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(二十)
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福島勢と宇喜多勢のねじり合うような戦いは、しばしば攻守所を変えながら延々と続いていた。
今も、次郎を価値ある兜首と見誤ったか、手鑓を携えた宇喜多の徒立ちの武者が数名の足軽を連れて挑みかかってくる。
次郎は大音声で配下の徒武者を敵の足軽の牽制に走らせると、自らは敵の徒武者に右回りに弧を描きつつ間合いを詰め、手鑓を右手一本で繰り出した。
しかし、馬の鞍を太腿で挟んだ状態ではその突きに日頃の鋭さは失せていた。穂先は甲冑の肩の辺りを突く形になった。
(やはり馬上からでは、相手の目も喉も狙いづらいわ)
内心で舌打ちする次郎であるが、一撃を受けた徒武者はもんどりうって倒れ込む。
そこに、追いついてきた次郎の組下の徒立ちが二人、相次いで手鑓を繰り出し、起き上がれないでいる徒武者の喉と腹を突いた。
敵の徒武者が率いていた足軽は、主人の首級を奪われまいと前に出ようとするが、鉄入斎がこれをあしらい、追い散らす。
「よし、次だ」
周囲の味方に向けて、次郎は鋭く声を発する。
ともすれば討ち取った相手の兜首を取ることに気を取られてしまいがちであるためだ。また、主人を討たれた従者が死に物狂いで首を奪い返しにくることもありえる。ともかく次郎は、敵を倒すこと以上に味方を損することを恐れていた。
(なにしろ、総勢で六十名しかおらぬのだからな)
敵の徒武者には申し訳ない気持ちになりながらも、骸に意識をとられぬよう、次郎は敵の動きにすでに意識を向けている。
「首級はそちらにお任せいたす!」
「任されたし」
次郎の声に、嬉々として綿貫が倒れた徒武者の首級を鎧通しで切り落とす。
「若っ! 敵が」
「見えておる!」
鉄入斎の声に、次郎は振り向くことなく叫び返した。
先ほど討った武者の郎党なのか、逃げ散ったはずの雑兵が二人、肩を寄せ合うようにして挑みかかってくる。
しかし、気が高ぶっているためか、今の次郎にはその動きはひどく緩慢にみえた。
(突いてくれと言っているように見えるわ)
金鉢巻を巻いた二人の雑兵に対しては、目を狙った。相手が得物の鑓を突き出してくるより先に、目をめがけて鑓を突き、引く。
雑兵が得物を振るう前にそれを二度繰り返すと、二人は相次いで悲鳴を上げて顔面を押さえて地面へと倒れた。
次郎が繰り出した穂先は雑兵それぞれの眼球を貫き、さらにその奥に達している。即死ではないがもはや戦える状態ではない。
(足軽ならば、倒せるのか)
鍛錬の成果と思えばそれなりに喜びもあるが、名もなき足軽を殺したところでさしたる手柄にもならない。無駄な殺生と思えば、不遜とは思いつつも気が咎める思いのほうが強い。
将を討たれ、さらに郎党も返り討ちに遭ったため、その後方から腰が引けた構でついてきていた宇喜多の足軽は、算を乱して逃げ散っていく。
「功名を挙げるは今よりない! 皆、続け!」
迷いを振り切るように、次郎は激を飛ばす。
別所一党のみならず、その奮戦ぶりを見聞きして集まってきた他の陣借衆の武者たちも一斉に気勢を上げた。
福島正則は不機嫌だった。
いつからか。少なくとも、陣を定めて以来、ずっとしかめ面であることは確かだ、と傍らに控える正之は思う。
石田三成を縊り殺してくれると息巻いていた正則にとっては、正面の天満山に陣取っていたのが三成の本陣ではなく、宇喜多秀家であったことも苛立ちの原因の一つであろう。
可児才蔵から報告があった通り、福島勢よりも先に井伊直政と松平忠吉の抜け駆けによって戦端が開かれたことも気にいらない筈だ。
そしてなにより、宇喜多勢相手のねじり合いで一進一退を続けていることに、何より腹を立てているに違いない。
三倍の兵数の敵を相手に健闘していると正之は思うのだが、正則は決してそう考えてはいないらしい。
本陣には、ひっきりなしに伝令を示す旗指物を指した士卒が行きかっている。
正則は矢継ぎ早に命令を下しているが、その合間を縫うように、前線から首級を携えて戻って来た武者を引見する。
顔を出す武者には陣借衆が目立つことに、傍らで聞く正之は気づいた。
可児才蔵のように、討った敵の口に笹の葉を突っ込んで次の敵を求めて戦場にとどまり続けるのは異例である。通常は、多くても数名を討てば本陣に戻って大将に戦果を報告することになる。
特に陣借衆は、軍功を認められて召し抱えられることを大きな目標としつつ、現実問題としては報奨が目当てである。
大将である正則の本音としては、合戦が終わってからの首実検で充分と言いたいところであろうが、戦さの勝敗が定まっていない以上、後にせよとも言えない。
万が一にも負け戦となれば、首実検をしている余裕などなくなるからだ。
戦況がどうあれ、己の手柄を確定させたい陣借衆を無碍には出来ない。
今も、綿貫と名乗る陣借衆の一人が、兜首を正則に披見している。
正則も、決まり文句でこれに応じて綿貫に当座の褒美を渡した。
綿貫が礼の言葉を述べて本陣から退く一方で、正則は不意に正之に視線を向けた。
「陣借衆と申せば、これまで別所一党の働きが聞こえてこぬのはいかなる訳じゃ」
やはり正則も、陣借衆の働きが顕著であることに気づいていたのだろう。だが、発せられたのは別所家の出である正之に向けられた、からかいじみた言葉だった。
戦場の騒音に負けじと腹から出された正則の声は、思いのほか本陣の中に響き渡った。
(俺のせいではないわ)
渋面を作った正之が何か答えるより先に、その声が耳に入った綿貫がぎくりと立ち止まり、正則に向き直って平伏する。
「恐れ入りまする。実を申せば、先ほどの首級は、別所一党の淡河民部殿が先に鑓を付けた相手でござる」
「ほう。それで」
眉をあげ、床几から腰を浮かせた正則が話の続きを促す。
「民部殿は、陣借衆の誼で手柄にせよと突き捨てになされたゆえ、それがしに功名の機会を譲られた次第にございまする」
よほど後ろめたい気持ちで首級を持ってきたのか、陣借衆として腕に覚えのある筈の綿貫が地面に突っ伏して震えている。
「では、拾い首のようなものか。まあ、そなたの正直さに免じて、拾い首の件は不問にしてくれる。次は己の力で首級を挙げるが良い」
「は、はーっ」
平伏していた綿貫が、飛び上がってから駆けだしていく。
(あ奴、このあと討死するのではないか)
後姿を醒めた目で見送りながら、正之はふとそんな思いにとらわれる。
「しかし、判らんな。別所一党は何を考えておるのやら」
「よもや、己の功名として首級を挙げねばならぬことを知らぬのでは」
「ありえぬとも言い切れぬが、ここからでは状況が判らぬ。八助、その方、手勢をいくらか率いて別所一党の様子を見て参れ」
「はっ」
思いもよらぬ命令であるが、拒否はできない。
正之は不満を表情に出さないように意識して返事する。
(前哨戦で兵を損なったせいで、せっかくの大戦で、つまらぬ役目を振られるものじゃ)
正之はの竹ヶ鼻城や岐阜城攻めでは軍功を挙げて面目を施した。
しかしその代償として手勢に手負い討死を相応に出したため、今日の合戦では先陣から外れ、予備のような扱いを受けていた。
正則は不機嫌だったが、正之もまた不満であった。
馬上の人となり、己の馬廻りを引き連れて前線の様子を伺いに向かう正之の心中には、黒々としたものが渦巻いている。
その中心には、正則にとって二人目の実の男子である市松の存在がある。
元々、正則には男子が一人いたが、心身がぜい弱であったため廃嫡となっている。
世継がないために正之を養子として迎えた訳だが、その後に半ばあきらめていた男児に恵まれることになる。
正則は、かつての己の幼名を与えるほど、市松には期待を寄せている。
これらの事実は、正則が敬愛してやまない亡き豊臣秀吉の世継問題と奇妙なほどに符合する。
無論、正則が意図して相似形を描いた訳ではない。しかし、先に廃嫡された長男がお捨、後に産まれた正則の二男が秀頼とするならば、養子として福島家に入った正之の立場は、羽柴秀次に他ならない。
(それでは、いずれ高野山で切腹させられる羽目になる)
それを避けるためにも、確固たる軍功を正之は求めていた。
羽柴秀次が小牧・長久手の戦さで中入り策で大敗したような失策を犯す訳にはいかないからだ。
だが、手勢の手負いが多いことを理由に、先陣を外されるのは誤算であった。最初から正則にそう仕向けられたような気もしてくる。
別所一党の陣は、最前線よりやや後方にあった。母衣衆、弓組、鉄砲組の三十名ほどが周囲の守りを固めているように見えた。
「おお、これは伯耆守様」
別所一党の大将である源兵衛は、行人包に陣羽織の出で立ちで騎乗していた。
「貴殿らの働きがあまり目立たぬようじゃが、如何いたした」
轡を並べながら険しい顔を作って正之が問いかけると、源兵衛は困惑の表情を見せる。
「先手として三十名ばかりを送り込んでおりまする。淡河民部も加わって働いておりまするが、縦横に働き、数多の敵手を討っておると聞いておりまするが」
「突き捨てにするばかりで、首級を挙げておらぬようじゃな」
「細かな指図はしておりませぬ。民部にも考えのあっての振る舞いかと存じます」
源兵衛は恐縮しながらも、自分達の働きに手を抜いているところはないとばかりに自信ありげであった。
「では、民部の働きを直に確かめてみると致そう」
正之は馬腹を軽く蹴り、馬廻りと共にさらに前へと向かう。
やがて、馬上の次郎がしきりに指示を飛ばしている光景を後方から見る位置に出た。
具体的に名指しで「前に走れ」「右手から回り込め」と指示された者は、間髪入れず言われるがままに動く。
正之が驚いたのは、別所一党ではない陣借衆の武者までもが、次郎の指示に異を唱えるでもなく従っていることだ。
厳密に言えば、本来の指示系統から外れた越権行為である。しかし、それを言えば彼らに命令を下すべき可児才蔵には軍勢を指揮する気など毛頭ないため、勝手働きだけを咎めるのは筋が悪いだろう。
正之がそんなことを考えながら戦況を見守る間に、
いつしか騎馬武者は、率いる十名ほど足軽と切り離されて福島勢の只中に孤立していた。
次郎が指示を続ける間に、
次郎の矢継ぎ早の命令を受けて素早く動いた陣借衆は、隙を見せることなく、狭い区域においては味方の数が勝る場所を作りあげていた。
知らぬ間に死地へと誘われたと気づいた騎馬武者は、泡を喰って味方の陣に戻ろうと手綱を引く。
そこへ、次郎がこれまでゆっくりと歩かせていた連銭葦毛の馬腹を蹴り、騎馬武者目掛けて挑みかかった。
「御覚悟を!」
戦場の中でもよく通る次郎の声は、騎馬武者の耳にも届いたようだ。
背中を見せて逃げられぬと悟った騎馬武者が、右手で手鑓を構える。
しかし、その穂先が突き出されるより先に、行き足がついた次郎の鑓が繰り出され、騎馬武者の面頬を捉えた。重い音が短く響く。
「っ!」
正之の目には、何が起こったのか正確には見切れなかった。それほどまでに次郎の片手突きの鑓は速かった。
一つはっきりしているのは、光の筋が疾った瞬間、騎馬武者がもんどりうって落馬したことだ。
次郎はもはや、仰向けに倒れた敵の騎馬武者に目を向けてはいない。
次郎の一の家臣である宇野鉄入斎も、次郎の馬の左後方に控えて万一の伏勢に備えているだけで、首級には興味を示さない。
その代わりに、別所一党以外の陣借衆が我勝ちに騎馬武者にのしかかり、たちまち首級を挙げる。
「聞いたとおりであったな」
正之は小声で呟いた。
何故かは判らないまま、漠然とした敗北感が正之の心に満ちていく。
「若殿。淡河民部に今の振る舞いについて問い質しますか」
馬廻りの一人がもどかしげな口ぶりで尋ねる。正之の心のうちなど、推し計りようもない。
「何を申しておる。今は戦さ働きの真っ最中ぞ。その邪魔立てをしてなんとする」
その言葉に、馬廻りは一様に不満気な表情を見せた。
正之勢は今日の戦さでは、先陣を任されずこれまで後方にとどめ置かれている。
それでも、物見として前線に出れば一戦を交える機会もあるのでは、と彼らが期待していたのは明らかだった。
「我等は見るべきものは見た。本陣に戻るぞ」
馬廻衆の我欲など、知ったことか。正之は内心で毒づきながら馬首を返す。
兵の指揮に鑓捌き。自分に次郎と同じことがやれるだろうか。いくら考えても、前向きな答えは導き出せなかった。
「やはり、武家のしきたりについて、いささか疎いようでしたな。しっかり手柄を己のものにするよう、首級を挙げるように申し伝えました」
本陣に戻った正之は、正則に対してそう報告した。
実のところ、正之は本陣に戻る途中、別所源兵衛の元に再び立ち寄っていた。
その場で源兵衛に、「その方が首級を挙げねば、殿は召し抱えをお認めにならぬぞ」と吹き込んでから帰陣している。
声が不自然に震えなかったか。正之の背中に汗が噴き出す。
「左様であるか。まあ、功名の立てどころはまだいくらでもあろう」
正則が別所一党の動向に関心を示したのは一時の気まぐれだったのか。
興味を失ったかのように熱のこもらない一言で、話はおしまいになった。当然、正之の言葉を疑う様子もない。
正之は何食わぬ顔で応じ、先ほどまでのように正則の傍らに控える位置に戻った。
だが、内心は大きく波立っている。
嘘をついた訳ではない。
だが、事実を全て伝えた訳ではないと苦い思いは、正之の心に意外なほど重くのしかかった。
今も、次郎を価値ある兜首と見誤ったか、手鑓を携えた宇喜多の徒立ちの武者が数名の足軽を連れて挑みかかってくる。
次郎は大音声で配下の徒武者を敵の足軽の牽制に走らせると、自らは敵の徒武者に右回りに弧を描きつつ間合いを詰め、手鑓を右手一本で繰り出した。
しかし、馬の鞍を太腿で挟んだ状態ではその突きに日頃の鋭さは失せていた。穂先は甲冑の肩の辺りを突く形になった。
(やはり馬上からでは、相手の目も喉も狙いづらいわ)
内心で舌打ちする次郎であるが、一撃を受けた徒武者はもんどりうって倒れ込む。
そこに、追いついてきた次郎の組下の徒立ちが二人、相次いで手鑓を繰り出し、起き上がれないでいる徒武者の喉と腹を突いた。
敵の徒武者が率いていた足軽は、主人の首級を奪われまいと前に出ようとするが、鉄入斎がこれをあしらい、追い散らす。
「よし、次だ」
周囲の味方に向けて、次郎は鋭く声を発する。
ともすれば討ち取った相手の兜首を取ることに気を取られてしまいがちであるためだ。また、主人を討たれた従者が死に物狂いで首を奪い返しにくることもありえる。ともかく次郎は、敵を倒すこと以上に味方を損することを恐れていた。
(なにしろ、総勢で六十名しかおらぬのだからな)
敵の徒武者には申し訳ない気持ちになりながらも、骸に意識をとられぬよう、次郎は敵の動きにすでに意識を向けている。
「首級はそちらにお任せいたす!」
「任されたし」
次郎の声に、嬉々として綿貫が倒れた徒武者の首級を鎧通しで切り落とす。
「若っ! 敵が」
「見えておる!」
鉄入斎の声に、次郎は振り向くことなく叫び返した。
先ほど討った武者の郎党なのか、逃げ散ったはずの雑兵が二人、肩を寄せ合うようにして挑みかかってくる。
しかし、気が高ぶっているためか、今の次郎にはその動きはひどく緩慢にみえた。
(突いてくれと言っているように見えるわ)
金鉢巻を巻いた二人の雑兵に対しては、目を狙った。相手が得物の鑓を突き出してくるより先に、目をめがけて鑓を突き、引く。
雑兵が得物を振るう前にそれを二度繰り返すと、二人は相次いで悲鳴を上げて顔面を押さえて地面へと倒れた。
次郎が繰り出した穂先は雑兵それぞれの眼球を貫き、さらにその奥に達している。即死ではないがもはや戦える状態ではない。
(足軽ならば、倒せるのか)
鍛錬の成果と思えばそれなりに喜びもあるが、名もなき足軽を殺したところでさしたる手柄にもならない。無駄な殺生と思えば、不遜とは思いつつも気が咎める思いのほうが強い。
将を討たれ、さらに郎党も返り討ちに遭ったため、その後方から腰が引けた構でついてきていた宇喜多の足軽は、算を乱して逃げ散っていく。
「功名を挙げるは今よりない! 皆、続け!」
迷いを振り切るように、次郎は激を飛ばす。
別所一党のみならず、その奮戦ぶりを見聞きして集まってきた他の陣借衆の武者たちも一斉に気勢を上げた。
福島正則は不機嫌だった。
いつからか。少なくとも、陣を定めて以来、ずっとしかめ面であることは確かだ、と傍らに控える正之は思う。
石田三成を縊り殺してくれると息巻いていた正則にとっては、正面の天満山に陣取っていたのが三成の本陣ではなく、宇喜多秀家であったことも苛立ちの原因の一つであろう。
可児才蔵から報告があった通り、福島勢よりも先に井伊直政と松平忠吉の抜け駆けによって戦端が開かれたことも気にいらない筈だ。
そしてなにより、宇喜多勢相手のねじり合いで一進一退を続けていることに、何より腹を立てているに違いない。
三倍の兵数の敵を相手に健闘していると正之は思うのだが、正則は決してそう考えてはいないらしい。
本陣には、ひっきりなしに伝令を示す旗指物を指した士卒が行きかっている。
正則は矢継ぎ早に命令を下しているが、その合間を縫うように、前線から首級を携えて戻って来た武者を引見する。
顔を出す武者には陣借衆が目立つことに、傍らで聞く正之は気づいた。
可児才蔵のように、討った敵の口に笹の葉を突っ込んで次の敵を求めて戦場にとどまり続けるのは異例である。通常は、多くても数名を討てば本陣に戻って大将に戦果を報告することになる。
特に陣借衆は、軍功を認められて召し抱えられることを大きな目標としつつ、現実問題としては報奨が目当てである。
大将である正則の本音としては、合戦が終わってからの首実検で充分と言いたいところであろうが、戦さの勝敗が定まっていない以上、後にせよとも言えない。
万が一にも負け戦となれば、首実検をしている余裕などなくなるからだ。
戦況がどうあれ、己の手柄を確定させたい陣借衆を無碍には出来ない。
今も、綿貫と名乗る陣借衆の一人が、兜首を正則に披見している。
正則も、決まり文句でこれに応じて綿貫に当座の褒美を渡した。
綿貫が礼の言葉を述べて本陣から退く一方で、正則は不意に正之に視線を向けた。
「陣借衆と申せば、これまで別所一党の働きが聞こえてこぬのはいかなる訳じゃ」
やはり正則も、陣借衆の働きが顕著であることに気づいていたのだろう。だが、発せられたのは別所家の出である正之に向けられた、からかいじみた言葉だった。
戦場の騒音に負けじと腹から出された正則の声は、思いのほか本陣の中に響き渡った。
(俺のせいではないわ)
渋面を作った正之が何か答えるより先に、その声が耳に入った綿貫がぎくりと立ち止まり、正則に向き直って平伏する。
「恐れ入りまする。実を申せば、先ほどの首級は、別所一党の淡河民部殿が先に鑓を付けた相手でござる」
「ほう。それで」
眉をあげ、床几から腰を浮かせた正則が話の続きを促す。
「民部殿は、陣借衆の誼で手柄にせよと突き捨てになされたゆえ、それがしに功名の機会を譲られた次第にございまする」
よほど後ろめたい気持ちで首級を持ってきたのか、陣借衆として腕に覚えのある筈の綿貫が地面に突っ伏して震えている。
「では、拾い首のようなものか。まあ、そなたの正直さに免じて、拾い首の件は不問にしてくれる。次は己の力で首級を挙げるが良い」
「は、はーっ」
平伏していた綿貫が、飛び上がってから駆けだしていく。
(あ奴、このあと討死するのではないか)
後姿を醒めた目で見送りながら、正之はふとそんな思いにとらわれる。
「しかし、判らんな。別所一党は何を考えておるのやら」
「よもや、己の功名として首級を挙げねばならぬことを知らぬのでは」
「ありえぬとも言い切れぬが、ここからでは状況が判らぬ。八助、その方、手勢をいくらか率いて別所一党の様子を見て参れ」
「はっ」
思いもよらぬ命令であるが、拒否はできない。
正之は不満を表情に出さないように意識して返事する。
(前哨戦で兵を損なったせいで、せっかくの大戦で、つまらぬ役目を振られるものじゃ)
正之はの竹ヶ鼻城や岐阜城攻めでは軍功を挙げて面目を施した。
しかしその代償として手勢に手負い討死を相応に出したため、今日の合戦では先陣から外れ、予備のような扱いを受けていた。
正則は不機嫌だったが、正之もまた不満であった。
馬上の人となり、己の馬廻りを引き連れて前線の様子を伺いに向かう正之の心中には、黒々としたものが渦巻いている。
その中心には、正則にとって二人目の実の男子である市松の存在がある。
元々、正則には男子が一人いたが、心身がぜい弱であったため廃嫡となっている。
世継がないために正之を養子として迎えた訳だが、その後に半ばあきらめていた男児に恵まれることになる。
正則は、かつての己の幼名を与えるほど、市松には期待を寄せている。
これらの事実は、正則が敬愛してやまない亡き豊臣秀吉の世継問題と奇妙なほどに符合する。
無論、正則が意図して相似形を描いた訳ではない。しかし、先に廃嫡された長男がお捨、後に産まれた正則の二男が秀頼とするならば、養子として福島家に入った正之の立場は、羽柴秀次に他ならない。
(それでは、いずれ高野山で切腹させられる羽目になる)
それを避けるためにも、確固たる軍功を正之は求めていた。
羽柴秀次が小牧・長久手の戦さで中入り策で大敗したような失策を犯す訳にはいかないからだ。
だが、手勢の手負いが多いことを理由に、先陣を外されるのは誤算であった。最初から正則にそう仕向けられたような気もしてくる。
別所一党の陣は、最前線よりやや後方にあった。母衣衆、弓組、鉄砲組の三十名ほどが周囲の守りを固めているように見えた。
「おお、これは伯耆守様」
別所一党の大将である源兵衛は、行人包に陣羽織の出で立ちで騎乗していた。
「貴殿らの働きがあまり目立たぬようじゃが、如何いたした」
轡を並べながら険しい顔を作って正之が問いかけると、源兵衛は困惑の表情を見せる。
「先手として三十名ばかりを送り込んでおりまする。淡河民部も加わって働いておりまするが、縦横に働き、数多の敵手を討っておると聞いておりまするが」
「突き捨てにするばかりで、首級を挙げておらぬようじゃな」
「細かな指図はしておりませぬ。民部にも考えのあっての振る舞いかと存じます」
源兵衛は恐縮しながらも、自分達の働きに手を抜いているところはないとばかりに自信ありげであった。
「では、民部の働きを直に確かめてみると致そう」
正之は馬腹を軽く蹴り、馬廻りと共にさらに前へと向かう。
やがて、馬上の次郎がしきりに指示を飛ばしている光景を後方から見る位置に出た。
具体的に名指しで「前に走れ」「右手から回り込め」と指示された者は、間髪入れず言われるがままに動く。
正之が驚いたのは、別所一党ではない陣借衆の武者までもが、次郎の指示に異を唱えるでもなく従っていることだ。
厳密に言えば、本来の指示系統から外れた越権行為である。しかし、それを言えば彼らに命令を下すべき可児才蔵には軍勢を指揮する気など毛頭ないため、勝手働きだけを咎めるのは筋が悪いだろう。
正之がそんなことを考えながら戦況を見守る間に、
いつしか騎馬武者は、率いる十名ほど足軽と切り離されて福島勢の只中に孤立していた。
次郎が指示を続ける間に、
次郎の矢継ぎ早の命令を受けて素早く動いた陣借衆は、隙を見せることなく、狭い区域においては味方の数が勝る場所を作りあげていた。
知らぬ間に死地へと誘われたと気づいた騎馬武者は、泡を喰って味方の陣に戻ろうと手綱を引く。
そこへ、次郎がこれまでゆっくりと歩かせていた連銭葦毛の馬腹を蹴り、騎馬武者目掛けて挑みかかった。
「御覚悟を!」
戦場の中でもよく通る次郎の声は、騎馬武者の耳にも届いたようだ。
背中を見せて逃げられぬと悟った騎馬武者が、右手で手鑓を構える。
しかし、その穂先が突き出されるより先に、行き足がついた次郎の鑓が繰り出され、騎馬武者の面頬を捉えた。重い音が短く響く。
「っ!」
正之の目には、何が起こったのか正確には見切れなかった。それほどまでに次郎の片手突きの鑓は速かった。
一つはっきりしているのは、光の筋が疾った瞬間、騎馬武者がもんどりうって落馬したことだ。
次郎はもはや、仰向けに倒れた敵の騎馬武者に目を向けてはいない。
次郎の一の家臣である宇野鉄入斎も、次郎の馬の左後方に控えて万一の伏勢に備えているだけで、首級には興味を示さない。
その代わりに、別所一党以外の陣借衆が我勝ちに騎馬武者にのしかかり、たちまち首級を挙げる。
「聞いたとおりであったな」
正之は小声で呟いた。
何故かは判らないまま、漠然とした敗北感が正之の心に満ちていく。
「若殿。淡河民部に今の振る舞いについて問い質しますか」
馬廻りの一人がもどかしげな口ぶりで尋ねる。正之の心のうちなど、推し計りようもない。
「何を申しておる。今は戦さ働きの真っ最中ぞ。その邪魔立てをしてなんとする」
その言葉に、馬廻りは一様に不満気な表情を見せた。
正之勢は今日の戦さでは、先陣を任されずこれまで後方にとどめ置かれている。
それでも、物見として前線に出れば一戦を交える機会もあるのでは、と彼らが期待していたのは明らかだった。
「我等は見るべきものは見た。本陣に戻るぞ」
馬廻衆の我欲など、知ったことか。正之は内心で毒づきながら馬首を返す。
兵の指揮に鑓捌き。自分に次郎と同じことがやれるだろうか。いくら考えても、前向きな答えは導き出せなかった。
「やはり、武家のしきたりについて、いささか疎いようでしたな。しっかり手柄を己のものにするよう、首級を挙げるように申し伝えました」
本陣に戻った正之は、正則に対してそう報告した。
実のところ、正之は本陣に戻る途中、別所源兵衛の元に再び立ち寄っていた。
その場で源兵衛に、「その方が首級を挙げねば、殿は召し抱えをお認めにならぬぞ」と吹き込んでから帰陣している。
声が不自然に震えなかったか。正之の背中に汗が噴き出す。
「左様であるか。まあ、功名の立てどころはまだいくらでもあろう」
正則が別所一党の動向に関心を示したのは一時の気まぐれだったのか。
興味を失ったかのように熱のこもらない一言で、話はおしまいになった。当然、正之の言葉を疑う様子もない。
正之は何食わぬ顔で応じ、先ほどまでのように正則の傍らに控える位置に戻った。
だが、内心は大きく波立っている。
嘘をついた訳ではない。
だが、事実を全て伝えた訳ではないと苦い思いは、正之の心に意外なほど重くのしかかった。
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歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
転生一九三六〜戦いたくない八人の若者たち〜
紫 和春
歴史・時代
二〇二〇年の現代から、一九三六年の世界に転生した八人の若者たち。彼らはスマートフォンでつながっている。
第二次世界大戦直前の緊張感が高まった世界で、彼ら彼女らはどのように歴史を改変していくのか。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
Sieg Heil(勝利万歳!)
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