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贈り物
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クリスマスが恋人の日だなんて、誰が決めたんだ。
そんな風に文句を言う人は、世の中には意外に多いかもしれない。友人たちが皆、こぞって恋人たちと過ごす日に、過ごす相手が居ないとなれば、そんな不満をもらす人もいるだろう。
しかし、類は友を呼ぶとはよく言ったものである。
「困った…」
話の始まりは、学食である。
「何が?」
顔をしかめた女に、目の前でご飯を食べていた男は何気なく聞き返す。
「クリスマスに一緒に馬鹿やってくれる人がいないんだよねー」
ぎり、とおはしを握って、手帳を睨む女の顔は心底悔しそうだ。
時は12月も半ば。もうすぐクリスマスを迎えようとしている。向かい合ってご飯を食べているのは、恋人同士ではない。彼女たちは研究室でいつもつるんでいる友人同士だった。つまり、類は友を呼んでいるのである。
「何だ、由紀、ちーさんと二人で飲み会じゃなかったのか? 女の会だからって、俺は駄目だって言ってたじゃないか」
意外そうに首を傾げて男が言うと、由紀と呼ばれた女はさらに顔をしかめた。
「それが、千冬さー、急に彼氏の予定が空いたからって、そっちいっちゃったんだよ! もー千冬の裏切り者ー! あんただけは男より友達だと思ってたのにぃー」
じたばたしながら由紀はわめく。男は苦笑して、手を食事に戻して言葉を返す。
「はいはい、そういうことはちーさんに言えよ。悪いが俺はゼミのレジュメ作るんで、クリスマスに由紀と遊んでやる暇はないからな」
そう言うと男は眉間に皺を寄せる。これから作るレジュメを思い出したらしい。
「え、健太遊んでくれないの?」
由紀は一瞬、酷く残念そうに、男…健太に言う。しかし、すぐに笑みを浮かべて言葉を続けた。
「そんなこといって、健太も一緒に過ごす人いないんじゃ? 千冬との約束あったときは予定なかったでしょ。レジュメで予定埋めたいだけじゃなくて?」
配慮とか遠慮とかがない物言いである。が、健太は笑わなかった。
「遊んでやりたいけど、マジでレジュメ仕上げなきゃやばいんだよ。俺を独り身の会にまきこもうとするなって」
少し困ったような、申し訳ないような顔をしたが、健太は一瞬でその表情を収めて眉間に皺を寄せる。頭の中はレジュメでいっぱいらしい。由紀はむっとして、健太を睨みつける。
「どうせクリスマスに一人で遊んでるのは私だけだよ。健太のばかー」
「はいはい、判った判った。遊んでやれなくて悪かったな」
そう言って、健太は最後の一口を口に放り込むと、早々に席を立った。
そんな訳で、由紀はクリスマスを一人で過ごす予定だった。
◇◆◇◆
24日、クリスマスイブ、午後7時。
そのメールはそんな時間になってようやく由紀のもとにきた。
『暇だったら夕飯でも食いにいくか?』
健太からの素っ気無いお誘いである。そのメールを見て、由紀はふと、学食での会話を思い出す。
健太は今、必死でレジュメを切っているはずである。ここ数日研究室にひきこもりっぱなしで、ろくに遊びにも出ていなかった。お陰で由紀も健太とは随分会っていない。授業の関係で、土日以外、健太と由紀はほぼ毎日会っているから、長期の休みでもないのに長く会わないのは珍しいことだった。
『ご飯って…レジュメ終わったの?』
久々のメールに内心喜びながら、由紀はそんなメールを打つ。
『何とか終わりそう』
一言だけの返事はすぐに来た。それに安心する由紀だが、首を少し傾げる。
『…てことは、まだ終わってないんじゃない? いいの、遊んでても?』
由紀は健太と遊びたくない訳じゃない。むしろ、遊べるものなら一緒に遊びたかったが、健太のレジュメも心配ではある。板ばさみの気持ちで由紀が送ったこのメールの返信は、由紀には意外だった。
『まぁクリスマスだしな』
やはり一言だけのメールである。でも、由紀にはそれだけで充分だった。
もともとクリスマス前から根をつめてやっていても、年明けまでに終わるかどうかも怪しかったレジュメだ。
クリスマスだから。
由紀が誰かと遊んで騒ぎたがっていたクリスマスだから、健太は根をつめにつめてレジュメを仕上げ、メールを寄越したのだ。
健太の一言だけのメールが、由紀の網膜に染み入るようだった。
『そっか』
由紀には、それだけしか打てなかった。他に言葉がもう浮かばない。
『飯食いに行くか?』
返信では、もう一度健太からの誘いが来た。由紀が、その申し出を快諾したのは言うまでもない。
そうして、二人は大学近くの店で食事を始めた。そこは喧騒が騒がしい、友人同士で飲み食いを楽しむような場所だ。もっとも二人は恋人同士ではないから、そんな場所でいい。
クリスマスだから遊びたかったという由紀に付き合って、健太は遊んでいてくれているわけだが、二人とも今日がクリスマスであることを意識していない。つまり、恋人同士が一緒に過ごす日であるということをだ。二人とも一緒に遊んでいれば楽しかった。だから、いつものように、由紀と健太は他愛ない話を続ける。
しかし夜11時もすぎた頃である。健太の目つきが怪しくなってきた。どうやら、眠たいらしい。
「健太、大丈夫?」
眠そうな健太に由紀が声をかける。
「んー、まあ、一週間ろくに寝てなかったからなぁ。眠いのはしょうがない。大丈夫だから気にすんな」
笑いながら健太が言うので、由紀は一応納得する。
しかし、話を続けていても、健太は変わらず眠そうで、由紀は話に集中出来なかった。酒が入っていると言っても、異常なくらいの眠そうな表情なのだ。
「……ちょっと、健太、やっぱり帰って寝た方がいいんじゃない?あんまり寝ないと体壊すよ?」
耐え切れなくなった由紀がそう言うと、健太は苦笑して、目をこする。
「どうも心配させてるなぁ。由紀は心配しすぎ」
「私、そんなに心配してないよ?」
由紀が言下に反論すると、健太はまた笑う。
「いや、心配してる。心配しすぎなくらいにな。由紀ってさ、普段、男らしいとか何とか、色々言われてるけど、そういうところはすっごい、女だよ」
健太がそう言うと、由紀は面食らったように、黙ってどういう意味かと言葉を探る。その由紀に、また健太は笑って、言葉をつぐ。
「まぁ、可愛いってことだな」
健太がそう言った瞬間の由紀の顔と言えば、見ものだった。
まずは顔にぽんっと朱が散る。次にぱくっと口を開き、それからすぐに俯く。健太はただ、その由紀の様子をくつくつと笑いながら見ていた。
由紀は妙な気分だった。
気が付けば、一緒に居て、一緒につるんでいることの多かった相手。もともと嫌いではなかったけれど、それが『好意』から『好き』に変わったのはいつのことだっただろうか。
なまじいつも一緒に遊んでいる相手だから、なかなか気持ちを伝えることが難しい。タイミングが、つかめない。
今が、そのタイミングのような気が、由紀にはした。
「あの、さ…」
俯いていた顔を少しずつあげて、由紀は健太の顔をうかがう。その顔はまだ赤かった。いや、さらに赤くなったのかもしれない。
「うん?」
健太は首を傾げて由紀の言葉を待つ。
「話したいことあるんだけど…いや、言いたいことかな」
「なんだ?」
酒のグラスを下ろして、健太は由紀の顔を見る。それで赤かった由紀の顔がますます赤くなった。言いにくさも倍増したようである。
「いや、あの、えーとね」
「うん、だからどうした」
わたわたと腕を動かしながら、由紀は懸命に言おうとする。いつも物怖じせずに話す由紀が、たった一言を言う勇気が足りなかった。
「えと、言いたいんだけど…」
「言いにくいのか?」
「うん」
漫画で描けば、周りに湯気がぶしゅうと出ていそうなくらいに、由紀の顔が赤い。健太は笑いを堪えながら、由紀を促す。
「早く言えって」
「う、うん。今言う…」
ぐぅ、と拳を握り締めて、由紀は言おうとする。なのに、一言が喉にひっかかる。たじたじになっている由紀を、健太はくつくつと笑って見ていた。
まるでゼンマイ式のオモチャのようだ、と健太は思う。ゼンマイを巻いてやるとじたじたと動き出すが、やがてのほどに意気消沈して止まってしまう。かと思えば、急に動き出して、暴走して、また意気消沈してしまう。ゼンマイのオモチャが歩いてみせたいと思っていることが健太には判るのに、ゼンマイのオモチャの方はうまく歩けなくてやきもきしているようだった。それが面白く、好ましくも感じられる。
「いや…寝耳に水かもしれないんだけどさ、言う勇気が…いまいち、足りないの」
俯いていた由紀が、再び顔をあげてまたゼンマイ運動を始める。
「ほう?」
面白そうな健太の顔に、由紀は困ったような、泣きそうな顔になった。
「うん、一言なんだけどね、ちょっと、ごめん、待ってね…」
由紀はどんどん落ち込んだように、顔を俯かせていく。その目に涙さえ浮かんできそうだった。しばらく面白そうにゼンマイのオモチャを見守っていたが、ゼンマイオモチャは急スピードでに勢いを無くしていくので、健太は段々とそれが可哀想に思えてくる。由紀が言いたいことは、健太はずっと前から知っていたのだ。だから。
「あのね…」
「なんだ、『好き』って言いたいのか?」
俯いてしまった由紀の頭に、健太はそんな言葉が降らせる。
由紀が言いたかった言葉を、健太は知っていた。だから、由紀が言うのを待っていたのだ。けれど、由紀が言えなくて自己嫌悪に陥っているのも、見ていられない。
「え」
「そのくらい知ってる」
顔をあげた由紀の顔に映ったのは、健太の優しく笑った顔である。由紀の頭から、思考が飛びそうだった。
今となっては、由紀から言ってもおうとしていた健太の思惑は崩れたが、もう一つの健太の思惑は実行することができる。それを思い起こして、健太は由紀に笑いかける。
「ちょ…」
「俺も好きだぞ?」
由紀が『私の台詞返せ』というよりも前に、健太がそう言った。その言葉は、由紀の批難の言葉を封じるに値した。
由紀に健太は、由紀から言ってくるのを待っていたのである。それは、由紀が先に自分を好きになってくれたからだった。だから、由紀がちゃんと気持ちを伝えてくれるのを待って、自分の気持ちを伝えようと、そう決めていた。…実際には由紀を見ていられずに、言ってしまったのだが。
「え……」
由紀はぽかんと健太の顔を見た。由紀の頭から、今度こそ思考というものが吹っ飛ぶ。
大体由紀からしてみれば、健太が由紀の言いたかった言葉を知っていたこと自体、可笑しい。ありえない事態である。気持ちを伝えないといけないとは思っていたが、健太の気持ちまで考える余裕が、由紀にはなかったのだ。それなのに、健太が好きだという。もう、由紀にとっては対処の全く思い浮かばない事態が二重に発生しているのである。ぐるぐると由紀の中で渦巻く言葉は、ほとんど意味をなさない。思考が停止するのも無理はなかった。
思考をなさない頭が、由紀の口から、「あー」とか「うー」とか言ったよく判らない言葉を吐かせる。時には腕を振ったりして、首を振ったりもした。
「まぁ、俺の気持ちだ。受け取っとけ」
勢いの良いゼンマイおもちゃに戻った由紀に、健太は楽しそうにくつくつと笑って由紀の頭をぽんぽんと叩く。いつも遠慮なしに話す由紀がたじろいでいるのが、相当面白いらしい。
健太の言葉を聞くと、ゼンマイおもちゃは急に勢いを失った。ぴたりと体が止まり、意味をなさない言葉も消える。それで少し健太は不安になったらしい。
「……大丈夫か?」
由紀の顔をうかがうと、由紀はコクン、と首を縦に振った。
由紀の頭の中は滅茶苦茶である。それでも、何とか、言葉を発する。
「えと、あの、びっくりしたの」
「おう」
由紀の一言に、健太はあいづちをうつ。
「嬉しくて驚いた」
「おう」
よく判らなくても、言葉を返す。
「パニックしとる」
「そうか」
由紀が途切れ途切れに単語を発するのに、また健太は笑った。そうすると由紀はまた、目を白黒させてもそもそと口ごもった。
その時が、ちょうど深夜0時である。
「お、日付が変わったな。由紀、メリークリスマス」
笑んで健太が言うのに、由紀もようやく落ち着きを取り戻して、言葉を返す。
「メリー…クリスマス」
少し小さい声で由紀は言い、今日がクリスマスであることを思い出す。
世間では恋人たちが一緒に過ごすらしいクリスマス。『恋人』と過ごすつもりはなかったが、結果的には世間の波に乗ってしまったらしい。
「忙しくてプレゼントは用意できなかったな…悪い」
そう言う健太に、由紀は軽く笑む。
「ううん。……ありがと」
25日、クリスマス。
プレゼントのことで悔しがっている健太を見ながら、由紀はそっとさきほどの健太の言葉を心に留めて、微笑む。
世間にはありふれた恋人同士のクリスマスなのかもしれない。けれど、由紀はクリスマスに、物よりも何よりも一番嬉しいプレゼントをもらったのだった。
そんな風に文句を言う人は、世の中には意外に多いかもしれない。友人たちが皆、こぞって恋人たちと過ごす日に、過ごす相手が居ないとなれば、そんな不満をもらす人もいるだろう。
しかし、類は友を呼ぶとはよく言ったものである。
「困った…」
話の始まりは、学食である。
「何が?」
顔をしかめた女に、目の前でご飯を食べていた男は何気なく聞き返す。
「クリスマスに一緒に馬鹿やってくれる人がいないんだよねー」
ぎり、とおはしを握って、手帳を睨む女の顔は心底悔しそうだ。
時は12月も半ば。もうすぐクリスマスを迎えようとしている。向かい合ってご飯を食べているのは、恋人同士ではない。彼女たちは研究室でいつもつるんでいる友人同士だった。つまり、類は友を呼んでいるのである。
「何だ、由紀、ちーさんと二人で飲み会じゃなかったのか? 女の会だからって、俺は駄目だって言ってたじゃないか」
意外そうに首を傾げて男が言うと、由紀と呼ばれた女はさらに顔をしかめた。
「それが、千冬さー、急に彼氏の予定が空いたからって、そっちいっちゃったんだよ! もー千冬の裏切り者ー! あんただけは男より友達だと思ってたのにぃー」
じたばたしながら由紀はわめく。男は苦笑して、手を食事に戻して言葉を返す。
「はいはい、そういうことはちーさんに言えよ。悪いが俺はゼミのレジュメ作るんで、クリスマスに由紀と遊んでやる暇はないからな」
そう言うと男は眉間に皺を寄せる。これから作るレジュメを思い出したらしい。
「え、健太遊んでくれないの?」
由紀は一瞬、酷く残念そうに、男…健太に言う。しかし、すぐに笑みを浮かべて言葉を続けた。
「そんなこといって、健太も一緒に過ごす人いないんじゃ? 千冬との約束あったときは予定なかったでしょ。レジュメで予定埋めたいだけじゃなくて?」
配慮とか遠慮とかがない物言いである。が、健太は笑わなかった。
「遊んでやりたいけど、マジでレジュメ仕上げなきゃやばいんだよ。俺を独り身の会にまきこもうとするなって」
少し困ったような、申し訳ないような顔をしたが、健太は一瞬でその表情を収めて眉間に皺を寄せる。頭の中はレジュメでいっぱいらしい。由紀はむっとして、健太を睨みつける。
「どうせクリスマスに一人で遊んでるのは私だけだよ。健太のばかー」
「はいはい、判った判った。遊んでやれなくて悪かったな」
そう言って、健太は最後の一口を口に放り込むと、早々に席を立った。
そんな訳で、由紀はクリスマスを一人で過ごす予定だった。
◇◆◇◆
24日、クリスマスイブ、午後7時。
そのメールはそんな時間になってようやく由紀のもとにきた。
『暇だったら夕飯でも食いにいくか?』
健太からの素っ気無いお誘いである。そのメールを見て、由紀はふと、学食での会話を思い出す。
健太は今、必死でレジュメを切っているはずである。ここ数日研究室にひきこもりっぱなしで、ろくに遊びにも出ていなかった。お陰で由紀も健太とは随分会っていない。授業の関係で、土日以外、健太と由紀はほぼ毎日会っているから、長期の休みでもないのに長く会わないのは珍しいことだった。
『ご飯って…レジュメ終わったの?』
久々のメールに内心喜びながら、由紀はそんなメールを打つ。
『何とか終わりそう』
一言だけの返事はすぐに来た。それに安心する由紀だが、首を少し傾げる。
『…てことは、まだ終わってないんじゃない? いいの、遊んでても?』
由紀は健太と遊びたくない訳じゃない。むしろ、遊べるものなら一緒に遊びたかったが、健太のレジュメも心配ではある。板ばさみの気持ちで由紀が送ったこのメールの返信は、由紀には意外だった。
『まぁクリスマスだしな』
やはり一言だけのメールである。でも、由紀にはそれだけで充分だった。
もともとクリスマス前から根をつめてやっていても、年明けまでに終わるかどうかも怪しかったレジュメだ。
クリスマスだから。
由紀が誰かと遊んで騒ぎたがっていたクリスマスだから、健太は根をつめにつめてレジュメを仕上げ、メールを寄越したのだ。
健太の一言だけのメールが、由紀の網膜に染み入るようだった。
『そっか』
由紀には、それだけしか打てなかった。他に言葉がもう浮かばない。
『飯食いに行くか?』
返信では、もう一度健太からの誘いが来た。由紀が、その申し出を快諾したのは言うまでもない。
そうして、二人は大学近くの店で食事を始めた。そこは喧騒が騒がしい、友人同士で飲み食いを楽しむような場所だ。もっとも二人は恋人同士ではないから、そんな場所でいい。
クリスマスだから遊びたかったという由紀に付き合って、健太は遊んでいてくれているわけだが、二人とも今日がクリスマスであることを意識していない。つまり、恋人同士が一緒に過ごす日であるということをだ。二人とも一緒に遊んでいれば楽しかった。だから、いつものように、由紀と健太は他愛ない話を続ける。
しかし夜11時もすぎた頃である。健太の目つきが怪しくなってきた。どうやら、眠たいらしい。
「健太、大丈夫?」
眠そうな健太に由紀が声をかける。
「んー、まあ、一週間ろくに寝てなかったからなぁ。眠いのはしょうがない。大丈夫だから気にすんな」
笑いながら健太が言うので、由紀は一応納得する。
しかし、話を続けていても、健太は変わらず眠そうで、由紀は話に集中出来なかった。酒が入っていると言っても、異常なくらいの眠そうな表情なのだ。
「……ちょっと、健太、やっぱり帰って寝た方がいいんじゃない?あんまり寝ないと体壊すよ?」
耐え切れなくなった由紀がそう言うと、健太は苦笑して、目をこする。
「どうも心配させてるなぁ。由紀は心配しすぎ」
「私、そんなに心配してないよ?」
由紀が言下に反論すると、健太はまた笑う。
「いや、心配してる。心配しすぎなくらいにな。由紀ってさ、普段、男らしいとか何とか、色々言われてるけど、そういうところはすっごい、女だよ」
健太がそう言うと、由紀は面食らったように、黙ってどういう意味かと言葉を探る。その由紀に、また健太は笑って、言葉をつぐ。
「まぁ、可愛いってことだな」
健太がそう言った瞬間の由紀の顔と言えば、見ものだった。
まずは顔にぽんっと朱が散る。次にぱくっと口を開き、それからすぐに俯く。健太はただ、その由紀の様子をくつくつと笑いながら見ていた。
由紀は妙な気分だった。
気が付けば、一緒に居て、一緒につるんでいることの多かった相手。もともと嫌いではなかったけれど、それが『好意』から『好き』に変わったのはいつのことだっただろうか。
なまじいつも一緒に遊んでいる相手だから、なかなか気持ちを伝えることが難しい。タイミングが、つかめない。
今が、そのタイミングのような気が、由紀にはした。
「あの、さ…」
俯いていた顔を少しずつあげて、由紀は健太の顔をうかがう。その顔はまだ赤かった。いや、さらに赤くなったのかもしれない。
「うん?」
健太は首を傾げて由紀の言葉を待つ。
「話したいことあるんだけど…いや、言いたいことかな」
「なんだ?」
酒のグラスを下ろして、健太は由紀の顔を見る。それで赤かった由紀の顔がますます赤くなった。言いにくさも倍増したようである。
「いや、あの、えーとね」
「うん、だからどうした」
わたわたと腕を動かしながら、由紀は懸命に言おうとする。いつも物怖じせずに話す由紀が、たった一言を言う勇気が足りなかった。
「えと、言いたいんだけど…」
「言いにくいのか?」
「うん」
漫画で描けば、周りに湯気がぶしゅうと出ていそうなくらいに、由紀の顔が赤い。健太は笑いを堪えながら、由紀を促す。
「早く言えって」
「う、うん。今言う…」
ぐぅ、と拳を握り締めて、由紀は言おうとする。なのに、一言が喉にひっかかる。たじたじになっている由紀を、健太はくつくつと笑って見ていた。
まるでゼンマイ式のオモチャのようだ、と健太は思う。ゼンマイを巻いてやるとじたじたと動き出すが、やがてのほどに意気消沈して止まってしまう。かと思えば、急に動き出して、暴走して、また意気消沈してしまう。ゼンマイのオモチャが歩いてみせたいと思っていることが健太には判るのに、ゼンマイのオモチャの方はうまく歩けなくてやきもきしているようだった。それが面白く、好ましくも感じられる。
「いや…寝耳に水かもしれないんだけどさ、言う勇気が…いまいち、足りないの」
俯いていた由紀が、再び顔をあげてまたゼンマイ運動を始める。
「ほう?」
面白そうな健太の顔に、由紀は困ったような、泣きそうな顔になった。
「うん、一言なんだけどね、ちょっと、ごめん、待ってね…」
由紀はどんどん落ち込んだように、顔を俯かせていく。その目に涙さえ浮かんできそうだった。しばらく面白そうにゼンマイのオモチャを見守っていたが、ゼンマイオモチャは急スピードでに勢いを無くしていくので、健太は段々とそれが可哀想に思えてくる。由紀が言いたいことは、健太はずっと前から知っていたのだ。だから。
「あのね…」
「なんだ、『好き』って言いたいのか?」
俯いてしまった由紀の頭に、健太はそんな言葉が降らせる。
由紀が言いたかった言葉を、健太は知っていた。だから、由紀が言うのを待っていたのだ。けれど、由紀が言えなくて自己嫌悪に陥っているのも、見ていられない。
「え」
「そのくらい知ってる」
顔をあげた由紀の顔に映ったのは、健太の優しく笑った顔である。由紀の頭から、思考が飛びそうだった。
今となっては、由紀から言ってもおうとしていた健太の思惑は崩れたが、もう一つの健太の思惑は実行することができる。それを思い起こして、健太は由紀に笑いかける。
「ちょ…」
「俺も好きだぞ?」
由紀が『私の台詞返せ』というよりも前に、健太がそう言った。その言葉は、由紀の批難の言葉を封じるに値した。
由紀に健太は、由紀から言ってくるのを待っていたのである。それは、由紀が先に自分を好きになってくれたからだった。だから、由紀がちゃんと気持ちを伝えてくれるのを待って、自分の気持ちを伝えようと、そう決めていた。…実際には由紀を見ていられずに、言ってしまったのだが。
「え……」
由紀はぽかんと健太の顔を見た。由紀の頭から、今度こそ思考というものが吹っ飛ぶ。
大体由紀からしてみれば、健太が由紀の言いたかった言葉を知っていたこと自体、可笑しい。ありえない事態である。気持ちを伝えないといけないとは思っていたが、健太の気持ちまで考える余裕が、由紀にはなかったのだ。それなのに、健太が好きだという。もう、由紀にとっては対処の全く思い浮かばない事態が二重に発生しているのである。ぐるぐると由紀の中で渦巻く言葉は、ほとんど意味をなさない。思考が停止するのも無理はなかった。
思考をなさない頭が、由紀の口から、「あー」とか「うー」とか言ったよく判らない言葉を吐かせる。時には腕を振ったりして、首を振ったりもした。
「まぁ、俺の気持ちだ。受け取っとけ」
勢いの良いゼンマイおもちゃに戻った由紀に、健太は楽しそうにくつくつと笑って由紀の頭をぽんぽんと叩く。いつも遠慮なしに話す由紀がたじろいでいるのが、相当面白いらしい。
健太の言葉を聞くと、ゼンマイおもちゃは急に勢いを失った。ぴたりと体が止まり、意味をなさない言葉も消える。それで少し健太は不安になったらしい。
「……大丈夫か?」
由紀の顔をうかがうと、由紀はコクン、と首を縦に振った。
由紀の頭の中は滅茶苦茶である。それでも、何とか、言葉を発する。
「えと、あの、びっくりしたの」
「おう」
由紀の一言に、健太はあいづちをうつ。
「嬉しくて驚いた」
「おう」
よく判らなくても、言葉を返す。
「パニックしとる」
「そうか」
由紀が途切れ途切れに単語を発するのに、また健太は笑った。そうすると由紀はまた、目を白黒させてもそもそと口ごもった。
その時が、ちょうど深夜0時である。
「お、日付が変わったな。由紀、メリークリスマス」
笑んで健太が言うのに、由紀もようやく落ち着きを取り戻して、言葉を返す。
「メリー…クリスマス」
少し小さい声で由紀は言い、今日がクリスマスであることを思い出す。
世間では恋人たちが一緒に過ごすらしいクリスマス。『恋人』と過ごすつもりはなかったが、結果的には世間の波に乗ってしまったらしい。
「忙しくてプレゼントは用意できなかったな…悪い」
そう言う健太に、由紀は軽く笑む。
「ううん。……ありがと」
25日、クリスマス。
プレゼントのことで悔しがっている健太を見ながら、由紀はそっとさきほどの健太の言葉を心に留めて、微笑む。
世間にはありふれた恋人同士のクリスマスなのかもしれない。けれど、由紀はクリスマスに、物よりも何よりも一番嬉しいプレゼントをもらったのだった。
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