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16.元令嬢の生い立ち

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 過去の様々なできごとが頭のうちをよぎって、エーギルは眩暈がするようだった。

 エーギルは、戦争によって家族の愛を失い、周囲から忌み嫌われるようになった。そして、アルヤはどうだろう。

 セウラーヴァ王をエーギルが殺したせいでアルヤが娼婦になったという、スリアンの言葉が確かならば、アルヤはエーギルによって幸せを壊され、巡り巡って不幸の元凶に毎夜身体を暴かれていることになる。嘘の愛でもいいと、ようやく手にすることのできたアルヤが、他ならないエーギルのせいで不幸になっていたのだ。それはどんなに惨いことだろう。

 ショックを受けて呆然としたエーギルに満足したのか、スリアンはアルヤに目を向ける。

「話はここまでとしよう。アルヤ、気が変わったらいつでも私のところに来るといい」

「気が変わることなんてありませんわ!」

 珍しく語気を強くしたアルヤに対し、言い捨てたスリアンは鼻で笑っただけで言葉を返さず、そのまま彼らの元を去って行く。土台、スリアンにはアルヤの身代金を支払えるような財力はない。それがわかっているのにあんなことを言うのはただの挑発だろう。アルヤはスリアンの頬を引っ叩いてやりたいくらいだが、今はエーギルのほうが優先だ。くだらない男になんか、構っている余裕などない。

(今が楽しくてわたくしが話してなかったばっかりに、こんなことになって……)

 情けなく思う自分自身を叱咤したアルヤは、俯いたままで黙り込んでいるエーギルの手をトン、と軽く叩いた。その接触に、はっとしたようにエーギルがアルヤの顔を見る。

「……さっきの話は、本当なのか? ……俺の、せいで……貴女が……」

 娼婦になったのか、という言葉をエーギルは口にしなかったが、皆まで言わずともアルヤは察した。

「そうですね。わたくしが娼婦になったのは、エーギル様のおかげ・・・です」

 頷いてエーギルの頬に手を伸ばしながら穏やかにアルヤは答える。身長差のある二人は立っていればどうしたって目線が合わない。いちいち彼が身を少し屈めてくれて、ようやく視線を絡めることができる。だが、いつだって彼と話すときには視線が合う。それは初めて会ったときからずっとだ。

(エーギル様のこういうところ、やっぱり好きだわ)

 おかげで彼女は触れたいと思ったときに、彼の頬に手を伸ばすことができるし、いつだってエーギルの赤い瞳を見つめることができる。アルヤにとって大事なのはそれだけで、過去なんてどうだってよかった。

 しかし、エーギルにとってはそうではないのだろう。アルヤの肯定に、エーギルはさっと青ざめた。

「俺は貴女を不幸に……!」

「いいえ」

 そっと唇をひとさし指で押さえて、彼が叫ぶのを堪えさせる。初めから周囲の注目を集めてはいるが、夜会の会場内で英雄が激昂していいことなどない。

「エーギル様。少し、お話をしましょう?」

「アルヤ……だが」

「わたくしの昔の話を、聞いていただきたいのです」

 そう言ってアルヤは、気の進まない様子のエーギルをバルコニーへと誘った。



***

 セウラーヴァ王国のライロ公爵家は、当時のセウラーヴァ王の弟が王室を出て公爵に封ぜられてできた家門である。ライロ公が妻を娶り、その第一子として産まれたのがアルヤだった。血筋もよく、容姿に秀で、幼いころから淑女教育を叩きこまれていたアルヤは、セウラーヴァ国の王太子の婚約者であった。当然、王太子妃教育も施されていたから、幼いころから彼女は自由時間らしい自由時間というものがない生活を送っていたのだ。

 婚約者の王太子がいい男ならば、そんな生活の中でもアルヤは救われただろう。だが、王太子は褒めるべき点を見つけるのが難しい、端的に言えばだめな男だった。もしくはアルヤを尊重してくれるような男であればまだましだったに違いない。だが、唯々諾々と家の言いつけを守って勉強をする顔の整った女などつまらないと思っているのか、あるいはいずれ手に入る女に優しくする必要などないと思っているのか、彼はアルヤに対して優しささえ見せなかった。唯一の長所といえば王太子は顔だけは整っている。その甘いマスクに惚れこめたらよかったのだろうが、アルヤは顔だけの性格が最低な男のことを、どうしたって好きになどなれなかった。

 だからこそ、アルヤはいつも思っていたのだ。

(こんなつまらない時間が、ずぅっと続いていくのかしら)

 そうは思っても、アルヤは自分自身が大貴族であり、未来の国母であることの自覚がある。だからこそ、不自由ばかりを強いられる生活でも、自分を支えてくれる人たちのために努力を続けたのだ。

 セウラーヴァは当時、長く続いているタッサとの戦争中だったが、王都では戦中であることなど全く感じさせない、享楽的な空気が漂っていた。それというのも、戦況は常にセウラーヴァが優勢だったせいだろう。加えて、いつも戦地はタッサの国土であり、セウラーヴァの大地が侵されることはなかったから余計だ。そんな状況が変わったのは、アルヤが十八歳ごろのことである。

 旗色が悪いと思われていたタッサ国が、セウラーヴァの大隊を退け、セウラーヴァの国土に攻め入ってきた。手勢としてはさほど多くないはずのタッサ軍は、一人の騎士を先頭としてセウラーヴァを食い破った。そうして王都にまで攻め入ったのだ。

 ライロ公がタッサとの戦いに身を投じて家を空けていたこともあり、一番安全な場所だからという理由で、王都で開戦してからというもの、まだ婚約者の身分ながらアルヤは王城に匿われていた。とはいえ、この期に及んで長年の優勢ムードに、セウラーヴァの王族たちはタッサ軍を甘く見ていた。騎士たちを指揮するどころか、王城内で普段通りに過ごしていたのである。

 だが、アルヤはそう楽観的ではなかった。敗戦は目の前だ。だからこそ、アルヤはその日、王太子の私室を尋ねて進言した。

「殿下。どうか陛下にご進言を。このままでは我が国の騎士たちは皆、死に絶えてしまいます。その前に、どうか……」

 今さら戦況がひっくり返せるとも思わない。だからこそ投降すべきだった。降伏すれば、交渉次第で助かる命がいくらでもあるだろう。現にタッサ軍は迎え撃つセウラーヴァ軍を倒しこそすれど、国民の虐殺はしていないようだったからだ。

 この件に関して、アルヤはこうして何度も諫言かんげんしている。だが、王太子は面倒くさそうにするだけで、いつも取り合わないのだ。彼は幼いころからいつもそうだった。アルヤが王太子に何か言葉をかけても、「でしゃばるな」と邪険にするだけで、会話において視線を合わせようとすらせず、婚約者であり未来の王妃である彼女のことをちっとも尊重しようとしない。だというのに、今日に限って彼は頷いた。

「そうだな。セウラーヴァは敗北するかもしれない」

「……! 殿下、では……!」

 今までこの話題に関して彼は「我が国が負けるわけないだろう」という言葉しかかえってこなかった。だからこそ、彼の言葉にアルヤは舞い上がる。だが、彼の態度が変わったわけや、ここがどこなのかということについて、アルヤはもう少し考えるべきだったのだ。

「ああ。我が国が負けるということは、セウラーヴァ王国の血が途絶えるかもしれないということだな?」

「……殿下?」

 アルヤを見つめる王太子の目が、いやらしく光る。

「タッサに踏みにじられる前に、子種をお前に植え付けておかねばな?」

「殿下! おやめください……!」

 王太子はアルヤの腕をつかみ、乱暴にベッドへと引きずり倒した。婚前交渉は避けるべきである。それが王太子妃ともなれば、国母として貞淑な妻としての鑑であるべきだ。相手が婚約者であるとはいえ、アルヤは婚姻前に純潔を失うわけにはいかなかった。

「いや、いやぁ……っ!」

「大人しくしろ!」

 しかし、二人きりの私室で、男の力にアルヤが抵抗できるはずもない。なすすべもなく、彼女の花は散らされたのである。
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