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6同胞との遭遇
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そうして僕は、兄弟姉妹の誰にも別れを告げることはなく、森を飛び出した。
行く当てはなかった。
ただ、兄弟姉妹に顔を合わせて、何を言えばいいかわからなかった。お母さんが人間に殺されたと、そう真実を話せばいいのか。それとも会えなかったと、そう告げればいいのだろうか。
僕は、彼らが僕を目で責める光景を幻視した。
そんなはずがないのに。
彼らが僕を責めると、僕はそう確信してしまっていた。
僕は、逃げた。
兄弟姉妹から、母の死から、森から、狐としての生から、逃げた。
あてもなく世界をさまよった。
人里近い場所を歩き、森を進み、草原を歩み、川を渡った。
それは、僕にとっては大冒険で。けれどそのことに心躍ることはなかった。
時を刻むごとに、少しずつ僕の心は落ち着いていった。
心に残る真っ黒な感情は未だ完全に消えてはいなかったけれど、少しずつ、僕はまっとうな存在に戻っていた。
戻っている、つもりだった。
それに気づいたのは、いつだったか。
もう何回も季節が巡っていて。何年もの時が経っていた。
あてもなく世界をさまよっていた僕は、その旅の果てにやはりというか、あの生まれ育った懐かしい森にたどり着いてしまっていた。
そこは確かに、僕が知る森の、はずだった。
だが、その大部分は、すでに森ではなくなっていた。
ゴルフ場が生まれたのだと、人間の言葉を盗み聞きした僕は知った。
お母さんとの思い出が詰まった巣穴は、すでに影も形もなかった。
そこには森が切り開かれて、青々とした草をはやしたのっぺりとした大地があるばかりだった。
僕は走った。
兄弟姉妹の足跡を追うために、走った。
どうか無事でいてくれと、それだけを願いながら、僕は走った。
慣れない森で転ぶようなことは、もうなかった。
嗅覚を頼りに、僕はゴルフ場周辺の森を探し回り、そして懐かしいにおいをとらえた。
その狐は、茶色っぽい橙色の僕とは違って、白い毛皮の狐だった。
その狐に、僕は姉の匂いを感じた。
その狐が、口を開く。それは、威嚇の声だった。
誰だ、と彼女は言った。
僕は――
僕は、誰なのだろう?
彼女の質問に、僕は何を告げるか考える。
そしてはたと気づく。今の僕には名前がなかった。母にも、兄弟姉妹にも、名前がなかった。それどころか、生まれ育った森の名前すら、知らなかった。
僕を表す単語は、どこにもなかった。
だから代わりに、僕はこう答えた。
僕はかつて、あの切り開かれた森に住んでいた狐だよ。僕は、姉の匂いがする君に、話を聞こうと思ったんだ。僕の姉のことを、知らないかな?
その狐は、不思議そうに首を傾げた。気が付けばその顔からは、敵対の表情は消えていて。
彼女はゆっくりと、おかしな僕に対して、こう告げた。
あそこはすでに、私が生まれた時から森ではなかったわ。それと、私の母は、とっくに死んでいるわ。ああ、でも、私の母の、母の、母、だったかしら。そんな遠い方の弟に、あの森から気が付けば消えていた、狐の中では博識な子がいたという話を聞いたことがあるわ。
ああ、それはきっと僕のことだった。
母の、母の……母。
ああ、気が付けば僕は、とっくに狐という存在の枠組みから外れてしまっていたらしい。
狐の寿命は、きっとこれほど長くはない。
本来すでに死んでいるはずの僕は、けれどなぜか今日も生きていた。
生きて、しまっていた。
目的もないのに。望みもないのに。狐としての生を全うし、子孫に血をつなぐこともしていない、狐失格な存在なのに。
僕はきっと、こう呼ばれる存在だった。
――化け物、と。
そんな自嘲は、けれど僕の口からするりと零れ落ちてしまっていた。すなわち、僕は化け物だったのか、と。
それに、再度真っ白な彼女は不思議そうに首をかしげて、それから告げた。
あなたが化け物なら、私も化け物よ。ほら、見なさい、この真っ白な毛を。私の兄弟も、あなたのような色をしていたわ。私だけ、真っ白。雪のような白。おかしいでしょう?私はきっと、異端の狐よ。
彼女はその鈴の音のような声で、そう告げた。そこに、悲嘆の響きはなかった。どこかおかしそうに、彼女は僕に共感を求めるように視線を送ってきた。
僕はしばし言葉をためらって、それからおずおずと口を開いた。
すなわち、きれいだよ、と。
心臓が張り裂けるじゃないかと思った。
きっと僕に毛皮がなければ、その下の皮膚が真っ赤になっているところを彼女に目撃されたことだろう。
僕は、彼女をきれいだと思った。
真っ白で、そして、姉の匂いのする彼女。
他のどの狐とも違う彼女は、けれど僕のお母さんと、それから姉と同じ、あのあたたかな陽だまりの匂いがした。
僕はゆっくりと彼女に近づき、その体に鼻先をこすりつけた。
彼女もまた、おずおずと、ぎこちない動きで僕の体をなめた。
僕たちは、どちらからともなく歩き始めた。
この場所に、未来はなかった。
化け物な僕と。
異端の彼女。
二匹の狐の旅が、始まった。
行く当てはなかった。
ただ、兄弟姉妹に顔を合わせて、何を言えばいいかわからなかった。お母さんが人間に殺されたと、そう真実を話せばいいのか。それとも会えなかったと、そう告げればいいのだろうか。
僕は、彼らが僕を目で責める光景を幻視した。
そんなはずがないのに。
彼らが僕を責めると、僕はそう確信してしまっていた。
僕は、逃げた。
兄弟姉妹から、母の死から、森から、狐としての生から、逃げた。
あてもなく世界をさまよった。
人里近い場所を歩き、森を進み、草原を歩み、川を渡った。
それは、僕にとっては大冒険で。けれどそのことに心躍ることはなかった。
時を刻むごとに、少しずつ僕の心は落ち着いていった。
心に残る真っ黒な感情は未だ完全に消えてはいなかったけれど、少しずつ、僕はまっとうな存在に戻っていた。
戻っている、つもりだった。
それに気づいたのは、いつだったか。
もう何回も季節が巡っていて。何年もの時が経っていた。
あてもなく世界をさまよっていた僕は、その旅の果てにやはりというか、あの生まれ育った懐かしい森にたどり着いてしまっていた。
そこは確かに、僕が知る森の、はずだった。
だが、その大部分は、すでに森ではなくなっていた。
ゴルフ場が生まれたのだと、人間の言葉を盗み聞きした僕は知った。
お母さんとの思い出が詰まった巣穴は、すでに影も形もなかった。
そこには森が切り開かれて、青々とした草をはやしたのっぺりとした大地があるばかりだった。
僕は走った。
兄弟姉妹の足跡を追うために、走った。
どうか無事でいてくれと、それだけを願いながら、僕は走った。
慣れない森で転ぶようなことは、もうなかった。
嗅覚を頼りに、僕はゴルフ場周辺の森を探し回り、そして懐かしいにおいをとらえた。
その狐は、茶色っぽい橙色の僕とは違って、白い毛皮の狐だった。
その狐に、僕は姉の匂いを感じた。
その狐が、口を開く。それは、威嚇の声だった。
誰だ、と彼女は言った。
僕は――
僕は、誰なのだろう?
彼女の質問に、僕は何を告げるか考える。
そしてはたと気づく。今の僕には名前がなかった。母にも、兄弟姉妹にも、名前がなかった。それどころか、生まれ育った森の名前すら、知らなかった。
僕を表す単語は、どこにもなかった。
だから代わりに、僕はこう答えた。
僕はかつて、あの切り開かれた森に住んでいた狐だよ。僕は、姉の匂いがする君に、話を聞こうと思ったんだ。僕の姉のことを、知らないかな?
その狐は、不思議そうに首を傾げた。気が付けばその顔からは、敵対の表情は消えていて。
彼女はゆっくりと、おかしな僕に対して、こう告げた。
あそこはすでに、私が生まれた時から森ではなかったわ。それと、私の母は、とっくに死んでいるわ。ああ、でも、私の母の、母の、母、だったかしら。そんな遠い方の弟に、あの森から気が付けば消えていた、狐の中では博識な子がいたという話を聞いたことがあるわ。
ああ、それはきっと僕のことだった。
母の、母の……母。
ああ、気が付けば僕は、とっくに狐という存在の枠組みから外れてしまっていたらしい。
狐の寿命は、きっとこれほど長くはない。
本来すでに死んでいるはずの僕は、けれどなぜか今日も生きていた。
生きて、しまっていた。
目的もないのに。望みもないのに。狐としての生を全うし、子孫に血をつなぐこともしていない、狐失格な存在なのに。
僕はきっと、こう呼ばれる存在だった。
――化け物、と。
そんな自嘲は、けれど僕の口からするりと零れ落ちてしまっていた。すなわち、僕は化け物だったのか、と。
それに、再度真っ白な彼女は不思議そうに首をかしげて、それから告げた。
あなたが化け物なら、私も化け物よ。ほら、見なさい、この真っ白な毛を。私の兄弟も、あなたのような色をしていたわ。私だけ、真っ白。雪のような白。おかしいでしょう?私はきっと、異端の狐よ。
彼女はその鈴の音のような声で、そう告げた。そこに、悲嘆の響きはなかった。どこかおかしそうに、彼女は僕に共感を求めるように視線を送ってきた。
僕はしばし言葉をためらって、それからおずおずと口を開いた。
すなわち、きれいだよ、と。
心臓が張り裂けるじゃないかと思った。
きっと僕に毛皮がなければ、その下の皮膚が真っ赤になっているところを彼女に目撃されたことだろう。
僕は、彼女をきれいだと思った。
真っ白で、そして、姉の匂いのする彼女。
他のどの狐とも違う彼女は、けれど僕のお母さんと、それから姉と同じ、あのあたたかな陽だまりの匂いがした。
僕はゆっくりと彼女に近づき、その体に鼻先をこすりつけた。
彼女もまた、おずおずと、ぎこちない動きで僕の体をなめた。
僕たちは、どちらからともなく歩き始めた。
この場所に、未来はなかった。
化け物な僕と。
異端の彼女。
二匹の狐の旅が、始まった。
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