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ここでしか咲けない2
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おそるおそる目を合わせて訊ねると、ふっとジャペルの表情が緩んだ。
「ユノン殿。あなたは、ご自分が他人の目にどう映っているか考えたことはありますか?」
「いいえ……」
そんなことはどうでもいいことだ。自分は務めを果たすだけ。夫たちによく仕え、国のため動き、与えられたものを享受する。……本来なら自分の意思など必要ない。もう、遅いけれど。
「あなたは一輪の花のようです。穢れなく白い、石ころの大地にたった一輪だけぴんとまっすぐに立って咲いた花。けれど大輪過ぎて、花を支えるのが少々難儀そうだ。そんな風に、私の目には映りましたね」
「花? 僕が?」
ますますジャペルがわからない。自分がいつ花になど見えたのか。ここへ来てしばらくの間はただ流されてようやっと生きていただけなのに。
「わかりません。僕は穢れのない白い花なんかじゃありません。きっと最初から、とても汚いのです」
一度男を知ってからは、沼にはまり込むように快楽を汲み取っては全身で貪った。そしてあろうことか、後々は不貞とも受け取られかねない願望を抱くに至るのだ。
ライルも以前ユノンにデンフィアが似合うと言ってくれたことを思い出した。
――大輪の白い花だ。知ってるだろう、夜に咲き、かぐわしい香りが辺り一面に立ち込める。あんたによく似合うと思った――。
「行けません。僕は、ここで生きていくしかない。百歩譲って僕が花だとしても、デンフィアだって、この国にしか咲きません」
ここを出られたらどんなにか良いだろう。いつかの世は、ここでないどこかには確かにあるのかもしれない。
明るい日差しが頬を照らし、温く穏やかな風は爽やかに髪をさらう。色とりどりの蝶が飛び、どこまでも広がる緑、点在する湖――。
ここじゃない。それだけはわかる。夢なのか記憶なのか幻なのか想像なのか願望なのか、もはやわからない。すべてが混じり合い、ユノンに強く訴える。
お前がいるべき世界はこちらだ、と。
「僕はここに残ります」
ユノンは俯き、もう一度ゆっくりと述べた。
自分がいるべき世界はここではない。それもまた、ただの願望なのかもしれないけれど。
いつかのある晩、タリアスとの褥で見たある夜の不吉な夢。
美しい片翅の蝶を追い緑の中を駆け抜けていた。転倒し、愛しい誰かが現れる。たちまち視界は暗転し、ユノンは地下の泉の部屋へと落下するのだ。
結局戻って来る。逃げられない。それに、ライルがいない世界になど、何の価値もないのだ。
薄物の袷を掴み握り締めた手が、ぶるぶると震えた。行けないのだ。ライルのいない世界へなどとてもではないが踏み出せない。
……しかし、それでも脳裏をよぎるのはいつかの世の愛しい人物。リーデルエントの想い人。ユノンは、自分の中に無意識に抱いてしまう顔さえ知らない彼への思慕に気付いていた。
行けない、外へなど。だが、いつかの世には行きたい。顔も知らない彼への想いは、ライルに対して抱く気持ちにとてもとても似ている。これが浮気心だとも思えない……。
「ユノン殿」
肩を掴まれジャペルを見上げた。気付けば自分が全身にひどく汗をかいていることに気付いた。
「そんなに思い詰めないでいただきたい。あなたの気持ちはわかりましたから。無理にライルのいない所へ連れていくことはしませんよ。まあ、タリアスがあなた方の逢瀬を許すとは思えませんがね」
やれやれと言った風にため息をつかれた。
ユノンは辺りを見回す。タリアスの閨だ。いつもと同じ、自分に与えられた場所。どこでもない。
ふう、と一つ息を吐いた。いつもと同じ、ということにとても安堵していた。
「さすがはライルだ。あなたが見込んだ男は一筋縄ではいかないな。結局はこうなるか」
「……どういうことです?」
額の汗を掛布で拭いながら訊ねた。ジャペルはユノンから距離を取り、寝台の端に座り直す。
「ライルは波の鎮まる間を憎き私に教えてくれました。それはなぜだと思います?」
「厄介払いをしたいから?」
真剣に考えて答えたのに、ジャペルは一瞬間の抜けたような顔をするとくくっと笑った。
「ははは、面白いな。あなたでもこんなことを言うのか。まあそれもあるでしょう。ただ彼は、この情報と引き換えにあなたと引き会わせてくれと私に頼んだのですよ」
「ライル様がそんなことを?」
タリアスに見つかれば、互いにただでは済まされない。縄で縛られ、二人がかりで辱められた数日前が頭をよぎった。
自分はあの程度の罰なら何度でも耐えられる。ライルに会えるのならば。けれど、言い出したのがライルだと知れれば彼はもっと酷い目に遭わされるだろう。
一瞬考えが止まる。彼を苦しめることは絶対に避けたい。
……それでも、ライルに会いたいと願ってしまう。
彼は深淵なのだ。ユノンを呑み込み、離してくれない、深い深い淵。
会いたいと彼が望んでくれたのだから、絶対にヘマはしない。見つからなければいい。ライルのことは守ってみせる。
「連れて行ってください、ライル様の元へ。僕はどうしたらいいですか?」
ユノンはジャペルに縋り付いた。
ライルの所へ連れて行ってくれるなら、なんだってできる。
鬼気迫るユノンの様子に、ジャペルは驚いたように少し身を引いた。
「落ち着いてください。連れて行きますから。まずは準備が必要です」
「何でもします」
ユノンがすぐに返すと、ジャペルは呆れたようにかすかに笑い、肩を竦めた。
「ユノン殿。あなたは、ご自分が他人の目にどう映っているか考えたことはありますか?」
「いいえ……」
そんなことはどうでもいいことだ。自分は務めを果たすだけ。夫たちによく仕え、国のため動き、与えられたものを享受する。……本来なら自分の意思など必要ない。もう、遅いけれど。
「あなたは一輪の花のようです。穢れなく白い、石ころの大地にたった一輪だけぴんとまっすぐに立って咲いた花。けれど大輪過ぎて、花を支えるのが少々難儀そうだ。そんな風に、私の目には映りましたね」
「花? 僕が?」
ますますジャペルがわからない。自分がいつ花になど見えたのか。ここへ来てしばらくの間はただ流されてようやっと生きていただけなのに。
「わかりません。僕は穢れのない白い花なんかじゃありません。きっと最初から、とても汚いのです」
一度男を知ってからは、沼にはまり込むように快楽を汲み取っては全身で貪った。そしてあろうことか、後々は不貞とも受け取られかねない願望を抱くに至るのだ。
ライルも以前ユノンにデンフィアが似合うと言ってくれたことを思い出した。
――大輪の白い花だ。知ってるだろう、夜に咲き、かぐわしい香りが辺り一面に立ち込める。あんたによく似合うと思った――。
「行けません。僕は、ここで生きていくしかない。百歩譲って僕が花だとしても、デンフィアだって、この国にしか咲きません」
ここを出られたらどんなにか良いだろう。いつかの世は、ここでないどこかには確かにあるのかもしれない。
明るい日差しが頬を照らし、温く穏やかな風は爽やかに髪をさらう。色とりどりの蝶が飛び、どこまでも広がる緑、点在する湖――。
ここじゃない。それだけはわかる。夢なのか記憶なのか幻なのか想像なのか願望なのか、もはやわからない。すべてが混じり合い、ユノンに強く訴える。
お前がいるべき世界はこちらだ、と。
「僕はここに残ります」
ユノンは俯き、もう一度ゆっくりと述べた。
自分がいるべき世界はここではない。それもまた、ただの願望なのかもしれないけれど。
いつかのある晩、タリアスとの褥で見たある夜の不吉な夢。
美しい片翅の蝶を追い緑の中を駆け抜けていた。転倒し、愛しい誰かが現れる。たちまち視界は暗転し、ユノンは地下の泉の部屋へと落下するのだ。
結局戻って来る。逃げられない。それに、ライルがいない世界になど、何の価値もないのだ。
薄物の袷を掴み握り締めた手が、ぶるぶると震えた。行けないのだ。ライルのいない世界へなどとてもではないが踏み出せない。
……しかし、それでも脳裏をよぎるのはいつかの世の愛しい人物。リーデルエントの想い人。ユノンは、自分の中に無意識に抱いてしまう顔さえ知らない彼への思慕に気付いていた。
行けない、外へなど。だが、いつかの世には行きたい。顔も知らない彼への想いは、ライルに対して抱く気持ちにとてもとても似ている。これが浮気心だとも思えない……。
「ユノン殿」
肩を掴まれジャペルを見上げた。気付けば自分が全身にひどく汗をかいていることに気付いた。
「そんなに思い詰めないでいただきたい。あなたの気持ちはわかりましたから。無理にライルのいない所へ連れていくことはしませんよ。まあ、タリアスがあなた方の逢瀬を許すとは思えませんがね」
やれやれと言った風にため息をつかれた。
ユノンは辺りを見回す。タリアスの閨だ。いつもと同じ、自分に与えられた場所。どこでもない。
ふう、と一つ息を吐いた。いつもと同じ、ということにとても安堵していた。
「さすがはライルだ。あなたが見込んだ男は一筋縄ではいかないな。結局はこうなるか」
「……どういうことです?」
額の汗を掛布で拭いながら訊ねた。ジャペルはユノンから距離を取り、寝台の端に座り直す。
「ライルは波の鎮まる間を憎き私に教えてくれました。それはなぜだと思います?」
「厄介払いをしたいから?」
真剣に考えて答えたのに、ジャペルは一瞬間の抜けたような顔をするとくくっと笑った。
「ははは、面白いな。あなたでもこんなことを言うのか。まあそれもあるでしょう。ただ彼は、この情報と引き換えにあなたと引き会わせてくれと私に頼んだのですよ」
「ライル様がそんなことを?」
タリアスに見つかれば、互いにただでは済まされない。縄で縛られ、二人がかりで辱められた数日前が頭をよぎった。
自分はあの程度の罰なら何度でも耐えられる。ライルに会えるのならば。けれど、言い出したのがライルだと知れれば彼はもっと酷い目に遭わされるだろう。
一瞬考えが止まる。彼を苦しめることは絶対に避けたい。
……それでも、ライルに会いたいと願ってしまう。
彼は深淵なのだ。ユノンを呑み込み、離してくれない、深い深い淵。
会いたいと彼が望んでくれたのだから、絶対にヘマはしない。見つからなければいい。ライルのことは守ってみせる。
「連れて行ってください、ライル様の元へ。僕はどうしたらいいですか?」
ユノンはジャペルに縋り付いた。
ライルの所へ連れて行ってくれるなら、なんだってできる。
鬼気迫るユノンの様子に、ジャペルは驚いたように少し身を引いた。
「落ち着いてください。連れて行きますから。まずは準備が必要です」
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