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神殿

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 王宮と目と鼻の先にある、それに勝るとも劣らない巨大な敷地を誇る神殿は、真っ白な柱に囲まれた壮観な建物だった。
 白い石で組まれた神殿は銀色の装飾が至るところに散りばめられ、随所に竜を思わせるモチーフが組み込まれていた。ただそれはノアの知る竜とは少し違っていて、やはり竜人と神話の竜は違うのだと、少しだけ胸をなで下ろした。
「すごい、綺麗な場所だ」
 ノアたちを乗せた馬車は、鉄製の巨大な門扉の内側へと招き入れられ、そのまま舗装された敷地内の道を通り神殿の正面へと寄せられた。通常の信徒が入る通路とは違い、こちらは公式行事か高位貴族の来訪時にしか開かない。
「当然です。近隣諸国の中でもベズゥル神殿の始まりは、この国とされていますからね。かの神竜が降臨され、身を焦がしてまで人類を諭してくださったこの場所を、我々は大切にしております」
 早口にそう告げるユネーブは、いかにも敬虔な信徒のようだった。殿に身を捧げた大神官として当然なのだろうが、やはりどこかに胡散臭さが漂う。
「まずは大神官長と謁見していただき、それから神殿内部を案内しましょう。お互いの話は、その後で」
 ユネーブがノアの望む話をこの場でしないかと心配したが杞憂だった。ホッとしたと同時に、釘を刺しておかなければならないと思った
「お伝えしたように僕は神子などではありません。今日は僕を神子候補として連れてきてくれたんですよね? 僕はそれを否定するために来ましたが伝わってますか?」
「ええ、貴方はずっとそう言っていますよね。ただ残念ながらそれを判断するのは私ではないんですよ。最終的には大神官長が決定します。もし貴方が神子ではないと仰るのなら、それを自分でお伝えください。大神官長にお会いする場は用意しておりますので」
 この男はずっと、ノアの話をのらりくらりと躱してばかりだ。その癖、ノアを神子だとばかりに扱う。だが今はコネハが側にいるため、それ以上踏み込んだ話はできない。ユネーブは一体、どこまでノアの事情を知っているのだろうか。
「神殿内では、神子の方が神竜より立場が上なのだなどと、そんなふざけたことを言う者もいますが……。どうぞ真に受けることがないように」
 細い目をさらに細めて、表面上は穏やかに忠告してくる。
 なるほどユネーブがノアに対してどこか慇懃無礼なのは、そういった神殿内の派閥のせいらしい。そしてユネーブ自身がその神竜派、というやつなのだろう。
「はっ。まったくお前らときたら、馬鹿げたことが好きだな。神子だの竜だの、昔話に囚われすぎなんじゃねぇかあ?」
「その昔話に、我々は支えられて生きているんです。理解しろとは言いませんが、馬車を降りたらその達者な口は謹んでくださいね。特に神殿は獣人を下に見ていますからね。殺されても文句は言えませんよ」
 まさか獣人ではなく竜人だとは訂正できない。コネハはユネーブの忠告を鼻で笑う。
「上等じゃん」
 再び一触即発の空気になってしまい、ノアはうんざりとしながら二人の間に割り入った。
「二人ともやめてよ。コネハ、お願いだから大人しくしててね」
 コネハが本当に暴れてしまったら、この真っ白な神殿は瓦礫へと変わってしまう。
 タイミングよく外から馬車扉がノックされ、緊張した空気が霧散してくれた。
 ホッと息を吐くノアの手を、先に降りたコネハが引き寄せた。裾の長い衣装を踏まないように気をつけながら、ノアはゆっくりと階段を降りる。
「ノア。俺の側を離れるな」
「うん、気をつけるね」
 ただ、神殿にも神子にも興味のないノアが、わざわざこんな服を来てここまで来た理由のためなら、コネハの言いつけすら破るかもしれない。
 それはコネハには言えない――自分の出自を知りたいがためなのだから。
 そして反対隣に立つユネーブこそが、それをノアに仄めかした人物だ。ユネーブを見上げると、にやりと形容したくなるような不穏な笑顔を見せた。ノアは少し不安になる。
「ごめんね、コネハ。僕、迷惑かけてばっかりだ。本当ならコネハはこんな所、来たくなかったよね」
 理由は話さないくせに離れてほしくない。その考えが自分本位過ぎることは、ノアだって理解していた。 
 うつむくノアの頬を、コネハの指が摘まんだ。
「いひゃいよ」
「ばぁか。ノアの思う程度の迷惑なんて、かわいーもんだっつうの。もっと言えよ。お前の望むことくらい、俺が何でも叶えてやる」
 太陽のように屈託なく笑うコネハが眩しくて、ノアは色んな感情で胸が詰まるようだった。一体どれだけ自分を甘やかすつもりなのか、年上のいい大人なのに、与えられる優しい感情が溢れてくるようで苦しい。
「緊張感のない人たちですね。ここからは言動と行動に気をつけてください」
 ユネーブがサッと手を上げると、門前に立っていた数人の神官たちが動いた。
 それとほぼ同時に、神殿の内側からその大きな白い扉が開かれる。その内部には、揃いの衣装を身に纏った神官たちが整列していた。
 そのうちの一人が手に持った鐘を叩いた。カーンと甲高い金属音が、幾度となく鳴り響く。
 規則的なその音は間隔を徐々に狭まっていき、数拍置いて、一段と大きな音を立てた。
「うるせ……」
 耳の良いコネハには騒音となったようで、片耳を押さえて眉根を寄せていた。
 鐘の音は小さく軽やかなものへと変化し、そしてそこに弦楽器の音色が加わる。どうやらこれが、この神殿における歓迎の儀式のようなものなのだろう。ユネーブは小さく声を掛け、二人の背を押した。
「お二人とも、そのまままっすぐ歩いてください」
 コネハに手を取られたまま、ノアはその白く磨かれた石段を上る。着慣れない衣装をなんとか捌こうとする姿は、周囲の神官からは実に優雅に見え、感嘆のため息が至るところから零れた。
 登り切った扉の内側には、外側から見えていた以上の神官の数と、そして巨大な石柱がいくつも並んでいた。その柱の向こうには、美しく整えられた開放的な中庭が見える。
 中庭を挟んだその向こうにも建物があり、そちらからは雑多な人の気配があった。参拝する信者のための建物なのだろう。
 完全に分離された神殿の中は、神竜など興味のないノアですら気圧される神聖さがある。
「凄い……」
 言われたとおりにまっすぐ歩を進めた先で、ノアは足を止めた。そこは祭壇のような場所だと気がついた。中庭に向かって左側には、竜が描かれた壁画がある。その反対側には色鮮やかに作られたステンドグラスが、まるで竜の鱗のように配置されている。
 そして真下にある、一段高くなった場所に置かれた椅子には一人の老人が座っていた。
「あちらが、神竜に最も近いとされる大神官様です。貴方は今、暫定的に神子という扱いですので、もしも役目を降りるのであればご自身でお話ください」
 ユネーブが静かに教えてくれた通りに、貫禄のある老人が椅子に腰掛けていた。銀色に輝く神官服は、ユネーブのものとはまた違う色合いだ。髪の毛のない頭に乗せた丸い帽子も揃いの生地で作られており、後ろにいくつかの房が取り付けられている。
 立場に見合った穏やかな笑みを浮かべる男だったが、ノアを見つめるその目の奥は冷たい。
「大神官様、こちらが今代の神子と噂される者です。名を、ノアと」
 跪き、そう述べるユネーブ。ノアも同じようにするのかと戸惑ったが、腰を支えるコネハがそれを許さず、結局ただ棒立ちでいるしかなかった。
 何かを焚いているのか、どこからか木を燻したような重い匂いが漂う。
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