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湖の伝説

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「……うっ、……ん……」

 掛け湯をされて軽く身体を温めてから黄金の栓を抜くと、中からどろりと白蜜が溢れてくる。昨晩から明け方にかけて大量に流し込まれた王の子種はユノンのしなやかな脚を伝い、浴場の黒い石の床をみるみる間に汚した。
 突然硬い栓から解放された穴は戸惑っているのか、ユノンの意に反してひくひく動く。
 この場には自分の他にもう一人いるのだからと、ユノンはきゅんと尻に力を入れた。

「ユノン様、……もう、よろしいですか?」

 目を手で覆い後ろを向いていたミロは、恐る恐るといった風にユノンに声を掛けた。

「……ああ、いいよ」

 ゆっくりと俯き気味に振り向いたミロは床を見て赤面し、視線を上げてユノンの脚が視界に入るとまた顔を手で覆った。
 情交の跡を流すための朝の湯殿で、ミロに栓を抜いてよいかと問われたユノンは自分でやると断った。そんなみっともないことまでさせられない。

「……陛下のお種……」

 うっとりとした声でミロが呟く。指の隙間から、ミロの愛らしい黒砂糖色の瞳が少々の熱を孕んで覗いている。

「ミロ……?」

 ユノンは困惑した。汚らしいものを見る目で見られないのはありがたい。けれど、なんだかミロは心なしか興奮しているような……。
 膝上まで捲り上げた彼の薄衣の股を一瞬窺ってしまい、ユノンはなんて下世話なことをと自らのいやらしい猜疑心を呪った。

「ミロ、そんなに気遣ってくれなくてもいいよ。身体を流してくれないか? 湯に浸かって温まりたい」

 気を取り直してなるだけ落ち着いて言うと、ミロは弾かれたように頭を下げた。

「は、はい! 失礼いたしました」

 慌てたように湯桶を持ち、ユノンを椅子に座らせると身体を流し始めた。

「……すごい、ユノン様。やはり陛下に深く愛されておいでですね。今日はいつにも増して紅色の花びらが」

「恥ずかしいな。やめてくれ」

 湯船に浸かりながら、ユノンは赤面して首を振った。愛された身体は誇らしい。それでも、見られることにはやはり抵抗がある。
 ミロは薄衣を濡らしながら膝下まで湯に浸かり、ユノンの黒髪を梳いている。ほっそりとした腿が視界の端で揺れた。

「御髪は伸ばされるのですか? それともそのうち散髪いたします?」
「さあ……。陛下にお伺いを立ててみよう。なるだけ陛下のお好みの姿でいたいから」
「かしこまりました」

 ミロの声はいつも通りでも、視線からは絡みつくような重みを感じる。まさかこの身体に欲情しているのかとあらぬ疑いが再び胸によぎり、ユノンはため息を吐いた。
 もう、世界が別物に見えるのだ。

 いざこの身体が本当に男のものになってしまったと思うと、自分がなにかしら男を惹きつけるものを持っているのだろうかと傲慢にも感じてしまう。
 数年前から性技の指南は受けていたというのに。

(僕はもう二人の夫に尽くすだけだ。他の誰かにそんな目で見られたくない。何より、僕も男だ。同性に興味のない者も多いというのに、何を考えている……)

 浅はかな思考だ。誰も自分が思っているほどこちらなど見ていないものだ。それに加え、ユノンは王のものなのだから。
 目を開けて横目でかたわらのミロを見上げる。
 濡れた薄衣から透ける肌はユノンと同じくらいに白い。日焼けはあまりしない性質だと話してくれた。
 身体は細く華奢で、湯の蒸気にあてられ衣が乳首に貼り付いて透けている。そこはぽってりと丸く、少々膨らみが大きいように思える。

(ミロも、誰かに抱かれているのだろうか)

 今までまったく意識してこなかったが、ミロの身体は少し自分と似ている。筋肉も脂肪も少なく細身で、白い肌に乳首が目立つ。局部は、……生地が重なっていて見えないけれど。

(いや、たまたまだろう。いくらミロの外見が可愛らしくとも、そのうち女が生まれれば、彼も将来的には子を成して父となるかもしれない。おかしな勘繰りはやめろ)

 ユノンは湯をすくい、ばしゃりと顔に掛けた。

「ユノン様?」

 ミロが首を傾げ不思議そうに見下ろしてくる。大人しくミロに身体を任せていたユノンがいきなり荒々しく顔を洗ったので訝しんだようだ。

「なんでもないよ。いつもありがとう、ミロ」

 不埒な思考をごまかしたくて微笑んで言うと、何も知らないミロははにかんだように笑った。

「ユノン様に笑っていていただくのが僕の役目と心得ております。どうぞ何なりとお申し付けくださいね」

 温かい答えに、ユノンはじわりと目頭に涙が滲むのがわかった。馬鹿だ、自分は。心根のなんと汚れていることか。
 もう一度軽く湯をすくって顔にかけ、話題を変えた。

「湖の精霊を知っているか?」

 明け方にタリアスに訊ねようとしたが、眠ってしまったので諦めたのだ。

「湖の精霊? 知っていますがなぜですか?」

 髪梳きを終えたミロは、湯桶でユノンの肩に湯を落としている。

「……タリアス様が僕を、……湖の精霊のようだと……。どんなものなのかとお聞きする前に、お休みになられて」

 容姿を自画自賛するようで恥ずかしい。語尾に向かうにつれてどんどん小さくなっていった言葉に、ミロはふふっと微笑んだ。

「ユノン様はご存じないのですね。この国で育つ子どもたちは皆知っているものと思っていました」
「そういう言い伝えがあるということしか知らないんだ。楽しい昔話は、聞かされて育ってこなかったからな」

 王家に嫁ぐことに関し必要ないものは排除されて生きてきた。
 ミロは何かを悟ったのか、それ以上何も言わずにぽつぽつと語り出す。

「湖底には死者の魂が沈み、湖底の裏には別の世界があるとされています。生前よいことをした魂だけが向こうの美しい世界へ向かうことを許され、そこで楽しく暮らします」

 そこまでは知っていた。ユノンは頷きながら耳を傾ける。

「初代の王はそんな美しい世界に住む人ならざるものでした。聡明な彼は、神よりここへ国を築き、住まう人間を統べるよう命を賜ります。そして頑健な人間の身体を与えられたのです。
 次に愛するものを一人連れていくよう勧められた彼ですが、なんと選んだのは一人の少年でした。男と男では子孫が残せない。けれど神はかつて無法の荒れ地だったこの地を統べることができるのは彼しかいないと期待し、少年を連れていくことを許しました」

「少年を……」

 男性従者とは初代の王が愛する少年のことだったのだ。ユノンは興味深く聞き入る。
 湖上の国へ上がった男はとても賢く、法を整備し、みるみる間に人々の信頼を勝ち得て地位を築いていった。
 少年は男を支え、人々のためにも尽力した。けれど国が豊かになると、民からは別の不満が出てくる。
 王に子が望めないことだ。
 妾として自分の娘を、と申し出る男はたくさんいた。もともと女が少ない土地ではあったが、賢王の子孫が続くならとみな喜んで女を差し出そうとした。
  しかし王がその申し出を受けることはなかった。

 人々から少なからず白い目で見られるようになっていた少年は、ある夜湖のほとりで祈った。
 自分を女の身体にしてほしい。それができなくば殺してほしい、と。
 心優しく清廉な彼を憐れに思った湖の神は精霊を遣わした。
 しかし精霊は、力は強いが気難しい。
 千夜にわたって王の子種を腹に受けられればお前の腹に子を授けよう、と笑いながら言ったのだ。
 まるでお前なぞ相手にしない、とでも言うように。
 少年はその通りにした。千夜にわたり、病める時でも身体が辛くともひたすら王に愛され精を受け続けた。
 精霊はまさか少年と王がそれを成し遂げるとは思わず、顔を青ざめさせた。そして震えながら少年に言う。

 ――お前の腹に子を作る力は、私にはない。代わりにこの腹に子を作ることならできる。お前が私と引き換えに、湖の精霊となるのなら――。

 信じていた約束が嘘だったことに、少年は深く悲しんだ。しかし、彼は国のためを思い自らが精霊となることを了承した。
 湖底の国からこちらへ来る際に少年に与えられた身体は、無性の美しさを持つ精霊の姿かたちそっくりに造られていたのだ。

 だから自分が精霊とすり替わっても、王が悲しむことはないだろうと読んで――。

「酷い話じゃないか」

 ユノンはぱしゃりと湯を叩いた。
 のぼせてきて頭がぼうっとする。それでも少年の気持ちを思うと精霊に腹が立って仕方なかった。

「それ以降、たまに王宮の方向を見つめ湖の上に立つ美しい少年の姿が現れるようになったそうです。
 王妃となった精霊は子を成すことでただの人となり、神の声も聞こえなくなった。それで民の中から特殊な力を持つ女を巫女として召し抱えたそうです。それがユノン様のご先祖とされていますね」

 いつの間にか湯船のへりに腰掛けていたミロは、ふうっと息をついた。

「上がりましょう、茹で上がってしまいます。ついつい喋り過ぎました」
「そうだな」

 重い身体を奮い立て、二人とも言葉少なに長居した湯殿をふらふらと後にした。
 頭を占めるのは冷たい水を飲むことばかりで、今だけは伽がどうだの身体がどうだのは心底どうでもいいことに成り下がっていた。

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