【架空戦記】蒲生の忠

糸冬

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(五)前田利勝の気概

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 賦秀がロルテスと共に二ノ丸の蒲生屋敷に戻ってくると、頬を紅潮させて駆け寄ってくる若武者がいた。

「此度の素早き参陣、さすがは蒲生忠三郎殿にござる」

 北陸にあって柴田勝家の右腕として働く前田利家の嫡男・前田利勝である。

 彼は奇しくも、妻を連れて京に向かう最中、瀬田で本能寺における変事を知り、安土城に逃げ込んできていた。

 悲運であったのは、折悪しく利勝は妻を連れてわずかな供回りだけで上洛をしようとしていたところだった。

 まともに戦える手勢がほとんどおらず、賦秀と違って兵を率いて戦える状況になかった。

 なお利勝の妻・永姫は、賦秀とおなじく信長の娘である。

 つまり利勝は賦秀と相婿の間柄となる。

 ただし二人の父、すなわち利家と賢秀とでは、織田家中における序列には大きな差がある。

 賦秀のほうが辞を低くすべき立場であるが、利勝はそんなことに頓着しない様子だった。

「多少は地の利を得ておりますれば」
 まだ何をなしたわけでもない。言葉を選びつつ賦秀は応じた。

「それがしも気の利きたる手勢があれば、いくらか役には立てるものを」
 利勝はそう言って悔しがる。

 もっとも、彼の見かけは鎗の又左と異名を取る父に比べると、いささか線の細さを感じさせる。

(又左殿の嫡男をここで死なせる訳にはいかんな……)

 しばし利勝の顔をみて思いうかんだその考えを気取られぬよう、賦秀は話題を変えた。

「して、孫四郎殿は向後いかがなさるおつもりにござろうや」
 賦秀の問いに、利勝は辛そうな表情を見せる。

「我が妻は尾張荒子の我が故郷へと落とすつもりではあったが、もはやそれも望めぬこと。かくなる上は忠三郎殿の元、一人の武者として戦う覚悟にござる」

「しかし、それでは……」

「なんの。我が手元には最早兵はおらぬゆえ、気になされますな。そうじゃ、我が父の屋敷を存分に使ってくだされませぬか。なにかある都度、二ノ丸までのぼっておったのでは、大手口での動きに対処できぬやも知れませぬでな」

 利勝が言う屋敷とは、大手道入ってすぐ右にある前田利家屋敷のことだ。

 斜面を切り開いて敷地を確保して建てられた屋敷は、周囲を石垣と築地塀に囲まれた小さな曲輪としての体裁を整え、防御施設として機能するつくりとなっている。

「それはありがたきこと。こちらの屋敷はいささか手狭であるうえ、明智勢は大手を破るべく兵を進めてくると思われますゆえ、今少しさがった位置に腰を据えたいと思うておりました」

 遠慮無く利勝の申し出を受けることにした賦秀は、さっそく前田屋敷の広間に主立った家臣を集めて策を練ることに決めた。

 二ノ丸番衆の中には不満げな表情を見せるものもいるが、籠城となれば賦秀率いる一千の兵が頼りであるため、表だって文句を付ける者はいない。

 加えて、前田利勝が賦秀に協力する姿勢を見せ、賦秀主導の軍議に出席していることが大きい。

 利勝の他にも、血気盛んな他家の者が数名顔を出しているが、やはり中心となる顔ぶれは蒲生家である。

 蒲生家の家臣には大きく分けて一門および譜代の臣、六角家の旧臣で、六角家没落後に蒲生家を頼った者、そしてそれ以降の賦秀の働きぶりを見定めて仕官を求めて来た者などがいる。

 賦秀が安土城まで引きつれてきた者の中で、譜代および一門で主立った者は、賦秀の乳兄弟・町野幸仍、賦秀の妹を娶り義兄弟の間柄となる小倉行春、他に上野田主計助や儀俄忠兵衛など。

 一方、六角家旧臣あがりでは横山喜内、赤座隼人、岡左内といった音に聞こえた猛者が揃っている。

 ロルテスも、部屋の隅にちゃっかり座っている。

「この城は敵兵を防ぐための縄張りではないとの話、皆も耳にしたことはあろう。そのような城にて、我らは如何にして守るべきか。存念ある者は申すがよい」
 上座に腰を据えた賦秀は、一同を見渡しながら問う。

 だが、さすがに決死の籠城を前にしては、誰しも口が重い。

「大手から本丸までまっすぐに大手道が伸びる城など前代未聞にござりまする。しかも大手には門が四つ。門の一つでも破られれれば、あとは黒金門まで一気呵成。防ぐ術はございますまい」

 ようやく結解十郎兵衛が、渋い表情を見せながら口を開いた。
 賦秀の初陣から付き従う古強者であり、気心も知れている。
 このような場では、今回のように口火を切ることが多い。

 その傍らには嫡子・結解十郎左衛門が緊張の面持ちで父親の発言を見守っている。

「されど、大手門の造りにしろ、外堀の水濠にしろ、口さがなき噂話に聞くほど脆くはないものと見てござりまする。使いようによっては戦えましょう」

 一方、六角家旧臣ながら十郎兵衛同様に賦秀の守役として長らく戦陣にある種村伝左衛門は、異なる見解を示した。

「それがしもそう思いまする。仮に大手口を破られたとして、大手道の突き当たりに鉄砲を持たせた兵を三段にずらりと並べて撃ちすくめれば、進退に窮するものかと。あの石段、必ずしもひと息に駆け上れるものでもございますまい」

 岡左内が種村伝左衛門に同調し、「使いようによっては城としての機能を果たせるのではないか」と前向きな言葉を継いだ。

 その意気込みに、賦秀は頷いた。

「うむ。ものは考えようであろう。ただ、確かに左内の申す通りの手はあるとは申せ、やはり大手道を攻め上る敵兵を防ぐのは至難であろう」

 賦秀の言葉に岡左内はやや不満げな表情を見せる。

 その様子を視野にとどめ、賦秀は「話は最後まで聞け」とばかりに口の端に笑みを形作って言葉を継ぐ。

「されど、そもそも大手とはどの城でも最も守りの堅い場所じゃ。そこを破られれば、例え少しばかり二の丸、三の丸と凝った造りにしたところで、そうそう敵を防ぐことは出来ぬものではないか」

「それは、確かにそのようなことも多うござるな」
 結解十郎左衛門が頷いた。

 本来、城の縄張りにあっては大手から本丸に至るまで、大小様々な工夫を凝らすものだが、それが奏効して敵兵を押し返した事例はさほど多くはない。

 城方は、打ち負けた味方の兵を見捨てないつもりであれば敵が付け入りする危険を冒してでも門を開かねばならない。

 仮に見捨ててしまえば、城方は味方が全滅する光景を眼下にみてしまうことになり、守備兵の士気はたちまち瓦解してしまう。

「畢竟、大手が破られるか否かだけを考えれば、たとえ敵兵が五倍や十倍いても、それなりの戦さは出来よう」
 それが賦秀の持論だった。

 自信ありげな賦秀の物言いに、不安げな顔を見合わせていた家臣達の表情にも精気が宿る。

 とはいえ、賦秀自身もこれほどの一方的な籠城戦を采配するのは初めての経験である。

 机上の空論であるかどうかは、これからの配下の働きにかかっていることは言うまでもなかった。

(例え籠城であっても受け身にたってはならん。ありとあらゆる手で、こちらが主導権を握らねば)

「城下に触れをだせ。武具や鉄砲、米でも材木や縄でも、戦さに役に立つものならばなんでも買い上げるとな。逃げるあての無い者は城内に入ることも許せ。町人は北曲輪に集めるが、戦さを手伝おうというものあれば働き次第で士分に取り立てるとも伝えよ」

「それは面白き戦さができそうですな」
 赤座隼人が不敵な笑みを浮かべた。

 賦秀は遺憾ながら、城下の町を囲む惣濠での防衛はあきらめていた。

 できることは、町人が明智方を利することのないよう、あらかじめ資材も人材も町から消してしまうことだけだ。

 無論、焼き払うことなどできない。すべて城内に運び入れてしまうのだ。

 織田方の強みは、なんといっても安土城に蓄えられた豊富な金、兵糧、武具類である。

 鉄砲などは雑兵全員にもたせても余るほどの量が確保できる。

 城下からの資材もかき集めれば、さらに潤沢となるだろう。その為なら、不要不急の金銭など派手にばらまいても惜しくはなかった。

 具体的にどのような手だてをもって城の守りを固めることができるか、賦秀の自信ありげな態度に引っ張られるように様々な意見が出はじめる。

 蒲生家の身代では思いも寄らない規模の金と資材を自由に使えるとあって、景気の良い案が次々と飛び出した。

「しかし、どれくらいの日数を稼げば後ろ巻きがあると若殿はお考えか。援軍なくば、いつまでも持ちこたえることは出来ぬと存ずるが」
 籠城の案が盛り上がる中、小倉行春が固い表情で問うた。

 賦秀の妹を妻としている一門衆ながら、日頃は一家臣としての分を弁えて控えめな言動に終始している男だ。

 しかし、それだけに賦秀が一時の気負いだけで籠城策を取ることを懸念していた。

 高まった士気に水をさすような事を口にするのは簡単なことではない。

「確かに、ただ守っているだけでは早晩行き詰まることとなろう。よって、一つ策を講じる」
 行春の問いに対し、賦秀は意図的に意味をずらした答えを寄越した。

 彼の提案した策には賛否両論であったが、結局は賦秀が押し切る形になった。

 もちろん、籠城については周到に準備したうえで、十日も持ちこたえさえすればよい。

 そうなれば美濃や伊勢は言うに及ばず、越中にて上杉攻めの最中にある柴田勢や、関東の滝川勢も兵を返してくる可能性がある。
 従って、明智勢もそう長くは城を囲んではおれない筈である。

 楽観的と知りつつ、賦秀はそんな見通しを口にした。

「さて、マルタの騎士の戦さぶりをみせる時がきたな」
 末席では、賦秀と家臣団のやりとりを聞きながら、ロルテスが凄みのある笑みを浮かべて両手をこすりあわせていた。


 軍議が終わるや、ただちに賦秀の指揮の元、籠城の準備がはじめられた。

 混乱の続く城下に蒲生の武者達が派遣され、逃げ遅れた者について家財一切合切を抱えての入城を促し、さらに心ある者は兵や下人となって供に戦う旨の触れを出させた。

 ほとんどの者は聞く耳を持たなかったが、元より逃げ場のない者はこうなれば一連託生とばかりに百々橋口から安土城内へと入城していく。

 その一方、住人が逃げ出してもぬけの殻となった屋敷からは、金目のものは言うに及ばず、板材や縄の一本に至る雑品までもが、遠慮無く城内へと持ち運ばれた。

 また、信長の膝元とあって仕官の機会をうかがっていた浪人者も少なからずいた。

 ぽつぽつと二人、三人といった形で現れ、籠城に加わる者も出始めた。

 いずれにせよ城下の喧噪の中にあって、安土城の東に設けられた搦め手口から、騎馬武者に引きつれられた一団が出立したことに気づいたものはごく少数であった。
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