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兄弟として

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 三日前。ノアが治癒能力を持っていることが知られてしまってからというもの、ブブの店は目に見えて騒がしくなった。
「外で騒ぐなら、客として注文して欲しいってもんよネェ」
 頬杖をつきながら外を眺めるのブブは、唇を尖らせながらそう言った。店内の客入りはいつもと変わらないが、窓に張り付いて中を覗き込もうとする人垣が朝から絶えずできている。
「ご、ごめんねブブ。僕のせいで」
 ノアを一目見ようと押しかけてくる人間たちは、何人かは客として店に入ってくるもののその多くは外からノアを眺めるだけだ。小さな騒ぎになっているものの、店には迷惑しかかけていない。
 昼を過ぎた店内はむしろ普段よりガランとしていて、いつもの常連はこの騒ぎに気おくれしているのか、今日はあまり訪れが少なかったように思う。
 頭を下げるノアに、ブブはその体格に見合わない可憐なしぐさで両手を小さく振った。
「やだぁ、ノアのことを責めてるんじゃないのよ? こっちこそノアの噂を広めちゃったんだろうし、むしろ悪かったって思ってるのよ」
 ノアが能力を隠していたことについて、ブブは何も聞かなかった。最初こそ他の人たちと一緒に興奮した様子ではあったが、隠しているのだから相応の理由があるのだろうと、常連に緘口令を言い渡したほどだ。
 だが人の口には戸が立てられない。きっと内緒の話だと友人や家族へと伝え、そこから周囲へとあっという間に広がったのだろう。
「ノアにあんな力があるなんて知らなかったけど、たしかに黙ってた方が賢いと思うわ。だけどバレちゃったからには、覚悟した方がいいかも」
「覚悟?」
 例えば便利な薬箱のように使われる程度なら、ノアも想像していた。むしろ村では誰かの役に立ちたくて、自ら率先してその役割を担っていた気がする。
 だけど隠していたのは、多すぎるこの国の人たちを良く知らなかったせいでもあるし、それが家族の――いやコネハの嫌う「人間」たちの性質を、ノアもまだ見定めきれていなかった、という理由もあった。
 そしてブブの言う覚悟というのが、便利に使われるという意味ならノアも多少は覚悟していたのだが。
「この国の神殿のこと、覚えてるかしら。神子に命を救われた竜のね。ほら、前に話さなかったかしら。神子と神殿は強く関係してるのよ」
 竜、と聞いてノアの心臓はドクンと跳ねた。
 竜人の弟は、三日間の騒動の際にまたどこかに消え、あれから姿を現していない。あの良すぎるタイミングからして、ひょっとしたらずっとノアのそばで見守ってくれていたのかもしれないし、今もそうなのかもしれない。
「その竜の話は僕に関係あるの? 人間を滅ぼそうとして、自分の身体まで焼き殺しかけた竜の話だったよね」
「言ったでしょう。竜を助けた少女がいたって。その少女が、聖なる癒しの力を持つ神子と呼ばれているの」
「え……?」
 呆けるノアに、ブブは苦笑いした。
「アタシたち庶民の中でも神竜(しんりゅう)信仰は根付いてるけど、一番竜や神子を崇拝しているのは神殿よ。この国のみならず、人間の国ではどこも竜を祀っているし、国を超えた神殿には王家に勝るとも劣らない権力があるの。そして稀に、この世界のどこかにその奇跡の神子が現れると言われている」
 そこまで言われて、さすがにノアもブブが何を言おうとしているのか、簡単に察することができた。
「まさか僕が……神子だって思われるとか?」
「そうね。多分、十中八九そうなると思うわ。アタシとしてはノアは元々この国の人間じゃないし、逃がしてあげたかったんだけど。ノアは見るからに普通じゃないし……ああ、良い意味ででよ? とにかくどこの国に行っても騒がれるのも時間の問題だから」
 ノアはぐっと押し黙った。
 特に目的があってこの国に来たわけじゃない。村から逃げ出したくて、自分の生まれた国だと聞いてやってきただけ。あわよくば本当の母親に会えるかもなんて、ほんの少しだけ期待していた程度だ。
 それなのに突然縁のない人たちのために、神子だと担ぎ上げられても戸惑いしかない。
 平凡に生きられる。そう思っていたはずなのに。
「いや……でも僕なんか。そんな……大げさな」
 軽く笑い飛ばそうとしたが、思いがけず真剣なブブの瞳がそれを許さなかった。
「大げさなだけだったら良かったんだけど。あんなぼろ雑巾みたいな怪我人を治すところを見ちゃったアタシから言わせてもらうと、ノアはまさに神子様そのものよ。びっくりするくらい美人で、心まで綺麗で……本当に、あんたは誰がどう見ても神子様だと思うわ」
 そういってブブは目を細めた。その瞳はノアを見ているようで、だけどもうノア自身ではない「神子」を見ている。その神聖視している視線は気まずく、据わりの悪い気持ちになって、ノアはさりげなくブブから視線を逸らす。
「僕にはよくわからない」
 この力のことも、神子のことも、自分自身のことすら理解できていないのに。
 うつむくノアに、ブブはハッとした顔をした。
「ごめんなさいね、余計なことを言ったわ。さ、夜の仕込みを始めましょ。野次馬にもこれ以上粘られるなら、外にもテーブル出して営業してやるんだから」
 フン、とポーズを決めるブブを見て、ノアは少しだけ笑った。
「そうだね」
 ノアは多くは望んでいない。一人で暮らせるだけの給料を貰って、穏やかな日々を過ごし、できたらこうしてずっとブブの店でずっと穏やかに働くことを願っていた。

 その日の帰り道。最近ずっとそうであるように、裏口から回って外へと出た。まだ表では何人かがウロウロと中を覗き込んでいたせいだ。
 ブブに貰った帽子を深く被り、表通りよりも少し薄暗い小道を歩き出したところで、ノアは足を止めた。
 そして確信に近い声で、小さく呼ぶ。
「コネハ。いるんでしょ? 出てきて」
 三日前に、ノアのために飛び出してきたコネハ。ノアが拒絶して後悔したあの日から、きっとずっと傍にいたのだろう。竜人の感覚をもってすれば、人間が視認しえない距離からでも見守れるし、声だってはるか遠くから聞くことができるのだから。
 もちろんその能力を、ただの人間であるノアは持っていない。だから空虚に向かってそう呟く。
「……ノア」
 その大きな身体をどこに潜ませていたのか、闇の中からコネハがスルリと現れた。
 真正面から見上げる弟は、バツが悪そうな顔をして視線を泳がせている。呼ばれたから出てきたものの、子供の頃に怒られた時のようないたたまれない様子だ。
 そんな弟の姿に、ノアは胸がきゅっと締め付けられた。大切な弟に、そんな顔をさせたかったわけじゃない。
 自分勝手な自分の言動に、どれだけコネハを振り回してしまったのだろう。傷つけて、突き放して、それで許して貰おうなんておこがましいと分かっている。それでも再びコネハに会えたことが嬉しくて、思わずその胸に飛び込んだ。
「っ、ごめん……! ごめんね、コネハ。僕が悪かった。勝手に怒って、嫌なことばっかり言って……お兄ちゃんなのに、コネハに酷いことした」
 危なげなく自分を抱きとめる腕が拒絶を示さないことに、ノアは思わずホッとしていた。だが同時に、嫌われないと知らず高を括って傲慢な振る舞いをしたのかもしれないと、身体が強ばる。
 フードの中で、コネハの瞳と視線がかち合う。
「ノア、もう怒ってねぇの?」
「うん……怒ってない。ごめんね、そもそもコネハはなにも悪くないのに、僕が過剰に反応しちゃっただけなんだ。本当にごめん。許してくれる?」
「ん。いい。俺も焦ってヤなこと言ったかもしれねぇし」
 目元を緩める弟の表情に、胸がきゅうと甘く痺れた。帽子越しに撫でるその大きな手はいつも通りなのに、なぜかそこから熱が広がっていく。久しぶりにまともに会話ができたからだろうか。不安だった気持ちが払拭された代わりに、ノアの気持ちが浮ついているのかもしれない。だがそれだけともどこかが違い、心がじんわりと甘く痺れる。
「でも本当に、人間は脆いんだよ。僕はコネハを殺人犯に――罪人にしたくない」
「俺のため?」
「当たり前でしょ。そうじゃなきゃ、僕は治癒するつもりはなかったよ」
 あの時。酔客に絡まれ助けられた時、コネハを守るために治癒力を使ったのだ。それなのに弟にはそれは何一つ伝わってなかったらしい。目を見開き、それから嬉しそうに微笑まれる。
「な、ノア。じゃあ今まで通りでいてくれるか?」
 細められる男の瞳が、蕩けるように感じられるのはなぜだろうか。
 家から零れる灯りに照らされるコネハが、いつもよりも恰好よく見える。見慣れたはずの美しい弟が、更に輝いて見える理由が分からない。ノアの頬に熱が集まり、赤くなる。
「なんか……僕、へん、かも」
 やけに顔だけ熱っぽく感じて、ノアは自分の頬を両手で挟んだ。
 それを、褐色の大きな手のひらがさらに包み込む。
「ん? ……そっか?」
 そしてそのまま、今までそうだったように顔を寄せ、額同士を付き合わせられた。
 吐息がかかるその距離は、兄弟として当たり前だったはずなのに。
「……っ、コネハ、ち、近いから……っ」
 ぐいぐいと胸を押してくるノアに、コネハは不思議そうに首を傾げた。今までとなんら変わらない距離感なのに、なぜかノアは顔を赤くして、照れたようにうつむく。
「いやか?」
「い、嫌じゃない、けど」
「じゃあいいだろ。ほら、帰ろうぜ。俺も久しぶりにベッドで寝たい」
 手をとられて、まるで何てことないように言われてぎょっとした。
「え、ちょ、コネハ? きみ、今までどこにいたの?」
 この一か月、ノアは少なくとも暖かい部屋で過ごしていた。以前ここに来るなと揉めてから、コネハは正直、村に帰ったと思っていたのに。
 蒼白になるノアを前に、コネハは対して気にしない様子でカラリと告げる。
「ん? 近くの森とか? あと、最近はあの一番でかい建物の屋根の上とかかな。ノアがよく見えたし、いざとなったらすぐ駆けつけられるし」
 指さすコネハの先にあるのは、この国の王族の暮す宮殿だった。まさかその屋根にコネハがいたなんて思いもしなかったし、恐らくそこで働く人間も思わないだろう。
「一回そこで人間のおっさんに見つかっちまったんだけどな。話し相手になるなら黙っとくっつーからさ。話はつまんなかったけど飯もこっそり出してくれたし、居心地は存外悪くなかったぜ」
 あっけらかんと言うコネハに、ノアはもうどこから注意したらいいのか分からない。だけどそんな自分に無頓着なところもコネハらしくて、思わず噴き出してしまった。
「ふ、ふふ、ふふふっ。まさか、あ、そんなところで人が寝てるなんて誰も思わなかっただろうね」
「だなあ? ま、他のやつらにはバレてなかったみたいだし、万事問題なし」
 問題しかないというのに、些末なことのように話すコネハがおかしくて。ノアはコネハの腕にしがみつき、久しぶりに心の底から笑うことができた。
 そんなノアにコネハは不思議そうな顔をしていたが、嬉しそうな兄の姿につられて、二人で笑いながら帰路に就いたのだった。
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