかり守るかどうかは知らないけどね」という響きを持たせた僕の言葉に、師匠は苦笑を返した。
 ユキメは不思議そうに、僕と師匠の会話の意味を考えていた。
 それから、様々な思いを込めて、僕は師匠の背中をばしんと叩いた。

 涙目の師匠は、けれど僕の顔に何を見たのか、まったく、と小さくぼやいて背を向けた。

「じゃあな」

「またね」

「うん、またね」

 師匠とユキメと僕はそうして別れ。

 そして、僕は久しぶりに一人の道を歩き始めた。
 寂しくて、怖くて、けれど一歩一歩、進んでいく。

 待ち受けるものにどきどきしながら、僕は人間界を目指して歩き続けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ダンジョン発生から20年。いきなり玄関の前でゴブリンに遭遇してフリーズ中←今ココ

高遠まもる
ファンタジー
カクヨム、なろうにも掲載中。 タイトルまんまの状況から始まる現代ファンタジーです。 ダンジョンが有る状況に慣れてしまった現代社会にある日、異変が……。 本編完結済み。 外伝、後日譚はカクヨムに載せていく予定です。

百花繚乱 〜国の姫から極秘任務を受けた俺のスキルの行くところ〜

幻月日
ファンタジー
ーー時は魔物時代。 魔王を頂点とする闇の群勢が世界中に蔓延る中、勇者という職業は人々にとって希望の光だった。 そんな勇者の一人であるシンは、逃れ行き着いた村で村人たちに魔物を差し向けた勇者だと勘違いされてしまい、滞在中の兵団によってシーラ王国へ送られてしまった。 「勇者、シン。あなたには魔王の城に眠る秘宝、それを盗み出して来て欲しいのです」 唐突にアリス王女に突きつけられたのは、自分のようなランクの勇者に与えられる任務ではなかった。レベル50台の魔物をようやく倒せる勇者にとって、レベル100台がいる魔王の城は未知の領域。 「ーー王女が頼む、その任務。俺が引き受ける」 シンの持つスキルが頼りだと言うアリス王女。快く引き受けたわけではなかったが、シンはアリス王女の頼みを引き受けることになり、魔王の城へ旅立つ。 これは魔物が世界に溢れる時代、シーラ王国の姫に頼まれたのをきっかけに魔王の城を目指す勇者の物語。

絶対零度女学園

ミカ塚原
ファンタジー
 私立ガドリエル女学園で起こった、謎の女生徒凍結事件。原因不明の事件を発端として、学園を絶対零度の闇が覆い尽くす。時間さえも凍結したかのような極寒の世界を、正体不明の魔がうごめき始めた。ただ一人闇に立ち向かうのは、病に冒され夢を挫かれた少女。この世に火を投じるため、百合香は剣を取って巨大な氷の城に乗り込む。 ◆先に投稿した「メイズラントヤード魔法捜査課」という作品とは異なる方向性の、現代が舞台のローファンタジーです。キービジュアルは作者本人によるものです。小説を書き始めたのは今年(2022年)が初めてなので、稚拙な文章は暖かい目で読んでくださると幸いです。

メサイア

渡邉 幻月
ファンタジー
幻想が現実になる日。あるいは世界が転生する日。 三度目の核が落ちたあの日、天使が天使であることを止めた。 そして、人は神にさえ抗う術を得る。 リアルが崩壊したあとにあったのは、ファンタジーな日常だった。 世界のこの有り様は、神の気紛れか魔王の戯れか。 世界は、どこへ向かうのか。 人は、かつての世界を取り戻せるのか。今や、夢物語となった、世界を。 ※エブリスタ様、小説家になろう様で投稿中の作品です

『ラズーン』第二部

segakiyui
ファンタジー
謎を秘めた美貌の付き人アシャとともに、統合府ラズーンへのユーノの旅は続く。様々な国、様々な生き物に出逢ううち、少しずつ気持ちが開いていくのだが、アシャへの揺れる恋心は行き場をなくしたまま。一方アシャも見る見るユーノに引き寄せられていく自分に戸惑う。

最強執事の恩返し~大魔王を倒して100年ぶりに戻ってきたら世話になっていた侯爵家が没落していました。恩返しのため復興させます~

榊与一
ファンタジー
異世界転生した日本人、大和猛(やまとたける)。 彼は異世界エデンで、コーガス侯爵家によって拾われタケル・コーガスとして育てられる。 それまでの孤独な人生で何も持つ事の出来なかった彼にとって、コーガス家は生まれて初めて手に入れた家であり家族だった。 その家を守るために転生時のチート能力で魔王を退け。 そしてその裏にいる大魔王を倒すため、タケルは魔界に乗り込んだ。 ――それから100年。 遂にタケルは大魔王を討伐する事に成功する。 そして彼はエデンへと帰還した。 「さあ、帰ろう」 だが余りに時間が立ちすぎていた為に、タケルの事を覚えている者はいない。 それでも彼は満足していた。 何故なら、コーガス家を守れたからだ。 そう思っていたのだが…… 「コーガス家が没落!?そんな馬鹿な!?」 これは世界を救った勇者が、かつて自分を拾い温かく育ててくれた没落した侯爵家をチートな能力で再興させる物語である。

ラグナ・リインカーネイション

九条 蓮
ファンタジー
高校二年生の海堂翼は、夏休みに幼馴染と彼女の姉と共に江の島に遊びに行く途中、トラックの事故に巻き込まれてしまい命を落としてしまう。 だが彼は異世界ルナティールに転生し、ロベルト・エルヴェシウスとして生を受け騎士団員として第二の人生を歩んでいた。 やがてロベルトは18歳の誕生日を迎え、父から貰ったプレゼントの力に導かれてこの世界の女神アリシアと出会う。 彼女曰く、自分は邪悪なる者に力を奪われてしまい、このままでは厄災が訪れてしまうとのこと。 そしてアリシアはロベルトに「ラグナ」と呼ばれる力を最期に託し、邪悪なる者から力を取り戻してほしいとお願いして力尽きた。 「邪悪なる者」とは何者か、「厄災」とは何か。 今ここに、ラグナと呼ばれる神の力を持つ転生者たちの、旅路の記録をここに残そう。 現在なろうにおいても掲載中です。 ある程度したら不定期更新に切り替えます。

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

処理中です...