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ファルロと戦の季節【3】
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日差しが厳しくなってきた頃、ダルリズ守護軍と元ルフランゼ王国人の混成軍は、西部一の都市ロワーリエに駐留していた。西部の隅々を陥落させた上で、引き返したのだ。十日程度、休息と補給をとった後は王都に引き返す。
夜半、ファルロとラズワートはロワーリエ城の一室で、これからについて話し合っていた。初めは机に広げた地図を確認しつつ、行軍の進路や各地に駐留させる人選について話していたが、辺境軍の話題に移っていった。
辺境軍はファルロの指示に完璧に応えているが、ラズワートを取り戻すことを諦めきれていなかった。
「まあ、イオリートが諦めていないせいだな。あれで頑固な奴だ。リュビク叔父も説得したらしいが、匙を投げたよ」
リュビク・ド・ヴァンルージュ子爵は、ラズワートの叔父でイオリートの父親だ。ラズワートが、故郷で最も頼りにしている人物である。今は、辺境軍の居残り組をまとめてアンジュール領を守っている。ファルロも一度だけ挨拶した。なかなか豪快な好漢である。
「貴方自身の決心はついていますよね?」
「当たり前だ。俺はここに来る前に、アンジュール家を出ると決めたし、イオリートに継がせるために必要な手続きと折衝は終わらせた」
迷いのない声と目の輝きだった。ファルロは密かに安堵する。
「では、王都に帰還する前に決着をつけましょう」
「お前もリュビク叔父も簡単に言うが……」
悩むラズワートに微笑みかけた。これまでのイオリートの言動を思い出す。事あるごとにラズワートを説得していたが、ファルロに危害を加えたり対立する事はなかった。
「彼も、頭の中ではすでに決まった事だと理解しているはずです。後は、貴方の説明と説得次第ですよ」
そこでファルロは気づいた。
「ラズワート、そもそもイオリート卿や周りに、彼を領主に指名する理由をちゃんと話してますか?」
「リュビク叔父たちは知っているし、周知されているはずだ。特に問題はな……」
「問題ありです。駄目ですよ。ラズワート」
ファルロは初めてラズワートを叱った。こういう所はまだ未熟で、周囲への甘えがあるなと呆れ半分嫉妬半分だ。
「人伝で聞かされるのと、直接語りかけられるのでは、天と地ほど差があります。明日、彼らの前で直接話しなさい。わかりましたね?」
◆◆◆◆◆
翌早朝。ファルロとラズワートは、騎竜に乗って辺境軍が駐留している場所に向かった。
数が多いので、都市郊外の平野に陣を張っている。ようやく朝日が出てきた頃なので、見張り兵以外は天幕の中だった。
だが、ラズワートが「大事な話がある。動ける者は顔を出してくれ」と告げた瞬間、次々と天幕から飛び出た。楽な行軍で重症者がいないとはいえ、一人残らず速やかに整列する。ラズワートがいかに慕われているかよくわかる。ファルロは口出ししそうになったが、騎竜の手綱を取って後ろに下がった。
(ラズワート自身が乗り越えるべきことだ。信じて見守るしかない)
ラズワートは朝日を背に受け、騎竜に乗ったまま話した。朝日を受けた背中は凛と眩しい。
「改めて告げる。俺はアンジュール家には戻らない。辺境軍を指揮することも、領主になることも二度とない」
元家臣たちから、なんとも言えない悲鳴やため息が溢れた。しかし、最も悲しそうなのはイオリートだった。整列から飛び出てラズワートの側に来た。
「ラズワート様、どうかお考え直し下さい。私もこの者たちも、再び貴方にお仕えする日を心待ちにしておりました。どうしてもお戻り頂けないのですか」
ファルロはラズワートの背中しか見えないが、竜上にある姿は少し揺れたようだった。しかし、揺れはすぐ収まった。全身から覇気が立ち上る。
「ああ、もう決まったことだ。皆、聞いてくれ!」
ラズワートの声が大地に響く。辺境軍の誰もが跪いて拝聴した。
「アンジュールは王家の楔から解き放たれた!各国との交易も始まる!遠征を強いられることも無くなる!新しいアンジュールには、語学と交渉力に長けたイオリートこそが領主に相応しい!」
「本気で仰っているのですか?私たちがこれまで耐えたのも、強くなれたのも、知恵を得たのも、貴方がいてこそだったというのに!」
淡い菫色の目が強く輝き、ラズワートを射抜く。
「ああ。それは俺の誇りだ。だがもう、俺は戻らない。俺もまた解き放たれたからだ」
恐らく、金混じりの青い目と淡い菫色の目が火花を散らした。時間にしてわずか数秒であったはずだが、永遠と錯覚する緊張が走る。
ラズワートが声を和らげた。
「すまない。俺はファルロと生きたいんだ。どうか我儘を許してくれないか?」
イオリートは深いため息をついた。次の瞬間、ファルロに鋭い眼差しを飛ばす。いや、イオリートだけでなく、辺境軍全員がだ。ファルロは視線の刃の束を真っ向から見返し、力強く頷いた。ラズワートの心、魂、意思を必ず大切にすると、無言で誓った。
伝わったのか、イオリートは視線をラズワートに戻し、ひざまずいた。
「かしこまりました。イオリート・ド・アンルージュ。アンジュール領領主および辺境軍総司令官として、この命をかけて務めさせて頂きます」
ラズワートは頷いた。イオリートは立ち上がり、寂しそうな笑みを浮かべた。
「そのかわり、時々でいいですから手紙を送ったり、顔を見せに来て下さいね。私たちは貴方が大好きなんですから」
ラズワートを纏う空気が変わる。喜びと一抹の寂しさが混じりあう。
「わかった。必ず手紙を送る。皆に会いにゆく。俺も皆が大好きだからな」
ラズワートは言い切って騎竜を反転させた。清々しい笑顔で、ファルロの側まで駆け寄る。ファルロは微笑み返し、騎竜の向きを変えて走り出した。
「では、戻りましょう」
今すぐ抱きしめて口付けたいが、辺境軍の目のある場所ですれば事だ。
だが、ラズワートは並走させて身を乗り出した。
掠めるような口付けをされたと認識した瞬間、辺境軍から悲鳴と怒号と、明らかにやけくそな前途を祝福する声が上がったのだった。
夜半、ファルロとラズワートはロワーリエ城の一室で、これからについて話し合っていた。初めは机に広げた地図を確認しつつ、行軍の進路や各地に駐留させる人選について話していたが、辺境軍の話題に移っていった。
辺境軍はファルロの指示に完璧に応えているが、ラズワートを取り戻すことを諦めきれていなかった。
「まあ、イオリートが諦めていないせいだな。あれで頑固な奴だ。リュビク叔父も説得したらしいが、匙を投げたよ」
リュビク・ド・ヴァンルージュ子爵は、ラズワートの叔父でイオリートの父親だ。ラズワートが、故郷で最も頼りにしている人物である。今は、辺境軍の居残り組をまとめてアンジュール領を守っている。ファルロも一度だけ挨拶した。なかなか豪快な好漢である。
「貴方自身の決心はついていますよね?」
「当たり前だ。俺はここに来る前に、アンジュール家を出ると決めたし、イオリートに継がせるために必要な手続きと折衝は終わらせた」
迷いのない声と目の輝きだった。ファルロは密かに安堵する。
「では、王都に帰還する前に決着をつけましょう」
「お前もリュビク叔父も簡単に言うが……」
悩むラズワートに微笑みかけた。これまでのイオリートの言動を思い出す。事あるごとにラズワートを説得していたが、ファルロに危害を加えたり対立する事はなかった。
「彼も、頭の中ではすでに決まった事だと理解しているはずです。後は、貴方の説明と説得次第ですよ」
そこでファルロは気づいた。
「ラズワート、そもそもイオリート卿や周りに、彼を領主に指名する理由をちゃんと話してますか?」
「リュビク叔父たちは知っているし、周知されているはずだ。特に問題はな……」
「問題ありです。駄目ですよ。ラズワート」
ファルロは初めてラズワートを叱った。こういう所はまだ未熟で、周囲への甘えがあるなと呆れ半分嫉妬半分だ。
「人伝で聞かされるのと、直接語りかけられるのでは、天と地ほど差があります。明日、彼らの前で直接話しなさい。わかりましたね?」
◆◆◆◆◆
翌早朝。ファルロとラズワートは、騎竜に乗って辺境軍が駐留している場所に向かった。
数が多いので、都市郊外の平野に陣を張っている。ようやく朝日が出てきた頃なので、見張り兵以外は天幕の中だった。
だが、ラズワートが「大事な話がある。動ける者は顔を出してくれ」と告げた瞬間、次々と天幕から飛び出た。楽な行軍で重症者がいないとはいえ、一人残らず速やかに整列する。ラズワートがいかに慕われているかよくわかる。ファルロは口出ししそうになったが、騎竜の手綱を取って後ろに下がった。
(ラズワート自身が乗り越えるべきことだ。信じて見守るしかない)
ラズワートは朝日を背に受け、騎竜に乗ったまま話した。朝日を受けた背中は凛と眩しい。
「改めて告げる。俺はアンジュール家には戻らない。辺境軍を指揮することも、領主になることも二度とない」
元家臣たちから、なんとも言えない悲鳴やため息が溢れた。しかし、最も悲しそうなのはイオリートだった。整列から飛び出てラズワートの側に来た。
「ラズワート様、どうかお考え直し下さい。私もこの者たちも、再び貴方にお仕えする日を心待ちにしておりました。どうしてもお戻り頂けないのですか」
ファルロはラズワートの背中しか見えないが、竜上にある姿は少し揺れたようだった。しかし、揺れはすぐ収まった。全身から覇気が立ち上る。
「ああ、もう決まったことだ。皆、聞いてくれ!」
ラズワートの声が大地に響く。辺境軍の誰もが跪いて拝聴した。
「アンジュールは王家の楔から解き放たれた!各国との交易も始まる!遠征を強いられることも無くなる!新しいアンジュールには、語学と交渉力に長けたイオリートこそが領主に相応しい!」
「本気で仰っているのですか?私たちがこれまで耐えたのも、強くなれたのも、知恵を得たのも、貴方がいてこそだったというのに!」
淡い菫色の目が強く輝き、ラズワートを射抜く。
「ああ。それは俺の誇りだ。だがもう、俺は戻らない。俺もまた解き放たれたからだ」
恐らく、金混じりの青い目と淡い菫色の目が火花を散らした。時間にしてわずか数秒であったはずだが、永遠と錯覚する緊張が走る。
ラズワートが声を和らげた。
「すまない。俺はファルロと生きたいんだ。どうか我儘を許してくれないか?」
イオリートは深いため息をついた。次の瞬間、ファルロに鋭い眼差しを飛ばす。いや、イオリートだけでなく、辺境軍全員がだ。ファルロは視線の刃の束を真っ向から見返し、力強く頷いた。ラズワートの心、魂、意思を必ず大切にすると、無言で誓った。
伝わったのか、イオリートは視線をラズワートに戻し、ひざまずいた。
「かしこまりました。イオリート・ド・アンルージュ。アンジュール領領主および辺境軍総司令官として、この命をかけて務めさせて頂きます」
ラズワートは頷いた。イオリートは立ち上がり、寂しそうな笑みを浮かべた。
「そのかわり、時々でいいですから手紙を送ったり、顔を見せに来て下さいね。私たちは貴方が大好きなんですから」
ラズワートを纏う空気が変わる。喜びと一抹の寂しさが混じりあう。
「わかった。必ず手紙を送る。皆に会いにゆく。俺も皆が大好きだからな」
ラズワートは言い切って騎竜を反転させた。清々しい笑顔で、ファルロの側まで駆け寄る。ファルロは微笑み返し、騎竜の向きを変えて走り出した。
「では、戻りましょう」
今すぐ抱きしめて口付けたいが、辺境軍の目のある場所ですれば事だ。
だが、ラズワートは並走させて身を乗り出した。
掠めるような口付けをされたと認識した瞬間、辺境軍から悲鳴と怒号と、明らかにやけくそな前途を祝福する声が上がったのだった。
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