【架空戦記】蒲生の忠

糸冬

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(十二)佐和山城の陥落

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 六月八日。卯の刻。

 本来、丹羽長秀の居城である筈の佐和山城は、彼の元で捨て扶持を与えられ、四国遠征にも同道せずに留めおかれていた武田元明によって無血占領されていた。

 意外にもその大手門は、戦渦のただ中にあるにもかかわらず閉められていなかった。

 元明自身はさらなる武功と、その働きによって旧領の回復を目指して安土城を包囲する明智秀満の元に手勢を率いて馳せ参じている。

 若狭守護の嫡流でありながら信長からは長らく冷遇されていただけに、元明が動かせる兵は言うまでもなくごく限られている。

 従って占拠された佐和山城の守備についているのは、長秀配下ながら行くあてもなく降伏した者であったり、信長横死の混乱の中にあってなし崩し的に元明の配下に収まった者ばかりである。

 どうみても精強にはほど遠い、その場限りの雑兵に過ぎなかった。

 さらに、元明は兵を集める旨の触れを近隣の集落に伝えており、結果として戦さ働きを求めた浪人者が三々五々、仕官を求めて姿をみせる。

 もちろん、最初のうちは大手門脇の通用門から、一人ずつ吟味の上で城内に入れていた。

 しかし翌朝、夜明けを待ちかねるようにして大手門前に現れた数名の牢人のうちの一人が、「御味方つかまつるために馳せ参じた者が、なぜこそこそ通用門を通らねばならぬのだ。堂々と大手門から入城させよ」などと難癖をつけてわめき出した。

 質の悪い番卒らは、面倒ごとに関わるのを嫌い、しぶしぶ大手門を開いた。

 不用心極まりないが、安土城以外の近江国の城は既にほぼ明智勢の手中に落ちた、との情報は彼らの元にも届いており、早々逆襲が行われるはずがないと安心しきっていた。

 そこへ、甲冑に身を固めた数騎の騎馬武者が、まっしぐらに大手門へと向かってくる。

 城門付近にたむろしていた元明勢の雑兵は、気負い立って仕官を求めてきた浪人か、それとも自分たちの大将たる元明が寄越した使者か、とっさに判断がつきかねた。

「おおーい、ただならぬ様子じゃが、何事じゃ」
 番兵は、騎馬武者たちの行く手を阻むように両手を大きく広げて呼びかけた。

 だが次の瞬間、先頭を走る騎馬武者が返事の代わりに繰り出した手鑓が、正確に番兵の喉をぶち抜いた。

「てっ、敵かっ」

 その時になってようやく佐和山の番兵達は騎馬武者の正体に気づくが、もう遅い。

 武具を構える間もなく、慌てて集まってきた元明勢の雑兵が次々に蹴散らされていく。

 元明勢はそのまま城門を閉めることも出来ぬまま、騎馬武者の城内への侵入を許す。

「てっ、敵じゃあ!」
 手傷を負って城内に逃げ込んできた兵の一人が、悲鳴そのものの声をあげて仲間の助けを呼ぶ。

 守備の構えに油断があったとはいえ、そこは戦場にほど近い城のこと。早朝と言えど、いつまでも寝こけてはいない。

 血気に逸った徒武者や雑兵が城内から続々と、文字通りのおっとり刀で駆けつけてくる。

「なんじゃ、この程度の数で城が奪えるとでも思うたか?」

 彼らは、攻めてきた敵がわずか数騎であることに拍子抜けしつつ、鎗の穂先を揃えて制圧にかかる。

 しかし、鯰尾の兜をきらめかせ、鋭い鎗捌きをみせる騎馬武者を中心とした一隊は、寡勢にもかかわらずひるむ様子もみせない。

 城門を閉じて包囲することも、城外に押し返すことも出来ずに手間取っているうちに、三人、五人と新たな騎馬武者、徒武者や雑兵どもが加勢に加わってくる。

 気がつけば、城内の守備兵を上まわるほどの数が押し寄せてきていた。

 ただでさえ、敵がどれほどの数か判らぬうちに戦いがはじまっていたのだ。

 守る側にすれば、まるで無限に敵が増えていくように感じられたのも無理はない。

 そうなると士気が挫けるのも早い。

 元々、守備兵とはいうものの、元明に準じて城を死守するまで戦い抜く覚悟など持ってない者ばかりである。

 かなわじ、とみて武器を捨てて降参するものが相次いだ。

 わずか半刻足らずの交戦で、佐和山城は再び織田方の支配するところとなった。

 もちろん、城攻めに先立って騒動を起こし、門を開け放しになるように仕向けたのが、賦秀の命で潜り込んだ団七とその配下の甲賀忍びであったことは言うまでもない。



「ここまでは想定できた」

 鎗の穂先にこびりついた血糊を自ら井戸水で洗い落としつつ、賦秀はさほど疲労した様子もみせずに呟く。

 佐和山城は、本来は丹羽長秀の居城である。

 長秀の妻子が人質に取られている可能性が懸念されたため、配下に城内を捜索させたが、それらしき人物は見つからなかったという。

 いち早く逃げ出していたのであれば良いが、捕らえらえて明智方に引き渡されている可能性もある。

 賦秀はしばし、中野城にて今も自分の帰りを待っているであろう冬姫のことを思った。

(中野城に明智勢が寄せてくれば、いちはやく城を焼き捨てて逃げるように伝えてはいる。しかし、うまく逃げ延びてくれるとは限らぬ……)

 未だ賦秀は、布施忠兵衛が中野城の接収に乗り出し、拒絶にあった事を知らない。

 実父・信長の死におおいに落胆していたとはいえ、生来気丈な妻である。

 後事を託した家老の稲田数馬助と力を合わせ、危難が迫ればうまく切り抜けてくれるものと信じたかった。

(万が一、人質とされて安土の開城などを求められたら、儂は妻を見捨てることが出来るだろうか……)

「いやいや、若旦那は幾つになっても無茶をする」

 陽気な声が、賦秀の思案を破る。

 南蛮胴を身につけ、左腕に丸い木製の盾、右手には細身の西洋剣を手にした異装の出で立ちで、ロルテスがげらげらと笑っている。

 さも気楽な一戦だったと言いたげであるが、彼の盾はずたずたに切り裂かれてささくれだっている。

 賦秀は実戦でロルテスの剣技が用いられるところを、今回初めて目の当たりにすることになった。

「そちらのほうがよほど無茶ではないか。異国人は妙な戦い方をするものだ」
 賦秀の呆れ声に、ロルテスは一層笑みを深くする。

「ソレガシに言わせれば、盾を用いないで戦う日本のサムライのほうが無茶だよ」

 見た目だけだとさぞ苦戦したかのようにみえるが、ロルテスに言わせるとこれはこれで想定内だという。

 彼の持つ盾は、固さの違う様々な種類の木材を組み合わせて造られている。

 あえて斬撃を受け、刃を盾に食い込ませて抜けなくさせた上で、おもむろに相手を突き倒すためのものだそうだ。

「そう上手く行くものなのか」

「間だよ、若旦那。間が大事なんだ」

 西洋剣の鋭い突きを宙空に二度、三度と放ってロルテスは笑う。

 彼の言う間とは、間合いや拍子と言った意味合いになるのであろう。

 武者の介者剣法が羅馬式の兵法に劣るとは賦秀も思わないが、初見でその技を見切れるほどの使い手はそういないと思われた。

 ロルテスは大筒や油や火を用いた武具で安土城防衛で気を吐いたが、それらを扱う兵は依然として守りの要であるため、賦秀率いる遊軍とは行動を共にしていない。

 鉄砲隊を率いる永原孫左衛門はもちろんのこと、譜代の岡部玄蕃や河北有宗といった将が南蛮流の兵法で守りにつく中、ロルテスはたっての願いで賦秀に同陣を許されていた。

 我が事ながら、それが懸命な判断だったとは賦秀も思っていない。

 しかし、ロルテスの剣技のほどを己の目で確かめたいとこの好奇心を抑えきれなかったのだ。

 もちろん、ロルテスの技量は賦秀を十分に満足させるものだった。

「で、並の武将なら城一つで満足するところ、若旦那はさらに次を目指すわけですな。いや、人使いの荒いことで」

 ロルテスは肩をすくめておどけてみせる。

 賦秀は、岡左内に安土から連れてきた兵の一部を預けて佐和山城の城将として残し、降伏した兵は自らの隷下に加えた。

 その上で、配下に対しては一挙に長浜城を衝くことを宣言した。

「このような堅城をいただけるとはありがたいこと」

 城を任された岡左内は呵々と大笑する。

 小勢で城に残されることを懸念している様子も、長浜城攻めにおいて武功を挙げる機会が失われることを悔しがる様子も、どちらもまったく伺えない。

「言うまでもないが、この城は丹羽殿の城であるから、お主にはやれぬぞ。一時お預かりするだけじゃぞ」

 左内の冗談とは知りつつも、少し不安を覚えた賦秀が念を押す。

「無論、承知しておりまする。しかし、若殿の立身の証には、それがしも城の一つや二つは頂戴したいものにござる」

 相変わらず、本気とも冗談ともつかぬ表情で左内が応じる。

 そのやりとりに、赤座隼人以下の猛者連が一斉に好意的な笑い声をあげた。

 しばし苦笑していた賦秀も、表情を引き締めてあらためて配下の顔を見回す。

「まったく心強きことじゃ。さて、羅久呂右衛門が申したとおり、次は長浜城である。武運つたなく安土を明け渡すことととなろうとも、次は佐和山、長浜の二城をもって、明智勢の東進を食い止める。これが我らの使命である」

 新たなに蒲生勢となった兵は、ろくに休みを与えず城攻めに駆り出されることに驚きを隠せないが、降参した以上は否はなかった。

 辰の刻を前に、朝の食事もそこそこに賦秀は手勢一千を率いて大手門より討って出た。
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