パラダイス・ロスト

真波馨

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第23話 探偵の告白

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 翌日の午前十時を過ぎた頃、時也のスマートフォンに一報が届いた。株式会社サンスタッフのスジからだ。
『株式会社賢者の石から、人材派遣の話を詳しく聞きたいと連絡がありました。ただ、代表の方は所用で手が離せず別の社員をよこすということでしたが』
「日時や場所の希望はありますか」
『それが、早いほうがいいので今日にでもと。場所は立浜みなとフロンティア内にある貸会議室です』
 時也は一瞬言葉に詰まった。立浜みなとフロンティアは一色乙葉のアルバイト先で、しかも支店からわざわざ区を跨いで指定している。貸会議室を設けている施設はほかにいくらでもあるのに、敢えて立浜みなとフロンティアを指定した点が引っかかった。
「わかりました。昼以降であればいつでも行けますので、その旨お伝えください。よろしくお願いします」
 一色乙葉の行確を別の捜査員に頼むと同時に、東海林警部にも報告を入れる。万一対象に勘付かれている可能性を考慮し、二名の捜査員を時也の周辺に配置させるとの指示が出た。打ち合わせの様子は時也の眼鏡に内蔵したカメラで録画し、スマホのアプリを通して張り込み中の捜査員がリアルタイムで見られるように設定する。
 手筈を整え、人材派遣会社の営業社員として目的地へ向かった。所定の手続きで八階の貸会議室を借りると、営業資料とタブレット、ペットボトルのお茶を机上に並べて待機する。待ち人は時也が入室して五分後に姿を見せた。
「あれっ、木内さんじゃないですか」
 狭間の代わりに現れたのは、つい昨日接触したばかりの木内冬実だった。ライトグレーのスーツに身を包み、うなじで結っていた髪も下ろし背中に流している。事務員の制服時とは随分印象が違って見えた。
「宮野さん。昨日はありがとうございました」
「こちらこそ……でも、どうして木内さんが?」
 事務員であるはずの木内冬実がなぜ商談の場に――内心戸惑う時也の前で、当人も「私もよくわからなくて」と困惑の声を上げる。
「昨日の夕方、支店長がお帰りになったので渡された営業資料をお見せしたんです。支店長は顔をほころばせながら、『ちょうどK区の空き物件で新店舗導入を考えているから、ぜひ話をしたい』とおっしゃって。ただ、今週はいろいろと用件が立て込んでいて時間が取れないみたいで。でも、とりあえず概要だけでも聞いておきたいと申されたので、私が宮野さんとお話しした中身を伝えると『それなら君が聞いてきたほうが話が早い』と言われて……ごめんなさい、何だか私が出しゃばる形になってしまって」
 一応筋は通っているが、そもそも昨日時也が木内に話した内容は大したものではなく、初対面の別社員を遣しても何ら問題はないのではと疑念は拭えない。
「まあ、支店長さんにもお考えがあると思いますし……とりあえず、どうぞお座りになってください」
 対面の椅子を手で示し、向かい合う形で二人とも着座する。ペーパー資料とタブレットを使い話を始めると、木内嬢は真剣そのものといった面持ちで耳を傾け時折小さく相槌を打つ。主題は大まかなサービス内容と契約時の手順について。説明は三十分ほどで終了した。
「――以上が弊社サービスの概要ですが、ご理解いただけましたか」
 時也が尋ねると、難しい顔のまま微かに首を捻る。
「とりあえず、内容はメモしておきましたのでこちらを支店長にお伝えしておけば大丈夫でしょうか」
 見開き状態の手帳を時也に差し出す。几帳面な細かい字で記録された内容に、およそ間違いはない。
「ええ。こちらを支店長さんへご報告のうえ、ご検討いただければと思います」
 相手が営業マンであれば契約内容について突っ込んだ質問をしたり派遣料金の交渉に出たりするものだが、木内嬢は質疑応答を求めることもなくほっとした表情で手帳を手元に引き寄せた。
「ちなみに、差し支えなければ教えていただきたいのですが、どのような種類のお店を出すご予定なのですか? 市場調査の一環で参考にしたくて」
「たしか、ビルのワンフロアを借りて雀荘を始めたいとお話していました。K区鶴谷町にある〈金ビル〉というビルがテナントを募集していて、そこを考えているのだそうです」
「雀荘ですか……いえ、実は僕も麻雀に凝っていた時期がありましてね。もちろん違法な賭け事には一切手をつけていませんが、先輩に誘われて始めてみたんです。もとは中国が起源のゲームですから慣れない用語に最初は四苦八苦していましたが、嵌ると案外奥が深くて面白いもんですよ」
「そうなんですね。私はゲームの類は疎くて。トランプくらいかしら、それも子どもとちょこっと遊ぶくらい」
「あ、いいですね。お子さんとの時間が充実しているのは素敵です」
「充実というほどでもありませんわ。女手ひとつだから構ってあげられないときもあって、母親としてまだまだ未熟です」
 肩を竦める木内に、時也はつい「そんなことありません」と語調を強める。
「僕は親になった経験もないですし母親の立場についてあれこれ言えませんけど……でも、完璧な親である必要はないと思いますよ。上手くこなせないことがあったとしても、毎日頑張って家庭を支える姿って子どもは案外よく見ています。自分を守るため必死に働いている、そんな母の存在があるだけで子どもは安心するしそれだけで充分ではないですか」
 無言で時也を凝視する木内に、「すみません、生意気なことを言って」とすかさず陳謝する。資料とタブレットを鞄に仕舞っていると、
「ありがとうございます」
 うっかり聞き逃しそうなほどの小声に顔を上げると、ハンカチを口元に当て俯く事務員の姿があった。


 一時間ほどで打ち合わせを終え、時也は木内をエレベーターまで送った。深々とお辞儀をした女性事務員が扉の奥に消えるのを見届け、貸会議室へ踵を返す。
「ここも、ここもクリア……会議室、異常ありません」
 片耳にはめたイヤホンマイクの向こうで、「こちらマルタイKの追跡開始。建物を出て駅方面へ直進中です」と男の声が告げる。会議室の外で待機していた捜査員の一人で、木内冬実の尾行を下命されている。
「こちらは一旦本部に戻りますので、そのまま行確をお願いします」
 了解、と短い返事。同時に、もう一人の捜査員からも報告が入った。一色乙葉の行確担当だ。
『こちらマルタイIのアルバイト店。本人が出勤している様子はなし。公園内のカメラ映像にも変化はなく、現時点で外出の様子はありません』
「了解。予定ではあと二時間ほどで店へ出勤するため、そのまま待機を願います」
 マイクの音声が一旦途絶える。同時に、眼鏡に内蔵したカメラの録画モードをオフにした。会議室内に盗聴器や隠しカメラの類がないか捜索していたのだ。仕掛けがないことを確認し、一旦は県警本部へ舞い戻る。
 庁舎の玄関口に立ったとき、香賀町署の田辺刑事から着信を受けた。失踪中の三好友希について意外な事実が判明したという。
『厄介な事態になりましたよ。これは単なる事務所荒らしでは片付かんかもしれませんね』
「と、いいますと」
『失踪した三好友希ですがね、偽名を使っていましたよ。戸籍を確認したところまったくの別人だと判明しました。アパートに残されていた財布を調べたら運転免許証が入っていたのですが、それも偽造されたものです』
「三好友希が、身分偽装ですか」
『ええ。しかもそれだけじゃありません。彼を雇っていた探偵事務所の所長さん――ニノマエさんでしたっけ。知っていたというんですよ、三好友希が偽名だと』
「知っていた? 彼がそう証言したのですか」
 庁舎の裏手に移動しながら、つい早口に訊き返す。
『そうです。ただ、それ以上はわしらには話せんとだんまりなんですわ。そこでお願いがありましてね』
 田辺刑事によると、一礼司は「県警本部の新宮という捜査員になら事実を話す」の一点張りなのだそう。以降は黙秘を貫き、取り調べ担当も困り果てているという。ちなみに八月一日青年は「三好さんが偽名を使っているなんて知らなかった」と驚いていたようだ。
『そういうわけで、よろしければ今からでも香賀町署へご足労願えませんか』
「わかりました、すぐ伺います」
 予想もしていなかった展開に頭の整理がつかないまま、香賀町警察署へ足を運ぶ。ご丁寧にも、先日田辺とペアで行動していた川瀬という若い男性刑事が署の入り口で待機していた。
「新宮さんですね。お忙しいところお呼び立てして申し訳ありません」
 慇懃な挨拶を交わし、署内へ案内される。無機質な廊下をくねくねと曲がり、やがて第一取調室のプレートがついた部屋にたどり着いた。
「こちらへどうぞ」
 ドアノブを捻り中へ入ると、白シャツにチノパン姿の探偵がパイプ椅子に坐っていた。長い髪をうなじで無造作に結っている。
「すまんな、立て込んでいるときに呼び出して」
 よく観察すると、目の下にはクマが浮かび心なしか顔色も良くない。聞けば、二日前からある調査にかかりきりでろくに休んでいないという。そこへ今回の事務所荒らしだ。昨日も五時間近くこの取調室に拘束され、聴取を受けていたらしい。
「災難だなお前も――と言いたいところだが、田辺刑事から穏やかならぬ話を聞いたぞ。一体どういうことだ、三好が偽名と知っていたなんて」
「まあ、ひとまず坐れって。おっさんデカに約束した通り、お前にはきちんと事実を喋るから」
 まさか旧友の聴取を担当するとは露ほども思わず、所轄の椅子に腰かける。
「正直、俺の判断が甘かったと責められたらそれまでだな。そもそもあいつを雇おうとしたときから色々と訳ありだったんだ」
「三好を助手として採用したのは、たしか二か月少し前だったよな」
「ああ。バレンタインで世間が浮足立っている時季だった――あの日は八月一日が休みで事務所には俺一人だった。仕事も一段落してのんびり事務作業をしていたんだ。突然ドアを叩く音がして、客かと思ったら三好が出入口のところに立っていてな。驚いたことに雨の中傘も差さずにびしょ濡れで、しかも開口一番が『面接を受けに来たんですけど』だぜ。もちろん、そんな予定入っちゃいなかったさ。頭のイカれた奴かと思って追い払いかけたけど、顔色も悪いし肩もガタガタ震えているし、無下に扱えなくて結局事務所に招き入れたんだ」
「珍しいもんだな、お前がそんな情を見せるなんて」
「ただの気まぐれだったんだ……とりあえずびしょびしょの服から俺の余りものに着替えさせ、落ち着いたところで話を聞いた。あいつは雨で湿った鞄からクリアファイルに入った履歴書を大事そうに取り出して、『今日は探偵事務所の面接を受けにきました』と切り出した。求人なんか出してねえぞって言うと、『でもネットで見たんです、ここがアルバイトで助手を募集しているって』と返されたんだ」
「偽の情報が掲載されていたのか」
「さあ。俺も八月一日もそんな求人を載せた憶えはない。その場で検索しようとしたら、『今朝見たら情報は削除されていました。でもたしかに載っていたんです』と食い気味に主張してな。じゃあ具体的な求人内容を言ってみろって追及すると、それなりの返答はしたよ。ただ、その場で思い付いた内容をてきとうに喋っただけかもしれないし、安易に信じるわけにもいかない。何とか説得して帰らせようと話を聞いていると、今度は急にめそめそ泣き始めたんだ」
「たしかに訳ありだな……それで?」
「泣き止んでから事情を訊ねると、『前に働いていた探偵事務所が潰れて行くところがない。住まいも所長に安く部屋を提供してもらっていて、そこも追い出されてしまった。家族もおらず天涯孤独で、仕事を探そうにも住所不定だし探偵事務所での経歴しかないからまともに雇ってくれないかもしれない。そんなときにここの求人を見て、藁にも縋る思いで面接を受けに来た』だそうだ。眉唾物だったんで調べてみると、たしかに三好が勤めていた探偵事務所は実在していたし、その事務所は火事で全焼し所長の男が死亡したという新聞記事も見つけた。所轄の連中にも確認を取ったが、煙草の不始末による火災事故として処理されていることも判明した」
「それじゃ、お前は三好の話を信じたのか」
「いや、半信半疑だったさ。仮に前の仕事先の不運は事実だとしても、求人情報に関してはまったくの出鱈目だからな。ただ、追い詰められた状況でふと辺りを見回したときに偶々ニノマエ探偵事務所の看板が目に留まり、一か八か賭けてみようと思ったのかもしれない」
「人助けが仕事の探偵事務所なら、自分を拾ってくれるかもしれないと」
「ま、そんなところだ」
「お前、三好が身分を偽っていると判って彼を雇ったわけだろ。つまり身元調査を済ませていたわけだ」
「当たり前だろ、仮にも探偵事務所だぞ。しかも所長は元捜査一課の敏腕刑事。抜かりはなかったさ」
 一礼司はかつて時也と同期で、刑事部に所属する警察官だった。所轄の刑事課で三年を過ごした後、県警本部の刑事部へ異動したが一年で退職。詳しい経緯は時也も把握していないが、揉め事やトラブルを起こしたわけではないらしい。本部には「一身上の都合」と伝え辞表を出した。それから半年後に探偵事務所を起こし、現在に至るというわけだ。
「しかしあいつも詰めが甘いというか。探偵事務所で働いていたのならせめてもう少し上手く身分を偽れないものかね」
「だが、免許証は精巧な偽造物だったんじゃないのか」
「まあな。実在する人物の名前を語っていたわけだし……だが、本物の三好友希は北海道に住む高校生だった。いくら若見えするとはいっても、あれで高校生は強引だな。話も微妙に嚙み合っていなかったし、そもそも本物の三好友希は両親ともご健在だ」
「それなら、どうして彼を」
 元刑事現探偵の男は、「さあな」とパイプ椅子に背を預ける。
「柄じゃないし正直認めたくもないが、同情したのかもしれないな。もちろんリスクがあると頭じゃ理解していたが……あの土砂降りの中、身ひとつでやってこられちゃ邪険にしろってほうが無理あるぜ」
 一は幼少期に両親が蒸発し、苦労の末刑事になった。三好友希が抱える過去に自分を重ね合わせ、つい手を差し伸べたのかもしれない。
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