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1巻

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   第一章 ツンな彼女が記憶をなくしたら


『ヴィルヘルミーナ・シュルツが事故に遭って倒れた』

 その知らせを聞いたルドガー・ダールベルクは、気づいたときには馬に跨ってシュルツ家に駆けつけていた。
 幼馴染のヴィルヘルミーナは、普段ルドガーに対して当たりがキツい。控えめにいってもツンツンだ。先日、婚約を結んだというのに、ますます彼女の態度は悪くなっていた。
 黙っていれば顔が整っていて美人なヴィルヘルミーナは、笑えばさらに美しい。けれど、ルドガーに向けるのは、さげすんだ表情だとか、喧嘩腰で小言をくりかえす顔だとか、そういう小憎らしいものばかりである。以前はルドガーだって負けないくらい彼女に対する態度が悪かったのだから、おあいこだろう。
 だというのに、そんなお世辞にも可愛いといえない婚約者の突然の知らせに、ルドガーはいてもたってもいられなかったのだ。

「ダールベルク様、いらっしゃったのですね」

 息せき切って訪問したルドガーを出迎えたシュルツ家のメイドは、彼の様子に驚いた。
 普段のルドガーは、騎士らしく服装がいつだって整っている。だというのに今はどうだろう。いつもはきちんとセットしている赤茶の髪は風に煽られて乱れており、余裕ありげな表情を作るはずの茶色の瞳は、今、焦燥に駆られて揺れていた。額には汗が浮かんでいたし、服だって緩んでいる。いつも身だしなみに気を使っている彼には考えられない荒れようだ。相当急いでここに来たことが一目瞭然だった。

「ミーナは、ヴィルヘルミーナはどうなんだ?」
「お会いになられたほうが早いと思います。旦那様からもダールベルク様がお見えになったら、お嬢様に会わせるようにと仰せつかっております。ご案内いたしますね」
「まさか、そんなに具合が悪いのか……?」

 その質問に、メイドは曖昧に微笑んで答えなかった。屋敷の中を案内されて着いたのは、応接室などではない。あろうことか、ヴィルヘルミーナの寝室だった。

(ベッドから起きあがれないほど……?)

 彼女の状況を想像して、つい生唾を呑みこむ。

「俺が、入っていいのか?」
「はい。まずはダールベルク様が今後のことをどうされたいのか、会って判断していただきたいとのことです。……驚かれるかもしれませんが……どうぞお入りください」

 そう言われて、緊張の面持ちでルドガーは部屋に入る。
 寝室のベッドには、寝間着姿の女性が一人きり。あけた窓のほうを向き、上半身を起こして座っていた。日の光が差しこんでいて、彼女――ヴィルヘルミーナのキャラメル色の髪が淡く美しく見える。風にそよぐカーテンを見つめてでもいるのか、ドアの入り口からは背を向けていて表情はわからない。しかし、ぱっと見大きな怪我などはないようだ。

(身体は起こせるのか)

 少なくとも意識不明ではないとわかって、ルドガーはほっとする。

「お嬢様、ルドガー・ダールベルク様がいらっしゃいました」

 メイドが声をかけると、小さく息を飲む音が部屋に響く。

「わたくしは失礼いたします。どうぞお二人でお話ください」
「あ、おい」

 ぱたん、とドアを閉じて、部屋の中に二人きりにされてしまう。
 先ほどまでヴィルヘルミーナの安否が気がかりで仕方なかった。なのにいざ目の前にすると、ルドガーは彼女になんと言葉をかけていいかわからない。ヴィルヘルミーナのほうも背を向けたまま黙っているので、部屋には気まずい沈黙が降りる。
 それを先に破ったのは、ルドガーのほうだった。

「……案内されたとはいえ、寝室なんかに踏みこんで悪かった、ヴィルヘルミーナ。お前が元気そうなのがわかってよかった。お前もその格好じゃ気まずいだろう……日を改める。じゃあ、また」

 そう一方的に告げて、ルドガーは踵を返す。その背に、「待ってください!」と声がかかり引き留められた。

「……待って、ください……」

 ヴィルヘルミーナは同じ言葉をくりかえす。振り返ってみれば、彼女は顔を真っ赤にしてルドガーを見ていた。

「あの、ごめんなさい。緊張してしまって、うまく話せなくて……ルドガー、様。わたくし、記憶をなくしてしまったのです」
「……は?」

 素っ頓狂な声が出た。

(記憶喪失?)
「落馬したという話をお聞きになられましたか? わたくし、そのときに記憶をなくしてしまったそうなの。それで……自分のことを、全て忘れてしまって……」

 恥ずかしそうに話すヴィルヘルミーナを、まじまじと見つめる。すると彼女はなぜだか目を伏せて顔をさらに赤くした。

(まさか、冗談だろう?)
「俺を、忘れた?」
「ごめんなさい……」
「俺たちが婚約してるってことも、忘れたのか?」

 ルドガーの言葉に、ヴィルヘルミーナがぴくんと揺れる。そわそわと視線をさまよわせた彼女は、こくりと小さく頷いた。

「はい……本当に、ごめんなさい。でもルドガー様が婚約者なのは、知っています。それで、あの……初めてお会いしましたが、思ってたとおり素敵な方で嬉しいです」
「素敵……?」
「やだ、何言ってるのわたくし」

 おうむ返しにくりかえしたのに対して、ぽそっと呟いた彼女は顔を覆ってしまう。顔から湯気でも出そうなほどに赤くして、耳まで真っ赤な彼女は羞恥に肩を震わせている。

(これがもし演技なら大したものだな。俺を褒めたりなんかして、からかって……どういうつもりだ?)

 ルドガーは混乱するばかりだ。
 そもそも、普段の彼女ならこんな反応ありえない。寝室にルドガーが入った時点で『淑女の寝室に入るとは何ごとですか!』と、盛大に小言を言ってくるところだろう。喋り方だって彼への呼び方だっておかしい。あまりにも、ルドガーの記憶にある彼女と違いすぎるのだ。

(まさか、俺との婚約がいやだからって、記憶がないふりをしているのか……?)

 わずかに怒りが湧く。けれども、それ以上に失望が胸を衝いた。それを振り切るように、ルドガーはあえて、ふ、と笑みを浮かべる。

(……これがミーナの悪戯なら、俺だって乗ってやろうじゃないか)

 部屋の入り口付近に立っていた彼はゆっくりとベッドに近づくと、許可も得ずにベッドの縁に腰かける。

「ル、ルドガー様……?」
「ああ、顔色はいいが、記憶以外は本当にどこもなんともないのか?」

 するりと頬を撫でると、ぴくん、と身体を震わせたものの、彼女はされるがままだ。

(なんだ、普段通りならもう悪態をついてもおかしくないのに……我慢強いな?)
「は、はい……。わたくしはもう元気だって、何度も言ってますのに、みんながまだ寝ていろと……」
「そうか」

 指を滑らせて、つぅっと首筋をなぞる。またもヴィルヘルミーナは震えて、物言いたげに緑の瞳をルドガーに向けた。なのに抵抗をしない。

「……残念だ。俺としたことを、全部忘れたんだな? こんなことも」

 ゆっくりと顔を近づけると、ヴィルヘルミーナはぎゅうっと目を瞑った。唇が触れるわずか手前で一瞬止まったが、彼女は動かない。そのまま唇を重ねると、ヴィルヘルミーナはそれでも無抵抗で耐えている。当然平手打ちが来るだろうと思ったのに。

(……なんだ?)

 緊張で強張った下唇を、軽くついばんでやる。驚いたらしいヴィルヘルミーナが口を半開きにしたところに舌を差しこんだ。

「んんっ」

 艶めかしい声が漏れて苦しそうなのに、その舌が拙いながらも懸命に絡ませようと、応じてきた。

(どういうことだ?)

 ヴィルヘルミーナの口内を貪りながら、ルドガーは疑問符でいっぱいだ。けれど手は思考とは裏腹に、欲望に忠実になって彼女に触れている。

「ん、んぅ……」

 徐々に力の抜けていくヴィルヘルミーナの身体を押し倒して、柔らかな胸に手をやる。夏の寝間着は生地が薄い。彼女の胸の中央を少しくすぐってやると、ぷっくり硬くなったのがすぐわかった。カリカリと指でこすって愛撫すれば、口を塞いでいる彼女の呼吸が荒くなる。

「ふ……、ぅん……っ」
(どこまで耐えるんだ……? いや、このまま触っていてもいいのか?)

 胸を弄っていた手を鎖骨に沿わせ、肌を撫でながら寝間着の内側へと侵入させようとする。だがそこまでだった。ヴィルヘルミーナの手が、ぐっとルドガーの肩を押す。

「あ、あの……ルドガー様。ん、ま、待って……」
「やはりいやか」

 ぱっとルドガーが離れれば、ヴィルヘルミーナはきゅ、と彼の袖を小さく引っ張った。

「そうではなくて……すみません、あの……わたくし、覚えてなくて。その、記憶をなくしてからは初めてなので……き、緊張して。うまくできなかったらすみません」

 伏し目がちに、自信なさそうな声で彼女が言う。震えているにもかかわらず、彼女はルドガーの服を離すことはしない。そうして意を決した様子でもう一度目線を合わせた。涙で潤んだ上目遣いが、なんとも愛らしくいじらしい。

(……これは、一体誰だ?)

 姿形はルドガーの知るヴィルヘルミーナそのものだが、彼に見せる表情も言葉も、全てが記憶の仲の彼女とかけ離れている。

(本当に、記憶喪失なの、か……?)
「……悪かった」

 袖をつまんでいる彼女の手にそっと触れて、ルドガーは顔を歪めた。

「お前が俺をからかっているんだと思って、試したんだ」
「と、おっしゃいますと……」
「口づけをしたのも、お前の身体に触れたのも、今が初めてだ」
「そう……なのですか?」
「知らない男に触れられて怖かっただろう。悪ふざけが過ぎた。……すまない」

 頭を下げたルドガーに、ヴィルヘルミーナは戸惑ったように瞳を揺らす。しかし、やがて小さく息を吐くと、袖をつまんでいた手をするりと抜いて、上半身を起こした。

「顔を上げてください」

 凛とした声がかかったが、ルドガーは「だが……」と顔を俯かせたままだ。

「悪かったとお思いなら、顔を上げてくださいと言っているのです」

 もう一度きっぱりと言い放った声は、怒ったふうに感じられる。頬に添えられた彼女の手に促されて、ばつが悪く思いながらもルドガーは顔を上げた。
 そのルドガーの唇に、ぐっと彼女のものが押しつけられた。

「ヴィル……」
「ん」

 噛みつくように下手くそな口づけをもう一度してから、彼女は離れる。そうして顔を真っ赤にしながらも、得意げな表情の彼女がふふ、と笑った。その顔に、ルドガーは目を奪われる。

「嘘をついたお返しです。これでおあいこでしょう?」
「ああ……」

 呆然としながらルドガーは呟く。

「ルドガー様?」

 確かに、ヴィルヘルミーナには記憶がないのだろう。けれど、首を傾げたその仕草は、記憶を失う前と変わらない。それに、やられたらやられっぱなしではいない彼女の性格は変わっていないらしい。

「あの……気分を悪くされましたか……? 婚約しているだけの身分で、その、は、はしたなかったですね」

 途端に顔を覆って恥ずかしがる彼女が、なんとも可愛らしい。

「いや……」

 そっと彼女の手を外したルドガーは茶色の瞳を切なげに揺らして、ゆっくりと顔を近づける。

「もう一度、口づけても、いいか?」

 低く問われた言葉に、ヴィルヘルミーナは小さく息を飲む。しかし、その答えは拒絶ではなかった。そっと頬の手が重なって、彼女の目が伏せられる。

「ん……」

 柔らかに唇を重ねて、たどたどしく応じるヴィルヘルミーナを押し倒したい衝動を抑えながら、ルドガーは唇を離す。

「……お前には記憶がないんだろう。俺が、婚約者でいいのか?」
「はい。よろしくお願いします、ルドガー様」

 頬を染めたヴィルヘルミーナが至近距離で柔らかく微笑んで、再び唇が重なる。
 そうして、ツンな彼女が記憶をなくしたら、可愛らしい婚約者に大変身を遂げたのであった。


 ***


 ルドガーとヴィルヘルミーナの出会いといえば、第一印象からして最悪だった。
 まだ物心つきたての頃、ルドガーは親に連れられてあるお茶会へと参加していた。夫人たちがお茶と会話を楽しむ間、子どもたちはガーデンで思い思いに遊ぶことになっている。そこに参加していたヴィルヘルミーナは、幼少時から美貌が際立っていた。その容姿ゆえだろう、自由時間に数人の男の子に囲まれて、彼女はいじられていた。幼い少年にありがちな、気になる女子をからかう、というものである。しかし数人がかりでからかわれたら、当人からしたら笑いごとではない。
 そこに通りがかったのがルドガーだ。

「おい、お前ら」

 物々しい雰囲気に、ルドガーが口出しをしようとしたその瞬間だった。ヴィルヘルミーナが動いた。
 一番近くにいた少年をどんっと押したのだ。

「あなたたち、こんなことをして恥ずかしくないの? 女の子をいじめるなんて最低よ」

 年のわりにしっかりとした口調で、ヴィルヘルミーナは彼らをはっきりと非難した。唖然として固まった少年たちを見ると、一転してにこっと笑ってみせる。その顔が凛として綺麗だった。

「ではごきげんよう」

 囲まれていた輪をさっと抜けた彼女が、助けようと近づいていたルドガーに気づく。

「なんだ、顔に似合わずすげえ強いなお前。やるじゃん」

 それは彼にとって純粋な賛辞だった。しかし、ヴィルヘルミーナの顔はみるみるうちに真っ赤に染まって、キッとルドガーを睨みつけたのだ。

「女の子に『強い』だなんて、失礼だわ」

 憤然と言い放ったヴィルヘルミーナは、そのままルドガーの横を通り過ぎて去っていく。

「なんだあいつ……」

 ぼやいたルドガーが彼女を目で追っていると、ヴィルヘルミーナは彼女の母親のところへまっすぐに行き、抱き着いて何ごとかを訴えていた。
 よく見れば彼女の身体は震えていて、ヴィルヘルミーナが泣いているらしいことにやっと気づく。本当は彼女も怖かったのだろう。

「……変なやつ。怖いなら最初からそう言えばいいのに……」

 それがルドガーとヴィルヘルミーナの出会いだった。
 確かに第一印象は最悪だったのだ。だというのに、凛とした彼女の顔も、弱さを隠そうとするのも、なんだかルドガーは忘れられなかった。
 その一度きりの邂逅で終わるはずだった二人は、なんとその後何度も顔を合わせることになった。たまたま意気投合した互いの母親が、たびたび子どもたちを連れてお茶会に参加したからだ。
 だが、ルドガーとヴィルヘルミーナは母親たちのように仲良くなったわけではない。
 確かにヴィルヘルミーナは可愛い。けれど、彼女からは褒め言葉に対して悪態をつかれているのだ。おかげで心象が最悪だったルドガーは、その後頻繁に彼女と口論をするようになった。そうして腐れ縁に近い幼馴染として二人は育ったのである。
 ヴィルヘルミーナに対してだけはつい喧嘩腰になりがちだったルドガーだが、基本的に彼は人当たりがいい。おまけに顔の造作は悪くないどころか、ワイルドな美形に分類されるだろう。それゆえ、女性に大変モテた。
 ご令嬢たちからきゃあきゃあ騒がれるのを如才じょさいなくあしらいつつも、ときには歯の浮くような賛辞を口にし、勘違いする女性を量産していた。幾人かは何度かデートをしただけだが付き合ったこともある。
 とはいっても、ルドガーは女たらしなわけではない。自分が貴族である節度は守り、誰に対しても線引きはしっかりしていた。婚約者でもない相手と肉体関係を結ぶことはおろか、言い寄られても口づけの一つすらしていない。それは付き合っていた令嬢も同じだ。態度が柔和で誉め言葉も欠かさない。なのに決して手は出さない。おかげで、ルドガーはご令嬢方の間で憧れの紳士として常に噂の的だったのだ。
 だが実をいえば、ルドガーには女性経験自体はある。
 この国の男性は一般的に、伴侶がいようといなかろうと、娼館に通う風習があった。友人同士や仕事の同僚で連れ立って行くのが慣例である。ルドガーもまた、上司に連れられ、あるいは悪友に付き合わされて何度か娼館に行ったことがあるのだ。

「しかしお前、本当に娼館なんか来ていいわけ? 俺は連れができて助かるけど」

 にやにやとしながらそう言ったのは、悪友のアロイスだ。その日は、アロイスに連れ出されて娼館へと行くところだった。ルドガーは娼館には興味がない。とはいえたまには悪友に付き合ってやらねば拗ねるだろう。ちなみに娼婦とベッドを共にするのは時間制だ。娼館にそのまま泊まる客もいるが、ルドガーたちは用が済んだあとはさっさと引きあげて少し酒を飲んで解散する予定である。
 娼館に向かう途中での悪友の台詞に、ルドガーは片眉を上げた。

「俺を無理やり連れてきておいてどの口が言ってるんだ。というか、なんのことだ?」
「あ~あ~やだやだ。人のせいにしちゃってまあ。片思いこじらせるのも大概にしとけよ。そのうち取り返しがつかなくなるぞ」
「だからなんの話をしてるんだお前は」
「またまた。とぼけるのもやめろよ。娼館で代わりの子を抱くくらいなら、本命に告白しろよってこと」
「俺に好きな女性はいないぞ」

 眉間に皺を寄せて言い切ったルドガーに、ニヤニヤ笑いだったアロイスはぴたりとその笑みを納めた。

「マジか、お前」

 まじまじとルドガーの顔を見つめてから、どうやら彼が本気で言っているらしいことを察したアロイスは溜め息を吐く。

「あのな、お前。今まで抱いたことのある子って、どんな子か覚えてるか?」

 問われたルドガーは、少し思案する。娼婦を抱いた数はそう多くない。しかも特に馴染みの女性がいるわけでもないから、うろ覚えだ。

「確か……初めてのときは、金色……の髪だった気がする」

 怪訝そうな顔をしながらもルドガーは律儀に答えていく。

「ああ、ちょっと暗めの色のな。じゃあその次の子は?」
「……緑の瞳が綺麗だったか……」
「うんうん、そうだな? で? その他の子は?」
「覚えてないな」

 数人しか抱いていないとはいえ、さすがに忘れもしよう。何しろずいぶんと前だ。

「まあそうか。ちなみに栗色の髪の子だったんだけどな?」
「なんでお前は覚えてるんだよ」
「そりゃなあ……?」

 ニマニマと笑うアロイスに、ルドガーは渋面を作る。

「じゃあさ、お前今まで付き合ったことのある子って覚えてるか?」
「失礼なやつだな。さすがにそれは覚えてる」
「……ハニーブロンドの子だったろ?」

 アロイスが言えば、ルドガーはしっかりと頷く。

「そうだ」
「で?」
「なんだ?」
「その髪色以外の特徴、お前覚えてるか? 目の色とか、こう、喋り方とか。さっき教えてくれた娼婦の子でもいいんだけど」
「目の色は……緑、いや青だったような……喋り方は……普通のご令嬢だった」
「つまりうろ覚えってこと?」

 アロイスの指摘に、ルドガーはウっと詰まる。それが答えだ。

「だよな~!」

 訳知り顔でアロイスは首をうんうんと振って、またもニヤニヤ笑いに戻った。

「だからなんなんだ、さっきから」
「本当に気づいてねえのな。お前。暗い金色も栗色の髪も、緑の目も、誰かさんを思い出す色だろうが」

 ずい、と指をさしたアロイスに、ルドガーは首を傾げかけて、はた、と止まった。

(まさか……いや、そんなはず)
「今まで告白を断らなかった子ってさあ、みーんな、髪の綺麗さとか目の可愛さで決めてたろ、お前。そんでもってみーんな、ヴィルヘ……」
「わかった、もういい!」

 叫んだルドガーの顔は真っ赤だ。

「は~やだやだ、今まで無意識だったのかよ。いや~こじらせてんね。好きな子に重ねて他の女抱くとかないわ~」
「言うな!」

 頭をがしっとつかんで締めあげてやったが、アロイスはまだ黙らない。

「つーかお前がそんな取り乱したの初めて見たかも。お前、マジでヴィルヘルミーナちゃんのこと好きなんだな」
「アロイス、お前」
「で? 初恋をやーっと自覚したルドガーさんよ。お前これからどうすんの?」

 余裕たっぷりの悪友の言葉に、ゆるゆるとルドガーの腕から力が抜ける。

(俺が? ヴィルヘルミーナを、好き? 冗談だろう!?)

 そうは思うものの、脳裏に浮かんだヴィルヘルミーナの笑顔で心臓が跳ねる。普段、女性と会話するときに頬を染めたことなどない。なのに彼女を好きかもしれないと思っただけで、ジワジワと顔に熱があがってきた。

(本当に……?)

 疑ったところで、もう、彼女への想いを自覚してしまっている。
 ルドガーは行為の最中に娼婦の髪を撫でて口づけたことがある。あれは栗色の髪の娼婦ではなかったか。それがヴィルヘルミーナを想ってのことだとしたら。
 さっさと本人に想いを告げればよかったものを、無自覚に想い続けていたせいで、娼婦とはいえ他の女性をヴィルヘルミーナに重ねて抱いたことがあるだなんて、ずいぶんと最低な男ではないか。それが付き合いで渋々だったとしても、だ。

「……どうすればいいんだ?」

 アロイスを離したかと思えば、次は自分の頭を抱えこんでルドガーは呻く。

「さあ? 素直に告白でもすればいいんじゃね? 俺の見たとこ……」
「あいつは俺が娼館に行ってたことも知ってるんだぞ。なのに、告白!?」

 普通なら娼館に行くことは、非難されるようなことではない。だが、嫁入り前のヴィルヘルミーナはどうだろう。生真面目で潔癖な人の中には、一度の女遊びだって許さない者もいる。そして長い付き合いの中で見てきた彼女は、残念ながら生真面目で潔癖な女性だ。悪感情を持たれているに違いない。その見解はアロイスも同じなのだろう。彼は呆れた様子で笑った。

「はあ~? お前そんなヘマしてんの? ばっかだな~。まあ、初恋は実らないって言うし? 玉砕覚悟で行ってみれば?」
「できるわけがないだろう!」

 叫んだルドガーに対して、アロイスはいつまでも笑っている。

「で、どうすんの? 今日。娼館行く?」
「行くと思うのか!?」
「だよなぁ~」

 そうして無自覚の初恋をこじらせにこじらせた男はようやく自分の気持ちを自覚した。その頃何度かデートをしていた女性に対しても翌日にはきっぱりと別れを告げた。相手はルドガーの言葉をなかなか受け入れなかったものの、元々告白を受け入れて付き合っていたわけでもない。頼みこまれて仕方なくデートに応じていただけだ。結局、しぶしぶながらも相手は引き下がってくれた。


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