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夏至祭・浄逸の儀1
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広間から漏れ出る青い光が王宮地下の泉の部屋に似ているとユノンは感じたが、それもそのはずだった。
足を踏み入れて驚いた。そこは広さこそ違えど、まるで泉の部屋そのものだった。一瞬むっとするような湿度も、温かな室温も。
入り口は高く、そこからごく小規模な劇場のように中央の舞台を見下ろす造りになっている。
舞台は島になっており、その周りを石製の橋により四つに分割された泉が囲んでいた。
「ここは……」
驚いて言葉も出ないユノンは、ベルネラに優しく引っ張られるようにして席へと案内された。
造られた時代を感じる簡易的な石の客席の中、そこは王族のための特等席だった。
席を前後に五、六人分ほど取った王族席は、長椅子の後ろには足を伸ばして休憩するためか広めの空間がある。
そして両側を扉のついた木製の壁に囲われ、それにビロードを掛けて屋根にしてあった。
「この王族席が正面だ。舞台がよく見えるだろう?」
隣に掛けたタリアスが声を潜めて言う。しんと静まった劇場に普段の声量で話すのは憚られたのかもしれない。
なるほど舞台は遠過ぎず近過ぎず、あそこに人が立てば表情までよく見えるだろう。
青く照らされた舞台はやはり王宮地下の泉の部屋の雰囲気そのもので、ユノンはまじまじとそこへ視線を注いだ。
「この広間は『浄めの間』という。我々は『選定の間』と呼ぶことが多い。神殿は初代の王と王妃が一番初めに上陸した小さな島を護岸し、その上に造られたとされているのだ」
若い神官が盆に乗った茶を運んで来た。それを前の席から配るユーティスが、ユノンに向けて説明してくれる。
ユノンの左隣にはタリアスが、そしてタリアスの向こうにはベルネラが座った。おそらく空いている右隣にはライルが座るのだ。
「ここは地下の泉の部屋によく似ています」
「あそことここは同じようなものだ。同じ水が流れているからな」
「同じ水? ……と言いますと、湖の水が流れ込んでいるということですか?」
そうだと頷くユーティスに、タリアスが横から付け加える。
「外から見るとわかり辛いが、この神殿の一部は湖の上に張り出た造りになっている。王宮も、建物の載る岩盤がそうなっているんだ。だから地下では湖の水を建物内に取り込むことができる」
「そうだったのですね。とても、よく似ている……」
この浄めの間にも細く、長く天井から光が漏れている。それは舞台の真上にある小さな吹き抜けの天窓から差しているようで、誰かが舞台に立てばそこだけ明るく照らされるようになっている。
ユノンはぼんやりと舞台を見つめた。
いまだ舞台上には何も置かれていないが、あそこで何かを行うだろうというのは明白だ。
気付けば舞台に近い一番下の席には、年配の神官たちが並んで座っている。薄暗くて見え辛いが、おそらく高位の者たちだ。
ユーティスがタリアスに挨拶しどこかへ去って行くと、入れ違いにライルがやって来た。若い神官に扉を開けられて入って来る。
来ることはわかっていたのに、やはり心臓が飛び跳ねる思いだった。ユノンは必死に鼓動を抑え平静を保とうと努める。
「遅くなりました」
ライルがタリアスに向けて挨拶すると、タリアスも頷いた。ずっと聞きたかったライルの声に、少しじんわりとする目尻をユノンは慌てて拭った。
「ご苦労だった。また後程ドルネルの話を聞かせてくれ」
「はい」
それだけ言って一礼すると、ライルはやはりユノンの隣にどかりと腰を下ろした。
「お、おかえりなさいませ」
勇気を振り絞り、ライルに声を掛けた。
少しだけ声が震えてしまったし、語尾は消え入りそうになってしまった。非常に情けない。
無視されたらと考え恐る恐るライルを見上げていたが、彼にはいつものような刺々しい雰囲気はなかった。
「……ああ」
ライルの声も消え入りそうだった。多少掠れていたのは疲れのためだろうか。
「だいぶお疲れですか?」
「当たり前だ。……正直、式の間体力が持つかどうか」
「体力? 座っていることさえお辛いのですか?」
訊き返したが、ライルはちらりとユノンを一瞥するとそれきり舞台の方を見つめて黙り込んでしまった。
反対側からタリアスがユノンの手をさすり、目で「そっとしておけ」と訴える。ユノンはその通りにしようと口をつぐんだ。
ライルの到着を待っていたのか、舞台上に人が現れ始める。
中央には炎が灯された松明が置かれ、青い空間の中に橙色の炎が鮮明に灯った。それの前に、白い長衣を身に着けた三人の少年が均等な間隔で並ぶ。
客席にはユノンたちと高位の神官しかおらず、場所が広い割には一般に公開されている儀式ではないらしかった。
「今年は三人もいるのか。子も少なくなっているというのに」
タリアスが呟いた。
「毎年人数が違うのですか?」
ユノンの問いに、タリアスは頷く。新たな神官候補生を選ぶ神事だと聞いていた。少年たちの歳は十五前後といったところか。
「カザカルの該当する年代の子らの中から、条件に合う者たちが選ばれる。条件とは、強く艶やかな髪、遠くを見通す瞳、月のような肌、メレの実のような胸、……あとは、何だったかな。確かもっとある」
「濡れた瞳、さざ波のような声、湖上に映る三日月のような性器、です。全部で七つあります」
記憶を手繰るように話してくれたタリアスに、ベルネラがすらすらと加えた。
「……抽象的で、よくわかりません」
表現としては具体的なものもあるが、それをどういった基準で判断するのか。謎の多い条件だ。
「私たちには判別つかないものです。すべて自薦や他薦で神殿に赴き、神官により条件にあてはまると判断された子らです。
条件は、去年は無理でも今年は適合し、反対に今年が適合しても来年には合わなくなることもある。そういうものらしいです」
「はあ……。複雑なのですね」
ユノンは舞台を見下ろす。皆痩せ型の似た体型で、顔立ちの整った賢そうな少年たちだ。
「去年の適合者は一人。その前は条件に合うものが見つからず、この儀式自体行われませんでした。なにせ子を産める女は何年も前からとても少ないのです。新しく生まれる女もいない」
この重々しい言葉には、ユノンは何も返せなかった。
存続自体が危ぶまれる儀式なのだろう。儀式がというより、国自体が。
次に産まれた女児はタリアスの妾または側妃となるが、おそらくこうなるまで対応が遅れたのは湖への信仰がある。
他国からの姫を迎え入れるという選択肢がないのは、カザカルの女だけの風土病を厭われることに加え王家が異様に血統を気にするせいだ。
舞台上では、ユーティスの手により少年たちにそれぞれ杯が配られた。そして大小の太鼓を手にした数人の男たちが入場し、松明の後ろに控える。楽隊だ。
「こちらをどうぞ。お神酒です」
馬車を降りてから途中まで案内してくれた若い神官が、王族席にも同じようなものを配って回る。そしてもう一人現れたほぼ少年と言ってもいいような神官が、ガラス製の美しい瓶を恭しくタリアスに差し出した。
瓶の中にはとろりとわずかに粘度のある液体が入れられ、青い花が一輪挿されている。
そこから香る香りには、非常に馴染みがあった。
「タリアス様、それは」
「メレの香油だ」
ユノンは身体が強張るのを感じた。メレの香りなど、普通は夜にしか嗅がない。
「なぜこのようなものを?」
ユノンが少年神官に向かい訊ねると、話し掛けられるとは思わなかったらしい彼は一瞬目を瞠った。
それでも神職の者らしく、落ち着き払った声音で答える。
「ここは霊験あらたかな場所にございます。祝福されし神事の日、こちらで儀の最中に子宝を願われる王様お妃様のための、我々からの心ばかりの品にございます」
「は……?」
理解できない。できないというより、脳が理解を拒んでいる。頭の片隅では当然わかっているのだ。これは、子作りに使うもの。渡されたということは。
「タリアス様、これは」
タリアスは手を出し、ユノンの言葉を制す。
「しっ。始まった」
どん、どん――。
男たちが太鼓を打つ。身体の奥を震わすようなその低く太い音に、ユノンは思わず黙った。
入ってきた時から心細げだった舞台上の少年たちの表情は、いよいよ強張る。
足を踏み入れて驚いた。そこは広さこそ違えど、まるで泉の部屋そのものだった。一瞬むっとするような湿度も、温かな室温も。
入り口は高く、そこからごく小規模な劇場のように中央の舞台を見下ろす造りになっている。
舞台は島になっており、その周りを石製の橋により四つに分割された泉が囲んでいた。
「ここは……」
驚いて言葉も出ないユノンは、ベルネラに優しく引っ張られるようにして席へと案内された。
造られた時代を感じる簡易的な石の客席の中、そこは王族のための特等席だった。
席を前後に五、六人分ほど取った王族席は、長椅子の後ろには足を伸ばして休憩するためか広めの空間がある。
そして両側を扉のついた木製の壁に囲われ、それにビロードを掛けて屋根にしてあった。
「この王族席が正面だ。舞台がよく見えるだろう?」
隣に掛けたタリアスが声を潜めて言う。しんと静まった劇場に普段の声量で話すのは憚られたのかもしれない。
なるほど舞台は遠過ぎず近過ぎず、あそこに人が立てば表情までよく見えるだろう。
青く照らされた舞台はやはり王宮地下の泉の部屋の雰囲気そのもので、ユノンはまじまじとそこへ視線を注いだ。
「この広間は『浄めの間』という。我々は『選定の間』と呼ぶことが多い。神殿は初代の王と王妃が一番初めに上陸した小さな島を護岸し、その上に造られたとされているのだ」
若い神官が盆に乗った茶を運んで来た。それを前の席から配るユーティスが、ユノンに向けて説明してくれる。
ユノンの左隣にはタリアスが、そしてタリアスの向こうにはベルネラが座った。おそらく空いている右隣にはライルが座るのだ。
「ここは地下の泉の部屋によく似ています」
「あそことここは同じようなものだ。同じ水が流れているからな」
「同じ水? ……と言いますと、湖の水が流れ込んでいるということですか?」
そうだと頷くユーティスに、タリアスが横から付け加える。
「外から見るとわかり辛いが、この神殿の一部は湖の上に張り出た造りになっている。王宮も、建物の載る岩盤がそうなっているんだ。だから地下では湖の水を建物内に取り込むことができる」
「そうだったのですね。とても、よく似ている……」
この浄めの間にも細く、長く天井から光が漏れている。それは舞台の真上にある小さな吹き抜けの天窓から差しているようで、誰かが舞台に立てばそこだけ明るく照らされるようになっている。
ユノンはぼんやりと舞台を見つめた。
いまだ舞台上には何も置かれていないが、あそこで何かを行うだろうというのは明白だ。
気付けば舞台に近い一番下の席には、年配の神官たちが並んで座っている。薄暗くて見え辛いが、おそらく高位の者たちだ。
ユーティスがタリアスに挨拶しどこかへ去って行くと、入れ違いにライルがやって来た。若い神官に扉を開けられて入って来る。
来ることはわかっていたのに、やはり心臓が飛び跳ねる思いだった。ユノンは必死に鼓動を抑え平静を保とうと努める。
「遅くなりました」
ライルがタリアスに向けて挨拶すると、タリアスも頷いた。ずっと聞きたかったライルの声に、少しじんわりとする目尻をユノンは慌てて拭った。
「ご苦労だった。また後程ドルネルの話を聞かせてくれ」
「はい」
それだけ言って一礼すると、ライルはやはりユノンの隣にどかりと腰を下ろした。
「お、おかえりなさいませ」
勇気を振り絞り、ライルに声を掛けた。
少しだけ声が震えてしまったし、語尾は消え入りそうになってしまった。非常に情けない。
無視されたらと考え恐る恐るライルを見上げていたが、彼にはいつものような刺々しい雰囲気はなかった。
「……ああ」
ライルの声も消え入りそうだった。多少掠れていたのは疲れのためだろうか。
「だいぶお疲れですか?」
「当たり前だ。……正直、式の間体力が持つかどうか」
「体力? 座っていることさえお辛いのですか?」
訊き返したが、ライルはちらりとユノンを一瞥するとそれきり舞台の方を見つめて黙り込んでしまった。
反対側からタリアスがユノンの手をさすり、目で「そっとしておけ」と訴える。ユノンはその通りにしようと口をつぐんだ。
ライルの到着を待っていたのか、舞台上に人が現れ始める。
中央には炎が灯された松明が置かれ、青い空間の中に橙色の炎が鮮明に灯った。それの前に、白い長衣を身に着けた三人の少年が均等な間隔で並ぶ。
客席にはユノンたちと高位の神官しかおらず、場所が広い割には一般に公開されている儀式ではないらしかった。
「今年は三人もいるのか。子も少なくなっているというのに」
タリアスが呟いた。
「毎年人数が違うのですか?」
ユノンの問いに、タリアスは頷く。新たな神官候補生を選ぶ神事だと聞いていた。少年たちの歳は十五前後といったところか。
「カザカルの該当する年代の子らの中から、条件に合う者たちが選ばれる。条件とは、強く艶やかな髪、遠くを見通す瞳、月のような肌、メレの実のような胸、……あとは、何だったかな。確かもっとある」
「濡れた瞳、さざ波のような声、湖上に映る三日月のような性器、です。全部で七つあります」
記憶を手繰るように話してくれたタリアスに、ベルネラがすらすらと加えた。
「……抽象的で、よくわかりません」
表現としては具体的なものもあるが、それをどういった基準で判断するのか。謎の多い条件だ。
「私たちには判別つかないものです。すべて自薦や他薦で神殿に赴き、神官により条件にあてはまると判断された子らです。
条件は、去年は無理でも今年は適合し、反対に今年が適合しても来年には合わなくなることもある。そういうものらしいです」
「はあ……。複雑なのですね」
ユノンは舞台を見下ろす。皆痩せ型の似た体型で、顔立ちの整った賢そうな少年たちだ。
「去年の適合者は一人。その前は条件に合うものが見つからず、この儀式自体行われませんでした。なにせ子を産める女は何年も前からとても少ないのです。新しく生まれる女もいない」
この重々しい言葉には、ユノンは何も返せなかった。
存続自体が危ぶまれる儀式なのだろう。儀式がというより、国自体が。
次に産まれた女児はタリアスの妾または側妃となるが、おそらくこうなるまで対応が遅れたのは湖への信仰がある。
他国からの姫を迎え入れるという選択肢がないのは、カザカルの女だけの風土病を厭われることに加え王家が異様に血統を気にするせいだ。
舞台上では、ユーティスの手により少年たちにそれぞれ杯が配られた。そして大小の太鼓を手にした数人の男たちが入場し、松明の後ろに控える。楽隊だ。
「こちらをどうぞ。お神酒です」
馬車を降りてから途中まで案内してくれた若い神官が、王族席にも同じようなものを配って回る。そしてもう一人現れたほぼ少年と言ってもいいような神官が、ガラス製の美しい瓶を恭しくタリアスに差し出した。
瓶の中にはとろりとわずかに粘度のある液体が入れられ、青い花が一輪挿されている。
そこから香る香りには、非常に馴染みがあった。
「タリアス様、それは」
「メレの香油だ」
ユノンは身体が強張るのを感じた。メレの香りなど、普通は夜にしか嗅がない。
「なぜこのようなものを?」
ユノンが少年神官に向かい訊ねると、話し掛けられるとは思わなかったらしい彼は一瞬目を瞠った。
それでも神職の者らしく、落ち着き払った声音で答える。
「ここは霊験あらたかな場所にございます。祝福されし神事の日、こちらで儀の最中に子宝を願われる王様お妃様のための、我々からの心ばかりの品にございます」
「は……?」
理解できない。できないというより、脳が理解を拒んでいる。頭の片隅では当然わかっているのだ。これは、子作りに使うもの。渡されたということは。
「タリアス様、これは」
タリアスは手を出し、ユノンの言葉を制す。
「しっ。始まった」
どん、どん――。
男たちが太鼓を打つ。身体の奥を震わすようなその低く太い音に、ユノンは思わず黙った。
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