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朝食を用意しましょう
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翌日。
気持ちの良い朝だった。
普段より早い時間からぐっすりと寝て、いつもの習慣で夜明けと共に目が覚めた。今までは執務代行に忙しく、基本的に日付が変わってからしか眠ることができなかったのだ。
こんなにゆっくり睡眠をとれたのは、母が亡くなって以来初めてかもしれない。領主代行補佐と領主代行を一人で行うのは流石に時間がたりず、睡眠時間を削るしか方法がなかったのだ。
手伝ってくれる人がいなかった、つまり私に人望がなかったと言われればそれまでだが。
兄は大丈夫だろうか。
窓から見える青空、その向こうで元気に過ごしているだろう兄をつい心配してしまうが、これは私の悪い癖だろう。
いま私はもう貴族の娘ではなく、平民の、商人の嫁なのだ。
実家の事は兄に任せて、私はこの家を盛り立てるために努力していく。
昇る朝日を眺めながら、決意を新たにした。
「おはようございます!!!! 旦那様!!!!!! 朝食の用意はいかがしましょうか!!!!!」
「うわああああああ!!!!!! な、なんだっ! なんだなんだ!?」
私のイメージでは、そっと旦那様の耳元で囁いたつもりだった。
だけどまだ音量調節がへたくそらしく、随分な声量で叫んでしまっていたらしい。
気持ちよく寝ていたロアは一瞬で飛び起きて、周囲をきょろきょろと見渡している。
驚かせてしまって大変申し訳ない。
「私です。あなたの妻となったアラーラです。朝食の用意をしてもよろしいですか」
努めて小声を出して、それでようやく人並みの声量になった事にホッとした。
耳を抑えていたロアも、おずおずと手を離してくれた。
「あ、アラーラきみか。驚かせないでくれ。しかもまだこんな時間じゃないか。早すぎる」
すっかり皆起きる時間だと勘違いしていたが、この家の人たちにとっては早朝だったらしい。それは申し訳ない。
「朝食が欲しいのかい? すまないが用意はまだできていない。貴族の娘だからってわがままは――」
「いえ、私が皆さんの分をご用意しようかと思っています。許可をいただけますか?」
まさか私が寝ている夫を叩き起こし、朝食を要求する厚かましい女だと思われていたのだろうか。心外だ。
「か、構わないが……貴族は自分で食事の用意などできないだろう? 見栄を張らずに数時間待っていてくれれば、母が用意してくれる」
「いえ、問題ありません」
許可はもらえた。私はさっさと夫の部屋を後にすると、昨日見かけた小さな厨房へと足を運んだ。
「小麦粉に、卵、ふくらし水もあるわね。パンを作りましょう」
棚の中には固くなったパンがある。だが家族が起きてくるまで数時間あればパンの一つも焼けるだろう。せっかくならば焼きたてのパンを食べたい。
何より私が食べたいのだ。
もしかしたらと勝手口の外には、宅配された牛乳が置いてあったのはラッキーだ。
それを小さな容器に移してひたすらに振る。
振る。
振りまくる。
一心不乱に振れば手軽なバターが完成するのだ。
小麦粉に牛乳と砂糖とふくらし液を入れてこね、それから滑らかになった生地にバターを混ぜてさらにこねた。
これは実家にいた時に何度か練習したものだから、問題はない。
つるりとした生地になった所で濡れ布巾をかけて、しばし放置する。
「……ふっくら温まれ」
そう祈ると、ほんのわずかに生地に温度が宿る。
私がこれに気が付いたのは、皮肉にも母が亡くなってからだった。
言葉に不思議な力が宿る母の血を引いたせいか、私の祈りにもまた、不思議な力が宿っていた。それを魔女と呼ぶのだと知ったのは、母の遺した日記を読んでからだったが。
日記によれば母は古い魔女という種族の血を引いていて、貴族ながらもそういった不思議な力があったらしい。私の言葉を封じてしまった事を悔いていて、さほど気にしていなかった私にはかえって病床の母を気に病ませてしまった気がして申し訳なかった。
そんな訳で、どうやら私の言葉にも小さな呪い――もとい力があるらしい。
といってもこのように、ほんのわずかに温めるとか、ほんの少し冷やすとか、そんな些末な事しかできないのだ。
「それと、ベーコンも焼こうかしらね」
卵にベーコン。実家では朝食の定番だったがこの家ではどうだろうか。
贅沢すぎると怒られた時には、結婚初日の祝い膳だと言い張らせてもらおう。
容器に残ったバターをこそいで、温めたフライパンに入れた。そこに薄切りにしたベーコンを入れると、ジュウという軽快な音と香ばしい匂いが立ち上る。
そうして人数分焼きあがった頃には、パン生地もふっくらと膨らんでいた。魔女の力は大変便利だ。通常ならば一時間かかる発酵が、ものの五分程度で終わるのだから。
その生地を切り分けて丸める。そして「温まって」と祈るとふわっと生地が膨らんだ。それを温めたオーブンに入れている間に、卵を焼く。
あっという間に丸パンとベーコンエッグの出来上がりだ。
予想以上に早くできてしまって、再びロアを起こしていいものか、ほんのわずかに考えてしまった。
だが私は既におなかがすいている。
これは味見なのだと自分に言い訳をして、焼きたてのパンをちぎって口に入れた。
「おいしーーーー!!!!!!!!!」
私はつい叫んでしまって、それから慌てて口元を抑えてしまった。
まだまだ声の音量調節がうまくいかない。
寝ている家族を起こしていけないと思ったのだが後の祭りだったらしい。
「何の騒ぎだ!?」
「泥棒か!?」
夫と義父、そしてその後ろから義母が慌てた様子で厨房に入ってきてしまった。
私の声で起こしてしまい、大変気まずい。
だがこの美味しい朝食でどうにか名誉挽回できないものだろうか。
私はパンを差し出した。
「おはようございます!!!!!!!」
「おまえか!」
朝から元気な夫はそう叫ぶと、なぜか両肩をガクリと落としたのだった。
気持ちの良い朝だった。
普段より早い時間からぐっすりと寝て、いつもの習慣で夜明けと共に目が覚めた。今までは執務代行に忙しく、基本的に日付が変わってからしか眠ることができなかったのだ。
こんなにゆっくり睡眠をとれたのは、母が亡くなって以来初めてかもしれない。領主代行補佐と領主代行を一人で行うのは流石に時間がたりず、睡眠時間を削るしか方法がなかったのだ。
手伝ってくれる人がいなかった、つまり私に人望がなかったと言われればそれまでだが。
兄は大丈夫だろうか。
窓から見える青空、その向こうで元気に過ごしているだろう兄をつい心配してしまうが、これは私の悪い癖だろう。
いま私はもう貴族の娘ではなく、平民の、商人の嫁なのだ。
実家の事は兄に任せて、私はこの家を盛り立てるために努力していく。
昇る朝日を眺めながら、決意を新たにした。
「おはようございます!!!! 旦那様!!!!!! 朝食の用意はいかがしましょうか!!!!!」
「うわああああああ!!!!!! な、なんだっ! なんだなんだ!?」
私のイメージでは、そっと旦那様の耳元で囁いたつもりだった。
だけどまだ音量調節がへたくそらしく、随分な声量で叫んでしまっていたらしい。
気持ちよく寝ていたロアは一瞬で飛び起きて、周囲をきょろきょろと見渡している。
驚かせてしまって大変申し訳ない。
「私です。あなたの妻となったアラーラです。朝食の用意をしてもよろしいですか」
努めて小声を出して、それでようやく人並みの声量になった事にホッとした。
耳を抑えていたロアも、おずおずと手を離してくれた。
「あ、アラーラきみか。驚かせないでくれ。しかもまだこんな時間じゃないか。早すぎる」
すっかり皆起きる時間だと勘違いしていたが、この家の人たちにとっては早朝だったらしい。それは申し訳ない。
「朝食が欲しいのかい? すまないが用意はまだできていない。貴族の娘だからってわがままは――」
「いえ、私が皆さんの分をご用意しようかと思っています。許可をいただけますか?」
まさか私が寝ている夫を叩き起こし、朝食を要求する厚かましい女だと思われていたのだろうか。心外だ。
「か、構わないが……貴族は自分で食事の用意などできないだろう? 見栄を張らずに数時間待っていてくれれば、母が用意してくれる」
「いえ、問題ありません」
許可はもらえた。私はさっさと夫の部屋を後にすると、昨日見かけた小さな厨房へと足を運んだ。
「小麦粉に、卵、ふくらし水もあるわね。パンを作りましょう」
棚の中には固くなったパンがある。だが家族が起きてくるまで数時間あればパンの一つも焼けるだろう。せっかくならば焼きたてのパンを食べたい。
何より私が食べたいのだ。
もしかしたらと勝手口の外には、宅配された牛乳が置いてあったのはラッキーだ。
それを小さな容器に移してひたすらに振る。
振る。
振りまくる。
一心不乱に振れば手軽なバターが完成するのだ。
小麦粉に牛乳と砂糖とふくらし液を入れてこね、それから滑らかになった生地にバターを混ぜてさらにこねた。
これは実家にいた時に何度か練習したものだから、問題はない。
つるりとした生地になった所で濡れ布巾をかけて、しばし放置する。
「……ふっくら温まれ」
そう祈ると、ほんのわずかに生地に温度が宿る。
私がこれに気が付いたのは、皮肉にも母が亡くなってからだった。
言葉に不思議な力が宿る母の血を引いたせいか、私の祈りにもまた、不思議な力が宿っていた。それを魔女と呼ぶのだと知ったのは、母の遺した日記を読んでからだったが。
日記によれば母は古い魔女という種族の血を引いていて、貴族ながらもそういった不思議な力があったらしい。私の言葉を封じてしまった事を悔いていて、さほど気にしていなかった私にはかえって病床の母を気に病ませてしまった気がして申し訳なかった。
そんな訳で、どうやら私の言葉にも小さな呪い――もとい力があるらしい。
といってもこのように、ほんのわずかに温めるとか、ほんの少し冷やすとか、そんな些末な事しかできないのだ。
「それと、ベーコンも焼こうかしらね」
卵にベーコン。実家では朝食の定番だったがこの家ではどうだろうか。
贅沢すぎると怒られた時には、結婚初日の祝い膳だと言い張らせてもらおう。
容器に残ったバターをこそいで、温めたフライパンに入れた。そこに薄切りにしたベーコンを入れると、ジュウという軽快な音と香ばしい匂いが立ち上る。
そうして人数分焼きあがった頃には、パン生地もふっくらと膨らんでいた。魔女の力は大変便利だ。通常ならば一時間かかる発酵が、ものの五分程度で終わるのだから。
その生地を切り分けて丸める。そして「温まって」と祈るとふわっと生地が膨らんだ。それを温めたオーブンに入れている間に、卵を焼く。
あっという間に丸パンとベーコンエッグの出来上がりだ。
予想以上に早くできてしまって、再びロアを起こしていいものか、ほんのわずかに考えてしまった。
だが私は既におなかがすいている。
これは味見なのだと自分に言い訳をして、焼きたてのパンをちぎって口に入れた。
「おいしーーーー!!!!!!!!!」
私はつい叫んでしまって、それから慌てて口元を抑えてしまった。
まだまだ声の音量調節がうまくいかない。
寝ている家族を起こしていけないと思ったのだが後の祭りだったらしい。
「何の騒ぎだ!?」
「泥棒か!?」
夫と義父、そしてその後ろから義母が慌てた様子で厨房に入ってきてしまった。
私の声で起こしてしまい、大変気まずい。
だがこの美味しい朝食でどうにか名誉挽回できないものだろうか。
私はパンを差し出した。
「おはようございます!!!!!!!」
「おまえか!」
朝から元気な夫はそう叫ぶと、なぜか両肩をガクリと落としたのだった。
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