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第二章 ラノベ化しません

ヒロインよりも 6

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『……――いや、まだ早い』

 何かを言いかけた王子が、急に口を閉じた。私はそのすきに女官用の建物に移動し、現在に至る。

 結果としては、移って良かった。
 カリーナは親切で優しいし、女官部屋といっても柔らかなベッドの他に照明や衣装棚、専用の机まで設置されている。修道院で使っていた部屋の二倍の広さはあるから、ここでも十分贅沢だ。
 訂正――女官の競争率が高いのは、王族とこの部屋のせいかもしれない。

 

 またたく間に一ヶ月が過ぎた。
 私は今、洗濯物を抱えて荷車に積みに行くところ。洗い場は王城の敷地内にあるけれど、ここから離れているため専用の荷車で移動するのだ。「洗うのも手伝う」と言ったら、なぜかみんなに止められた。ちぇっ。

「リネン類はこれで全部よ。よろしくね」
「ああ。シルヴィエラ、今日も綺麗だね」
「ありがとう。あなたも素敵だわ」

 若い男性に声をかけられるが、王城で褒め言葉は挨拶のようなものなので、本気にしてはいけない。ラノベそっくりの私は、確かに見た目は良かった。でも、ここには外面も内面も綺麗な人がたくさんいる。その人達に近づけるよう、もっと頑張ろう。

 男爵家を継げなかった場合、私は平民となるかもしれない。王城で働く人々のスキルは高く、覚えておけば将来きっと役に立つ。実のところ、褒め言葉より仕事のアドバイスの方がありがたかった。私が自由時間にも城をうろついて手伝いを申し出ているのは、そのためだ。

 年頃となった私は、前世ではベッドの上で過ごすことがほとんど。また、今世では元気な身体がありながら、修道院の狭い世界しか知らなかった。今は見るもの全てが新しく、毎日がすごく充実している。城のみんなも優しくて、私は幸せだ。

 そんなことを考えて鼻歌を歌いながら廊下を歩いていると、教育係のシモネッタとすれ違う。彼女は私を見るなり、なぜか眉をひそめた。

「シルヴィエラ。元気がいいのは良いけれど、それはちょっといただけないわね」
「それって?」
「歌を歌っていたでしょう。止めた方がいいわ」
「わかりました。すみません」

 慌てて頭を下げる。
 他に誰もいなくても、鼻歌は良くなかったようだ。品がない、ということだろうか?

 だけどその日の夜、またもや注意をされてしまう。ローランド王子用の夜食を取りに厨房に行った時、美味しそうな香りが嬉しくて、私は適当なメロディーを口ずさむ。すると、料理人の男性が頭をかきながら近づいてきた。

「シルヴィエラ、その音は……」
「音? 歌のこと?」
「そ、そうとも言う。できれば歌わない方がいい」

 他の人は歌っているのに? 厨房で歌えるのは料理人に限る、ということかな?
 そういえば、先日お茶のセットを片付けている時に歌ったら、カリーナに変な顔をされてしまった。もしかしたら、「見習いは歌ってはいけない」という規則があるのかもしれない。

 女官長に夜食を届けたところ、王子の執務室に直接持って行くように指示された。カリーナがここにいたら、きっと羨ましがっていただろう。



 執務室に通された私は、辺りを見回す。
 壁一面が本棚で、その手前に長椅子とテーブルが置かれ、正面奥には窓を背にして大きな机がある。ローランド王子はそこで書類に目を通していた。
 仕事中の王子は大人っぽく、子供の頃の面影は見られない。淡い照明に映し出された端整な顔と引き結ばれた唇は、挿絵に似ているため怖くも感じる。

 もしシルヴィエラが迫ったら、今の彼でも応じてしまうの? ラノベのように抱き締めて、デスクの上で愛を……いや、ないな。ローランド王子が私に、そんなことをする理由がない。

 シルヴィエラの方から仕掛けない限り大丈夫。バカなことをしでかさないよう、私はすぐに部屋を出て行こうと決めた。パンとシチューの夜食を本棚の前のテーブルに置き、一礼して背を向ける。
 その時、王子の声がした。

「シルフィ、少しだけ付き合ってくれない?」
 
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