おまけのカスミ草

ニノ

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 旧校舎の入口まで続く長い渡り廊下は、何も視界を
遮るものなどない広々とした空間だ。
 さっきまでそこには山崎君と僕しか存在しなかった。
 それなのにいつの間にか背後に佇んでいた月岡に心底驚く。
 この人は一体いつ現れたのか、いつから僕達の話を聞いていたのか……。


 まずい――――――――。
見つかってはいけない人に見つかってしまった。
 
 『神崎晋には近づくな』そう忠告される度に、それとなく話題を変えてお茶を濁してきた。
 わかりました。なんて了承した覚えは一度もないし、僕が晋に会いに行ったとしても、この人に責められる云われは全くないのだけど、何故だか後ろめたい気持ちが湧いてくる。

『君の親はバカだね、僕なら君みたいな子が息子なら凄く可愛いがるのに』

 先輩に言われた言葉を思い出す。
 
 どんなつもりでこんな言葉を先輩が口にしたのかはわからない。
 家族にあまりにも顧みられない僕に同情しただけかもしれない。
 もしくはいつもの遠回しな嫌みなのかもしれない。
 
 だけどこのところやけに親切にしてくれていたことを考えると、内緒で普に会いに行くのは彼の心配してくれた気持ちを無下にしたのではないかと思ってしまう。
 
 気不味くて無意識に目をそらすと、先輩はこちらに距離を縮めて顔を覗き込んできた。
 身長差のある僕に顔を合わせる為に腰を屈めて顔を寄せられる。
 そこまでされて目を逸らし続けるわけにもいかず、恐恐と戦いながら目を合わせると先輩は怒った顔をしては居なかった。むしろ笑っている。
 
「カスミ君、風紀に入るつもりなの?もちろん歓迎するよ。最近はのせいで揉め事がとても多くてね、雑務を担当してる委員も大変なんだ。」

 訝しむ僕を余所に、月岡先輩は優しげな笑みで僕にそう切り出した。

「君は成績も良いみたいだし、生活態度も模範的だ。向いてるんじゃないかな、今は部活もしてないだろう。風紀に入れば君のことも今より守りやすくなるし……、山崎もそう思うだろう?」

「そうですね。カスミ君が風紀に入ってくれたら他の委員の連中も和むと思います。」

 先輩は畳み掛けるように語り、良い考えだといわんばかりに振り返ると、山崎君も笑顔でその意見に追随する。

 何とも穏やかな空気に首を傾げたくなる。もしかして先輩は僕が普に会う為ににいると気付いていないのだろうか?
 散々普に会うな、蘭に迷惑をかけるなと言われていたので、普に会おうとすれば、何らかのお咎めがあると思っていたから拍子抜けしてしまう。

「いえ、風紀なんて恐れ多くて僕には勤まらないと思います。」

気付いていないのならそれに越したことはない。僕はことさら柔らかい雰囲気を作ることを心がけて先輩に話を合わせた。

「そんなことはないよ、現にクラス委員の仕事も立派にこなしてるじゃないか。」
 
「クラス委員の仕事はクラスメイトがフォローくれているので何とかなっているだけです。」
  
「風紀の仕事だって僕や山崎がフォローするよ?」

「それじゃあ、足手まといになるだけじゃないですか。」

 あくまでも謙虚に申し出を断る。先輩の気を悪くさせるのは得策じゃない。

「新人をフォローするのは当たり前のことだよ。」
 
 ただの思いつきの勧誘かと思えば、以外にもしつこく説得される。僕ご風紀に入ったって実際足手まといになるだけだ。
 何にそんなに忙しいのかわからないけど、誘うならもっとマシな人材がいるだろうに。

 段々と焦りが募ってくる。もうすぐ晋がここに来てしまう時間だ。二人を鉢合わせにさせてしまうのは……、多分良いことにならない。

 一旦この場を離れた方が良いのかもしれない。そう思い、待ち合わせの場所をちらりと見ると、先輩は僕の視線を追うように旧校舎の扉を見た。

「………。」

 先輩の長い指先がそちらを指す。

「ところでこの先には旧校舎の入り口しかないのだけど、カスミ君は一体ここで何をしていたのかな?」
 
 心底不思議そうな表情をされるが、その雰囲気は決して柔らかいものじゃなかった。

「神崎晋には近づくなって忠告したよね。それも何度も――、忘れちゃったのかな?」   

 「………。」
  
 最初から先輩は僕がここにいた理由に気付いていたんだろう。そのうえで僕を踊らせていた。
 
 黙り込む僕を見つめる目は僕を責めていた。ただ責めているだけじゃない、僕を射抜くその目線は裏切られたと落胆しているようにも見える。

 約束なんかしていないと突っぱねればいいだけなのに……。実際その通りだと思うし…。

「ねぇ、忘れちゃったの?それとも僕のいうことなんか最初から聞く気もなかったのかな?」

 だけど、咎めるような口調でさらに距離をつめてきた先輩の表情は少し悲しげで、言い返すことができなかった。
 このところ妙に親切にされていたせいで先輩に対する苦手意識がすっかり薄れてしまっているせいなのかもしれない。

「ごめんなさい…。」

 気が付いたら謝ってしまっていた。
 僕は基本的に自分に優しくしてくれる人を無下にはできない。例えそれが演技でも、損得勘定からくる行いでも、こんなつまらない僕を気にかけてくれる人は本当に少ないから……。

 素直に謝る僕に月岡先輩の溜飲が下がったのか、少しその口調が柔らかくなる。

「僕は本当に心配してるんだよ?あそこがどれだけ危険か君は分かってない。どれだけ旧校舎でひどい行いがあったか……、君を怖がらせたくはないけど決して大袈裟に言ってる訳じゃないからね。」

「…はい、でも晋とお昼ご飯を食べるだけです。危険な場所に行くつもりはありません。」

僕の言葉を受け、月岡先輩が僕の持つ大きめのランチボックスに目を落とす。眉間に皺を寄せ「もしかして手作り……」と僕に聞こえない程の声でつぶやいた。

「聞き分けないこと言わないで、危険な目にあってからじゃ遅いんだ。大体君が目を付けられるだけじゃ終わらないかもしれない。蘭にまで危害を加えられるかもしれないんだよ。」

 優しげな声から一転、明確に苛立ちを含んだ声で吐き出された言葉に胸がズキリと傷んだきがした。
 蘭のことを引き合いに出されるのは嫌だった。
 蘭との喧嘩が尾を引いているのもあるけれど、結局この人も僕を気にかけている訳じゃなく、蘭の事が大切なだけだと思い知らされる。

「だけど僕が晋に会いに行くからって、蘭の迷惑になるとは限らないですよね?」

 自分でもきついなと思う口調で切り返す。

「またそんな生意気を……。最近少しは素直になって歩み寄れたと思ってたのに、そういう態度も神崎の影響かな?」

 まただ。月岡先輩は何かにつけて晋を悪く言う。

「あなたが晋のことをどう思っていても構いませんけど、僕の前で悪口を言うのは止めてください。」

 まるで晋が悪い奴だと僕に思い込ませようとしているみたいで、苛々する。

「僕の言うことは信用できない?」

 先輩の声のトーンがまた落ちた。

「……少なくとも先輩よりは晋の方が信用できます。あなたは僕の地雷をことごとく踏みつける……。蘭と僕を比べること、僕の友達を貶すこと、気にしてないと思ってましたか?」

「それは――。」

 先輩は言い淀んだように、口元をおさえた。なんといい返そうか言葉を選んでいるのかもしれない。
 先輩の唇から再び辛辣な言葉が飛び出すのが怖くて目線を落とす。
 
 本当に嫌なタイミングで先輩に出くわしてしまった。やっとのことで山崎君を説得できたと思ったのに。こんなことなら山崎君を振り切ってでもさっさと旧校舎に入ってしまえばよかった。

 そう思ってちらりと山崎君の方を見ると、彼は気まずそうに頬を掻きながら口を開いた。

「…ごめんね、委員長に報告したのは俺なんだ。」

「えっ、…あっ!!」

 やられた。随分スマホを気にしてるなと思ってたけど、月岡先輩に報告していたのか。

「ごめんね」

 眉尻を下げて謝る山崎君に思わず文句を言いたくなる。
 僕が先輩に捕まったのがまさか彼のせいだったとは、僕との約束はなんだったのか。裏切られた気持ちで彼を見つめていると、背後から月岡先輩に腕を掴まれた。

「離してください。」

 僕にとっては渾身の力で振払おうとするが、鍛えられた先輩の手でいとも簡単に押さえこまれる。
 身をよじって抜け出そうとするけどその度に巧みに拘束され全く歯が立たない。

「委員長、あんまり乱暴は…。」

「風紀委員が一般生徒に乱暴なんてするわけないだろ、もう君は戻っていいよ、報告ありがとう。」

 僕が躍起になって先輩の拘束から逃れようとしている間に促され、山崎君は僕にもう一度謝ると行ってしまった。

「山崎を恨むのはお門違いだよ。むしろ何も報告せずに見送って、君に何かあれば彼は処罰の対象になっただろうね。」

 どれだけ暴れても離れない腕にとうとう諦め、僕がおとなしくなるのを見計らったように先輩から聞き捨てならない言葉を掛けられる。

「処罰って?僕がどうなろうと自己責任でしょう?」

 荒い呼吸を整えながら背後にいる先輩に問いかける。だからとやかく言われる筋合いはありません、あなたにも僕の行動を止められる筋合いもありません――、そういう意味合いを込めて。

「そうもいかないよ、学園の秩序を守る為の風紀委員なんだ。危険な目に合うとわかっている生徒を見逃すのはそれだけで仕事の放棄と捉えられる。それに山崎は純粋に、君のことが心配だったんじゃないかな?」

「………。」


 そう言われると山崎君に申し訳なくなった。僕が晋に会いたいが為にとった行動は、晋と僕が友人関係にあると知らない彼からしたら危険極まりないものだったのだろう。
 それでも力づくで僕をこの場所から排除しなかったのは彼の優しさなのかもしれない。
 もし、万が一のことがあって僕が誰かに暴力を奮われたりしたら、処罰の対象になるリスクがあったのに僕に付き合ってくれていたのだ。

「…あの、山崎君に謝っていたと伝えて頂けますか?心配してくれたのにごめんなさいって。」
 
 僕がそういうと先輩は呆れたようにため息をつく。

「君は僕以外には、とても素直だよね。」

「……自分に非があると分かれば謝るのは当たり前です。あの、今日のところは見逃してもらえませんか?」

「駄目。」
 
「どうしても??」

「どうしても。」

 取り付く島もない。

「でも僕は、今日は晋に絶対に会うって決めてるんです。」

「君も強情だね。……良いよ、じゃあ条件がある。」

「条件?なんでしょう?」

 強情は先輩の方だと思いながらも、譲歩されそうな空気にホッとする。
 
「スマホ出して」

 先輩は胸ポケットからスマートフォンを取り出すと、僕にも出すように促してきた。
 嫌な予感がしながらも、手渡すと勝手に操作をされて連絡先の交換をされる。目にも留まらぬ早業で止める暇も無かった。

「神崎と合流するまでは付き合うから、神崎とランチしてる間は必ず10分置きに自撮りをして僕に送って。」

 スマートフォンを返しながら、言われた条件は呆気にとられる程に一方的なものだった。

「何の為にそんなことを?」

 スマートフォンを確認すると連絡帳とメッセージアプリにしっかりと月岡先輩の連絡先が登録されていた。
 訳が分からない、まるで束縛の強い彼氏のような要望だ。

「君の無事を確認する為だよ。もし連絡が途絶えたら直ぐに乗り込むからそのつもりでいてね。」

 にっこりと、だが有無を言わさない強さで言われる。大袈裟だ、晋に何て説明すればいんだ………! 
 言いたい事は沢山あるが、その無言の迫力に言い返すことはできなかった。

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