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第五章 あなただけを見つめてる

限界オタクがバレました

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 ルシウス帰国のあくる日。
 散歩がてらクロム様の部屋の前を通ると、ドアが少し開いていた。
 よく見れば、荷物をまとめているようだ。

「どおしてええええ。なんで、いなくなろうとするのよおおおお」

 私は部屋に突入し、なりふり構わず泣き叫ぶ。

「フェアじゃないからだ。それにもう、君に教えることはない」
「フェアって何が? 教えることがないなら、私の話し相手として残ってくれればいいでしょう?」
「必要性を感じない。理由もなく城に留まるほど、落ちぶれてはいないつもりだ」
「そんなああああ」

 まあ、クロム様ほどの方であれば、仕事はすぐに見つかるはずだ。
 頭もいいし運動神経抜群で、身のこなしもスマート。教師や厩舎きゅうしゃの仕事も、文句一つ言わずにやり遂げた。

 だからといって、手放せるわけがない。

「嫌~、行かないでえええええ」

 ここまで来て、推しに会えない日々に逆戻りなんてつらすぎる。

「カトリーナ……」

 ――クロム様、困った顔まで素敵!
 
 表情が日に日に豊かになっていく。
 私は、そんなあなたの側にいたい。

「クロム、まだなのか?」

 大事な話の最中に、誰かがやってきた。
 それは兄のハーヴィーで、私を見るなり不機嫌になる。
 
「カトリーナがなぜここに? さっさと出て行くんだ。クロム、お前もぐずぐずするな」
「はあ? お兄様ったら、何をおっしゃって……」
「申し訳ありません。王女殿下とのお別れが済み次第、すぐに」
「嫌あああああ、離れたくないいいいい。クロムしゃまが城を出ていくなら、私も出るううううう」

 どさくさ紛れに推しの腰に抱きついて、絶叫再開。
 絶対に離すまいと、大股おおまた開きで踏ん張った。

「カト……リー……ナ?」

 兄は信じられないものでも見たかのように、目をまん丸にした。
 片やクロム様は慣れたもので、私の腕を真顔で引きがそうとする。

 けれど、十年に及ぶ筋力トレーニングは伊達だてではない。わたしはさらにしがみつく。

「クロムしゃまあああ、しゅきいいいい♪ ここを去ると言うのなら、どこまでもおともしますわああああ!!」

 彼は私の世界の全て。
 ここで失うくらいなら、全てを捨てても構わない。

「なっ……何ごとだ?」

 絶句していたハーヴィーが、ようやく声を発した。

「さあ? いつも通りですが」
「そんなことないいいいい。クロム様限定なのおおおおお!!」

 密着させた耳を通して、響く声までカッコいい。
 絶対に逃すまいと、私は両足をさらに踏ん張った。

「カトリーナ?」

 ハーヴィーは珍しく、おろおろしている。

「やっぱりダメエエエエエ。別れるなんて無理いいいい」
「……いや。別れる前に、付き合っていないだろう?」

 クロム様は憎たらしいほど冷静で、ため息までもが麗しい。
 そこがまたス・テ・キ☆

「カトリーナ、とにかく落ち着きなさい」
「嫌あああああ。お兄様なんて大嫌い! 解雇を撤回するまで、口きかないからあああああ」
「解雇? いや、どちらかといえば、俺から申し出たことで……」
「あーあー、聞こえないいいいい」
「カトリーナが私に、大嫌い…………」

 呆然とつぶやくハーヴィーに、構ってなんかいられない。
 私の願いはただ一つ。推しを逃してなるものか!

「フェリーチェはどうなるのおおおおお! 行かないでえええええ」
「カトリーナ、お願いだから正気に返ってくれ。そのためならなんでもする」
「なんでも?」

 兄の言葉に反応するが、回した腕は離さない。

「その前に確認だ。お前はカトリーナ……だよね?」

 ――失礼な。見ればわかるでしょう?

 ふと状況を俯瞰ふかんして、思わず納得する。

 そうか。今の私、限界オタク丸出しだった。そんな自分に兄は度肝どぎもを抜かれたみたい。

「もちろんよ。だけどクロム様がいなくなれば、私壊れてしまうかも」
「まさか。冗談、だよね?」
「いいえ、本気よ。お兄様ったら、どおして信じてくれないのおおおおお」

 冗談ではなく、大いに本気。
 クロム様への愛は、いつだって本気だ。

「わかった、わかった。わかったから、もうやめてくれ!!」

 頭を抱えた兄に、ちょっぴり同情する。
 彼の中のおとなしい妹像は、音を立てて崩れ落ちたことだろう。

 さすがにどうかと思うので、いったん口をつぐもうか。

 兄は首を横に振り、クロム様に向き直る。

「そういうわけだから、クロム……済まないけど、このまま城に残ってくれないか?」
「承知しました」
「お兄様、やっぱり好きいいいい」

 ――いや、もう叫ばなくていいのか。

 限界ヲタクはバレちゃったけど、なんとかここまでこぎつけた。あとはクロム様と仲良くなって、あわよくば恋人に……。

 そんな私に兄とクロム様の視線が突き刺さる。
 私は背筋を伸ばして膝を折り、何ごともなかったかのように、優雅に微笑んだ。



 クロム様はその後、兄によって編成された諜報ちょうほう部隊の指導をすることになった。
 前職をかすにはぴったりな仕事だし、時々は騎士の訓練にも付き合ってあげていると聞く。

「くそっ、これでどうだ!」
「まだまだ。速さだけで、動きに切れがありません」
「生意気なっ」

 強すぎて相手がいないと恐れられたタールも、彼とはいい勝負。今のところクロム様の勝ち越しで、タールは悔しがっている。

 私は今日も訓練場を見学中。
 春先とはいえまだ寒く、ベロア生地の濃いピンクのドレスにクリーム色の薄手のコートで、ちょうどいい。

 勝負がつかないから、持ってきたお昼を並べておこうかな?

 皮目をパリッと焼いたチキンに、いろんな具材のオープンサンド。タルトやキッシュ、色鮮やかなサラダもあるし、湯気まで美味しい空豆のスープはシェフの自信作。

「そろそろ休憩しませんか?」

 剣を下ろした二人に呼びかけた。
 タールはなぜか、ねているようだ。

「ター坊、頬をふくらませてどうしたの? 可愛い顔が台無しよ」
「カトリーナ様は、クロムのことばかり。このお昼も、彼のためでしょう?」
「あら、あなたの分もあるわよ」

 途端にタールの顔が輝いた。
 もちろん二人だけでなく、訓練中の兵士全員分を別に用意している。

 食事の後は、犬を散歩する予定。
 だって近頃フェリーチェは、私よりもクロム様になついている。

 ――彼の優しさがちゃんとわかるなんて、あの子はやっぱり賢いわ。

 美味しいお昼を口にしつつ、確認する。

「クロム様。この後少し、よろしいかしら?」
「カトリーナ様、いつものお散歩でしょう? たまには俺が付き合いますよ」
「あら。ター坊は書類がまっているって、第一騎士団長がなげいていらしたわよ。いいの?」
「……あ」

 剣技でも書類をさばく速さでも、クロム様の方が上だ。だから安心して散歩を頼めるし、何より私がそうしたい。

「かしこまりました。片付けの後でよろしければ」
「もちろんよ。よろしくね」
「ちぇ~」

 口をとがらせたタールの横で、クロム様と顔を見合わせた。
 赤い瞳を見た瞬間、胸の鼓動が加速する。

 ――尊くって幸せだけど、絶叫するのは我慢しよう。

 武具の片付けを終えたクロム様と、遊歩道を並んで歩く。
 フェリーチェはすでに、小屋の外で待っていた。

「ワンワン、ワンワン!」

 クロム様の姿を見つけたフェリーチェが、嬉しそうに吠えている。
 無駄吠むだぼえをしない賢い子だけど、この時ばかりは別みたい。尻尾を激しく振りすぎて、ちぎれないかしら?

「フェリーチェは、あなたに会えて幸せなのね。もちろん私も」

 どさくさ紛れに言ってみた。
 見つめる私に、クロム様が優しい目を向ける。
 口の端が、わずかに上がっているような?

 ――クロム様も、この時間を楽しんでくれているといいな。

『幸せ』という名の犬とたわむれる姿を見ながら、私は彼の幸せを心から願った。
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