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文字は読めるらしい

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 緊張した面持ちでアルバートの執務室の前に立った。いよいよ仕事が始まるのだ。緊張しないわけがない。アルバートは仕事しなくてもいいと言うくらいなのだからきっと優しくしてくれるだろう。仕事している間だけ人が変わるとかでなければ。セバスチャンはアルバートのことを恐れているようだった。その理由のことを聞くことはできなかったから、どうしてなのかは分からない。ただ、主人には決して逆らわない、意見を言わないこと、と念押しをされたのだ。はい、と頷きはしたものの、できないことをしろと言われたりしたら困る。二階から飛び降りろと言われたらどうすればいいだろうか。あの広くてよく手入れされた庭には伊織を受け止めてくれるような草木もないし。

「はあ……」
「イオリ?」

 ドアをノックもしていないのに執務室の扉が中から開けられ、目の前にはアルバートの顔があった。

「びっ……! くりした……」
「ごめん、しばらく入ってこなかったようだったから」

 伊織は手を引かれて執務室に入った。どうして執務室の前にいることが分かったのだろうか。聞きたかったけれど、目に入ってきた初めて見る執務室に思考が奪われる。
 よく整頓された部屋に机とソファ、本棚、大量の本。伊織はこの世界に来て初めて本を目にした。そういえばこの世界の文字は読めるのだろうか。この世界の言葉はなぜか伊織には日本語に聞こえるけれど、文字はどうなのだろうか。

「あ、」

 読める。本の背表紙を見てそう思った。本のタイトルは知らない文字に見えるけれど、頭の中でなぜか日本語に変換されて見える。文字さえ読めなかったら執事の仕事はできないのでは、と思ったけれど問題はなさそうだ。

「どうしたんだい?」
「あ、いや、文字が読めるなと、思って」
「ああ、うん。そうだろうね」
「え?」

 うん、と頷いてアルバートは伊織をソファに座らせた。ぱちぱちと黒い瞳を瞬かせている伊織の隣に座って、アルバートは笑顔のままゆっくりと瞳を瞬かせた。

「じゃあ仕事のことなんだけど」
「えっ!? この流れで!?」
「仕事したいんじゃなかったっけ」

 こてんと小首を傾げる姿は可愛らしく見える。美形がそんな仕草をするのは卑怯だ。美人というのは得だなあとぼんやりと思う。

「し、したいけど、その、気になります、どうして文字が読めるのか」
「言葉が話せるのだって気にしてなかったよね」
「た、たしかに」
「知らなくていいんじゃないかな」
「ど、どうしてそんなことを」

 拾ってくれたし衣食住をくれる恩人ではあるが、そんな他人事みたいなことを言われるなんて想定していなかった。確かに働きたいと言ったのは己ではあるが、納得ができない。彼がどうしてそれを知っているのか、それを話してくれないのか。

「知ったって帰れないんだよ」

 伊織は頭を強く殴られたような衝撃を受けた。


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