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しおりを挟む大切なものは全部お隣の男の子に全部取られてしまう。
おじいちゃんから貰った、外国製のブリキのおもちゃ、おばあちゃんが作ってくれた刺繍入りのポーチ、大好きなヒーローのお人形――――、そして愛してくれていた筈の両親。
だから大切なものは作っちゃいけない。どうせ全部あの子に取られてしまうから。
優しいけど厳しくもある母に子煩悩な父親、それと一人っ子で甘えん坊な僕。
どこにでもいる平凡な家族だった。
遅くにできた子供ということもあって、多少過保護にされていたような気がするけど、本当に平凡な、お互いを想い合う大切な家族……。
それが壊れたのは僕が五才の頃、お隣にある一家が引っ越してきたのがきっかけだった。
美しい両親に連れられてやってきた美しい子供、サラサラと流れる肩まである綺麗な髪と、長い睫毛が縁取るぱっちりとした瞳、まるで女の子のように可愛い容姿をしたその子は、彼の母親に促されるままに、綺麗な顔に笑みを浮かべて僕たちに挨拶をした。
「かしわぎひろみです。よろしくおねがいします。」
彼の母親のスカートの後ろに体半分を隠し、はにかんだように挨拶する宏海君は、どんな女の子も敵わないくらいに可愛くて、本当は女の子が欲しかったという僕の両親をたちまち夢中にさせた。
「まぁ、なんて可愛いのかしら……。それにこの笑顔、うちの忍もこうだったら良かったのに。」
「ああ、なんて理想的な子なんだろう……、こんな子が欲しかったな。」
そう言って隣に僕がいるのにも構わず、うっとりと宏海君を誉める両親は、思えば思えばこの時すでに自分の息子より、お隣の子に心を奪われていたのかもしれない。
かくゆう僕も、この可愛い子とぜひともお友だちになりたいと思ったものだけれど、この当時人見知りの激しかった僕は母の後ろに隠れてもじもじと小さな声で「忍です………。」と、名前を言うのが精一杯だった。
そんなつまらない僕のどこを気に入ったのかは知らないけど、宏海君は僕のことを気に入ってくれたみたいで、僕たちはすぐに仲良くなり、毎日のように遊ぶようになった。
お人形のように綺麗な宏海君は、その見た目に反して活発で、物怖じすることもなく一人でうちに遊びに来ることも多かった。
宏海君の両親は揃って有名な建築家で忙しく、宏海君の日中のお世話はお手伝いさんに任せきりだったみたいだ。
そんな寂しさもあって宏海君はうちに遊びに来ていたのかもしれない。僕の両親もそんな宏海君を不憫に思ったみたいで快く家に招き入れていた。
一緒に遊んで、ご飯を食べて、お昼寝をして………。
まるで兄弟ができたみたいで、最初は僕も嬉しかった。
宏海君が来るとお母さんも嬉しそうだし、お父さんも宏海君がうちに来るようになってから、かえりが早くなったから、家族でご飯を食べる時間も今までより増えて、それが嬉しかった。
でも家族の会話の中心は宏海君で、今までみたいに僕に幼稚園であった事を聞いてくれることはなくなった。
人懐っこい宏海君はすっかり両親のアイドルで、僕の話も聞いてって言っても「はいはい」って流されるだけで、それがなんだか悲しかった。
そのうち宏海君は僕の家がまるで自分の家であるかのように振る舞いだして、僕の両親をパパ、ママと呼ぶようになった。
そう言われるようになってから、僕の両親はますます宏海君に傾倒するようになった。
可愛くて人懐っこくて、活発な宏海君は両親にとって理想的な子供だったんだろう。
実の両親が直ぐお隣に住んでるのも忘れて
「はぁい、宏海君のパパとママですよ~。」
なんて笑って、宏海君と暮らす叶いもしない妄想に胸を踊らせているみたいだった。
僕はそれが悲しくて、両親がどんどん変わっていくのが不安で「僕のおとうさんとおかあさんなんだから、パパとママなんて呼ばないで」ってお願いしても両親は「別に良いじゃない、宏海君の好きなように呼んでくれていいのよ。」
なんて宏海君をかばって僕の気持ちを分かってくれようとはしなかった。
宏海君に大好きな両親を取られたような気がして、悲しくて悔しくて家を飛び出したこともあったけど、誰も追いかけて来てはくれなかった。
どれだけ公園で泣いていても迎えには来てくれなくて、自分が両親から捨てられたような気持ちになったのを、今でもよく覚えている。
結局暗くなっていく公園が恐くて自分で家に帰ったのだけど。
「あら、外に出てたの?こんな遅い時間に危ないじゃない」
なんて注意されるだけで僕が家から出て行ったことも、どんな気持ちでいたかも気にも止めてないみたいだった。
ただ当の宏海君だけは僕が飛び出したことに気付いていたみたいで。
「僕が遊びに来てるのにどっかいっちゃわないで。誰と遊んでたの?」
と、むくれた顔をして怒られてしまった。
宏海君のせいだよ、って言い返したかったけど、両親が宏海君の味方をするのが分かっていたから何にも言えなかった。
「ごめんなさい……。」
「もう勝手にどこかに行かないでよ。」
「うん…。」
確かに遊んでいる途中で居なくなるのは悪かったかもしれない、でもその間宏海君は僕の両親を独り占めしていたくせに。
そんな風に卑屈に考えるのも嫌で、僕は宏海君のことをだんだん苦手に思うようになった。
その日は宏海君と、おじいちゃんから貰った外国のお土産のブリキ製の電車のおもちゃで遊んでいた。
今風の形が変わったり、何かに合体できるような物ではないけど、色使いや、レトロな形が如何にも異国を想わせる雰囲気を出していてお気に入りのおもちゃだった。
「電車が出発しまぁす、ポッポー!!」
頭に行ったこともない、異国の町並みを思い浮かべながら夢中でブリキの電車を走らせていると、別のおもちゃで遊んでいた宏海君から声を掛けられた。
「そのおもちゃ、凄く面白そう。忍くん、それどこで買ったの?僕そういうの持ってないや。」
そう言って興味深そうに電車を覗き込んでにっこりと笑う宏海君に、少しだけ得意げな気持ちになった。
普段両親を取られている意趣返しのつもりで自慢するように話す。
「これはおじいちゃんのお土産なんだ。外国で買ったものだからおもちゃ屋さんには売ってないかも。」
「へぇ、いいなぁ。欲しいなぁ、欲しいなぁ。」
ひろみ君が物欲しそうにそう言って、おねだりをするようにちらりとキッチンの方にいるお母さんの方を見る。
嫌な予感がした。
お母さんの方を振り返ると少しだけ困った顔をしていた。
僕がこのおもちゃをすごく気に入ってるって知ってるからだ。
「ひろみ君のおうちにもおもちゃ沢山あったよね?僕、これ凄く大事にしてるんだ。」
僕は電車のおもちゃをぎゅっと抱きしめながら牽制する。
以前宏海君の家にお邪魔した時、彼の子供部屋に沢山おもちゃが置いてあったのを覚えている。
中にはまだ封があけられていない物まであって、僕のおもちゃを欲しがる理由なんてない筈だ。
「でも、こうゆうのは持ってない。ねぇ、これちょうだい?」
まだ良いとも言っていないのに、宏海君は手を伸ばしてくる。
僕は後ろに後退り、宏海君と距離を取ると、より強く電車を抱き締めた。
「嫌だよ、僕がおじいちゃんに貰ったんだよ!宝物なんだから。」
すると、本格的に喧嘩になりそうな気配を感じたのか、めずらしくお母さんが僕の味方をしてくれた。
「ごめんね宏海君、このおもちゃは忍、凄く大事にしてるの、他のおもちゃじゃ駄目かしら。」
「やだやだ、これが欲しい!お願いママ~。」
如何にも悲しそうな声を出されるとお母さんの心が揺らいでいるのは明白だった。
「あらあら、困ったわね~。」
その後も一応は断ってくれたけど、可愛く首を傾げておねだりするひろみ君を見て、お母さんは「しょうがないわね」と笑って嫌がる僕の手からおもちゃを強引に取り上げてひろみ君に渡してしまった。
「嫌だ!僕のだよ!!返して!!」
慌てて取り返そうとするけど、ひろみ君はあっという間にお母さんの後ろに隠れてしまう。
「ママに貰ったんだから僕のだよ!」
「そうよ、忍は他にも沢山玩具持ってるでしょう?1つくらい良いじゃない。」
「そのおもちゃは駄目!おじいちゃんに貰ったんだから!」
「意地悪言わないの、忍はおじいちゃんにまた買って貰えばいいでしょう?」
お母さんはそう言って僕から庇うようにひろみ君を抱き上げた。
その光景に何を言っても大事な電車が返ってこないことを悟る。
おじいちゃんは足を悪くしちゃったから、もう簡単には外国に行けないんだよ。
おじいちゃんがくれた物だから大事にしたいんだよ。
そんな言葉が頭に浮かぶけど言葉にすることは出来なかった。ひろみ君を守ろうとするお母さんは、僕をまるで大事なものを傷付ける邪魔者のような目で睨んでたから。
それからひろみ君は僕の物を欲しがるようになった。
僕がどんなに嫌がってもお母さんに、時にはお父さんにおねだりして僕の宝物をどんどん自分のものにしていった。
おばあちゃんが作ってくれた刺繍入りのポーチ
叔母さんがクリスマスに買ってくれた帽子
叔父さんが一緒に作ってくれた粘土細工
大切にしているものばかり取られてしまう。返してって泣く僕にはいつもお決まりの言葉。
「また新しいのを買ってあげるから」
「沢山あるんだから一つくらい良いでしょう?」
「ひろみ君があんなに欲しがってるんだから、あげないと可哀想。」
こうして僕は大切な物をたくさん失っていった。
一人きり、子供部屋でプラスチックの箱の中を眺める。
かつては蓋が閉まらない程に沢山のおもちゃが入っていたそこには、ただがらんとした空洞が広がっていて、パズルの1ピースすら残っていなかった。
全部宏海君に取られてしまった。
お父さんとお母さんがあげてしまった。
空っぽの箱を見ていると両親の愛情すら全て失ったような気がして涙が込み上げてくる。
だけど涙は流さない。泣いたってもう誰も気に留めてくれないと分かっているから。
リビングからは相変わらず楽しそうな声が聞こえてくる。
「パパとママの絵を描くからね、僕お絵描き上手なんだ!」
「あら、嬉しい!宝物にするわね!!」
「絵を描いてもらうなんて久しぶりだな。忍はそういうことはしてくれなくなったからな。」
何気ない両親の言葉が胸に突き刺さる。
あの画用紙も、あのクレヨンも僕のものだったのに、あれがあれば僕も両親の絵が描けたのに―――――、そこで考えるのを止めた。
どうせ僕が絵を描いても二人は喜ばない。宏海君だからこそ両親はあれだけ喜んでいるのだ。
僕はこの頃には段々と不思議なことを考えるようになってきた。
もしかしたら僕はこの家の子じゃないのかもしれない。
宏海君が本当はこの家の子で、僕は何らかの理由でただ育ててもらっていただけなのかもしれない。
そんなわけないと分かっているのに、そう思うともう両親にわがまま何て言えなくなっていた。
宏海くんが僕のおやつを欲しがっても、両親がリビングの額縁から僕の絵を外してそこに宏海君の絵を飾っても、文句も言わずに全てを差し出した。
だって僕はこの家の子じゃないかもしれないから、我が儘なんて言う権利なんて、僕にはないから。
そんな僕の異変に気づいたのは皮肉にも一番側にいるはずの両親ではなく保育士や他の保護者達だった。
暗い顔で登園し、誰とも話をしようとしない。一緒に遊ぼうと他の園児が近づこうとすると、おもちゃをお腹の中に抱え込んで震えるのだ。
子供が、おもちゃに執着するのはそんなに珍しいことじゃない。
だが、奪われるのを心底恐れているようなその仕草は誰の目にも奇異に映ったことだろう。
その様子を保育士が迎えに来た母に伝えても、母はどこか上の空で息子の様子には関心がないようだった。
以前の少し過保護気味とも言える母の変化にこれはおかしいと感じた保育園側は、何度か話し合いの場を設けようとしたらしい。
だが両親は、隣の子を預かるので……、と断り続けらちが明かず、保育園側が仕方なくネグレクトではないかと児童相談所に通告したらしい。
母も父もそれにはショックを受けた。思うに両親には息子を虐げているという認識は全くなかったのではないかと思う。
ただお隣の子を可愛がっているだけで、実の息子よりその子のことが大切になっているという自覚は無かったのではないだろうか。
それから何度か児童相談所の職員がうちに僕や両親の様子を見に来ていたのだが、特に怪我もなく、きちんと食事もしている様子に問題はないと判断したのか、直ぐにその訪問もなくなり、父も母もほっとしたようだった。
だけど人の口に戸は立てられないもので、うちが児童相談所のお世話になったという噂ははどこからか広まり、ご近所には子供を虐待しているのではないかという疑いの眼で見られるようになってしまった。
そのせいで宏海君の両親は、子供に危害を加えられることを恐れたのかうちに宏海君を預けることはなくなった。
僕はこれで両親の関心が僕に戻ると単純に喜んだのだけど、両親は宏海君のことを諦められないようで、酷く落ち込み、家の雰囲気は暗いものへと変わってしまった。
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