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0.魅了の悪女

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 聖女イレーニア・アマーティは、悪女だった。

「すべてはイレーニア様の仰せのままに」

 誰も彼もが逆らうことのない悪女イレーニア。平民として生まれた彼女は、生まれもった治癒の魔法によって侯爵の養女となり、のちにその力から聖女の座に収まった。

 神がイレーニアに与えた祝福は、治癒の魔法だけではない。彼女は密かに、魅了の瞳も持っていた。目を合わせればたちまちに彼女の虜になるのだ。おまけに彼女は美しかった。夕暮れに光を浴びて輝く小麦畑のような金色の髪に、海の透き通った青を思わせる瞳、目元はいつも濡れていて淫靡だった。ふくよかな胸に引き締まったウエスト、そして張りのあるお尻にすらりと伸びた足。彼女が着飾って微笑みかければ、魅了の瞳などなくとも男たちはたちまち夢中になるだろう。

 けれども、実を言えばイレーニアは自分に魅了の瞳が備わっていることなど、知りもしなかった。

「みんな変なのよ? 私が困ってると、絶対に味方してくれるの」

 貧しく生まれたにもかかわらず、彼女の周りは常に彼女をちやほやしてくれる。治癒の魔法と違って、魅了の瞳は周囲に悟られることはなかった。

 何をしたって彼女だけは許される。悪いことを悪いことだと教えてくれる人もおらず、我儘を咎める人もいない。それに貞節の大切さも、隙あらば彼女を求めようとする不貞の輩のせいで貞操観念すら知らずに彼女は育った。彼女の知っている貞操とは、『中に出せば子どもができる』ということくらいだ。おかげで、魅了の瞳と生まれ持った美貌のせいで、彼女は気づいたときには悪女になっていた。

 天に与えられたこれらの祝福によって、彼女は一つ指を振れば、誰だって言いなりだったのである。

 この国の王太子、ジルド・ラーザ・ラパロただひとりを除けば。

 イレーニアは意識せずとも魅了の力で悪行の限りを尽くした。けれども、婚約者であり王太子であるジルドだけはその魅了の力が通用しなかった。結果として、彼女は魅了の力を封じられ、恨みの声を毎日かけられながらボロ雑巾のように扱われてから処刑台へと送られた。

「最後に申し開きはあるか?」

 それは断頭台に首を据えられて、ジルドが話しかけてきたときの会話だ。

「わ、わらし……魅了、らんて知ららい……」

 連日虐げられたせいで、彼女はもうろれつが回らない。それでも口をついて出るのは無実の訴えだった。知っていようがいまいが、彼女は放蕩の限りを尽くし、彼女のためにいくつもの命が散ったのだ。その罪は重い。

「……ここまできて罪を認めないか。救いがたいな」

「わらし、わるいころ、してらい……!」

「はっ醜い瞳を持つだけある。……いい、やれ」

 ジルドの最後の言葉だった。

(神様、助けて……!)

 そうして、悪女イレーニアは首をはねられ処刑されたのである。
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