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眠っても眠っても、アベルは元の世界へは戻れなかった。
元の世界などそもそもなく、自分は夢を見ているわけではない。
信じたくなかったが、納得するしかなかった。
マイネはふかふかの自分のベッドをアベルに譲り、自らは寒くて暗いというヴィルフリートの部屋で眠っている。そうして甲斐甲斐しくアベルを世話した。
全身が痛むアベルの包帯は日に二度替え、薬草の軟膏も塗り直して清潔に保った。食事は横たわる背の下にクッションを入れて身体を起こさせ、口元まで匙を運ぶ。
子どもでもないのに食事を食べさせられるのはさすがに最初は抵抗があったが、利き手が使えず反対側も痛むとなれば仕方ない。なにより、真剣なマイネの表情にアベルは彼の行動を拒否することができなかった。
「赤ん坊の頃に、僕は夜ノ森に捨てられていたのだそうです」
食事の最中、マイネは話してくれた。前置きに「街に戻ったら忘れてもいいですから」と付けてから。彼はどうやら話し相手が欲しかったようだ。
「ヴィルフリートは僕を拾い、名前をつけて育ててくれました。そして小さかったピムを連れてきて、遊び相手にしてくれたんです」
「恐ろしい魔法使いがすることじゃないな」
「それほど恐ろしい人ではないですよ。本当は優しい人なんです。ただ彼は、少し人生を間違えてしまったと話してくれだことがあります。孤独な人です」
悲しそうに瞳を伏せながら、さあどうぞと野菜の入ったかゆの匙を差し出してくる。アベルはもう深く考えず、マイネがしてくれるに任せている。
「君はいくつなんだ?」
「さあ、よくわかりません。ヴィルフリートにはもうあまり時間の概念がなくて、僕の年齢も気にしていなかった。いくつに見えます?」
「若くて十六、いってて十八ってとこかな」
「じゃあ、間をとって十七歳ということにします」
マイネはふふっと笑った。
彼は毎日顔を合わせていてもむさ苦しくないし、それどころか可愛らしく笑ってくれると嬉しくなる。おそらく恵まれた外見と、上品な物腰のせいだ。
アベルはとうに自分で粥を食べることくらいできそうなのだが、せっかく世話してくれるのだからと甘んじてしまっている。これがどういった感情から来るものなのかはいまいち分析しきれていない。
「ところで、ヴィルフリートはどこにいるんだ?」
問うと、マイネは口ごもる。少し何かを考えるように宙を見つめる。
「この森はいつも真っ暗で時間の感覚が狂いそうだが、ここに俺が運ばれてきてから何日か経ったろう? ヴィルフリートはまったく現れない」
「……ヴィルフリートには仕事があるんです」
言い辛そうに言葉を絞る。
「どんな?」
「それは、秘密です。口外してはならない」
「口外? 知られたら困る仕事なのか?」
人骨を原料に魔薬を……という噂がまた頭の中を掠め、アベルはこっそり身震いした。
「知られて困るというものでもないですが、外の世界に住んでいる人には関係のないことですから。魔法使いはむやみに自分の素性をあかしたりはしない」
「でも君は彼に詳しいじゃないか」
「僕は、存在が不必要として捨てられていた人間ですから。それに、僕の仕事は元々はヴィルフリートの仕事の一部なんです。あなたのようにたまに夜ノ森に迷いこんでくる人間を、外に出してあげること。それも彼の仕事の一つです」
「じゃあヴィルフリートは迷い込んできた人間を助けてやっていたのか?」
だったら別に悪い魔法使いではなさそうじゃないか。どうして恐ろしい噂が広まってしまったんだと問うと、マイネは困ったような顔を作る。
彼はよくこんな顔をする。アベルを歓迎してはいるけれど、どう扱ったらいいかわからないと感じているのが伝わってくる。
「……だから、ヴィルフリートはそこまで悪く言われるような人じゃないんです。噂が広まったのは、きっと僕の生まれる前のことでしょうからよくわかりません」
さあ、粥が冷めてしまいますよとやや強引に口元へ匙を突きつけられ、アベルは素直にそれを受け入れた。
マイネもこれ以上ヴィルフリートのことには触れたくないのか、無言で俯きがちに次々と匙を運んでくる。
そこまで恐くないとは言いつつも、きっとそれなりに畏怖の対象ではあるのだ。だってマイネはヴィルフリートについて話す時には、確実に言葉を選んで口に出している。
アベルもあまり深く追求するのはよそうと思った。
できれば魔法使いヴィルフリートと顔を合わさないうちにここを出たい。得体の知れない恐怖の存在とわざわざ出会いたいわけがない。
(ピムめ……なぜあんなに本気で体当たりしてきやがったんだ)
当のピムは今は勝手に散歩に出かけているらしい。元はと言えばあのデカ犬がこちらに危害を加えなければ、自分は今頃マイネの案内でとうにミロハルトに到着していたかもしれないのだ。
(早く治して歩ける状態になろう。それしかヴィルフリートが帰って来る前にここを出る方法はない)
とにかく出されたものをしっかり食べて、よく休み、念のためマイネの機嫌も損ねないようにしておかなくては。
アベルが「美味いよ」とぎこちなく微笑むと、マイネも嬉しそうににっこり笑ってくれた。
元の世界などそもそもなく、自分は夢を見ているわけではない。
信じたくなかったが、納得するしかなかった。
マイネはふかふかの自分のベッドをアベルに譲り、自らは寒くて暗いというヴィルフリートの部屋で眠っている。そうして甲斐甲斐しくアベルを世話した。
全身が痛むアベルの包帯は日に二度替え、薬草の軟膏も塗り直して清潔に保った。食事は横たわる背の下にクッションを入れて身体を起こさせ、口元まで匙を運ぶ。
子どもでもないのに食事を食べさせられるのはさすがに最初は抵抗があったが、利き手が使えず反対側も痛むとなれば仕方ない。なにより、真剣なマイネの表情にアベルは彼の行動を拒否することができなかった。
「赤ん坊の頃に、僕は夜ノ森に捨てられていたのだそうです」
食事の最中、マイネは話してくれた。前置きに「街に戻ったら忘れてもいいですから」と付けてから。彼はどうやら話し相手が欲しかったようだ。
「ヴィルフリートは僕を拾い、名前をつけて育ててくれました。そして小さかったピムを連れてきて、遊び相手にしてくれたんです」
「恐ろしい魔法使いがすることじゃないな」
「それほど恐ろしい人ではないですよ。本当は優しい人なんです。ただ彼は、少し人生を間違えてしまったと話してくれだことがあります。孤独な人です」
悲しそうに瞳を伏せながら、さあどうぞと野菜の入ったかゆの匙を差し出してくる。アベルはもう深く考えず、マイネがしてくれるに任せている。
「君はいくつなんだ?」
「さあ、よくわかりません。ヴィルフリートにはもうあまり時間の概念がなくて、僕の年齢も気にしていなかった。いくつに見えます?」
「若くて十六、いってて十八ってとこかな」
「じゃあ、間をとって十七歳ということにします」
マイネはふふっと笑った。
彼は毎日顔を合わせていてもむさ苦しくないし、それどころか可愛らしく笑ってくれると嬉しくなる。おそらく恵まれた外見と、上品な物腰のせいだ。
アベルはとうに自分で粥を食べることくらいできそうなのだが、せっかく世話してくれるのだからと甘んじてしまっている。これがどういった感情から来るものなのかはいまいち分析しきれていない。
「ところで、ヴィルフリートはどこにいるんだ?」
問うと、マイネは口ごもる。少し何かを考えるように宙を見つめる。
「この森はいつも真っ暗で時間の感覚が狂いそうだが、ここに俺が運ばれてきてから何日か経ったろう? ヴィルフリートはまったく現れない」
「……ヴィルフリートには仕事があるんです」
言い辛そうに言葉を絞る。
「どんな?」
「それは、秘密です。口外してはならない」
「口外? 知られたら困る仕事なのか?」
人骨を原料に魔薬を……という噂がまた頭の中を掠め、アベルはこっそり身震いした。
「知られて困るというものでもないですが、外の世界に住んでいる人には関係のないことですから。魔法使いはむやみに自分の素性をあかしたりはしない」
「でも君は彼に詳しいじゃないか」
「僕は、存在が不必要として捨てられていた人間ですから。それに、僕の仕事は元々はヴィルフリートの仕事の一部なんです。あなたのようにたまに夜ノ森に迷いこんでくる人間を、外に出してあげること。それも彼の仕事の一つです」
「じゃあヴィルフリートは迷い込んできた人間を助けてやっていたのか?」
だったら別に悪い魔法使いではなさそうじゃないか。どうして恐ろしい噂が広まってしまったんだと問うと、マイネは困ったような顔を作る。
彼はよくこんな顔をする。アベルを歓迎してはいるけれど、どう扱ったらいいかわからないと感じているのが伝わってくる。
「……だから、ヴィルフリートはそこまで悪く言われるような人じゃないんです。噂が広まったのは、きっと僕の生まれる前のことでしょうからよくわかりません」
さあ、粥が冷めてしまいますよとやや強引に口元へ匙を突きつけられ、アベルは素直にそれを受け入れた。
マイネもこれ以上ヴィルフリートのことには触れたくないのか、無言で俯きがちに次々と匙を運んでくる。
そこまで恐くないとは言いつつも、きっとそれなりに畏怖の対象ではあるのだ。だってマイネはヴィルフリートについて話す時には、確実に言葉を選んで口に出している。
アベルもあまり深く追求するのはよそうと思った。
できれば魔法使いヴィルフリートと顔を合わさないうちにここを出たい。得体の知れない恐怖の存在とわざわざ出会いたいわけがない。
(ピムめ……なぜあんなに本気で体当たりしてきやがったんだ)
当のピムは今は勝手に散歩に出かけているらしい。元はと言えばあのデカ犬がこちらに危害を加えなければ、自分は今頃マイネの案内でとうにミロハルトに到着していたかもしれないのだ。
(早く治して歩ける状態になろう。それしかヴィルフリートが帰って来る前にここを出る方法はない)
とにかく出されたものをしっかり食べて、よく休み、念のためマイネの機嫌も損ねないようにしておかなくては。
アベルが「美味いよ」とぎこちなく微笑むと、マイネも嬉しそうににっこり笑ってくれた。
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