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 王妃の間に急ぐ。
 陛下が帰ってくる前になんとか部屋に着いていたい。
 出来れば着替えも済ませておきたいので、走って戻る。
 陛下の様に抜け路を覚えようかと考えながら息を切らせて走る。
 部屋のドアを開けると、残念ながら陛下がいる。
 最高に不機嫌な顔で迎えられてしまった。

「遅かったな」
「はぁ、はぁ、へ、へいか……ご、ごめん、なさい」
「軍師の許可は取っておったみたいだが、儂は許可した覚えはない」
 いつもの様に長い脚を組んで長椅子の肘掛けに頬杖を作って凭れている。
「ちょっと……だけ、息を、ととのえ、はぁ、させて、はぁ、ください」
 心臓がバクバクと音を立てて、汗が滴り、はぁはぁと肩で息をする。
 全力で廊下を走ってしまった。後で侍女のヨアンナかレーナ辺りに叱られるんだろうな。
 陛下付きの侍女長のベテラン、フローラさんに見つかってしまったらお叱りでは済まないだろう。一応現行犯ではないので大丈夫だと思う。
 それよりも今は陛下だ。
 ずっと押し黙ったまま私をじっと見据えている。
 早く息を整えて、申し開きしなければ。
 少し息が整ってきてそろそろ喋れそうだ。
「陛下、黙って出てしまってごめんなさい」
 陛下が無言で長椅子の陛下の横の座面を人差し指の爪で突く。
 私は促されるまま、陛下の横に腰掛ける。
 とても心許ない。
 陛下は姿勢を崩さず一言だけ、「で?」と仰る。
「あの、本当は今日の夕食後にお渡ししたかったのですけど……」
 私はポケットから陛下への贈り物を出して、陛下の前に差し出した。
「……これを買いに出かけたかったのです」
 陛下が差し出された木箱をじっと見る。
「これは?」
「国王のベネディクト陛下には目録にあるものを差し上げたのですけど……、アナバス様に、私から個人的にお誕生日のお祝いをしたかったんです」
 陛下の不機嫌が少し緩和した。
「お誕生日おめでとうございます、アナバス様」
 アナバス様が生まれてきてくれた事に感謝する。
 そう思うと自然と笑顔になる。
「……儂の不機嫌の理由がわかるか?」
 陛下はぽそりと私に問う。
「それは……勝手に出てしまったから?」
「それもあるが、約束を反故にされたからだ」
 思い至った。確かに次城下に降りる時は陛下と一緒にという約束をしてた。
「本当だ! 約束しておりました! 申し訳ありません!」
 内緒にして驚かせる事ばかり考えて、約束を失念していた。
 これは完全に私が悪い。
「しかし姫は儂を驚かせる為に儂には黙っていたかったのだろう?」
「はい……」
「そういう事情であったなら、儂も許す事、吝かではない」
 なんとなく、嫌な予感がする。
 こういう言い方をする時の陛下は……
「……許して、下さるのですか?」
 恐る恐る聞いてみる。
「儂が手本で見せた頬へのキスを所望する」
 陛下がイジワルに薄く笑う。
 やっぱり、イジワルする気だった。
 でも明らかに私に非があるのだから、この位で許して下さる事は寛大なのかもしれない。
 約束を破ってしまった訳だし。
 私はやっぱり赤面しながらも、今回ばかりはぐっと覚悟を決めた。
「……わかりました。陛下がお望みになるのであれば」
 私は恥ずかしいのを堪えて陛下の頬へとゆっくり顔を近付ける。
 陛下の頬に唇が触れる。
 長く触れ続ける間、息もせず、唇も緊張で震えていた。
 息の続く限り触れ続けて、そっと唇を離した。
 陛下は満足げに笑って言う。
「これほど情熱的で長く続くキスを受けたのは初めてだ」
 その言葉に私は余計に赤く逆上せてしまった。
「そっ、そんな、情熱的だなんて、だって」
 ふわりと陛下が笑う。
「これを、開けても良いか?」
「は、はい、もちろんです」
 陛下は木箱をそっと開く。
 先程選んだ御守りを陛下が手に取る。
「それは、庶民の間で長らく贈られてる御守りだそうです。恋人や伴侶に航海や漁、闘いの無事を祈って渡すんだそうです。大体は帯や帯刀ベルトや鞘などにぶら下げている様ですよ」
「そういえばこれをつけている軍人をよく見かけるな」
「有事の際にはそれで身元などが判明する事も多いらしいです。
 国の見栄えに耐えられる様なものではないので、アナバス様として市井に出られる時にでもお供にして下さればと思います」
「石には意味があるのか?」
「はい。鷹眼石には守護の意味がありますし、紋章と同じ鷹なので。琥珀は癒しで、天河石は希望を意味するらしいです」
「……姫は愛を乞う様なものは贈らんのだな」
「そういうものは乞うものではないと思うので、私はあまり好みません」
「姫のそういった所、実に心地よい」
 陛下は繊細な方だから、多分人が自分に想いを乗せる事が重いのだと思う。
 私は陛下のそういう弱い所に何故だか気がついてしまう。
 だから避けられるだけで、普通はわからないものなんだろう。
 他の人達だってただ想いを乗せてるだけじゃないのだと思うんだけど……
「姫。……いや、レイティア。ありがとう。大切にする」
 今度は陛下のお顔が近づいてくる。
 陛下の唇が私の頬に触れる。
 やっぱり恥ずかしい。私はなすがままに永遠とも思える長いキスを受ける。
 陛下が唇を離す。
 私の顔は火照って真っ赤だろう。恥ずかしい。
 でもこれを渡す時にお話ししたいと思っていた事を思い出す。
「……あの、陛下?」
「なんだ?」
「今日、へリュ様との試合のお話を聞きました」
「古い話だな」
「……陛下?どうかお願いですから、もうそんな危ない事はしないで下さいね?」
「試合うなという事か?」
「……いいえ。死のうとしないで下さい」
 陛下は黙って私を見つめる。
「お相手が錬磨の剣士のへリュ様だったから御無事だったのですよ? それをお忘れなき様」
 陛下がイジワルに笑う。だけど、私は陛下を真っ直ぐ見つめる。
「……姫は実に小うるさい……その唇を塞いでしまうか」
 陛下のお顔再び近づく。
 今度は唇の進行方向が頬ではなくて、私の唇に向かってる。
「え? あの? 陛下? あれ?」
 私は今度こそ耳まで赤くなる。
 どんどん迫ってくる陛下になす術なくいると、本当に触れ合うギリギリで止まる。
「……冗談だ」
 陛下が囁く。
 私は長椅子の背もたれに凭れかかる。
「へ?」
 陛下がくつくつと笑い出す。
「どうせひと月後には姫は名実共に儂のものだ。それまでは猶予をやろう」
 陛下は私の様子を見てくつくつと笑い続けてた。

 ……次の日、へリュ様が強盗を捕まえてしまった。
 わかったってそういう意味だったのか……。
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