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悪役令嬢やめました♪ ~中編~
しおりを挟む「とにかくエカテリーナが不憫ですわ。王太子の不祥事の煽りを全て引き受けて.... 我が息子ながら情けない」
「確かになぁ。わしらも楽観視し過ぎておったし、これ以上エカテリーナの名誉を貶めないよう、よく見てやらねばな」
後宮の寝室で、国王夫妻は他では出来ない話をしていた。
王太子の面子を考えるとエカテリーナの案は最適解である。
しかし同じ女である王妃は、いたく憤慨した。
王も王妃もエカテリーナが好きではなかった。むしろ大の苦手で、王太子を慕うがゆえとはいえ、ぶっ飛んだ彼女の言動や行動は、とても褒められたモノではない。
だが形だけの婚約が決まり、御飾りの王太子妃になる事を受け入れたエカテリーナは、憑き物が落ちたかのように地味で淑やかな御令嬢に変貌する。
迸るバイタリティは鳴りを潜め、攻撃力も極まれりなドレスや化粧も無くなり、周囲に埋没しそうなほどその存在感は薄くなった。
代わりに際立つは、真っ直ぐで豊かな黒髪とアメジスト色の大きな瞳。
夜空を思わせる艶やかな黒髪や黄昏色の瞳は、彼女にしっとりとした清楚な雰囲気を纏わせる。
今までのエカテリーナと全くの別人で、十人中八人は彼女がエカテリーナだと気づかない。
あの彼女が素の彼女である事は間違いなく、今までのド派手な彼女は社交用の鎧だったというのが見てとれた。
.....最初から素の彼女であれば.....せんなき事ではあるが。
二人は同じ事を考え、物憂げに俯く。
だが国王らの想像は限りなく正解に近いが、根本が違うので意味はない。社交用の鎧ではなく、王太子用の鎧だとは夢にも思っていないだろう。
エカテリーナの本心も知らず、今さらだが残念な気持ちで一杯な国王夫妻だった。
「これ以上エカテリーナに負担はかけられませんわ。悪評が酷くならないように、わたくしが後見なのだと周囲に知らしめないと。それは今をおいてございませんの」
例の条件の履行は婚姻からである。つまり婚約中の今なら王や王妃の干渉に制限はない。
どれだけ国王夫妻がエカテリーナを可愛がっているか周りに見せつけ、不条理な悪評から彼女を守らなくては。
王太子のために汚名を被る健気な御令嬢に、騎士のごとき使命感を燃やす国王夫妻。
こうして盛大な勘違いをしたまま、エカテリーナにとっては迷惑極まりない国王夫妻の暴走が始まった。
なぜ迷惑かと言うと、エカテリーナ自身は自分の事しか考えていないから。
八年間続けた悪役令嬢のレッテルを、自分の穏やかな引きこもりライフのために有効活用しただけである。
地に落ちた評判など、どこ吹く風。超自己完結型のエカテリーナに周囲の身勝手な風評なんて全く無意味である。ようやく手に入れた自由を手離さないためなら、彼女は何でもやるだろう。
.....ビバっ、引きこもりライフっ!!
彼女の心の中のガッツポーズを知らない、気の毒な王宮の面々である。
国王夫妻が暴走の相談に花を咲かせていた頃、後宮でも密やかな密談が持たれていた。
後宮厨房横の休憩室では、難しい顔をした男女が二人。溜め息混じりに軽く首を振っている。
「少し想定外でしたわね」
「ああ、あそこまで王太子のために泥をかぶって下さるとは。褒められた御令嬢ではなかったらしいが、想いは本物だったという事か」
二人は後宮を管理する女官長と侍従長。
悪名高い極悪令嬢の後宮入りに、少なくはない不安を抱いていた二人だが、蓋を開けてみれば拍子抜けするほど穏やかな御令嬢だった。
物腰も優美で淑やか。伏せられた黄昏色の瞳は長い睫毛に彩られ、しっとりと清楚な佇まい。
噂とは当てにならないモノだと、二人は顔を見合わせた。
そして話が進むにつれ、今回の議題の元凶が王太子だと知り、彼らは言葉もない。
エカテリーナ嬢は完全なとばっちりだ。なのに激昂する辺境伯を宥め、理不尽な婚約を受け入れた。それが無くば今頃王太子はどうなっていた事か。
今までの行いがどうであれ、今の彼女は王室の救世主である。
しかも更なる悪名をかぶり、謂れのない非難に晒されても構わないと微笑んだ。
極悪令嬢などという噂の欠片も感じさせない優美な微笑み。
面子を最大に重んじる貴族階級には有り得ない大らかな心。
しばしの沈黙のあと、侍従長が口を開いた。
「むしろこのまま正式なお妃様になってくだされば.... あのように慈悲深く王太子様を支えようとしてくださる御令嬢がおられようか?」
「左様でございますね。自ら悪役を買って出るほどの御方は、まずおられないかと。話の内容からも聡く理性的な方だとお見受けいたしました。人々の機微に疎くて融通の利かない王太子様の足りない部分を補ってくださるやもしれません」
似たようなことを思い描いたのだろう。二人は、御互いにやれそうなこと、やるべきことを口にした。
「極悪令嬢か。王太子様側に何かしらの誤解があるのかもしれんな.....後宮内に通達しよう。エカテリーナ様と王太子様に接点を持たせ、御二人が和解出来るように」
「外堀から埋めるのも宜しいですわね。エカテリーナ様は婚姻まで後宮に滞在なさいますし、悪評の真偽も確かめられましょう」
ニヤリとほくそ笑む二人。
長く後宮を仕切ってきた二人は星の数ほどの淑女を検分してきた。その眼力に誇りを持っている。
その矜持が言うのだ。エカテリーナ様は稀代の淑女だと。
こうして様々な思惑が絡まり合い、盛大な誤解と真実を知らない人々の好意的解釈から、いつの間にかエカテリーナの周辺が騒がしくなったのであった。
知らぬはエカテリーナばかりなり。
ちなみに件の玉葱夫人は女官長からの仕込みだ。なんとかエカテリーナを説き伏せ、お妃様教育を受けさせるよう、彼女は密命を受けていた。外堀作戦、第一の刺客だった。
なのに王妃から叱責され、気の毒な玉葱夫人である。
「やっと学園が始まるわね」
卒業パーティーから二ヶ月。秋も深まり肌寒さを感じる今日この頃。エカテリーナは新学期を迎えた。
深紅に黒の差し色が入ったワンピース。胸下から広がるフレアーなスカートには大きなプリーツが複数入り、体型を選ばないデザインになっている。
ゆったりとしたそれを身につけ、設えたテーブルに着くと、エカテリーナは用意されている朝食を口にした。
細い野菜が煮込まれたスープにスクランブルエッグと薄焼きトースト。飾り切りされた果物は新鮮で瑞々しい。
はりきって食事の好みを聞きにきた料理長に、食べるのに無理のない量でと御願いしたが、叶えてくれたようだ。
.....それは良いんだけど.... 物足りないな。
エカテリーナは周囲のメイドに気づかれない程度に溜め息をつく。
目の前の食事には塩と蜂蜜しか使われていない。卵はバターと牛乳でふくよかな味わいだが、スープは塩のみ。トーストには蜂蜜。標準的な王国貴族の食事である。
.....香辛料や砂糖は王都にあまり入ってこないものね。自宅とは違うもの仕方無いわ。
国境を領地とする辺境には多くの食材が唸るほど入ってくる。他国のレシピや道具もあるので、食事に関しては王都より遥かに充実していた。
辺境から王都までは複数の他領地を通らねばねらないため、適価で仕入れても、王都に着く頃には五倍ほどの税金が付加され、とても高額になってしまうのだ。
.....あんな値段になってしまっては普段使いには出来ないわよね。残念だわ。でもレシピを変えれば、こちらの食材で代替えして作れるかもしれない。
そんなたわいもない事を考えつつ食事を終えたエカテリーナは、食後のお茶をテラスでとる事にした。
風もなく良い天気だからとメイドに薦められたのだ。
案内されるままテラスに出ると、本当に良い天気だった。
雲もなく澄みわたった青空。高く風通う景色に、エカテリーナは思い切り深呼吸する。
.....空や風は辺境と変わらないわね。
気持ち良い微風に髪を擽らせながら、ふと彼女は視線を感じた。
振り返ったエカテリーナの瞳に王太子が映る。少し驚いたような顔でエカテリーナを凝視する蒼い瞳。
.....久しぶりに見たわね。
クスリと小さく笑い、彼女は優雅にカーテシーをする。
「おはようございます、王太子様。いらっしゃると思わず失礼いたしました」
「.....エカテリーナか? 髪はどうした? 寝てしまってるではないか。体調でも悪いのか?」
.....久々の対面で開幕それですか。
じっとりとした脳内の不機嫌を上手に隠し、エカテリーナはふわりと髪を掻き上げた。
「元々真っ直ぐな髪ですの。華やかな貴族の装いのために巻いていただけですわ。地味では他の御令嬢に見劣りしますもの」
「そうか? そちらの方が私は好ましいと思うが。化粧も香水もしていないのだな。良い事だ」
静かにお茶を啜りながら、王太子は柔らかく瞳をすがめる。
.....この人は、ほんとに正直者なのよね。だから、その逆をやれば簡単に嫌われるから、ある意味楽だったんだけど。
軽く嘆息するエカテリーナに王太子は気づかない。
.....おかげでどれだけの御令嬢が王太子に惑わされた事か。
エカテリーナは、孤軍奮闘していた己の過去を思い出した。
女性を見たら取り敢えず褒めなさいと教育されて、そのまま他意もなく実行するものだから、多くの御令嬢が王太子を懸想するはめになり、妃に相応しくない者をイビり倒しては諦めさせるのに、散々苦労したエカテリーナである。
まあ、おかげでエカテリーナの眼鏡にかなう、とびっきり上等な婚約者候補が選りすぐられて残った訳だが、何をトチ狂ったのか、王太子はエカテリーナを婚約者に選んでしまった。
.....ほんと。人生はままならない物だと八歳にして悟ったけど、未だにそう思うわ。
軽く空を見上げるエカテリーナに、立ち上がった王太子が声をかける。
「お茶に来たのだろう? 私はこれから政務だ。気をつけて通学するのだぞ」
エカテリーナに席を譲り、王太子は軽く手をあげて王宮の中へ消えていった。
それを見送りながら、エカテリーナはメイドらがお茶の支度をするのを見つめている。
その眼はやや険しく、眼窟の奥に仄かな冷たい光が灯っていた。
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