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26 愛湯とホグ
しおりを挟む翌日は実戦入りの練習日。
最初のローマン語の儀式は、上々の出来。
歌い手も気合い十分で、ノリノリ。
普段から慣れ親しんだスタイルでと、ホグナを演奏させながら歌わせた。
噂を聞いて集まった魚市場の女性陣が背中を敲き合って喜んでいる。
対する船長も昨日事務所から歌が聞こえて来たので心の準備は出来ている。
今まで長航路の儀式を羨ましげに眺めていたのでこちらも気合い十分。
歌い手が奏でるホグナに乗せて市場の女性陣から石を投げられそうな歌を表現豊かに披露する。
船員達も拳を振り上げて大喜び、長航路船が羨ましかったのは船員も同様。
こうして無事儀式が始まる。
今日もサラは悔しそうな顔をしている。
数日後、必要技量欄に歌唱力とホグナの演奏と書かれた新規職員の募集要項が承認される。
翌月の給料支払日、出航儀式の歌い手全員が驚く。
無事目的港に着いた船からの祝儀が上乗せされており額が普段よりも一桁多かった。
そして、歌い手に応募するホグナ弾きが殺到し、若い弾き手によって新しい陽気なホグナの演奏が試みられ密かに広がって行く。
ーーーーー
10月半ば、潮が変わり北外海で冷やされた海水が内海に流れ込んで来る。
陽が長く暖かくなっているのに冷え込みが厳しくなる。
休みの日のサラは、一日中ストーブの前から離れない。
“熱に敏感な炎の魔女は寒さに弱い”とストーブ前の占有権を主張する。
ストーブ脇の床に敷物を敷いて、横になってコルムの木の実を炙って摘まんでいる。
「嫌、寒いから」
カムのお願いが一蹴される。
でもこれは予想の範囲内。
「今度厨房に山牛の背肉入る」
「嫌、寒いから」
「ノマ平原のイノシシのもも肉も入る」
「・・・嫌」
「ノマのユリ根も入るらしい」
「・・・」
「ノマのユリ根を山牛のバターで炒めて、ナムル草の絞汁に浸けた牛肉と豚肉の焼肉に乗せると絶品らしいよ」
「・・・で、何すれば良いの」
交渉成立、そこでカムが説明する。
昨日宿の女将から相談が有った。
今週の週の中日、3の日に温泉区限定の行事がある。
“愛湯”と呼ばれる恥かしい名前の行事で、ホグの丘の頂上にある湯泉から湯を汲み各宿に持ち帰って各宿の湯泉に加えるだけの行事である。
ただ、汲み手は女性で今年婚姻した新婦に限定される。
汲み手によって、湯泉の湯量が変わるとの噂もある。
相談を受けたカムは、厨房の食材のお裾分けを条件に打診を請け負った。
「古い湯泉で前面に蛙の彫像が彫られていて、その蛙の頭を撫でてから湯を汲むらしいよ。馬車が手配されるんで歩かされる心配も無いってさ」
サラが承諾する、南崖葡萄のワインも追加して。
翌日、サラは休みを処長に相談する。
休日以外の休暇は年10日、まだ取得していない。
「愛湯に参加するの」
処長から聞かれる。
“うー、恥かしい名前の行事だ。なんか卑猥な感じがする”
「ええ、頼まれたのでその“愛湯”に参加しますが、良くお判りですね」
「古い行事だからね。昔は役所にも参加要請があってね。所長の奥さんも役所から参加したって聞いたな。所長は職場結婚なんだよ。新婚の子が3年位無くて途絶えたって話だよ。でも、制度は残っていてね。愛湯の参加は職務免除扱いだよ」
さすが温泉町、サラは妙な事に感心する。
当日、カムはサラを伴って出勤する。
女将に紹介してサラは女将と一緒に別室へ。
半刻後サラが素焼きの壺が入った蔦の籠を持って現れる。
頭に氷花祭りと同じ帽子、白い厚手の上衣に裾に茶色の波をあしらった白袴姿である。
女将が着せ替え人形を楽しんだような笑顔で付いて来る。
飾り人形の様で様になっている。
帽子の脇から珊瑚の髪飾りが覗いている。
従業員全員に見送られ馬車で会場へ向かう。
馬車から降りると二人で会場に向かう。
会場前の受付で参加確認し、カムは会場入り口で待機。
会場となる元湯泉の敷地は男子禁制の場とされている。
ホグの丘の原風景を思わせる草一つ無い湯気に覆われた岩原をサラが遠方に霞んで浮かぶ東屋目指して歩いて行く。
帽子の裾の橙色の帯模様が白い霧の中で暫く浮かんで遠ざかって行った。
ーーーーー
北大陸古語でホとは煮えたぎるの意味、グとは丘を意味する言葉でホグとは煮えたぎる丘のことである。
二百年前のホグは、煮えたぎる湯が噴出する丘と丘に沿って流れる二本の川沿いに住居が散在する小さな村であった。
丘から流れ落ちる熱湯が川で薄まり、天然の浴場を作る。
この浴場が旅人の評判となり、王都に帰った旅人がこの浴場を模した風呂を作る。
これが評判を呼び、王都に岩風呂の文化をもたらしたのである。
今の様に保養地として栄えたのは、賢王と呼ばれるアネリア王の業績である。
二百年前、日々傾く国庫を憂いたアネリア王は、対策に頭を痛めながら岩風呂に入ろうとした。
生憎、係の者が火加減を誤り風呂が煮えたぎっている。
係りを叱って、水で薄めさせる。
風呂は古語でジと言い、ホジとはローマン後でスープのこと。
”俺が入れば良いホジとなる”と苦笑する。
新たな資金源としてホグの利用の建案があった。
広大な煮えたぎる丘を利用できないかと。
賢者会議に諮問したが、危険すぎて無理との意見が大勢を占めた。
熱湯を水で薄める係員を見て思う。
水で冷やせばホは、へ(熱湯)にもフ(平温の湯)にも変わる。
ホグがフグに変われば利用できる。
北国の悲願である冬に雪が積もらない魔法の町が出現する。
部屋に戻ると宰相を呼ぶ。
思い付きを話してみる。
宰相は王の意見を否定せず地図を広げてみせる。
二人は頭を寄せて地図を睨む、ホグに近い水量豊かな川を捜して。
ホグを囲む2筋の沢では水量不足。
ホグの真下で合流する沢は地獄沢と呼ばれる煮えたぎる沢。
人の居住地も沢の上流の地域に限られている。
広域に目を向けるとトウラ山脈から流れ落ちる膨大な水を集め夏の雪解けに氾濫する豊かな川が有った。
尾根を隔てた10ラーグ先に、概算する。
7ラーグの水路に3ラーグの掘り抜き。
200人の土工が300日、一人一日中銀貨1枚として金貨6千枚。
国家予算の5分の1、大金である。
ホグの丘は縦15ラーグ、横10ラーグの広大な土地。
縦横100リーグの土地を年間金貨1枚で貸すと賃料は年間金貨15000枚。
国家予算の半分である。
宰相と二人で取らぬ白狼の皮算用に目を輝かせる。
翌日、土工処の責任者と財務処の責任者が呼ばれ、賢者会議が反対する中プロジェクトが動き出す。
中央太陸の豪商に資金を借り、山をくり貫き水を引く。
幸い大きな事故も無く、一年後、無事に丘の頂上から配水管で水を流して始める。
思惑どおり、これだけで熱湯噴き出す土地が利用可能に変わる。
飲料水も確保され、不毛の地が、北国では珍しい雪の積もらない保養地に変わる。
排湯を石畳の下に流し雪の積もらない道を作る。
配水管の整備に併せて排水路も整備する。
床下に湯を流して真冬でも暖房不要の魔法の家を実現して魅せる。
大型船も入れる港を整備する。
地温が下がり丘に緑が根付く。
次第に保養地としての体裁が整うと、土地を求める他国の王や貴族達が集まり国庫が潤い始める。
商人や地元民も温泉宿を作り人が集まり始める。
人が集まると、これを目当てに丘裾で商売を始める人が多くなる。
アネリア王の皮算用以上に町が急速に発展し、引水から数年で20万人都市が形成されたのである。
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