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 里帰り ~やっぱり、罰ゲーム~

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「.....はあ」

 王子は自分の私室で悶々とため息をついた。

 リィーアを思うと気もそぞろな自分に気づいたのは最近だ。
 バースとの一件を見てからと言うもの、リィーアの姿が見当たらないと、やけに心臓が荒ぶる。無意識に彼の姿を探してしまい、仕事が手につかない。
 彼が傍にあると幸せだ。ただ同じ空気を吸っているだけでも至福で眼が眩む。
 リィーアと共にあるだけで何気ない風景も煌めいて見えた。彼の一挙一動が可愛くて仕方無い。

「病気か、私は.....」

 だが、この病を文献でだけファビルは知っている。まさか、自分が患うとは思ってもみなかったが。

「相手は男だぞ? 血迷うな、私」

 たしかにリィーアは綺麗な男の子だ。巷にあれば男女問わず、そういった欲望の眼に晒されるだろう。
 ゆえに対人恐怖症などという結果にもなったのだろうし。そんな輩と同じ目線で彼を見ている自分に、ファビルは反吐が出る。
 リィーアを守ると言ったくせに、その実、彼を抱き締めたい、貪りたいなどと思っているとは。なんたる浅ましさか。

 貴族の中では男妾は普通だ。女性を従わせるより、同じ男を蹂躙し隷従させる事に雄の支配欲を刺激され、愉悦を感じ者は少なくないらしい。
 そういったケダモノのようなアレコレを唾棄した眼差しで見ていたはずの自分が..... まさか、同じ穴の狢だったとは。

 自己嫌悪に叩きのめされて何も言葉を紡げないファビル。

 閨の指導で女性に興奮はする。その柔らかな身体や香しい雌の匂いに劣情を煽られもする。
 彼女らの反応に好ましさを感じ、さらなる反応を引き出したいという欲望もある。

 自分は正常な男子だと思っていた。そのはずだった。

「まさかの..... 本当に、まさかとしか.....」

 初めて恋い焦がれるという感情を知ったファビル。その相手は自分の筆頭護衛武官。

 最初は吊り橋効果なるものだと思っていた。
 あらゆる危険に同席する彼に、綱渡り的な緊張感が、そう錯覚させているものだと。
 しだいに熱く疼く腹の奥の劣悪な感情を全力で否定していたファビル。
 だが、リィーアを抱き締めるバースを眼にした瞬間、それが爆発した。
 目の前が真っ赤に染まり、あらぬ憤怒に呑み込まれ、気づけばバースを殴り倒していた。
 己の中で感じた驚くほどの怒り。これの示すモノが何なのか理解出来ぬほどファビルも物知らずではない。
 自覚したら、あとは泥沼だった。自分が男色というのは許容しがたいが、リィーアを好きなのだと言う事は否定出来ない。
 
 あっけらかんと笑う彼。意味ありげに弧を描く眼。悪意を一刀両断にし、冷酷に目をすがめる彼。

 その全てが狂おしいほど愛おしい。

 もはや、己に嘘はつけない。自分はリィーアを愛している。それが男色だというのなら甘んじて認めよう。
 男に食指を動かした事はないが、その獲物がリィーアだと言うのなら全力で獲りに走る。
 悩ましい問題だが自問自答に答えを出したファビルは、すっきりとした顔で夜空を見上げた。

 受け入れてもらえるとは思っていない。それでも傍に置くことは出来よう。
 この浅ましい劣情を彼に覚られぬよう、胸の奥底に秘めて。
 
 偲ぶ恋。

 この時は、本気でそう思ったファビルだった。

 そうして翌日、リィーアと共に樹海へと向かった彼は、思わぬ僥倖が訪のう未来を今は知らない。

 



「これが樹海かぁ。凄いね」

「.....森の民は受け入れてくれるだろうか」

 それぞれの感想を口に、呆然と立ち尽くすリィーアとファビル。
 二人の目の前に広がるのは鬱蒼と生い茂る原生林。
 深い緑を構築する植物は、かつて道であった場所にも蔓延り、一行の行く手を阻んでいた。
 手作業で撤去して道を作るしかないと、兵士らは天を仰ぐ。

 .....どれだけ掛かるんだ、これ。

 その場にいる兵士達全員の感想だった。

 大人の腕ほどもある蔦。道の真ん中に生える樹木。森の民が樹海から出てこなくなって、かれこれ数年。
 たったそれだけの間に、樹海は外部を拒絶するかのように萌え繁っている。
 ウンザリとした兵士らの中で、リィーアだけが薄く笑む。その口角が某かを含んだように鋭角に上がった。

 翌日、作業にかかろうとした兵士らは、周囲を見て呆然とする。

 昨日まで深い緑に満たされていた道が、綺麗に姿を現していた。
 まるで最初から何も無かったかのように、地面が見えている。

「いったい....?」

 訝る人々を余所に、リィーアは深い森を静かに眺めていた。所々にチカチカと瞬く仄かな光。

 鈴を鳴らすかのように心地好い囁きが聞こえる。

《お帰り》

《お帰りなさい、精霊王の息子》

《ようこそ、精霊王の娘》

《あなたのために道は開く》

《あなたのために扉は開く》

《待っています。彼等があなたを》

 .....ああ、行くよ。

 先頃、リィーアは十四歳になった。ここから十五歳までの間に性を決めなくてはならないが、すでにリィーアの心は決まっていた。

 .....待っててくれよ、ファビル。

 この里帰りを利用して、リィーアは聖捌の儀式を終わらせるつもりである。
 精霊王の贄として蹂躙された対価に行われる褒美。世の人々の夢だろう。己の性を選べるなどと。
 リィーアが女の子になったと知ったら、ファビルはどんな顔をするだろうか。
 元々が両性具有で中性的だったリィーアだ。性を決めたとしても、見掛けは大して変わらないと思う。

 .....でも、この胸に踊る気持ちが変わるだろうな。

 誰に憚る事もなく王子に告白出来る。それを考えるだけで、鼓動が高鳴るのを抑えられない。
 リィーアの心に呼応し、森の木々が騒めいていた。



「えっと.....?」

「...........」

 開かれた道を進んだ一行は、眼前に広がる光景に絶句する。

 そこにはズラリと森の民が並んでいた。

 眉目秀麗な美しい人々に息を呑み、茫然と固まる王子達の前に、一人の森の民が進み出る。
 彼は森の民の長。最近、代替わりしたばかりらしい。名をサファードと名乗った。

「我々は貴殿方を歓迎しよう。心おきなく滞在するが良い」

 静かな面持ちの長に、ファビルは深々と頭を下げる。だが端々に感じる妙な違和感が拭えない。

「.....ありがとうございます。あの?」

「深くは聞くな。精霊が望んでいる。我々は精霊の意思に従うだけだ」

 にべもない物言い。歓迎とは程遠い態度である。

 そんな彼の視線は、王子を通り越して、その背後のリィーアを見つめていた。
 他の森の民らも視界にリィーアをおさめている。あきらかにリィーアが何者なのかを理解している眼差しだった。

 .....あ~~、バレてんね、これ。

 静電気が役立つ暇もなく、既に確信されているらしい雰囲気に、リィーアは軽く肩を竦める。

 そして案内された広場で兵士達はテントを張り、王子らや側近一同は長の館に招かれた。
 ちょっとした貴族の邸風の大きな建物。
 それぞれ部屋をあてがわれ、王子は神殿の詳しい位置を尋ねに神官の元へ向かう。
 御祓もかねているため、一人で向かった王子を見送り、テラスにいたリィーアは背後に忍ぶ誰かに声をかけた。

「何の用?」

「お帰りなさいませ、精霊王の愛し子よ」

「勘弁して?」

 振り返りもせずにリィーアは深い溜め息をつく。

 背後の人物は戸惑いがちに近付くと、その場に膝を折った。それは森の民の長であるサファード。

「精霊王の愛し子を王家に送った事を、先の長は心から後悔しておりました」

「だから?」

「.....精霊が申しておりました。愛し子が来ると。愛し子が還ってきたと。あなたは....どちらを選ばれるのですか?」

「........」

「王となられますか? デリラス将軍は、あなたを王として育てると仰っていた。仇を....フィーアの仇をとると。我々は....」

 .....親父ぃぃっ、こんなとこにまで、話持ってきてたんかいっ!!

 リィーアは王になる気がない。正直、煩わしいし面倒臭い。ここしばらくファビルと共にあり、王太子が王になるので最善と思っていた。
 ファビルは凡庸ではあるが、努力の人だ。その努力をリィーアは心から尊敬する。民のためになりたいと、身を粉にして働く彼を支えたい。それしか考えていなかった。

 そんな突き放した思考を感じ取ったのだろう。
 悲壮な顔でリィーアを見つめるサファード。
 リィーアはクルリと振り返り、その長を睨みつけた。流麗な仕草でも隠せない剣呑な眼差しで。
 その姿に追憶の愛する人を重ね、サファードの眼が懐かしそうにすがめられる。

 遥か昔の思い出。屈託なく笑っていた愛おしい少女の姿。

 そんな感慨に耽るサファードの前で、リィーアは面倒臭げに己の髪を掻き回す。

「どいつもこいつも、全く」

「フィーアは私の従姉妹でした」

「で?」

「.....王家の申し込みがなくば、彼女は私の妻となるはずだったのです」

 サファードの瞳に澱んだ光が灯る。

「あなたが、もし、王とならぬのならば..... あなたは私の物だ」

「は?」

 サファードは立ち上がると瞬時にリィーアとの間を詰めた。その両腕がテラスの縁にリィーアを挟んで囲う。

 .....はっやっ! え? 僕が出遅れた?

 強靭な腕に挟まれ、身動きの取れないリィーアの耳元に、サファードの低い声が聞こえた。

「私は風と火の精霊王から御加護を頂いております。風に特化した私は、速さだけなら、あなたより上かと」

 彼はリィーアにかけられた変化魔法を知っているのだろう。触れないギリギリの位置で耐えていた。
 リィーアの全身が粟立ち、産毛の一本に至るまで残さず総毛立つ。

 .....ヤバいヤバいヤバい、こいつ、めっちゃ近い親族じゃねーの?? 静電気を通り越して悪寒がゾワゾワしやがるっ!!

 狼狽えるリィーアの耳に聞こえる呪詛のような呟き。

「二度と.... もう、二度と失いたくはないのです。森の民を二度と。それが叶うのならば、私は夜叉にでもなりましょう」

 サファードの腕がリィーアを抱き締めるべく動いた。

 .....嘘だろ、こんなとこで魔法が解けたら....っ!!

 思わず身を竦めて頭を抱えるリィーアから、誰かの手により、ばりっとサファードが引き剥がされる。
 その勢いのまま、サファードは床に叩きつけられた。

「うちの王子の側近に何してくれてんだ? あ?」

 現れたのはバース。獣のように見開いた瞳を爛々と輝かせ、彼はスラリと剣を抜く。
 みなぎる殺気が周囲の空気を歪ませた。その燃え盛る焚き火のような本気を覚り、慌ててバースを止めるリィーア。

「うーわーっっ、こんなとこで刃傷沙汰はやめろぉぉっ!」

 バチバチと火花を爆ぜて、今にも襲いかからんばかりなバースを羽交い締めにし、リィーアは起き上がったサファードを怒鳴り付けた。

「逃げろ、サファードっ! こいつ本気だわっ!」

 それはサファードも感じられたのだろう。忌々しげな一瞥をバースにくれると、彼は踵を返して出ていった。
 やや大きな音をたてて閉じられる扉。それをガン見して、唸るようにバースは吠える。

「離せ、リィーアっ! あいつ、叩っ切ってやるっ!」

「あほうっ! そんなんしたら、王子が神殿に行けなくなるぞっ! 森の民との関係修復は絶望的だっ!!」

 ふーっふーっと荒く息をつき、バースはリィーアの顔や髪をガシガシと掴んで撫で回した。
 着衣の乱れもなく、惚けた顔のリィーアを確認して、バースは泣き笑いのように顔をクシャクシャにする。
 そして、その細い両肩を大きな手で掴み、心底安心したかのように項垂れて息を吐いた。

「頼むわ、無事でいてくれよ? 俺、魔神化した王子に八つ裂きされたくないからな?」

 .....へあ?

「すっとんきょうな顔すんな。おまえ本気で気づいてないんだな。王子はお前に御執心なんだよ。見え見え過ぎて隠してもおらんわ」

 .....ファビルが僕を?
 .....え? これ、喜んで良いのか? ファビルって、そういう趣味? 僕、男になるべき?
 .....あれーっ?? 困ったな。

 百面相を始めたリィーアの鈍感さに苦虫を噛み潰し、バースは先ほどのサファードを思い出していた。

 .....あれもヤバい類いの眼をしていたな。ああいう輩は簡単には諦めない。こいつ、ヤバい奴等を惹きつける何かを出してんじゃないのか?

 理由もなく正解に辿り着くあたり、脳筋の持つ野生の直感は侮れない。

 ちなみに王子はリィーアが好きなのであって、男色なわけではない。たまたま好きになったのが少年姿のリィーアだっただけ。
 前述されているとおり王子本人も秘かに悩んでいる問題だった。
 リィーアが女の子になれば障害もなくなり、諸手を挙げて喜ぶだろう。
 それを知らぬリィーアは、悶々と夜を過ごす羽目になる。

 .....男になるべきか、女になるべきか。それが問題だ。

 悩むまでもない話なのだが、お間抜けなリィーアには分からない。御愁傷様だった。
    
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