淡き河、流るるままに

糸冬

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(五)

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 次郎と鉄入斎が松林に囲まれた田村神社の前に着くと、大鳥居の下に小具足姿の武士が数名たむろっている様子が目に入った。
 見慣れぬ二人連れの来訪に気づいた武士の一人が口元をほころばせ、両手を広げて歓迎の意を示す。
「それがしは別所隼人と申す。別所源兵衛様の元ご参集されたものとお見受けいたすが、いかがか」
 頬骨が張り、顎と頭頂部がとがった独特の風体の男が、先に名乗ったうえで気安げに声をかけてきた。
 別所と名乗るからには源兵衛の親族であろうか。次郎は緊張しながら応じる。
「はっ。わたくしは淡河弾正定範が一子にて、民部と申しまする。こちらは亡き父の旧臣である宇野鉄入斎にござります」
「おお、雌馬放ちの淡河弾正のお子が加わってくれるとは心強い。それに、宇野鉄入斎殿と申せば、淡河四天王のお一人ではござらぬか。讃岐におられたとは存じませなんだ」
 別所隼人は手を打って喜ぶ。隼人の周りにいた小具足姿の武士たちも、おおと声をあげて歓迎の意を示した。
「恐縮でござります」
「なに、それがしなど別所の姓こそ名乗っておりますが、いつの代で嫡流から枝分かれしたのかも判らぬほどの庶流にござる。淡河弾正の遺児となれば、みなが一目置くこととなりましょう」
 別所の名乗りだけで身構えられることを嫌ってか、殊更に気さくな態度で、別所隼人は次郎の肩をたたいた。
「して、源兵衛様、いや殿はお戻りでございましょうか」
「まだじゃ。一人でも多く引き連れたいとお考えであろう。じゃが、先を急がねばせっかくの決起も時宜を得ぬものとなる。そう長く待たされることにはならぬと思う」

 源兵衛の戻りを待つ間、次郎は鉄入斎とともに宿坊に集った一党に声をかけ、挨拶して回った。
 これまで寺男として、限られた相手と接する機会しかなかった次郎は、一度に多くの見知らぬ相手と話をして、顔と名前を覚えるのは慣れていない。一人と話すごとに間をおいて頭を整理する必要があった。
 幸い、半ばほどの人数はすでに鉄入斎に面識があった。
 とはいえ、鉄入斎のように三木合戦当時に現役で参陣していた者はすくなく、多くは代替わりした若者である。
 讃岐に逃れたのち、密かに連絡を取り合っていた間柄だった。
(自分が安穏と東星寺で過ごしている間に、鉄入斎はこの日が来ると信じて備えていたのだな)
 また、集まった顔ぶれには別所家直臣の子弟が多く、次郎の淡河家のように別所と行動を共にした国衆の出身者は少なかった。
 いささか肩身の狭い思いがしないでもなかったが、相手は概して好意的であった。やはり、三木合戦において織田勢に一矢報いて別所の面目を保った淡河弾正の子、という名乗りはかなり効き目があるようだった。
(父の名に恥じぬ働きをせねばならぬ)
 改めてその思いを強くする次郎である。



 数日後、讃岐の各所に散っていた別所の残党を尋ねて回り、味方を募った源兵衛一行が田村神社に帰還した。
 早速、宿坊に一党およそ六十名が集い、評定となる。
 上座の源兵衛に対し、その斜め前の左右に赤松外記と別所隼人が席を占める。それ以外の者は向かい合う形で座る。
 集まっているのは宿坊の一室に収まる数ではなく、外に座る者のために戸板が外されている。
 まず、司会役を務める赤松外記より、源兵衛の元に集った者の名が、家格等による序列の順に一人ずつ読み上げられた。
 内訳は馬乗りが十名、徒立ちが五十名とされたが、これは軍事的な区分というよりは、家格等による序列である。
 部屋の末席に鉄入斎と並んで腰を据えていた次郎もまた、騎馬武者として騎乗を認められる扱いとなった。しかし、次郎は軍馬をそもそも有していない。
 なんともなりの悪い話であるが、これは彼だけではなかった。
 馬を所有するには家格もさることながら、なにより経済的基盤が不可欠である。
 寺男の真似ごとをしてどうにか暮らしてきた次郎には到底、馬など飼う余力などなかった。
 個々の事情など知らぬといいたげな様子の赤松外記は、続けて、馬乗り一名を組頭として、徒立ちを五名ずつ率いる組を十組発表する。
 次郎も、徒立ち五名を割り当てられた。いずれも面識はなく、淡河家との縁がある者でもなかった。
 なお、この人数には淡河家の家臣である鉄入斎は含まれていない。
 五名の徒立ちは一組あたり、弓手と鉄砲放ちが一名ずつ配され、残り三名は鑓を持つ。
 さらに馬乗りの中から弓、鉄砲、鑓の奉行が任じられた。各奉行は、各組の兵種に対して、組頭に優越した命令権が与えられる。
 戦況によっては鉄砲を集中したいといった場合があるため、柔軟に対処するための措置だという。
 また、赤松外記と別所隼人の二名は、源兵衛の馬廻りとしてそれぞれ黒と白の母衣を背負うことも発表された。
「うむ。いかにも戦備えらしくなって参ったな」
 上座の源兵衛は上機嫌である。
 だが、説明を聞きながら次郎はどうにも落ち着かないものを感じていた。
 なんとも机上の空論というか、ごっこ遊び的な感覚がつきまとう気がしてならなかった。
 とはいえ、主君の源兵衛同様、その元に集った家臣もまた若い者が多い。
 三木城の籠城から既に二十年が経った。当時、別所の武将として参加した者の多くは既に隠居なり帰農なりしており、武士を続けていたとしても既に他家に仕えている。
 ここに集まっているのは、その子息がほとんどだ。
 それだけに、子供だましの戦ごっこじみた編成でも、なんとなく心が躍るものがない訳ではない。
(まずは形から、か)
 次郎はそう自らを納得させる。
 しばし一同のざわめきを楽しんでいた源兵衛が、ややあって口を開く。
「さて、すでに伝えた者も多いが、改めて申しておく。我らはこれより東に向かい、会津征伐に赴かれた福島左衛門太夫様の元にはせ参じ、戦場での功をもって召し抱えを願うこととする。仕官にあたっては、一党あわせて二千石を願い出る所存じゃ」
 なんの実績もない牢人としては夢想に近い破格の望みであろう。しかし、万石取りの大名には程遠いという点ではささやかな願いとも言える。
 一般には、百石あたり四人の軍役が通例とされる。源兵衛の元に集ったおよそ六十名を残らず養い、家を再興するためには、逆に言えば二千石程度は必要ということになる。
「儂一人の働きではなく、一党挙げての働きを御認めいただいて、はじめて二千石も夢ではなくなろう。皆も、尼子家の再興を目指して奔走した山中鹿介幸盛の話は耳にしたことはあろう。その方らが、別所の山中鹿介となってくれることを望む」
「ありがたき仰せなれど、その例えはいささか障りがあるのではと愚行致しまするが」
 源兵衛に身体を向けた別所隼人が、苦笑を浮かべて言葉尻を濁す。
「おお、それもそうか」
 源兵衛は悪びれた様子もなく、ぴしゃりと禿頭を叩いて笑いにごまかした。
 尼子勝久を擁立して織田家の元で尼子家の復活を目論んだ山中鹿介は、守備する上月城が毛利の大軍に包囲されるなか、別所家が織田家から離反したために秀吉から見捨てられ、降伏の憂き目にあった。
 鹿介の夢を阻んだのは、ある意味では別所家に他ならない訳で、例え話に出されても気まずいばかりである。
 一座から、明るい笑い声があがる。皆、世に出る機会を前にどこか浮かれ気味であった。
 源兵衛はざわめきが自然に収まるの待ってから、言葉を継ぐ。
「さて、問題はどのようにして福島様の元に馳せ参じるかである。ここであれこれと算段しておるだけでは、狸の皮を数えるようなものであるからな」
 それは自分も尋ねたかったことだ、と次郎は思った。
 既に上方では石田三成の決起に同調して上方勢と呼ばれる反徳川の軍勢が組織されつつある。
 この状況下で、小勢だからといって別所一党が東に向かうのを、黙って通してくれるとは限らない。
 なにか打開策はあるのだろうか、と次郎は考えつつ居住まいを正して源兵衛の言葉を待つ。
「上方勢の人目を避け、山道の間道を密かに抜けていくことも考えぬではなかったが、あいにくと、わが手の中には地理に詳しい者がおらぬ。迷って山中で野垂れ死にするのが関の山であろう」
 いや、自分であれば表街道を避けて皆を会津まで密かに案内できる、という声が出るのを待つかのように源兵衛は言葉を切って一同の反応を待つ。
 だが、やはり声をあげる者はいなかった。
 源兵衛は落胆する様子もなく続ける。
「徳川内府の後を追う長宗我部勢を頼ろうかと考えておる。あくまでも徳川勢と合流するまでの間、行動を共にさせてもらうのであれば、長宗我部の御当主も否とは申すまい」
 見方によっては、既に上方勢に包囲されているような状況である。
 一同の間から起きたざわめきは、今度は懸念をうかがわせるものだった。
 しかし、源兵衛はさほど心配はしていない様子だった。
「なに、案ずるほどのことはない。上方勢にしても、仇でもなければ恨みもない長宗我部勢にわざわざ喧嘩は仕掛けまいよ。剽悍な土佐兵を相手にすれば、少なくない人数が手負い討死を覚悟せねばならぬでな」
 徳川勢と戦う前に、誰もそのような無駄働きはするまい。長宗我部が押し通るのを力づくで阻止はしないだろう、というのが源兵衛の読みだった。
(そううまく運ぶだろうか)
 次郎としては気にならないでもなかったが、明確に反論できる材料を持ち合わせている訳ではない。
 代案も思い浮かばず、次郎はそれ以上、頭の中で自問を重ねるのを控えた。
「さて、福島左衛門太夫様の軍勢に参陣するにあたっては、いささか手元不如意である。まともな武具を持たぬ者もおるし、馬にしろ弓矢、鉄砲も幾らか揃えたい。なにより、道中の兵糧も心もとない。皆、これらを手に入れるために何か良き手立てはあろうか」
 源兵衛は上座から一同を見渡し、問う。
 軍勢としての体裁が整え切れていないことは自明であったが、次郎は、改めて別所一党の内情を気化されて内心唖然となる。
(正直なところ、もう少し手筈を整えてから起ったものと思うておったが)
 とはいえ、源兵衛としても宗鹿家と袂を分かって牢人同然になってからの挙兵である。加えて、会津征伐の報を聞かねば挙兵など出来ようはずもない。
 準備万端を目指して時をかけるより、ともかく動き出すことが肝要であったのかも知れない、と次郎は好意的に思いなおす。
「石田治部の上方勢に同心した家の蔵を襲うなどして奪うのは如何にございましょうか」
 家臣の間から、なにやら物騒な声が飛ぶ。
「それも一案ではある」
 源兵衛は動じることもなく、笑みをたたえて頷き返す。ただ、その後に、「されども、じゃ」と言葉を継いだ。
「上方勢とは申すが、我等がおる場所自体が上方勢の範疇にあることを忘れてはならぬぞ。金品を強奪したとて、その後がいかぬわ。四方から上方勢の追手がかかる状態では、とても遠く会津征伐まで赴かれた福島様の御陣まで辿り付けまい」
 その後、四半刻ほどの間、ああでもないこうでもないと、とりとめのない案が出ては消える。
(こんな調子で、この先やっていけるのだろうか)
 さすがに次郎も不安を覚え始める。いささか業を煮やすといった趣で、「恐れながら」と末席から声をあげる。
「おお、民部か。なんぞ良き手立てを思いついたか」
「良き手立てかどうか自信はございませぬが、まずは播州に残る別所旧臣の力を借りることは出来ませぬでしょうか」
「そうは申すが、みな三木城から逐われて播州を去っておるではないか」
 源兵衛の斜め前に座る赤松外記が鼻で笑い、口を挟む。
「外記よ。皆が皆、讃岐に流れてきた訳でもあるまい。中には播州にて下野した者もおる筈じゃ」
「しかし、そのような者を都合よく頼ることなど出来ましょうか」
「それも道理じゃ。民部よ、何か当てがあるのか」
 源兵衛に問われ、次郎はしばし言葉に詰まる。
 傍らの鉄入斎に目くばせすると、鉄入斎もやむを得ないといった風情の顔を作って頷き返してきた。
 次郎は肚を据え、改めて口を開いた。
「それがしの叔父、淡河新三郎長範は三木城落城の後、淡河城の主となった有馬法印殿の元に仕えていると聞いておりまする。どこまで当てになるかは判りかねますが」
「なるほど、有馬家にのう。民部の叔父御となれば、なんらかの力を借りることは出来るやもしれぬな」
 源兵衛は乗り気になって目を輝かせる。
「それがしは気にいりませぬな。有馬法印と申せば、三木合戦の折も一貫して織田方に通じ、別所に弓を引いた家ではございませぬか」
 赤松外記が反対の声をあげる。
 次郎にとっても、その反論は予想していた。それ故に、今まで胸を張って進言する気になれなかったというのもある。
 しかし次郎にとっては意外なことに、赤松外記に同調する者はほとんどいなかった。皆、出だしからつまづきをみせた議論に厭いていたのかもしれない。
「まあ、それはそれじゃ。播州にて、伝手らしい伝手が他にないのであれば止むを得まい」
 源兵衛がそうまとめると、赤松外記もそれ以上の反対の論陣を張ることはなかった。
「では、いったん播州に向かうとして、まずは瀬戸内の海を渡らねばならぬ。船を用立てねばならぬが、良き思案はあろうか」
 源兵衛が次の議題に移る。
(兵を挙げる以上、四国から出ねば話にならぬのは自明のこと。それすら今になって算段するのか)
 再び愕然とする次郎であるが、かといって今回は即座に名案も浮かばない。
 家臣の間からも、ともあれいずこかの湊に赴いて、船を持つ商人か漁師と話を付けるしかないのではないか、との声があがる。だが、具体的な伝手を持つ者はいないようだった。
「鉄入斎、どうだ」
 末席の次郎は胡坐をかいた上体をかがめるようにしてねじり、傍らの鉄入斎に小声で問う。
「引田湊であれば、心あたりは、なくはございませぬ」
 鉄入斎もいつになく困ったような表情をみせて応じる。
 評定には出席しているものの、鉄入斎はあくまでも淡河次郎の家臣、つまり源兵衛からみて陪臣にあたる。次郎を飛び越えて直接源兵衛に言上するのは遠慮せざるを得ない。
「では、わたしから殿に申し上げることにするが、あてが外れては前途が思いやられる。請け合ってよいのじゃな」
 再度の次郎の念押しに、鉄入斎はこくりと頷いた。
「恐れながら、申し上げまする」
 次郎は顔を上げて、上座の源兵衛に向かって声を上げる。
 こんな調子で、本当に御家再興が果たせるのか、内心の不安が表情に出ないかと心配になる。
「おお、民部か。良き思案があるか」
 次郎の懸念をよそに、上座の源兵衛は嬉しそうに表情を輝かせた。
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