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必要な品を揃えるのに刻を要するため、引き渡しは明朝になるとの福助の言葉を受け、次郎たちは別所一党に宛がわれた天正寺へと向かう。
天正寺へ続く坂道を登っていく彼らを葛屋の店先で見送った長範は、従者を連れて淡河城の北側にある搦め手門のくぐり戸を抜けて本丸御殿へと戻った。
「葛屋との談合は、首尾よく参りましたかな」
長範の次男・小平太範重が、やや皮肉げな口ぶりで出迎える。
小平太は、葛屋が連雀商人を駆使した調者働きによって長年に渡って有馬家を背後から支えてきたことを知らない。
従って、茶数寄の主君に茶道具などを売りつける、単なる御用商人の一つだとの認識しか持っていない。
もっとも長範自身も、葛屋の裏の顔を知ったのはつい先日のことだ。
有馬法印が会津征伐に赴く家康に同行するため出立する直前、長範に淡河城の城代を命じた後、直々に城内の茶室に呼び出され、密かに伝えられたのだ。
その際、有馬法印からは他の家臣にも教えてはならぬと命ぜられたとおり、長範はその事実を実子にもまだ報せる気はない。
「商人を侮ってはならぬぞ。武具にしろ兵糧にせよ、葛屋に頼らねばならぬことは種々あるのでな」
妙な具合に勘繰られると、長範としても秘事を隠し通せる自信がない。その裏返しで、やや厳しい口調で叱責するようなかたちになる。
「左様でございますか」
事情を知らない小平太は眉間に皺を寄せたが、それ以上父親に反駁することはなかった。根は素直な若者なのである。
「そういえば、五十名ばかりの牢人者が天正寺城に滞在しておったと聞き及びましたが、大事ないのでしょうか。敵の物見などということはないでしょうか」
小平太は気まずげに話題を変えた。
「いや、葛屋の福助曰く、上方にて一旗揚げようという無頼の連中がたまさか立ち寄ったまでのようじゃ。我等にも葛屋にも関わりはない」
長範も、内心で胸をなでおろしながら応じる。
ただし、一党の中に小平太にとって従兄弟にあたる淡河民部がいたことは口にしなかった。
聞かされたところで、小平太としても心中動揺するだけで、得るものは何もないと考えたからだ。
「であれば良いのですが」
小平太にとって、上方勢が実際に淡河城に攻め寄せてきたとすれば、それが初陣となる。それだけに何かと気負いが言葉の端々にあらわれていた。
「小平太は、三木合戦の頃を覚えておるか」
「まだ、ほんの幼児の頃でございましたからな。石峯寺に母上と難を逃れていたことは覚えておりますが、何が起こっていたかを理解していたとは申せませんな」
長範の問いに、話のつながりが見えぬ小平太は、怪訝そうな表情をみせながら答えた。
石峯寺は、かつて淡河氏が勢力下におき、長範が城代を勤めたこともある野瀬城のほど近くにある。
三木合戦において軒並み神社仏閣が焼かれる中にあって、唯一石峯寺だけは戦禍を免れていた。
独自の僧兵を多く抱えていたことと、別所氏および淡河氏に対して全面的な支援をしておらずある程度の距離を保っていたこと、そして交通の妨げにならぬ山中に寺領を有していたことなどが要因と考えられる。
「であれば、戦さをはじめて実地で知る機会になるやも知れぬ、という訳じゃな」
「はい。もっとも、この城をわざわざ攻めてくるとも考えにくいと存じますが」
「兄が羨ましいか。あ奴は今頃、会津に向かっておる頃やも知れぬぞ」
少し笑いを含ませて、再び長範が問う。
長範の長男、つまり小平太の兄である淡河甚左衛門範春は、黒田家に仕えている。
三木城落城後、牢人となった長範を有馬法印が召し抱えるにあたり、甚左衛門は人質として秀吉の元に送られていた。
敵方の軍門に下る以上、人質を出すのは、当然の武家の習いである。
その後、甚左衛門は秀吉の知恵袋として名高い黒田官兵衛孝高の元に預けられる形となった。長範の妻が官兵衛の妻と姉妹である縁もあってのことだろう。
そして甚左衛門は、今ではすっかり黒田家の家臣として別家を立てた恰好となっている。
甚左衛門としても、たかだか一万石の有馬家に仕える長範の世継として舞い戻るよりも、豊前国中津十二万五千石の黒田家の家臣であるほうが、よほど立身出世の望みがあるだろう。
最早、長範の元には消息さえ聞こえてこないが、甚左衛門が黒田長政の手勢に加わって会津征伐に参陣している可能性は少なくない。
「兄上ですか。確かに、黒田家であれば参陣の機会は多いでしょうな」
長範が匂わせた言外の意を汲み取り、小平太はしばし思案顔になる。
淡河城の本来の主である有馬法印も会津征伐に赴いているが、同行しているのは腹心の吉田大膳の他は警固の兵と従者をあわせても三十人程度に過ぎない。
有馬法印は、太閤の御伽衆としての肩書をてこに家康に取り入って、その身辺に侍ることを許されているものの、戦さ働きはまったく期待されていない。
「されどもそれがしは、父上が守り抜かれた淡河の名跡を継ぎ、次の世に伝えたいと存じまする」
ややあって、小平太はそう断じた。
「淡河の名跡か」
長範の胸中にほろ苦いものが去来する。
淡河弾正定範と新三郎長範の兄弟は、もともと淡河家の人間ではない。美作国英田郡の江見城を本拠とする江見又次郎祐春の次男と三男であり、元の名をそれぞれ江見行定、江見定治といった。
天文年間の頃、次男の行定が子のない淡河家の世継・淡河範之の養子としてもらわれた後、永禄十二年(一五六九年)になって、美作の江見家が攻め滅ぼされたのを機に、定治が生き残りの家臣ともども、兄を頼って淡河の地にまで落ち伸びたのだ。
淡河範之の弟で野瀬城主であった淡河範政にも子がなかったため、定治は養子として迎えられ、名を淡河長範と改めることになった。
兄弟そろって淡河家の養子となったうえ、江見家の旧臣が淡河家に加わったことで、元々の淡河家の家臣の中には反発する者も少なくなかった。
彼らの目に、江見家旧臣による淡河家の乗っ取りに映ったのだとしても不思議ではなかった。
長範にとって、淡河の名は生き延びるために名乗らざるを得なくなった名、それ以上のものではない。
もちろん、三十年あまりに渡って名乗り続けている以上、それなりに愛着はある。しかし、少なくとも「名跡を守り抜いてきた」という感覚は薄い。
却って、生まれながらに淡河の姓を名乗る小平太のほうが、思い入れは深いのかも知れない。
(ならば、せいぜい城代の役目を果たし、無事に名を倅に譲らねばならぬな)
淡河民部の面立ちを思い返しながら、長範は胸中で呟く。
長範はその経緯からしても亡き兄・弾正定範から淡河家を継いだ訳ではなく、別家を立てたものだと認識している。
その遺児が思惑通りに別所家再興に貢献したうえで、あらたな淡河家を立てて嫡流を称した暁には、自分達に何か不都合があるだろうか。
長範は顎に手を当てて改めて考えこむ。
今のうちから取り越し苦労もいいところだが、脳裏に描かれる光景には不思議と悪い気はせず、長範は我知らず口元に笑みを浮かべていた。
不意に無言で思案にふけり始めた長範を、向かい合う小平太は微妙な表情で見つめていた。
天正寺では、福助の言葉どおり、別所一党のために宿坊が用意されていた。今日は屋根のある部屋で眠れると一同で笑いあう。
予想外だったのは、夕刻近くになって、別所一党、なかでも淡河弾正の忘れ形見が来訪しているとどこからか聞きつけた近在の領民たちが、人目を忍んで面会を求めてやってきたことだ。
次郎としては追い返す訳にもいかず、源兵衛に断りを入れたうえで顔を出して応対せざるを得ない。
「淡河の殿様のお子がご健在とはつゆ存じませなんだ」
村人たちは異口同音に、淡河城の攻防で淡河定範が織田の軍勢に一矢報いてくれたことは自分達にとっての支えだと語る。
中には次郎の手を取り、涙ながらに悔やみの言葉を述べる者もいる。
二十年も昔の話を、つい先日の出来事であるかのように語る村人達を前に、次郎は改めて父の大きさを思い知らされた気になる。
もっとも、感傷的になってばかりもいられない。別所一党に加わって戦場に赴きたいと言い出す者が出始めたからだ。
「気持ちはありがたいが、領民を連れ出したとあっては、淡河新三郎様のご厚意を無にするどころか、顔に泥を塗る所業。どうか堪えてくだされ」
次郎は冷や汗をかきながら、村人たちの申し出を拒絶する他なかった。
天正寺にて心づくしの夕餉を終えたのち、源兵衛は割り当てられた寝所に次郎の他、赤松外記、別所隼人、田中孫右衛門ほか数名の家臣を呼び集めた。
「ここまで来れば、やはり三木にも足を延ばしてみたかったな。されど、首尾よく兵糧や武具の手当がついた以上は、先を急ぐことでもあるし、要らぬ無駄足であろうな」
源兵衛が残念そうにぽつりと呟く。
三木城の城下には、別所家累代の菩提寺である虚空山法界寺がある。源兵衛の亡き父・長治の遺骸も、この寺に埋葬されている。
淡河から三木までは一日あれば往復自体は出来る。だが、源兵衛の言葉どおり、寄り道をしている余裕はない。
「今の三木城は城兵も少ない筈。いっそのこと、福島様に召し抱えを願うのではなく、領民に殿の帰還を報せて蜂起を促し、我等の手で城を乗っ取ってしまってはいかがですか」
別所隼人が冗談めかして、そんな物騒な策をを進言する。
三木城を攻め落とした秀吉は、三木の地を直轄領として杉原家次、前野長康といった己の腹心に歴代の城代を務めさせた。
その後、天正十三年(一五八五年)になって賤ヶ岳の戦いで討死した中川清秀の子・中川秀政が入った。しかし、天正二十年(一五九二年)、文禄の役に参陣した秀政は、鷹狩に興じているところを不意打ちされて討たれたため、その弟である中川秀成が跡を継いだ。
文禄三年(一五九四年)になって秀成が豊後国岡に移封された後、杉原家次の子で但馬国豊岡城主の杉原長房が三木城代を兼ねる形で現在に至っている。
杉原長房は老朽化した法界寺の諸堂を再建し、亡き長治のために五輪石塔および霊廟を建設している。領民慰撫のためにも、別所家最後の当主は依然として粗略には扱えないのだろう。
いま、杉原長房は上方勢に与して出陣しており、今の三木城にはわずかな城兵が城代の留守を守っている筈だ。
視線が源兵衛に集まる。
「隼人の気持ちは判る。儂とて、いずれは三木城に返り咲き、別所ここにありと世に知らしめたい思いはある」
されど、と源兵衛は苦笑しながら首を振る。
「今、三木城の四方は皆、上方勢についておる筈。例外は有馬家ぐらいのもの。一時だけ三木城を奪ったところで、籠城戦となれば援軍も期待できぬ」
「これは、卒爾でござった」
別所隼人が慌てて頭を下げる。元々、単なる思い付きであって本気で口にしていた訳ではない。
加えて、三木城での籠城と聞けば、どうにも奮い立ちようがない。当時、籠城戦に武将として参加していた田中孫右衛門などは口をへの字に曲げている。
「福島様の召し抱えが叶い、御家再興の暁には、大手を振って菩提寺にも足を運べましょう」
赤松外記がその場を無難にまとめた。
天正寺へ続く坂道を登っていく彼らを葛屋の店先で見送った長範は、従者を連れて淡河城の北側にある搦め手門のくぐり戸を抜けて本丸御殿へと戻った。
「葛屋との談合は、首尾よく参りましたかな」
長範の次男・小平太範重が、やや皮肉げな口ぶりで出迎える。
小平太は、葛屋が連雀商人を駆使した調者働きによって長年に渡って有馬家を背後から支えてきたことを知らない。
従って、茶数寄の主君に茶道具などを売りつける、単なる御用商人の一つだとの認識しか持っていない。
もっとも長範自身も、葛屋の裏の顔を知ったのはつい先日のことだ。
有馬法印が会津征伐に赴く家康に同行するため出立する直前、長範に淡河城の城代を命じた後、直々に城内の茶室に呼び出され、密かに伝えられたのだ。
その際、有馬法印からは他の家臣にも教えてはならぬと命ぜられたとおり、長範はその事実を実子にもまだ報せる気はない。
「商人を侮ってはならぬぞ。武具にしろ兵糧にせよ、葛屋に頼らねばならぬことは種々あるのでな」
妙な具合に勘繰られると、長範としても秘事を隠し通せる自信がない。その裏返しで、やや厳しい口調で叱責するようなかたちになる。
「左様でございますか」
事情を知らない小平太は眉間に皺を寄せたが、それ以上父親に反駁することはなかった。根は素直な若者なのである。
「そういえば、五十名ばかりの牢人者が天正寺城に滞在しておったと聞き及びましたが、大事ないのでしょうか。敵の物見などということはないでしょうか」
小平太は気まずげに話題を変えた。
「いや、葛屋の福助曰く、上方にて一旗揚げようという無頼の連中がたまさか立ち寄ったまでのようじゃ。我等にも葛屋にも関わりはない」
長範も、内心で胸をなでおろしながら応じる。
ただし、一党の中に小平太にとって従兄弟にあたる淡河民部がいたことは口にしなかった。
聞かされたところで、小平太としても心中動揺するだけで、得るものは何もないと考えたからだ。
「であれば良いのですが」
小平太にとって、上方勢が実際に淡河城に攻め寄せてきたとすれば、それが初陣となる。それだけに何かと気負いが言葉の端々にあらわれていた。
「小平太は、三木合戦の頃を覚えておるか」
「まだ、ほんの幼児の頃でございましたからな。石峯寺に母上と難を逃れていたことは覚えておりますが、何が起こっていたかを理解していたとは申せませんな」
長範の問いに、話のつながりが見えぬ小平太は、怪訝そうな表情をみせながら答えた。
石峯寺は、かつて淡河氏が勢力下におき、長範が城代を勤めたこともある野瀬城のほど近くにある。
三木合戦において軒並み神社仏閣が焼かれる中にあって、唯一石峯寺だけは戦禍を免れていた。
独自の僧兵を多く抱えていたことと、別所氏および淡河氏に対して全面的な支援をしておらずある程度の距離を保っていたこと、そして交通の妨げにならぬ山中に寺領を有していたことなどが要因と考えられる。
「であれば、戦さをはじめて実地で知る機会になるやも知れぬ、という訳じゃな」
「はい。もっとも、この城をわざわざ攻めてくるとも考えにくいと存じますが」
「兄が羨ましいか。あ奴は今頃、会津に向かっておる頃やも知れぬぞ」
少し笑いを含ませて、再び長範が問う。
長範の長男、つまり小平太の兄である淡河甚左衛門範春は、黒田家に仕えている。
三木城落城後、牢人となった長範を有馬法印が召し抱えるにあたり、甚左衛門は人質として秀吉の元に送られていた。
敵方の軍門に下る以上、人質を出すのは、当然の武家の習いである。
その後、甚左衛門は秀吉の知恵袋として名高い黒田官兵衛孝高の元に預けられる形となった。長範の妻が官兵衛の妻と姉妹である縁もあってのことだろう。
そして甚左衛門は、今ではすっかり黒田家の家臣として別家を立てた恰好となっている。
甚左衛門としても、たかだか一万石の有馬家に仕える長範の世継として舞い戻るよりも、豊前国中津十二万五千石の黒田家の家臣であるほうが、よほど立身出世の望みがあるだろう。
最早、長範の元には消息さえ聞こえてこないが、甚左衛門が黒田長政の手勢に加わって会津征伐に参陣している可能性は少なくない。
「兄上ですか。確かに、黒田家であれば参陣の機会は多いでしょうな」
長範が匂わせた言外の意を汲み取り、小平太はしばし思案顔になる。
淡河城の本来の主である有馬法印も会津征伐に赴いているが、同行しているのは腹心の吉田大膳の他は警固の兵と従者をあわせても三十人程度に過ぎない。
有馬法印は、太閤の御伽衆としての肩書をてこに家康に取り入って、その身辺に侍ることを許されているものの、戦さ働きはまったく期待されていない。
「されどもそれがしは、父上が守り抜かれた淡河の名跡を継ぎ、次の世に伝えたいと存じまする」
ややあって、小平太はそう断じた。
「淡河の名跡か」
長範の胸中にほろ苦いものが去来する。
淡河弾正定範と新三郎長範の兄弟は、もともと淡河家の人間ではない。美作国英田郡の江見城を本拠とする江見又次郎祐春の次男と三男であり、元の名をそれぞれ江見行定、江見定治といった。
天文年間の頃、次男の行定が子のない淡河家の世継・淡河範之の養子としてもらわれた後、永禄十二年(一五六九年)になって、美作の江見家が攻め滅ぼされたのを機に、定治が生き残りの家臣ともども、兄を頼って淡河の地にまで落ち伸びたのだ。
淡河範之の弟で野瀬城主であった淡河範政にも子がなかったため、定治は養子として迎えられ、名を淡河長範と改めることになった。
兄弟そろって淡河家の養子となったうえ、江見家の旧臣が淡河家に加わったことで、元々の淡河家の家臣の中には反発する者も少なくなかった。
彼らの目に、江見家旧臣による淡河家の乗っ取りに映ったのだとしても不思議ではなかった。
長範にとって、淡河の名は生き延びるために名乗らざるを得なくなった名、それ以上のものではない。
もちろん、三十年あまりに渡って名乗り続けている以上、それなりに愛着はある。しかし、少なくとも「名跡を守り抜いてきた」という感覚は薄い。
却って、生まれながらに淡河の姓を名乗る小平太のほうが、思い入れは深いのかも知れない。
(ならば、せいぜい城代の役目を果たし、無事に名を倅に譲らねばならぬな)
淡河民部の面立ちを思い返しながら、長範は胸中で呟く。
長範はその経緯からしても亡き兄・弾正定範から淡河家を継いだ訳ではなく、別家を立てたものだと認識している。
その遺児が思惑通りに別所家再興に貢献したうえで、あらたな淡河家を立てて嫡流を称した暁には、自分達に何か不都合があるだろうか。
長範は顎に手を当てて改めて考えこむ。
今のうちから取り越し苦労もいいところだが、脳裏に描かれる光景には不思議と悪い気はせず、長範は我知らず口元に笑みを浮かべていた。
不意に無言で思案にふけり始めた長範を、向かい合う小平太は微妙な表情で見つめていた。
天正寺では、福助の言葉どおり、別所一党のために宿坊が用意されていた。今日は屋根のある部屋で眠れると一同で笑いあう。
予想外だったのは、夕刻近くになって、別所一党、なかでも淡河弾正の忘れ形見が来訪しているとどこからか聞きつけた近在の領民たちが、人目を忍んで面会を求めてやってきたことだ。
次郎としては追い返す訳にもいかず、源兵衛に断りを入れたうえで顔を出して応対せざるを得ない。
「淡河の殿様のお子がご健在とはつゆ存じませなんだ」
村人たちは異口同音に、淡河城の攻防で淡河定範が織田の軍勢に一矢報いてくれたことは自分達にとっての支えだと語る。
中には次郎の手を取り、涙ながらに悔やみの言葉を述べる者もいる。
二十年も昔の話を、つい先日の出来事であるかのように語る村人達を前に、次郎は改めて父の大きさを思い知らされた気になる。
もっとも、感傷的になってばかりもいられない。別所一党に加わって戦場に赴きたいと言い出す者が出始めたからだ。
「気持ちはありがたいが、領民を連れ出したとあっては、淡河新三郎様のご厚意を無にするどころか、顔に泥を塗る所業。どうか堪えてくだされ」
次郎は冷や汗をかきながら、村人たちの申し出を拒絶する他なかった。
天正寺にて心づくしの夕餉を終えたのち、源兵衛は割り当てられた寝所に次郎の他、赤松外記、別所隼人、田中孫右衛門ほか数名の家臣を呼び集めた。
「ここまで来れば、やはり三木にも足を延ばしてみたかったな。されど、首尾よく兵糧や武具の手当がついた以上は、先を急ぐことでもあるし、要らぬ無駄足であろうな」
源兵衛が残念そうにぽつりと呟く。
三木城の城下には、別所家累代の菩提寺である虚空山法界寺がある。源兵衛の亡き父・長治の遺骸も、この寺に埋葬されている。
淡河から三木までは一日あれば往復自体は出来る。だが、源兵衛の言葉どおり、寄り道をしている余裕はない。
「今の三木城は城兵も少ない筈。いっそのこと、福島様に召し抱えを願うのではなく、領民に殿の帰還を報せて蜂起を促し、我等の手で城を乗っ取ってしまってはいかがですか」
別所隼人が冗談めかして、そんな物騒な策をを進言する。
三木城を攻め落とした秀吉は、三木の地を直轄領として杉原家次、前野長康といった己の腹心に歴代の城代を務めさせた。
その後、天正十三年(一五八五年)になって賤ヶ岳の戦いで討死した中川清秀の子・中川秀政が入った。しかし、天正二十年(一五九二年)、文禄の役に参陣した秀政は、鷹狩に興じているところを不意打ちされて討たれたため、その弟である中川秀成が跡を継いだ。
文禄三年(一五九四年)になって秀成が豊後国岡に移封された後、杉原家次の子で但馬国豊岡城主の杉原長房が三木城代を兼ねる形で現在に至っている。
杉原長房は老朽化した法界寺の諸堂を再建し、亡き長治のために五輪石塔および霊廟を建設している。領民慰撫のためにも、別所家最後の当主は依然として粗略には扱えないのだろう。
いま、杉原長房は上方勢に与して出陣しており、今の三木城にはわずかな城兵が城代の留守を守っている筈だ。
視線が源兵衛に集まる。
「隼人の気持ちは判る。儂とて、いずれは三木城に返り咲き、別所ここにありと世に知らしめたい思いはある」
されど、と源兵衛は苦笑しながら首を振る。
「今、三木城の四方は皆、上方勢についておる筈。例外は有馬家ぐらいのもの。一時だけ三木城を奪ったところで、籠城戦となれば援軍も期待できぬ」
「これは、卒爾でござった」
別所隼人が慌てて頭を下げる。元々、単なる思い付きであって本気で口にしていた訳ではない。
加えて、三木城での籠城と聞けば、どうにも奮い立ちようがない。当時、籠城戦に武将として参加していた田中孫右衛門などは口をへの字に曲げている。
「福島様の召し抱えが叶い、御家再興の暁には、大手を振って菩提寺にも足を運べましょう」
赤松外記がその場を無難にまとめた。
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