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(十八)前夜の真実
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六月二十六日夜。
軍評定のため、それぞれ割り当てられた付城に詰めていた諸将が、煌々と篝火が焚かれる八幡神社の本陣に集まった。
ただし南側の付城に入る浅野弥兵衛長吉は、本陣から離れていた位置にあり、万が一の淡河城からの夜討を警戒する形で持ち場を離れずに残っているため、この場には顔を見せていない。
「新三郎長範は丹生山から城内に戻っておるのは間違いないようじゃ、ただ、書状は確かに届いておるであるが、反応を一切寄越さぬでのう」
大将である羽柴秀長は、居並ぶ将を前に渋い表情をみせたt。
秀長が着陣後、間をおかずに淡河城の強襲を選択しなかった理由は幾つかある。
まず、秀長の手勢には先年に領地としたばかりの但馬国竹田城で徴募した兵が多い。
彼らはつい先月の五月上旬には丹波攻略中の明智光秀勢の支援として丹波国に討ち入れ、いくつかの城を攻略している。
さらに、その月のうちに南下して丹生山攻めを行ったばかりであり、連戦の疲れをいやす必要があった。
花熊城から丹生山を抜けて淡河城を経由する輸送路を断ち切ることが最優先目標と考えれば、既に達成したも同然である。
淡河城の攻略そのものはそこまで大至急の案件ではないともいえる。
また、城の包囲中の六月十三日、平井山の秀吉本陣の麓の農家にて、療養中だった竹中半兵衛重治が亡くなっているのも痛手であった。
秀吉の知恵袋と目された智将の死は秀長にとっても衝撃であり、積極的な軍事行動を鈍らせる一因となっていた。
だがそれ以上に、前述のとおり小寺孝高と相婿の間柄になる定範の弟、新三郎長範に、姉妹同士の書状のやり取りにこと寄せて、長範、ひいては定範の誘降を計っていたことが大きい。
(可能であれば、戦わずに降したい、そう思っておられたのであろうな)
則頼が、眉間に皺を寄せて思案する秀長の顔を伺いながら思う。
それは、偽らざる秀長の本音であっただろう。
しかし、その願いに反して長範からは一切の反応が返ってこなかった。
応諾の返事はむろんのこと、拒絶の書状すら一度としてなかったことからすれば、書状を一読すらしていない可能性も考えられた。
(官兵衛殿がおらぬのでは、今ひとつ説得の言葉にも重みがないか)
羽柴方にとってつくづく惜しまれるのが、前年の十月、当の孝高が摂津にて叛旗を翻した荒木村重の元に説得に赴いて以来、その場で監禁されたまま秀吉陣営に戻ってきていないことだ。
秀吉ら実際に言動に触れている者にしてみれば、荒木村重の元に寝返ったなどとは考えられないことではあった。
しかし、信長は激怒して人質となっている孝高の嫡男を殺すよう命じた。
その子供の命を密かに救っていたのが他ならぬ竹中重治であることは、後世よく知られている。
しかし現時点では、その経緯を知るものはごく一部に限られている。
荒木村重にしても小寺孝高が味方についた、との偽情報を記した密書ぐらいは別所方に送っている可能性はあった。
そうであれば、血縁を通じて淡河勢を降伏に導くとの策自体がひどく滑稽なものになってしまっているかも知れない。
「付城を築き、仕寄の構えを見せてかれこれ一月近くになり申す。これ以上は誘いをかけても、何も変わらぬかと。ならば、すぐにでも総攻めにかかるべきではありませぬか」
気負った様子の則氏が身を乗り出して大音声を発した。
鼻息の荒さを則頼は実父として頼もしく思いながらも、一面では危うさも感じる。
嫡子が織田勢の面子を潰さぬよう、言葉を選んで補足せばねばならなかった。
「ただし淡河弾正は、城の周囲には随分と細工を施しておる様子。搦め手から攻め寄せるのは無用の手負いを招きかねませぬな」
則頼は、あくまでも現状の分析という体裁で、城の守りに関する情報を付け加えた。
則頼の籠もる付城からは、距離が近いだけあって浦川に据えられたおびただしい逆茂木や竹柵の様子がよく見えていた。
川底に壺を幾つも沈めている作業も確認されていた。不用意に渡河を計れば、足を取られて川中で転倒する羽目になりかねない。
それとなく警戒を促す則頼の言葉に鼻白んだのは則氏よりもむしろ、杉原家次だった。
「ふん。臆されたか。それとも同郷の誼で、淡河弾正が滅ぶのを目の当たりにするのは偲びないとでも?」
家次は丹生山に関所を築き、兵站を遮断する重責も担っている。
秀吉の義理の伯父として家臣の筆頭格に近い立場を鼻に掛けてか、近頃は味方についた播州勢に権高な物言いをすることが多い。
神経を逆なでするような家次の語調に、則氏が顔を紅潮させて床几を蹴って立ち上がりそうになる。
その肩を則頼がさりげなく押しとどめる。
(くだらぬことで腹を立てるでないわ)
則頼は則氏の耳元で、押し殺した声でささやく。
静かな声音の中に、有無を言わせぬ迫力が満ちており、則氏は不承不承といった体で身体の力を抜く。
則頼は家次の物言いが、昔ながらの名族に対する劣等感の裏返しだと見切っていた。
家次は秀吉にとっては数少ない一門衆であるが、血縁を以て武将として引き立てられる前は行商人をしていた、などとの噂が流れるほどで、決して家格は高いものではない。
(一手の将を任されるあたり、決して無能ではないのであろうが、織田家出世頭の羽柴家には、存外と人材が不足しているとみえる)
内心で冷ややかに家次を値踏みしている則頼であるが、その口から発せられたのはまったく異なった言葉であった。
「いや、なに。淡河弾正は時勢も読めぬ頑固者ですからな。己の立場もわきまえず、死にものぐるいの抵抗を示すことが目に見えております。無駄な手負いを出したくないと思うたまでのことで、他意はござらぬ」
「ふん、なれば法印殿は搦め手口にて牽制をされるがよろしかろう。我が手勢にて大手口を打ち破ってご覧にみせよう」
「あいや、それがしにも攻め口をお与えいただきたく」
大口を叩いた家次に、それにつられるように則氏が膝を進める。
則頼は、敢えて息子の勇み足に口を挟まなかった。
地元の者が望んで働いてみせねば、別所に通じているなどとあらぬ疑いをかけられるのが目に見えているからだ。
(せいぜい、淡河弾正の戦さの駆け引きを学ぶがよいわ。……む?)
不意に則頼の脳裏に浮かんだその言葉は、羽柴方が負けるなどとはさらさら思っていない筈の彼自身にとっても意外なものであった。
内心で狼狽する則頼をよそに、どこか憂鬱そうな表情で虚空に視線を漂わせていた秀長が、咳払いの後に諸将を見渡す。
「もはや、事ここに至っては、一戦も交えず降伏してくる望みはあるまい。一挙に攻め潰すに如かず。明朝、総攻めといたす故、支度を怠るでないぞ」
秀長の宣言は、威勢の良い言葉とは裏腹に、どこかため息混じりに則頼の耳には聞こえた。
(儂は、淡河弾正を己の手で討ちたいと思っておったのであろうか……)
数名の従者に伴われて、八幡神社の本陣から淡河城東の付城まで戻る道すがら、則頼は突如として去来した感情について考えを巡らせていた。
淡河家との小競り合いにおいて、石切山の出城を奪いこそすれ、正面からの戦さでは則頼は淡河定範に勝った試しがない。
その点では憎い男には違いない。だが同時に、定範は皐姫の夫であることが敵愾心を鈍らせる面もある。
あの皐姫を妻に迎えている以上、それに相応しい男であって欲しいし、命を奪いたい訳でもない、などと考えてしまうのだ。
今、皐姫の所在を則頼は掴んでいない。依然として淡河城に居るのか、三木城に戻っているのか、あるいは近在の寺社に逃れて息をひそめているのか。
(願わくば、この城からは逃れ出ていて欲しいものであるが)
闇に沈む淡河城を振り仰ぎながら則頼は思う。
そして、定範のことを考えているつもりが、結局は皐姫に執着している自分に気づいて我知らず苦笑を漏らすのであった。
結局、釈然としないまま付城に帰還した則頼を、留守を任せていた吉田大膳が慌てた様子で出迎えた。
「なにかあったのか」
「それが、よく判らぬことで」
困惑の様子を隠さない大膳によれば、則重に仕えていた筈の小者が、息も絶え絶えの様子で、則頼に面会を求めて付城に転がり込んできたのだという。
本陣の床几に腰を下ろした則頼の前に、ぼろぼろになった具足をまとった小者が進み出る。
その顔は、確かに三津田城にいた頃に見覚えがあった。
「お主はどこから来たのだ。この期に及んで、三木城から抜け出て逃げ戻ったとでも申すのか」
則頼は首を傾げて問う。
小者の返事は意外なものだった。
則重は一手の将としてその子・小次郎と共に丹波国八上城に赴き、同城が六月五日に落城した際には最後まで勇戦した末、城を枕に討死したという。
「他言無用と命ぜられておりましたが、殿様の最期を誰も知らぬままとなるのはあまりに忍びなく……」
泣き崩れる小者を前に、則頼は途方に暮れる思いがした。
思いがけず波多野の最期をいち早く知ることとなったことも、昨年の五月に則重が討死したとの風評が虚報であったらしいことも、今は問題ではない。
(三木城で死んだはずの兄上が、なにゆえに丹波などで果てねばならぬ。いつの間に丹波などへ向かったのだ)
この謎を放置したままでは禍根を残す。
そう直感した則頼は小者を早々に陣小屋に下がらせたのち、思考を巡らせる。
最初は、戦死と偽って抜け出した則重が、密かに丹波に逃れたのではないかと考えた。
だが、三木城が包囲された後になってから丹波まで走るのは現実的ではない。
となれば、包囲されるまでに丹波まで向かったことになる。
しかも、単身ではなく一手の将として、と先の小者は言っていた。
であれば、すでに織田の攻撃を受けている丹波の波多野の元にわざわざ向かう理由は、逃げ込むためではなく加勢するためと考えるのが自然である。
滅亡したという八上城の波多野秀治は、天正四年(一五七六年)一月十五日、丹波国の平定の為に黒井城を包囲していた明智光秀を裏切り、背後を衝いて敗走させて以来、織田家との戦いを続けてきた。
別所家にとって波多野は単なる隣国の大名ではなく、深い縁戚関係にある。
別所家の当主、長治の妻・照子は波多野秀治の妹である。
そればかりか、次弟・治定の妻は、同族の波多野宗長の娘。さらに三弟・友之の妻はやはり波多野一族に連なる山名和泉守豊恒の娘と、三重の縁で結ばれている。
別所が織田から離反した理由の一つは、波多野家が織田家に攻め滅ぼされることを見過ごせなかったからだ、との風聞もあった。
(しかし、ただでさえ戦力に乏しい別所が丹波まで援軍を送るなど、今まで考えたこともなかったが……)
則頼は、思考がそこまで進んだ瞬間、思わず小さな声をあげた。
昨年四月、別所が織田に叛いた際、なぜ最初にさしたる脅威でもない細川館をわざわざ急襲したのか。
別所の離反以来、心のどこかにずっと引っかかっていた謎が解けた気がしたのだ。
(なんということだ。別所は挙兵に先立ち、ひそかに丹波の波多野に増援を送るため、行く手にあって邪魔な細川館を焼いたのか。そして我等は誰もその動きを察知していなかった……)
しかし、感心してばかりはいられない。
その推論は同時に、恐ろしい現実を則頼に突きつけていた。
秀吉は、今も三木城におよそ八千前後の兵が籠っていると信じている。
だからこそ、力攻めを避けて一年以上も包囲を続けてきたのだ。
だが、別所が少なくない数を丹波に送り込み、見せかけの人数を織田方に信じ込ませていたのだとすれば、その前提が根本から崩れることになる。
反射的にそう考えた則頼は愕然となる。
ここで立ち振る舞いを誤れば、内通の疑いをかけられて己の身が危うくなる可能性に思い至ったのだ。
(これは、知ってはならぬ事実じゃ)
則頼は一度大きく息を吐いて、気持ちを静めてから大膳を手招く。
「大膳よ。御家の大事じゃ。我が兄が手勢を率いて丹波で死んだなどという与太話は我ら二人の秘事とせよ」
「無論のこと。この後、殿は如何なされましょうや」
「誠に気の毒であるが、かの小者には死んでもらうより他ない。我等は何も知らず、たばかられ続けたとせねばならぬ」
「はて。羽柴様にいち早く注進いたせば、殿の手柄となるのではございませぬか」
解せぬ様子で、大膳は首を傾げた。
大膳も昨年の則重討死の噂を聞いているだけに思わぬ報せに驚きを隠せない。
だが、さすがにこれから先のことまでは知恵が回らず、則頼の考えを読み切れていない。
「あるいは、お褒めの言葉を頂戴するやも知れぬ。されど、三木城を囲むために筑前様が費やした銭と刻、そして労力を思うてみよ。今更、引っ込みがつくものか。あれは無意味であった、敵の数を恐れた結果の、無駄な怯懦の産物だった、などと聞かされて喜ぶとは限らぬぞ」
たばかられたと知った秀吉のやり場のない怒りの矛先が、自分に向かってはたまらない。
しかし、この忖度が却って秀吉の不興を買う可能性もまた否定できない。
いわば賭けであった。
「……殿がそうお考えでなのであれば。小者は我が手の者に始末させましょう」
数拍の間の後、大膳は厳しい表情のままそう応じた。
既に敵味方に分かれた間柄である以上、則重の小者を斬ること自体には、さほどためらいは見せなかった。
「手間をかけるが、頼む」
「承知」
則頼に頷き返した大膳は、踵を返して小者を休ませている陣小屋に向かってその場を離れた。
手の者に始末させると言ったものの、実際には自ら汚れ役を買って出るつもりなのだろう。
「済まぬ」
則頼は心の中で大膳の後姿に向かって手を合わせる。
明日には悲願の淡河城攻めだというのに、兄上も厄介なことをしてくれたものだというのが、則頼の偽らざる気持ちだった。
軍評定のため、それぞれ割り当てられた付城に詰めていた諸将が、煌々と篝火が焚かれる八幡神社の本陣に集まった。
ただし南側の付城に入る浅野弥兵衛長吉は、本陣から離れていた位置にあり、万が一の淡河城からの夜討を警戒する形で持ち場を離れずに残っているため、この場には顔を見せていない。
「新三郎長範は丹生山から城内に戻っておるのは間違いないようじゃ、ただ、書状は確かに届いておるであるが、反応を一切寄越さぬでのう」
大将である羽柴秀長は、居並ぶ将を前に渋い表情をみせたt。
秀長が着陣後、間をおかずに淡河城の強襲を選択しなかった理由は幾つかある。
まず、秀長の手勢には先年に領地としたばかりの但馬国竹田城で徴募した兵が多い。
彼らはつい先月の五月上旬には丹波攻略中の明智光秀勢の支援として丹波国に討ち入れ、いくつかの城を攻略している。
さらに、その月のうちに南下して丹生山攻めを行ったばかりであり、連戦の疲れをいやす必要があった。
花熊城から丹生山を抜けて淡河城を経由する輸送路を断ち切ることが最優先目標と考えれば、既に達成したも同然である。
淡河城の攻略そのものはそこまで大至急の案件ではないともいえる。
また、城の包囲中の六月十三日、平井山の秀吉本陣の麓の農家にて、療養中だった竹中半兵衛重治が亡くなっているのも痛手であった。
秀吉の知恵袋と目された智将の死は秀長にとっても衝撃であり、積極的な軍事行動を鈍らせる一因となっていた。
だがそれ以上に、前述のとおり小寺孝高と相婿の間柄になる定範の弟、新三郎長範に、姉妹同士の書状のやり取りにこと寄せて、長範、ひいては定範の誘降を計っていたことが大きい。
(可能であれば、戦わずに降したい、そう思っておられたのであろうな)
則頼が、眉間に皺を寄せて思案する秀長の顔を伺いながら思う。
それは、偽らざる秀長の本音であっただろう。
しかし、その願いに反して長範からは一切の反応が返ってこなかった。
応諾の返事はむろんのこと、拒絶の書状すら一度としてなかったことからすれば、書状を一読すらしていない可能性も考えられた。
(官兵衛殿がおらぬのでは、今ひとつ説得の言葉にも重みがないか)
羽柴方にとってつくづく惜しまれるのが、前年の十月、当の孝高が摂津にて叛旗を翻した荒木村重の元に説得に赴いて以来、その場で監禁されたまま秀吉陣営に戻ってきていないことだ。
秀吉ら実際に言動に触れている者にしてみれば、荒木村重の元に寝返ったなどとは考えられないことではあった。
しかし、信長は激怒して人質となっている孝高の嫡男を殺すよう命じた。
その子供の命を密かに救っていたのが他ならぬ竹中重治であることは、後世よく知られている。
しかし現時点では、その経緯を知るものはごく一部に限られている。
荒木村重にしても小寺孝高が味方についた、との偽情報を記した密書ぐらいは別所方に送っている可能性はあった。
そうであれば、血縁を通じて淡河勢を降伏に導くとの策自体がひどく滑稽なものになってしまっているかも知れない。
「付城を築き、仕寄の構えを見せてかれこれ一月近くになり申す。これ以上は誘いをかけても、何も変わらぬかと。ならば、すぐにでも総攻めにかかるべきではありませぬか」
気負った様子の則氏が身を乗り出して大音声を発した。
鼻息の荒さを則頼は実父として頼もしく思いながらも、一面では危うさも感じる。
嫡子が織田勢の面子を潰さぬよう、言葉を選んで補足せばねばならなかった。
「ただし淡河弾正は、城の周囲には随分と細工を施しておる様子。搦め手から攻め寄せるのは無用の手負いを招きかねませぬな」
則頼は、あくまでも現状の分析という体裁で、城の守りに関する情報を付け加えた。
則頼の籠もる付城からは、距離が近いだけあって浦川に据えられたおびただしい逆茂木や竹柵の様子がよく見えていた。
川底に壺を幾つも沈めている作業も確認されていた。不用意に渡河を計れば、足を取られて川中で転倒する羽目になりかねない。
それとなく警戒を促す則頼の言葉に鼻白んだのは則氏よりもむしろ、杉原家次だった。
「ふん。臆されたか。それとも同郷の誼で、淡河弾正が滅ぶのを目の当たりにするのは偲びないとでも?」
家次は丹生山に関所を築き、兵站を遮断する重責も担っている。
秀吉の義理の伯父として家臣の筆頭格に近い立場を鼻に掛けてか、近頃は味方についた播州勢に権高な物言いをすることが多い。
神経を逆なでするような家次の語調に、則氏が顔を紅潮させて床几を蹴って立ち上がりそうになる。
その肩を則頼がさりげなく押しとどめる。
(くだらぬことで腹を立てるでないわ)
則頼は則氏の耳元で、押し殺した声でささやく。
静かな声音の中に、有無を言わせぬ迫力が満ちており、則氏は不承不承といった体で身体の力を抜く。
則頼は家次の物言いが、昔ながらの名族に対する劣等感の裏返しだと見切っていた。
家次は秀吉にとっては数少ない一門衆であるが、血縁を以て武将として引き立てられる前は行商人をしていた、などとの噂が流れるほどで、決して家格は高いものではない。
(一手の将を任されるあたり、決して無能ではないのであろうが、織田家出世頭の羽柴家には、存外と人材が不足しているとみえる)
内心で冷ややかに家次を値踏みしている則頼であるが、その口から発せられたのはまったく異なった言葉であった。
「いや、なに。淡河弾正は時勢も読めぬ頑固者ですからな。己の立場もわきまえず、死にものぐるいの抵抗を示すことが目に見えております。無駄な手負いを出したくないと思うたまでのことで、他意はござらぬ」
「ふん、なれば法印殿は搦め手口にて牽制をされるがよろしかろう。我が手勢にて大手口を打ち破ってご覧にみせよう」
「あいや、それがしにも攻め口をお与えいただきたく」
大口を叩いた家次に、それにつられるように則氏が膝を進める。
則頼は、敢えて息子の勇み足に口を挟まなかった。
地元の者が望んで働いてみせねば、別所に通じているなどとあらぬ疑いをかけられるのが目に見えているからだ。
(せいぜい、淡河弾正の戦さの駆け引きを学ぶがよいわ。……む?)
不意に則頼の脳裏に浮かんだその言葉は、羽柴方が負けるなどとはさらさら思っていない筈の彼自身にとっても意外なものであった。
内心で狼狽する則頼をよそに、どこか憂鬱そうな表情で虚空に視線を漂わせていた秀長が、咳払いの後に諸将を見渡す。
「もはや、事ここに至っては、一戦も交えず降伏してくる望みはあるまい。一挙に攻め潰すに如かず。明朝、総攻めといたす故、支度を怠るでないぞ」
秀長の宣言は、威勢の良い言葉とは裏腹に、どこかため息混じりに則頼の耳には聞こえた。
(儂は、淡河弾正を己の手で討ちたいと思っておったのであろうか……)
数名の従者に伴われて、八幡神社の本陣から淡河城東の付城まで戻る道すがら、則頼は突如として去来した感情について考えを巡らせていた。
淡河家との小競り合いにおいて、石切山の出城を奪いこそすれ、正面からの戦さでは則頼は淡河定範に勝った試しがない。
その点では憎い男には違いない。だが同時に、定範は皐姫の夫であることが敵愾心を鈍らせる面もある。
あの皐姫を妻に迎えている以上、それに相応しい男であって欲しいし、命を奪いたい訳でもない、などと考えてしまうのだ。
今、皐姫の所在を則頼は掴んでいない。依然として淡河城に居るのか、三木城に戻っているのか、あるいは近在の寺社に逃れて息をひそめているのか。
(願わくば、この城からは逃れ出ていて欲しいものであるが)
闇に沈む淡河城を振り仰ぎながら則頼は思う。
そして、定範のことを考えているつもりが、結局は皐姫に執着している自分に気づいて我知らず苦笑を漏らすのであった。
結局、釈然としないまま付城に帰還した則頼を、留守を任せていた吉田大膳が慌てた様子で出迎えた。
「なにかあったのか」
「それが、よく判らぬことで」
困惑の様子を隠さない大膳によれば、則重に仕えていた筈の小者が、息も絶え絶えの様子で、則頼に面会を求めて付城に転がり込んできたのだという。
本陣の床几に腰を下ろした則頼の前に、ぼろぼろになった具足をまとった小者が進み出る。
その顔は、確かに三津田城にいた頃に見覚えがあった。
「お主はどこから来たのだ。この期に及んで、三木城から抜け出て逃げ戻ったとでも申すのか」
則頼は首を傾げて問う。
小者の返事は意外なものだった。
則重は一手の将としてその子・小次郎と共に丹波国八上城に赴き、同城が六月五日に落城した際には最後まで勇戦した末、城を枕に討死したという。
「他言無用と命ぜられておりましたが、殿様の最期を誰も知らぬままとなるのはあまりに忍びなく……」
泣き崩れる小者を前に、則頼は途方に暮れる思いがした。
思いがけず波多野の最期をいち早く知ることとなったことも、昨年の五月に則重が討死したとの風評が虚報であったらしいことも、今は問題ではない。
(三木城で死んだはずの兄上が、なにゆえに丹波などで果てねばならぬ。いつの間に丹波などへ向かったのだ)
この謎を放置したままでは禍根を残す。
そう直感した則頼は小者を早々に陣小屋に下がらせたのち、思考を巡らせる。
最初は、戦死と偽って抜け出した則重が、密かに丹波に逃れたのではないかと考えた。
だが、三木城が包囲された後になってから丹波まで走るのは現実的ではない。
となれば、包囲されるまでに丹波まで向かったことになる。
しかも、単身ではなく一手の将として、と先の小者は言っていた。
であれば、すでに織田の攻撃を受けている丹波の波多野の元にわざわざ向かう理由は、逃げ込むためではなく加勢するためと考えるのが自然である。
滅亡したという八上城の波多野秀治は、天正四年(一五七六年)一月十五日、丹波国の平定の為に黒井城を包囲していた明智光秀を裏切り、背後を衝いて敗走させて以来、織田家との戦いを続けてきた。
別所家にとって波多野は単なる隣国の大名ではなく、深い縁戚関係にある。
別所家の当主、長治の妻・照子は波多野秀治の妹である。
そればかりか、次弟・治定の妻は、同族の波多野宗長の娘。さらに三弟・友之の妻はやはり波多野一族に連なる山名和泉守豊恒の娘と、三重の縁で結ばれている。
別所が織田から離反した理由の一つは、波多野家が織田家に攻め滅ぼされることを見過ごせなかったからだ、との風聞もあった。
(しかし、ただでさえ戦力に乏しい別所が丹波まで援軍を送るなど、今まで考えたこともなかったが……)
則頼は、思考がそこまで進んだ瞬間、思わず小さな声をあげた。
昨年四月、別所が織田に叛いた際、なぜ最初にさしたる脅威でもない細川館をわざわざ急襲したのか。
別所の離反以来、心のどこかにずっと引っかかっていた謎が解けた気がしたのだ。
(なんということだ。別所は挙兵に先立ち、ひそかに丹波の波多野に増援を送るため、行く手にあって邪魔な細川館を焼いたのか。そして我等は誰もその動きを察知していなかった……)
しかし、感心してばかりはいられない。
その推論は同時に、恐ろしい現実を則頼に突きつけていた。
秀吉は、今も三木城におよそ八千前後の兵が籠っていると信じている。
だからこそ、力攻めを避けて一年以上も包囲を続けてきたのだ。
だが、別所が少なくない数を丹波に送り込み、見せかけの人数を織田方に信じ込ませていたのだとすれば、その前提が根本から崩れることになる。
反射的にそう考えた則頼は愕然となる。
ここで立ち振る舞いを誤れば、内通の疑いをかけられて己の身が危うくなる可能性に思い至ったのだ。
(これは、知ってはならぬ事実じゃ)
則頼は一度大きく息を吐いて、気持ちを静めてから大膳を手招く。
「大膳よ。御家の大事じゃ。我が兄が手勢を率いて丹波で死んだなどという与太話は我ら二人の秘事とせよ」
「無論のこと。この後、殿は如何なされましょうや」
「誠に気の毒であるが、かの小者には死んでもらうより他ない。我等は何も知らず、たばかられ続けたとせねばならぬ」
「はて。羽柴様にいち早く注進いたせば、殿の手柄となるのではございませぬか」
解せぬ様子で、大膳は首を傾げた。
大膳も昨年の則重討死の噂を聞いているだけに思わぬ報せに驚きを隠せない。
だが、さすがにこれから先のことまでは知恵が回らず、則頼の考えを読み切れていない。
「あるいは、お褒めの言葉を頂戴するやも知れぬ。されど、三木城を囲むために筑前様が費やした銭と刻、そして労力を思うてみよ。今更、引っ込みがつくものか。あれは無意味であった、敵の数を恐れた結果の、無駄な怯懦の産物だった、などと聞かされて喜ぶとは限らぬぞ」
たばかられたと知った秀吉のやり場のない怒りの矛先が、自分に向かってはたまらない。
しかし、この忖度が却って秀吉の不興を買う可能性もまた否定できない。
いわば賭けであった。
「……殿がそうお考えでなのであれば。小者は我が手の者に始末させましょう」
数拍の間の後、大膳は厳しい表情のままそう応じた。
既に敵味方に分かれた間柄である以上、則重の小者を斬ること自体には、さほどためらいは見せなかった。
「手間をかけるが、頼む」
「承知」
則頼に頷き返した大膳は、踵を返して小者を休ませている陣小屋に向かってその場を離れた。
手の者に始末させると言ったものの、実際には自ら汚れ役を買って出るつもりなのだろう。
「済まぬ」
則頼は心の中で大膳の後姿に向かって手を合わせる。
明日には悲願の淡河城攻めだというのに、兄上も厄介なことをしてくれたものだというのが、則頼の偽らざる気持ちだった。
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はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
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第8回歴史時代小説参加しました!
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
和ませ屋仇討ち始末
志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。
門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。
久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。
父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。
「目に焼き付けてください」
久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。
新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。
「江戸に向かいます」
同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。
父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。
他サイトでも掲載しています
表紙は写真ACより引用しています
R15は保険です
麒麟児の夢
夢酔藤山
歴史・時代
南近江に生まれた少年の出来のよさ、一族は麒麟児と囃し将来を期待した。
その一族・蒲生氏。
六角氏のもとで過ごすなか、天下の流れを機敏に察知していた。やがて織田信長が台頭し、六角氏は逃亡、蒲生氏は信長に降伏する。人質として差し出された麒麟児こと蒲生鶴千代(のちの氏郷)のただならぬ才を見抜いた信長は、これを小姓とし元服させ娘婿とした。信長ほどの国際人はいない。その下で国際感覚を研ぎ澄ませていく氏郷。器量を磨き己の頭の中を理解する氏郷を信長は寵愛した。その壮大なる海の彼方への夢は、本能寺の謀叛で塵と消えた。
天下の後継者・豊臣秀吉は、もっとも信長に似ている氏郷の器量を恐れ、国替や無理を強いた。千利休を中心とした七哲は氏郷の味方となる。彼らは大半がキリシタンであり、氏郷も入信し世界を意識する。
やがて利休切腹、氏郷の容態も危ういものとなる。
氏郷は信長の夢を継げるのか。
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