【架空戦記】蒲生の忠

糸冬

文字の大きさ
上 下
18 / 30

(十八)明智秀満の退き陣

しおりを挟む
 六月二十三日。

 沙沙貴神社に敷かれた明智秀満本陣において、使者が差し出した書状を供回りを経て受け取った秀満は中身を二度読み直してから、ふうと大きな息をついた。

「殿はなんと仰せで」
 妻木範賢が気づかわしげに問う。

「陣を払い、参陣せよとの御命令じゃ」

 あきらめの境地といった体の苦笑いを浮かべる秀満に、問いかけた範賢はなんとも声を掛けかねるといった表情を見せて黙り込む。

「やはり、そうなりますか」
 荒木行重が肩を落とした。
 その傍らでは、四王天政実も無念の表情を隠さない。

 光秀が柴田勝家勢と堅田の北あたりで対陣して、すでに五日を数えている。

 兵数でこそ明智勢が五割増しほど勝っているが、光秀は慎重だった。

 理屈はどうあれ謀叛を起こした以上は、今は味方についている者も、たとえ一度でも敗れれば光秀を見放す。

 人心をつなぎ止められるために敗戦の許されない立場であることを自覚し、無闇に攻勢を仕掛けるつもりはないのだろう。

「致し方あるまい。我らがここにいても安土城を攻め落としきれぬ以上、役に立たぬ遊軍であることは否定できぬからな」

 大手口にしろ百々橋口にしろ、結局は安土城の門の一つすら突破出来ず終いだった。

 もちろん、実質的に強襲をかけたのは最初から三日だけで、後は光秀の来着を待つだけの構えだったのは事実だが、思惑が外れたことは言い訳にはならない。

 それよりは、光秀の元に合流して、その馬前で武功を挙げてみせることがなによりの汚名返上であろう。秀満はそう考えていた。

「さりながら、ただ陣を払うとしても簡単には行きますまい。目端の利く蒲生忠三郎が、またぞろ追い打ちをかけてくるやも知れませぬでな」

「ふむ……」
 そこへ、新たな報せが飛び込んできた。

 ――信長の次男・三介に動きあり。

「これまで音無しの構えであったが、ここに来て何故」

 範賢が首を捻る。

 本来であれば敵襲来間近として身構えるところであるが、端から信意あらため信雄の采配などたいしたものではないと高をくくっていた。

 三介こと織田信雄は信長の死を受けて伊勢にて五千あまりの兵をかき集め、鈴鹿峠を越えて土山あたりまで進出していた。

 しかし、伊賀での不穏な風聞を受け、それ以上西進できぬまま進軍を止めていたのだ。

「柴田勢が湖西に向かったことを知ったのであろう。決戦場が安土城でないと知り、兵を進める気になったのであれば辻褄はあう」

 秀満は、情勢をそう読み取った。

 信雄の立場からすれば、配下の中核を信孝の四国遠征のために駆り出されて身動きが取れない状況にある。

 ただでさえ四国遠征にそなえて将のみならず兵すらかき集めて持って行かれたところに、さらに自らが出陣となっても、すぐ動かせる将兵がどこからか湧いて出てくる筈もない。

 誰が差配しても、兵数を揃えるには相応の時間が必要だったのは自明であり、出遅れをなじられるのは心外であろう。

「どうあれ、なおのこと我らは陣払いを急がねばならぬ。くだくだしく考えを巡らせている猶予はない。ただ兵を退き、瀬田の橋を渡るまでじゃ」

 秀満の宣言に、諸将も表情を引き締めて頷き合う。



 沙沙貴神社の明智勢の陣にあわただしい動きがみられはじめたのは、安土城の大手口から敵勢の様子を伺っている蒲生勢も即座に察知していた。

「さて、囲みを解くかな」

 自ら大手口近くの物見櫓に登った賦秀は期待を込めてつぶやく。

 ただ、秀満の率いる兵数がそのまま柴田勝家と対峙しているであろう光秀の元に向かうのを、指をくわえてみているつもりもなかった。

「佐和山攻めの線も、未だ捨てきれぬとみまするが」

 横山喜内は未だ分散されたままの味方のことを慮る。

「逆に、総攻めをしかけてくるかも知れませんな。ただで帰れるとは思っておらんでしょう」

 その場合はまた撃退してみせますが、とロルテスが腕を撫でさする。

「どう動くにしろ、我らは敵手の思惑を挫くまでよ」

 やがて、日が西に大きく傾き、刻限からみても敵に仕寄ってくる意図がないことは明らかとなった。

「やはり、明智勢は陣を払う模様にございますな。既に一部は夕闇に紛れて後退を始めている様子」

 結解十郎兵衛の見立てに賦秀も同意し、腰を上げた。

「よし、ならば追い打ちをかける。ここが手柄の挙げどころと心得よ」

「おう!」

 手勢が気勢をあげこそするが、五倍近い兵力差があることを考えれば、闇雲に追撃をかければ簡単に返り討ちにあいかねない。

 敵の動きは、蒲生勢を城外に誘い出すための罠である可能性も捨てきれない。

「間合いを計り、殿軍からついばんでくれる。逆撃を喰らっては元も子もないぞ」

 賦秀はそう自らに言い聞かせつつ、城の守りを父・賢秀と前田利勝に託し、己は手勢の先頭に立つべく装具を整える。

 最後まで陣の中にあった明智勢が動き出すのを見計らって、大手の武者門を開かせた。

 この時を待ちかねていた兵およそ八百が、幅の広い大手道から隊伍を組んで賦秀の後に続いて城外へと押し出す。

 特に武田信玄の遺臣で、期待を寄せられながらこれまで大手口の守りを任されていたこともあって鎗働きで武功を挙げられていない、内池備後守と外池孫左衛門の兄弟が特に勇み立っている。

「逸ってはならぬぞ!」

 賦秀が、戦場にあっていつもの自分の猪突を忘れて思わず声を掛ける。

 と、小雲雀の鞍上にあって今しも出陣しようとしていた賦秀の横に、一騎の騎馬武者が馬首を寄せてきた。

 蒲生譜代の臣・池田伝之丞だった。

「殿! 北畠様から使者が参っておりますぞ」

 前述のとおり、正確にはこの時点で、信長の後継たることを意識した信雄は、既に織田姓と名乗りを戻している。無論、池田伝之丞には知る由もない話である。

「かような時になんじゃ」

「はっ、これより手勢を率いて当城に向かうゆえ、出迎えの用意をされたし、とのことにございまするが……」

 伝之丞の言葉に気合を空回りさせられたような気分になり、いらだたしげに問うた賦秀の表情がすっと変わる。

「この切所に、なにを悠長な。使者に伝えよ。我らはこれより明智勢を追い慕う。共に参られるがよかろう、とな」

 腹立ちをおさえるかのごとく、賦秀は叩きつけるような語調で伝之丞に命じた。

「承知!」

 伝之丞はただちに馬首を巡らせる。

 賦秀はその後ろ姿にしばし視線を向けた後、顔を前に向けた。

 信雄勢が味方に加わってくれれば、敵の間合いを計りながらの追撃戦も、大胆に踏み込んで叩ける。それだけ戦果の拡大が期待できた。

 秀満勢を敗退させ、あわよくば首級をあげ、さらには瀬田を超えて光秀の背後を衝くことも夢ではなくなるかも知れないのだ。

(これぞ「三介様のなさりよう」、か。斯様なことも判らんのか)

 これまで信雄は兵を動かして明智勢と相まみえていなかったにもかかわらず、この期に及んで入城を求めてくるとは。

 失望感から、内心の呟きとはいえ、言葉遣いもぞんざいなものになる。

 もっとも、明智勢撤退の動きは今まさに目の前で起こったことであり、未だ戦況が変わったことは信雄には伝わっていない。

 その事実は賦秀も当然理解はしていたが、出陣の直前に水をさされたことでもあり、こまかく説明する気になれなかった。

 そして、敵を追い慕うべく気を取り直して小雲雀を走らせはじめた賦秀の中では、信雄は己の意図通りに追撃戦に参加するものと決めてかかり、その思いこみが事実として頭の中で定まってしまっていた。

 戦場の高揚感にのまれたが故の賦秀の一瞬の判断の誤りだったが、その代償は大きなものとなる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

劉禅が勝つ三国志

みらいつりびと
歴史・時代
中国の三国時代、炎興元年(263年)、蜀の第二代皇帝、劉禅は魏の大軍に首府成都を攻められ、降伏する。 蜀は滅亡し、劉禅は幽州の安楽県で安楽公に封じられる。 私は道を誤ったのだろうか、と後悔しながら、泰始七年(271年)、劉禅は六十五歳で生涯を終える。 ところが、劉禅は前世の記憶を持ったまま、再び劉禅として誕生する。 ときは建安十二年(207年)。 蜀による三国統一をめざし、劉禅のやり直し三国志が始まる。 第1部は劉禅が魏滅の戦略を立てるまでです。全8回。 第2部は劉禅が成都を落とすまでです。全12回。 第3部は劉禅が夏候淵軍に勝つまでです。全11回。 第4部は劉禅が曹操を倒し、新秩序を打ち立てるまで。全8回。第39話が全4部の最終回です。

明日の海

山本五十六の孫
歴史・時代
4月7日、天一号作戦の下、大和は坊ノ岬沖海戦を行う。多数の爆撃や魚雷が大和を襲う。そして、一発の爆弾が弾薬庫に被弾し、大和は乗組員と共に轟沈する、はずだった。しかし大和は2015年、戦後70年の世へとタイムスリップしてしまう。大和は現代の艦艇、航空機、そして日本国に翻弄される。そしてそんな中、中国が尖閣諸島への攻撃を行い、その動乱に艦長の江熊たちと共に大和も巻き込まれていく。 世界最大の戦艦と呼ばれた戦艦と、艦長江熊をはじめとした乗組員が現代と戦う、逆ジパング的なストーリー←これを言って良かったのか 主な登場人物 艦長 江熊 副長兼砲雷長 尾崎 船務長 須田 航海長 嶋田 機関長 池田

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

戦争はただ冷酷に

航空戦艦信濃
歴史・時代
 1900年代、日露戦争の英雄達によって帝国陸海軍の教育は大きな変革を遂げた。戦術だけでなく戦略的な視点で、すべては偉大なる皇国の為に、徹底的に敵を叩き潰すための教育が行われた。その為なら、武士道を捨てることだって厭わない…  1931年、満州の荒野からこの教育の成果が世界に示される。

第二艦隊転進ス       進路目標ハ未来

みにみ
歴史・時代
太平洋戦争末期 世界最大の46㎝という巨砲を 搭載する戦艦  大和を旗艦とする大日本帝国海軍第二艦隊 戦艦、榛名、伊勢、日向 空母天城、葛城、重巡利根、青葉、軽巡矢矧 駆逐艦涼月、冬月、花月、雪風、響、磯風、浜風、初霜、霞、朝霜、響は 日向灘沖を航行していた そこで米潜水艦の魚雷攻撃を受け 大和や葛城が被雷 伊藤長官はGFに無断で 作戦の中止を命令し、反転佐世保へと向かう 途中、米軍の新型兵器らしき爆弾を葛城が被弾したりなどもするが 無事に佐世保に到着 しかし、そこにあったのは……… ぜひ、伊藤長官率いる第一遊撃艦隊の進む道をご覧ください どうか感想ください…心が折れそう どんな感想でも114514!!! 批判でも結構だぜ!見られてるって確信できるだけで モチベーション上がるから!

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

処理中です...