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10.予想外の歓待

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 アルヤの心配をよそに、屋敷に住むようになってから数日、アルヤの暮らしは驚くほどに快適なものだった。それは何より、メイドのドリスがアルヤが心地良く過ごせるように、誰よりも心を砕いてくれたおかげだった。

「えっ下着が一着もないんですか!? それはいけません、すぐに仕立て屋を呼びましょう! 旦那様、いいですよね!?」

「あ、ああ」

「それから、お着替えのドレスも……ああっ少ないじゃありませんか! アルヤ様のような方をお迎えしたんですから、この際です。何着も注文しましょう! いいですよね、旦那様!?」

「そうだな」

「アルヤ様と寝室をずっと一緒に……? いえ、それはいいですけどベッドが狭すぎるのでは? どうするんですか、旦那様。アルヤ様が寝不足になってしまいます。新調するんですか?」

「そ、そうだな」

 終始がこのような感じで、ドリスはエーギルに食ってかかる勢いで、なんとしてでもアルヤの居心地をよくしようと必死だったのだ。元々この屋敷には午後のティータイムの習慣だってなかったらしいのに、どこから調べてきたのかドリスはその時間を設け、アルヤを歓待している。そう、なぜか歓迎されているのだ。

 アルヤが思った通り、この屋敷の使用人は最低限の人数しかいなかったから、きっと仕事が増えて大変だろう。だが、嵐のごとくの勢いで仕立て屋を呼び、それが終わったあとにアルヤのためにドリスは今日もお茶を淹れてくれた。ちなみにエーギルは用事があるらしく、ここに来てから毎朝夕方まで出かけている。

「ねえ、ドリス……どうして来たばかりのわたくしに、こんなによくしてくれるの?」

「それはもちろん、旦那様が連れてきた方ですから」

 当然です、とにこにこするドリスに、アルヤは理由になっていないと思った。

 これが貴族令嬢だったころならば、メイドがよくしてくれるのはその身分にへつらっているからだとわかるし、娼婦時代ならば娼館一の娼婦であるアルヤに媚びを売って損はないだろう。だが、この屋敷においてアルヤの身分はさほど高くないはずだ。エーギルの寵愛を受けているから媚びを売れば有利になるといえばそうなのだろうが、そもそもドリスはこの屋敷内で取り立てられることを望んでいるようには見えない。雇用主であるエーギルに対して物怖じしないし、『旦那様』と呼んで敬語を使ってはいるものの、その態度はまるで友人に対するようで、媚びを売るべき相手に思っていないように思う。ただただ、ドリスがいい人だからなのだと言われれば納得もできたが、エーギルを理由にされては理解ができない。

「わたくし、そんなに気を使われる身分ではないのだけれど……ただの身請けされた娼婦よ?」

 ティールームの窓際でお茶をいただきながら、アルヤは困惑したように言う。すると、ドリスはごくごく不思議そうな顔をして首を傾げた。

「旦那様から聞いてらっしゃらないんですか?」

「何をかしら?」

「旦那様の今までの状況ですとか……」

 言葉を濁したドリスの様子に、アルヤは軽く思案する。

(主人のこういう話はあまりしないほうがいいのだろうけれど、わたくしが娼婦なのは知っているからいまさらね)

「他の娼婦の子からあまりいい待遇を受けてはいらっしゃらないようだったわ」

 これはエーギルの言葉から察しただけで、厳密には彼から聞いたわけではない。そもそも、アルヤはエーギルのことを名前しか知らないのだ。そんな彼に身請けしてもいいかと問われて、出会ってすぐにそれを承諾したのだから、おかしな話だ。

(よく考えてみれば、とんでもないわね)

 娼館での暮らしに不満があったわけでもないのに、どうしてエーギルの申し出を二つ返事で頷いてしまったのだろうと思う。彼と過ごしたこの数日間に不満は特にないが、人となりをよく知りもしないのだ。この先、エーギルが豹変しないとも限らないし、普段の思慮深いアルヤからしたらとんでもない短慮である。

(だけど……わたくし、勘は外れないのよね)

 だからこそ、娼館という場所で今までアルヤはうまくやってこれたのだ。

 これ以上エーギルについて語る言葉を持たないアルヤが口を閉じると、ドリスはぎょっとしたような顔になった。

「えっ? いや、ええ、それだけ、ですか……? ええと、その……旦那様が、どうしてアルヤ様を迎えられたのだとか、その……」

 しどろもどろになったドリスが言って、最後には眉間に皺を寄せて唸り始めてしまう。アルヤは今までの仕事柄、察しはいいほうだが、ドリスが何を言わんとしているのかはわからなかった。代わりに別のことを思い出す。

「そうだわ。聞いていないと言えば、エーギル様はいつごろ本邸に戻られるのかしら? わたくしを迎えたからしばらくここにいらっしゃるのはわかるのだけど……」

「本邸?」

 頭を抱える勢いで唸っていたドリスが、ぱっとアルヤに目を戻したが、その眉間には皺が寄っていた。

「ええ。ここは別荘なのでしょう?」

「……ええと?」

 ドリスの眉間の皺がますます深くなった。

(おかしいわ……)

「ねえドリス、わたくし不思議だったのだけれど……もしかしてここは、別荘ではなくて、エーギル様が普段から住まわれる屋敷なの……?」

「ここがそうでなくて、どこが家だって言うんです!?」

 メイドの物言いにしては砕けきった彼女の叫びに、アルヤは気分も害さずに、むしろ申し訳なさそうな顔になった。

「あの、気を悪くしたらごめんなさいね。この屋敷は……とても小さいから」

「ええ? 狭……ううん、アルヤ様の基準ではそうなんでしょうが……」

 ぎょっとしたドリスがまたもや唸る。彼女の敬語があまり得意でない様子からすると、ドリスは恐らく高位の貴族に仕えたことはないのだろう。そんな彼女からしたら、小人数で切り盛りしているこの屋敷は充分に広いに違いない。だがアルヤが言いたいのはそういうことではない。

「違うのよ。エーギル様から聞いていないかしら。わたくしは多額の借金を負って娼館のいたの。それこそ一生かかっても返しきれないような。それを一晩でエーギル様が連れ出してくださったから、てっきりエーギル様は高位の貴族で、わたくしは愛人として別荘に連れてこられたと思っていたのだけれど……」

「待って、待ってください……」

「なあに?」

 混乱した様子のドリスに、アルヤは落ち着いて言葉を待つ。彼女は何かを思案するように、アルヤの顔をまじまじと見つめ、そうしてからそわそわと視線を巡らせて俯き、やがてため息を吐いた。

「……わかりました」

 ドリスの言葉の続きを待ってアルヤが黙っていると、彼女は再び深々とため息を吐く。

「旦那様が、アルヤ様になんっにも話してないっていうことがわかりました……」

 げんなりとした顔で言うドリスは、この短時間で酷く疲れたような表情だ。

「ええ。それはそうだわ。愛人に説明する必要なんてないもの」

「アルヤ様……。それは旦那様が、お帰りになってから、聞いてください」

「そう……?」

 きょとん、としたアルヤにドリスはやれやれと首を振る。それは肝心なことを説明していないエーギルに対しても、聞こうとすらしていないアルヤに対しても両者に呆れの念を抱いているのだが、アルヤには呆れられているのはわかっても、その理由にピンとこない。主と愛人の関係で、事情を根ほり葉ほり聞くべきではないのに。

(主人が話さないことを、メイドが勝手に話してもいいものではないものね)

 そう理解をしてアルヤは会話を終わらせた。
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