淡き河、流るるままに

糸冬

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(三)

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 次郎が暮らしている陋屋の前に、数名の男が立って談笑していた。
 いずれも次郎と同年代の若者とみえた。一様に、真新しい小袖姿である。
 その輪の中にいて鉄入斎同様に頭を丸めている男がいち早く次郎の姿に気づき、人好きのする笑顔を向けてくる。
「淡河次郎殿か」
「はい。このような恰好で失礼いたします」
 みすぼらしい作務衣に気が引けて、次郎は目を伏せる。
「なんの。わたしも今は装束ばかりはこのように武士めいたなりをしておるが、仏門におった頃のほうが長くての。法衣のほうが身体におうておる」
 剃り上げた頭を撫で、男が笑う。そして、照れくさそうに、「別所源兵衛長行と申す」と名乗った。
「わざわざ御足労いただくとは申し訳なき事。お見苦しい場所ですが、立ち話では済まされぬと存じます故、お入りくださいませ」
 次郎は源兵衛一行を藁葺きの陋屋に招き入れる。
 もっとも、部屋は狭い二間しかない。源兵衛一行と鉄入斎を入れると、膝詰めで話す様な形になる。
 やむなく、次郎は奥の間の戸板を開く。
 かつて次郎の母が使っていた奥の間は、今では幾つかの遺品が残る仏間となっている。
「御母堂は亡くなられたと聞く。儂にとっては大叔母にあたる。経などあげたいと思うが、構わぬであろうか」
 位牌を目に留めた源兵衛の申し出を、次郎が断る理由はない。
「是非に。母も喜びましょう」
 次郎に促されて位牌の前に座った源兵衛は、しばし読経する。
 さすがに堂に入った声量に聞き惚れながら、次郎もその背後で手を合わせる。

「さて、鉄入斎からわたしのことを聞いておるか」
 読経を終えた鉄入斎の問いに、次郎は恐縮して縮こまる。
「恐れながら、百相城の御城主のお世継様が別所公の遺児であったとは、つい先ほど、初めてお名前を耳にした次第で」
 源兵衛は気にした風もなく、にこりと笑った。
「では、まずは我が来し方を知ってもらうところから始めねばならぬな」
  そう切り出した源兵衛は、己の幼少期からの出来事を語り始めた。
 天正八年一月、別所長治は自害を遂げたが、城から逃れた長治の側室である於菊は、丹波国に住む実父・斉藤玄庵の元に身を寄せた。
 実は長治の子を身ごもっていた於菊は、五月になって男児を産み落とした。
 それが、幼名を小十郎と名付けられた後の源兵衛である。
 数年が経ち、本能寺の変によって織田信長が討たれた後、於菊に再婚の話が舞い込んだ。
 於菊が小十郎を連れて嫁いだ相手、瀧右近なる武士は、信長に代わって京を支配する羽柴改め豊臣秀吉の家臣であった。 
 瀧右近に意趣はなくとも、小十郎が別所長治の忘れ形見であることを豊臣秀吉に知られたら、どのような沙汰が下るか判らない。
 気を揉む於菊の元にある日、意外な人物が訪れた。讃岐国善通寺の僧・尊翁法印である。尊翁法印は瀧右近の遠縁にあたる人物だという。
 於菊は亡き長治の菩提を弔うと共に、小十郎の身の安全を計るため、彼を尊翁法印に預け、僧にすることに決めた。
 小十郎が十二、三歳の頃の出来事である。
 その後、善通寺にて僧侶としての修行の日々を送っていた小十郎であるが、やがた三木城落城後、讃岐に逃れて逼塞していた別所の旧臣達に、その存在が密かに知れ渡ることとなった。
 小十郎は別所の旧臣と幾度も密会を重ね、己が別所長治の落胤であるとの自覚を強く持つようになった。
 旧臣たちが説く別所家の再興への思いもあったが、妻帯を許されぬ僧侶の身では、奇跡的につながった長治の血筋を自分の代で絶やすことを、小十郎は恐れた。
 やがて小十郎は還俗を願うようになったが、師である尊翁法印は於菊との約束を持ち出し、これを許さなかった。
 しかし、既に決意を固めていた小十郎は、夜陰に乗じて善通寺を抜け出し、別所旧臣の一人が仕えていて伝手があった百相城の宗鹿広茂の元に身を寄せた。
 由緒正しい村上源氏の末裔にして播磨二十四万石の太守であった別所長治の落胤とはいえ、落魄した身の上では食客のような処遇であっても文句は言えないところである。
 しかし、宗鹿広茂の娘・千代が小十郎を見初め、密かに逢瀬を続けて深い仲となったことから状況が大きく変わる。
 千代が小十郎の子を孕んだことを知った宗鹿広茂は「別所の末裔であれば女婿として相応しい」と表向きの体裁を整えたうえで小十郎を宗鹿家の跡継ぎとして婿に迎えたのだ。
 こうして、小十郎は一躍、城主の跡取りとなった。
 今では千代との間には、先に孕ませた子を含め既に二人の男子があり、さらに今も千代の腹には三人目の子がいるという。

 源兵衛の語り口がこなれているせいもあるが、波乱万丈などという言葉で形容しきれない来歴に、次郎は圧倒された。
(苦労なされましたな、などと感想を述べるのもおかしいが、言葉が出て来ぬわ)
 寺男として、何事もなさぬまま歳月を重ねてしまったことを今更ながらに恥じ入る他ない。
 もっとも、源兵衛の背後に控える家臣たちは厳しい表情ではなく、どこか温かいまなざしを源兵衛に向けていることが次郎には気にかかった。
 彼らにとってはすでに何度も聞かされた話に過ぎないのかもしれない。
 一方、言葉に詰まる次郎の反応をよそに、源兵衛は涼しい顔で話を続ける。
「しかし、やはり他家に身を寄せ、その跡を継いで城主になっただけでは真の意味で別所の御家を再興したとは申せぬ。宗鹿の家を乗っ取り、名乗りだけを変えるような真似はしとうなかった。己自身で家を立てねばならぬと思い至り、立つことにしたのじゃ」
 隠すことなく己の出自を明かすため、別所源兵衛長行と名乗りも改め、城主の跡取りとしての地位も返上し、旧臣と共に出直すのだという。
 厳密にいえば、三木合戦において織田方についた別所重宗の子・別所吉治が但馬国八木の地に一万五千石を領しており、別所の名は一応残っている。
 しかし、源兵衛の立場からいえば、当主たる別所長治に背いて生き延びた者を、別所の名跡を継いだとして認められるはずもない。
「失礼ですが、先のお話では、還俗されて既に数年経っておるかと存じますが、その頭は」
 源兵衛が依然として僧形であることにふと疑問を覚えた次郎は、場違いと知りながらついそんなことを尋ねてしまう。
「これはな、別所を名乗るにあたって改めて剃ったのじゃ。御家再興の大望を果たすまでは、再び僧侶の成りで行くと決めた。いわば願掛けじゃな」
 源兵衛は破顔すると、剃り跡の残る頭をつるりと撫でた。
「左様でございましたか。わたしの悪い癖で、気になることをつい口に出してしまいます」
 次郎は恥じ入る他ない。
 しかし、源兵衛は咎めることもなく笑顔を見せる。
「なに。今のは建前でな。この頭のほうが長年馴染んでおるゆえ、髷が面倒になって剃ったまでのことじゃ」
 その決断にいたる事情を何か知っているのか、源兵衛の近臣が忍び笑いをこらえて肩を震わせている。
 次郎も思わず頬を緩めてしまいそうになり、これはいかんと気持ちを切り替える。
「して、別所様が御家再興を成すにあたり、具体的にどのような手筈をお考えなのでしょうか。御家再興となれば、いずれかに扶持を得る必要があるかと存じます」
 別所を再興しようという男が、かつての旧臣の遺児と親交を深めるためだけに尋ねてくる筈がない。まだ直接口にこそしていないが、これは仕官の誘いなのだ。
 武士になって世に出たくないと言えば嘘になる。
 しかし、降ってわいた話に飛びつくほど、次郎は向こう見ずではない。乗るからには失敗できないとの思いは強い。
 悪い癖と知りながら、尋ねずにはおれなかった。
「まったく、その通りじゃ。されど馬乗り十名に徒立ち五十名と百にも満たぬ人数で、いずれかの城を奪うなど土台無理な話。となればいずれかの家に仕官する他はない。時にいま、天下を二つに分けた大戦さが始まろうとしておる。存じておるな」
「詳しくは知る由もございませぬが、生駒の若殿様が兵を集めて会津に出陣なされておりますが、此度は上方の檄に応じて兵を送り出したとか」
 二度にわたる動員を拒否した身であり、ばつの悪い思いで次郎は答える。
「そうじゃ。会津征伐に向かった徳川内府様を、石田治部少輔様らが咎めようとしておる」
 七月になって田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行が出した書状は、後世「内府ちかひの条々」と称されて伝わっている。
 徳川家康が公儀たる豊臣家をないがしろにして秀吉の遺命に背いていることを、十三か条に渡って糾弾する内容であり、諸大名に家康追討を呼びかけるものとなっていた。
 あくまでも三奉行の名前で出された体裁となっているが、背後には佐和山城にて謹慎の身にある石田治部少輔こと石田三成がいることは衆目の一致するところである。
「その大戦さに参陣して、働きを認められて召し抱えを願うとの算段にございましょうか」
 牢人者が身一つで戦場に足を運び、許されて合戦へ参加することを陣借という。確実とは言えないが、手柄を挙げれば仕官の目も出てくる。
「うむ。ただし、どの家中でも良い訳ではない。儂は福島家を頼ろうと考えておる」
「福島家と申すは、亡き太閤殿下の股肱の臣である、福島左衛門大夫様」
「左様。福島様は世継に恵まれず、実姉の子を嫡男として養子に迎えられておる。この姉と申すは、儂からみて祖父の弟である別所重宗殿の後妻に入っておってな。つまり血縁があるという訳じゃ」
「つまり、福島家の世継殿とは、我が母の弟でもありますから、わたしにとっては従兄弟となりますな」
「おお、そうなるな。加えて、今の福島家の石高は尾州清須二十四万石と聞く。奇しくも東播磨二十四万石を領した別所と同じじゃ。これも縁と言うものであろう」
 ややこじつけじみた話であるが、嬉しそうに相好を崩して話す源兵衛を見ていると、次郎もわざわざ否定する気にはなれない。
 もっとも、福島正則も会津征伐に参加している筈である。
 次郎は上方の情勢には疎いが、秀吉の遠縁である股肱の武断派である福島正則が加藤清正ともども、石田三成とは極めて険悪な間柄だと聞いた記憶はある。
 であれば、徳川勢の元にある福島正則が、上方勢に味方するとは考えづらい。
 福島正則がいるであろう会津まで、どうやって行くつもりなのか。
 次郎の様々な疑問が頭の中で渦巻いている。
「どうじゃ。その方も我が思いを援けてくれぬか」
 一方、源兵衛は伝えるべきことは全て伝えたと言わんばかりの口ぶりで、次郎の同心を求めてきた。
「それは」
 次郎は言葉に詰まった。
 正直なところ、断る理由はないとも思う。
 このまま座していては生駒家の雑兵として動員の手が伸びるのが避けられない。それは亡き母も望まないだろう。
 であれば、このまま別所一党に与力して起つのは願ってもない好機である。
 しかし、降ってわいた話に、どうしても即答しかねた。
「なにぶん急な話ゆえ、腹が定まりませぬ。どうか考える時を頂戴いたしたく存じます」
「殿がこれほど礼を尽くしておるというのに、何を迷うことがある」
 それまで黙って背後に控えていた近臣の一人が、源兵衛より先に鋭い声を発した。
 顎が尖った狐面の男が、細い目で次郎を見据えている。
「控えよ、外記」
「いえ、こればかりは言わせていただく」
 言って、外記と呼ばれた男は次郎に向かって膝を進めた。
「わたしは源兵衛様にお仕えしておる赤松備中守義了が次男、赤松外記と申す者である」
「赤松様にございますか」
 次郎は思わず驚いて訊ね返してしまう。
 播州武者にとっては赤松円心以来、赤松の名乗りには特別な意味がある。少なくとも、次郎は母からそう聞かされて育ってきた。
 事実、別所家をはじめ、播州では多くの武家が赤松の末裔を称している。
 由来に関しては赤松家由縁ではない淡河家においても、次郎の曾祖父である淡河元範は赤松氏から婿入りしており、関係は深い。
 もっとも、大名としての赤松氏は赤松義祐を最後に永禄年間には没落している。
 名乗りに反応した次郎の内心を見透かすように、赤松外記は自嘲めいた薄い笑いを浮かべた。
「赤松と名乗ってはおるが、傍流も傍流よ。赤松の宗家は所領こそ失うたものの一応は健在ゆえ、わたしが御家再興に立たねばならぬ理由はない。されど、源兵衛様は違う。御先代様の無念を晴らし、再び世に出る責務がおありだ」
「それは承知しております」
「その方とて、淡河家再興の志は持っておろう。今立たずしてなんとする」
「外記よ、そう逸るな」
 口から泡を飛ばす勢いの赤松外記を、源兵衛が傍らから袖を掴んでたしなめる。
「殿、しかし」
「前触れもなしに押しかけ、即答を求めるのが無理筋というものじゃ」
「されど、あまりぐずぐずとはしておられませぬぞ。戦さが始まるまでに陣に加わらねば、軍功も挙げられませぬぞ」
「まあ、落ち着け」
 源兵衛は赤松外記を宥めてから、次郎に向き直る。
「本来であれば諸葛亮孔明の出廬を願った劉備玄徳のごとく、二度でも三度でも足を運ぶ出来なのであろう。が、如何せん、我等も先を急ぎ、他にも声をかけるべき者もおる」
「はい。むしろ二度も殿に足をお運びいただいたのでなおのこと申し訳なく」
 既に源兵衛を殿と呼んでしまっていることに次郎は気づき、場違いにも照れ笑いを浮かべる。
「我等に味方すると決めたならば、田村の一宮神社まで参るがよい」
 不満気な赤松外記を制しつつ、源兵衛は柔らかな笑みを浮かべた。
 次郎は恐縮せざるを得ない。
「我等とともに行くのであれば、当地を引き払う算段をつけておかねばならんぞ。どのような顛末になるかは判らぬが、首尾よく仕官が叶うとなれば、讃岐ではなく、いずれかの他国に赴任することもあろう」
 事と次第によっては、後片付けに一度戻って来られるとは限らない、と赤松外記は言葉をつづけた。
「それは、確かに」
 言われて気づく。武士として身を立てるとなれば、このあばら家を出なければならないのは当然のことだった。
 しかし、讃岐を離れてまだ見ぬ地で新しい暮らしが始まるかもしれないという事実に、どうにも実感が沸かなかった。

「腰の定まらぬ男と思うか」
 源兵衛一行を見送った後、次郎は自嘲気味に笑って、所在なげにしていた鉄入斎に問うた。
「一生の大事にございますれば、慎重になるのも当然でございましょう。肚落ちするまで、ずんとお悩みになるがよろしいかと」
 ちらりと笑みを浮かべて、鉄入斎は首を横に振ってみせる。
「その言葉にあまえて熟慮すると痛そう。それにしても、鉄入斎には相変わらず苦労を掛ける」
「なんの。この日が来るのをどれほど待ち望んだことか。念願がかない、苦労どころかむしろ身体に気力に満ちておりますぞ」
 鉄入斎がにかりと笑った。
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