片翅の蝶は千夜の褥に舞う

酒宴の少女たち２

「何をそんなに怒っている？　遠路はるばるやって来た使者たちだぞ。この上ないもてなしでねぎらってやりたいと思うのは、当たり前のこと」
「しかし、あまりにもやり方が――」
「お妃さま、杯はまだ一杯目にございましょう？」

　使者の一人が葡萄酒の瓶を持って近付いてきた。満面の笑みを浮かべた赤い顔に、息は酒気を含んでいる。
　ユノンは咄嗟に笑顔を作った。

「ええ。あまり酒には強くないのです」

　酒を飲むどころではない。自分はある意味女装させられた少年たちの仲間だ。この狂乱の宴をどうにかしなければならない。

「こちらは我がシャハルの誇る上質な葡萄酒です。色と香りも世界一と自負しております。この銘柄はまだ他国に輸出はいたしておりません。今回はどうか王様お妃様にお飲みいただきたく、持ってまいりました」

　男は侍男に小さな杯を二つ持ってこさせ、葡萄酒を注ぐ。目の覚めるような深い赤色は美しく、木からもいで間もない新鮮な果物を思わせる芳醇な香りが立つ。

「これはこれは美味そうだ。ユノン、ありがたくいただくとしよう」

　タリアスは喜々として杯を口元に運ぶ。体よくあしらわれたのだ。
　震えそうになる手で杯を持ち、ユノンは苦々しく宴会を見回す。
　少年たちは男たちに酒を注ぎ、酒臭い顔を近付けられ、ある者など膝の上に乗せられている。これでは身体を撫で回されるのなど時間の問題だ。
　男たちの笑いはすべていやらしくユノンの目に映った。隙あらば若い少年の柔肌に触れてみたいと企んでいるのだろうか。

　……そしてライルも、フェーゼンでこのようなもてなしを受けたのだろうか。

「お妃様、どうかされましたか？　どうぞ一口だけでも。毒など盛っておりませんので」

　視線を傍らに立つ葡萄酒を持つ男に戻す。
　彼は人の良さそうな顔で、ユノンが自分たちの誇る上質な酒を堪能するのを純粋に待っている。

「どうした、ユノン」

　タリアスも反応の鈍いユノンを多少心配してか、顔を覗き込んで訊ねてくる。

「いただきます、ありがとう」

　ユノンは再び精一杯の笑顔を作ると、一気に葡萄酒を飲み干した。
　タリアスと男からの呆気に取られたような視線に気づきながら、ユノンはふうと息をついて杯を置く。喉の奥と頭が熱い。

「とてもおいしゅうございました、ごちそうさまです。タリアス様、少々夜気に当たって来てもよろしいですか？　宴会の熱気にのぼせてしまいまして」
「……ああ、構わんよ」

　ではごゆっくり、と男にも微笑むと、ユノンは宴会場を後にした。とてもじゃないがこの場にはいられない。けれど場を壊すこともできなかった。
　廊下に出て、足は自然と開け放たれた露台へ向かう。
　ふらふらと空中を浮いているような心地で涼やかな外気に包まれ、そのまま進んで手すりに手を乗せた。
　見上げれば夜霧の空にはぼんやりと朧月が浮かんでいる。

（何もできなかった。けれど、あの宴会をどうにかすることも間違った行動だ。おそらくどこの国でも女たちがあのような役割を担っているのだから。そしておそらく、かつてのこの国も）

　この上なく悲しい気持ちのまま、足元のおぼつかない身体を手すりに預けて下を眺めた。露台の下は、子どもの時分にタリアスと遊んだ庭なのだ。
　初夏の花々は夜霧に包まれ眠りに就いている。あの花たちの間を飛び回る蝶や虫を捕っては、少年のタリアスと眺めたものだった。

「うっ……」

　一瞬吐き気がこみ上げてきて、手すりに肘をつき口元を押さえた。慣れないことはするものじゃない。

「ご気分がお悪いのですか、お妃様」

　誰もいないと思っていたのに、声を掛けられた。タリアスやライルとは違う、けれどなんとなく似ているような、甘い色を含む落ち着いた声だ。ユノンはゆっくりと振り向く。

「ジャペル様」
「こんな時間にどなたかと思いましたよ。まさか湖の精霊が城を懐かしんで姿を現したのかと」

　ジャペルは微笑みながら両手を広げてみせた。「湖の精霊」は、この国では見目麗しい男女どちらにも使える容姿の褒め言葉だとつい最近知った。
　彼はタリアスとライルの叔父だ。歳は三十過ぎとまだ若く、王の側近の一人。タリアスから仕事上かなり世話になっていると聞いたことがある。
　タリアスより少しだけ暗い金髪は朧月の下で鈍く輝き、短く伸ばされた西方風の髭はよく整えられている。
　悪い人物ではないが、外遊に行った際は女と、そして城下では少年たちとよく火遊びをする、色好みの軽い人だとミロが話してくれた。

「……なんでもないのです。少し気分が優れず出て来ましたが、もう良くなりました」
「そんな風には見えませんね」

　普段通りに背筋を正し放った言葉だったが、ジャペルは肩眉を上げて首を傾げる。

「城の少年たちは、いかがでしたか？　よい働きを？」
「知っていたのですか」

　ジャペルは意味ありげに笑っている。彼は今回のことの次第をよく知っているに違いない。問い詰めたいが、ユノンはもう立位を保っていられない。
　視界がゆらめき、その場にしゃがみ込んだ。