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 スカーレットの場合 ~前編~

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「スカーレット・ガルタニス。そなたとの婚約を白紙にしたい」

 スカーレットは鮮やかに巻かれた金髪を揺らし、静かに振り返った。

 ここは貴族学院エントランス。

 眉目秀麗で目立つ二人に、何事かと注目する生徒達。

「あらあらまあまあ。皇太子様。ごきげんよう」

 にっこり微笑む大輪の薔薇。その優美な佇まいに苦笑しつつ、皇太子は隣にいる女の子の肩に手をのせる。
 ゆるふわなストロベリーブロンドの少女は、見るからにか弱そうな眼差しでスカーレットを見つめていた。
 花でいうなら小さな小花。オレンジ系のガーベラかアネモネが似合いそうな少女である。
 小首を傾げるスカーレットに、皇太子は人の悪い笑みをニヤニヤと浮かべ、隣の少女に顔を寄せながら紹介した。

「彼女を知っているかな? サーシャ・パーキンソン子爵令嬢だ。君が彼女に酷い嫌がらせをしていると聞いてね。貴族令嬢にあるまじき行いだし、私も婚約を考え直そうかなと」

「かしこまりましたわ。ではその様に父に伝えておきますわね」

 そつなく平然と答える婚約者を見て、ニヤニヤしていた皇太子の顔からスルリと表情が抜け落ちる。

「いやいや、待てっ、冤罪なんじゃないか? 濡れ衣だろう?!」

「当たり前じゃないですか。そんなこと確認しないと分からないのですか?」

「なら、なぜ否定しない?」

「面倒臭いからです」

 慌てて自分を引き止めようとする皇太子に、心底ウンザリした面持ちをし、スカーレットは扇で口元を隠す。

「この数ヶ月、あなた様がその御令嬢で遊んでいたのは存じておりましたが。.....さすがに新年舞踏会でファーストダンスをその方と踊られたのは失態でしたわね」

 スカーレットの瞳が獲物を見据えた猛禽のように煌めいた。

「今流行りの真実の愛ですか? それとも拗れた愛情表現? どちらにしても面倒極りありませんわ。婦女子を争わせて楽しみたいのなら別な方を当たってくださいませ」

「そなたは私を愛しているのだろう??」

「いいえ? 欠片も」

 きょん? と惚けるスカーレット。そのあまりに無関心な態度は、皇太子の顔から再び表情を奪い去った。

 .....え? 愛されてないの? 私?

 惚ける皇太子に、やれやれとスカーレットは肩を竦める。

「貴族の婚姻は政略結婚。契約ですのよ? 情など必要ありませんし、不履行なれば解約もやむなしです。賠償金は私の口座によろしく」

 口をはくはくさせて二の句の継げない皇太子様の横から、ゆるふわイチゴがキャン×キャン叫ぶ。

「わたくしが皇太子様の寵愛を奪ったからって、散々嫌がらせしてきて...... 一言ぐらい謝っても良くないですかっ?」

 上目使いに涙をためる小動物。

 .....うん、可愛らしいわね。でも、嫌がらせ? 何の事かしら。

 パーキンソン子爵家は小さな没落寸前貴族。
 
 斜陽待ったなしな貧乏家では子爵の給金だけでは賄えず、奥方や子供らも畑作業に精を出し、奥方が平民出である事から、彼女は学園で爪弾きにされている。

 だが、身分で厭われている訳ではない。

 ここは爵位があれば誰でも入れる学園だ。基本教養や学術は無料。選択科目の専門学科が半端なく有料。
 ゆえに誰でも入学出来、初期教育の二年が終わって、金子がなく学べぬ者は卒業し、さらに学ぶ者は専攻を選び進級する。
 それまでは誰しも同じ学生で平等。初期教育終了だけでも卒業すれば!貴族の一員であり、十分な教養や礼儀、学術を身に付けたと証明されるのだ。

 キチンと学び、単位を取り、卒業出来れば。.....だ。

 大抵は、さらに上級を目指し、帝王学や経済学、哲学や経営学、芸術や紳士淑女の教養を上げるため専攻に進む。
 当然そこには明らかな差が一目瞭然に出るのだが、目の前のゆるふわイチゴには分かっていないらしい。
 本人は真面目なつもりかもしれないが、平民である母親には貴族のアレコレを教える事が出来なかったのだ。
 結果、下町気質の平民臭さに顔をしかめる学生達。付け焼き刃でも構わないから努力の欠片でもあれば、また違ったのだろうが、彼女は、それのどこが悪いとばかりに気安く周りと付き合っていた。
 勿論、学院では珍獣扱いである。物珍しさもあったのだろう。何人かの取り巻きもいて、それなりに楽しい学院生活を送っていたようだった。

 しかし、ここは貴族学院。貴族としての知識や礼節を学ぶべきであり、それが出来ないなら退学する他ない。おかげで勉強に無関心な彼女は留年寸前だったのである。

 そんな傍若無人ぶりから、周りは彼女を白眼視した。身分のせいでなく、全てが本人の自業自得だ。

「貴女は二年になったばかり。一年は大目に見ましたが、すでに知らぬ存ぜぬは通らないのですよ? おわかりですか?」

 呆れたように嘆息するスカーレットを見て、わけが分からないような顔をする子爵令嬢。

「皇太子様。彼女から御聞きになった嫌がらせとは?」

 すがめた眼で冷たい一瞥を食らい、あからさまに皇太子は狼狽えた。
 微かにどもりながら、説明する彼を後押しするかのように、ゆるふわイチゴが捕捉する。

「君に平民同然だと罵られたと....」

「そうですっ、幼児にも劣る猿だとおっしゃいましたっ」

 .....そこまで??!!

 思わず眼を見張る皇太子を余所に、スカーレットは合点がいったようで小さく頷いた。

「言いましたわね。前半部分が抜けていますが。わたくしに、皇太子様がお気の毒です。解放して差し上げてくださいと仰るので.....」

 ああ、とばかりに周囲にいた学生らが頷き合う。どうやら一部始終を見ていた者も居たらしい。

 .....ならば、わたくしが話すより説得力がありますわね。

 そう思い、スカーレットが軽く手を上げると気づいた御令嬢が静かに答えた。

「馬鹿も休み休みに仰い。貴族の婚姻は契約です。個人の感情でどうこう出来るものではありません。こんな事も分からないなんて平民のようですわね。貴族なら幼児にでも理解出来る事。それより劣るなんて、貴女は猿ですか? ....こう仰っておられました」

「....一言一句違いません。驚きました」

 軽く眼を見張るスカーレットに、御令嬢は深々と頭を下げた。

「いいえ。あの方は、わたくしにの婚約者にも馴れ馴れしい態度で近寄っていたので.... スカーレット様が、ぴしゃりと仰ってくださって、大いに溜飲が下がりましたわ。それで覚えておりましたの」

 忌々しげにゆるふわイチゴを睨み付ける御令嬢。それりに賛同するかのような嘆息がそこここから漏れ広がる。
 軽く周囲を見渡すと、似たような眼差しの御令嬢がチラホラいた。

 .....あらまあ。この方、方々で恨みを買っておられるようね。

 平民に近すぎるせいか、自由奔放な彼女に心惹かれる令息も多いようだ。社交界では仇にしかならないと知りつつも。

 少しずつ変化していく展開に、皇太子は悪寒を感じる。

「他にもプロムの舞踏会で、平民同然な彼女を礼儀知らずなあばずれと...?」

「そうですっ、わたくしは社交界デビューでしかお城に上がった事もないし、マナーなんて教わった事もないのに.... 知らなくても仕方無いじゃないですかっ」

 .....はっ?! 嘘だろ??!!

 心の声がだだ漏れな皇太子の顔に、再びスカーレットは盛大な溜め息を吐いた。

「それは学園の教師に対する挑戦ですか? どれだけの教師が貴女を進級させるために頭を悩ませたか」

 スカーレットが、今度は軽く左手を上げる。

 すると斜め後ろの令息が口を開いた。

「婚約者以外の殿方と二回以上踊るのはマナー違反ではしたない事です。しかも身体を密着させるワルツは言語道断。こんな事、一年生の半ばに習う一般教養です。習うまでもなく、貴族ならば社交界デビューする十二才までには親から教わるはずです」

 年に二回行われるプロムの舞踏会。十二で社交界デビューし、十三で学園に入学する貴族が、それを知らぬと声高に叫んだのである。
 皇太子に限らずドン引きされても致し方無い状況だ。
 そしてさらに、その令息の隣にいた令嬢が答えを続けた。

「スカーレット様は、『皇太子様と三曲も踊って、さらにまだ踊ろうと? 次はワルツなのよ? とんだあばずれね』と、当たり前な事しか仰っておられません」

 当たり前すぎて誰もが閉口する。

 皇太子は返す言葉もない。聞いた話に間違いは無かったが、前提が悪すぎた。

「まあ、そんな事が何度も繰り返されていた訳ですわ。だから、わたくしはウンザリしましたの。面倒臭い事この上ありません。皇太子様から婚約の白紙が申し込まれれば是非もない。喜んで承りますわ」

 にっこり極上の笑みを浮かべるスカーレットに、皇太子の顔から音をたてて血の気が下がった。
 そういえば自分は言ったのだ。婚約を白紙にしたいと。

「いやっ、あれは間違いだ。こんな事とは知らずに.... 子爵令嬢の言葉を鵜呑みにした僕が馬鹿だった。発言は撤回する」

「出来る訳ないでしょう?」

 スカーレットは軽く数歩歩き、校舎を背にして立つ。
 その後ろでは、多くの生徒がこの騒ぎの顛末を見守っていた。

「これだけの衆人環視の中で貴方は仰ったのです。婚約を白紙にすると。わたくしに非がない事は第三者の証言により明白です。皇太子たろう者が一度口にした言葉を撤回出来ると御思い?」

 皇太子は瞠目したまま顔を伏せた。

 彼はただ、いつも澄まし顔な婚約者の弱味を掴んだと.... 少しからかってやるつもりで...... 本当に婚約を解消する気はなかったのだ。
 言葉を選んだつもりだった。最初にインパクトを持たせようと、婚約を白紙にといったが、考え直す程度の軽いニュアンスのつもりだった。
 しかしその一言が、今の絶体絶命を招いている。

 ここからスカーレットの反撃が始まった。
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