時の宝珠

切粉立方体

文字の大きさ
上 下
26 / 49

26 愛湯とホグ

しおりを挟む
 
 翌日は実戦入りの練習日。
 最初のローマン語の儀式は、上々の出来。
 歌い手も気合い十分で、ノリノリ。
 普段から慣れ親しんだスタイルでと、ホグナを演奏させながら歌わせた。
 噂を聞いて集まった魚市場の女性陣が背中を敲き合って喜んでいる。

 対する船長も昨日事務所から歌が聞こえて来たので心の準備は出来ている。
 今まで長航路の儀式を羨ましげに眺めていたのでこちらも気合い十分。
 歌い手が奏でるホグナに乗せて市場の女性陣から石を投げられそうな歌を表現豊かに披露する。
 船員達も拳を振り上げて大喜び、長航路船が羨ましかったのは船員も同様。
 こうして無事儀式が始まる。
 今日もサラは悔しそうな顔をしている。

 数日後、必要技量欄に歌唱力とホグナの演奏と書かれた新規職員の募集要項が承認される。
 翌月の給料支払日、出航儀式の歌い手全員が驚く。
 無事目的港に着いた船からの祝儀が上乗せされており額が普段よりも一桁多かった。
 そして、歌い手に応募するホグナ弾きが殺到し、若い弾き手によって新しい陽気なホグナの演奏が試みられ密かに広がって行く。
ーーーーー

 10月半ば、潮が変わり北外海で冷やされた海水が内海に流れ込んで来る。
 陽が長く暖かくなっているのに冷え込みが厳しくなる。
 休みの日のサラは、一日中ストーブの前から離れない。
 “熱に敏感な炎の魔女は寒さに弱い”とストーブ前の占有権を主張する。
 ストーブ脇の床に敷物を敷いて、横になってコルムの木の実を炙って摘まんでいる。

「嫌、寒いから」

 カムのお願いが一蹴される。
 でもこれは予想の範囲内。

「今度厨房に山牛の背肉入る」
「嫌、寒いから」
「ノマ平原のイノシシのもも肉も入る」
「・・・嫌」
「ノマのユリ根も入るらしい」
「・・・」
「ノマのユリ根を山牛のバターで炒めて、ナムル草の絞汁に浸けた牛肉と豚肉の焼肉に乗せると絶品らしいよ」
「・・・で、何すれば良いの」

 交渉成立、そこでカムが説明する。
 昨日宿の女将から相談が有った。
 今週の週の中日、3の日に温泉区限定の行事がある。
 “愛湯”と呼ばれる恥かしい名前の行事で、ホグの丘の頂上にある湯泉から湯を汲み各宿に持ち帰って各宿の湯泉に加えるだけの行事である。
 ただ、汲み手は女性で今年婚姻した新婦に限定される。
 汲み手によって、湯泉の湯量が変わるとの噂もある。
 相談を受けたカムは、厨房の食材のお裾分けを条件に打診を請け負った。

「古い湯泉で前面に蛙の彫像が彫られていて、その蛙の頭を撫でてから湯を汲むらしいよ。馬車が手配されるんで歩かされる心配も無いってさ」

 サラが承諾する、南崖葡萄のワインも追加して。

 翌日、サラは休みを処長に相談する。
 休日以外の休暇は年10日、まだ取得していない。

「愛湯に参加するの」

 処長から聞かれる。

 “うー、恥かしい名前の行事だ。なんか卑猥な感じがする”

「ええ、頼まれたのでその“愛湯”に参加しますが、良くお判りですね」
「古い行事だからね。昔は役所にも参加要請があってね。所長の奥さんも役所から参加したって聞いたな。所長は職場結婚なんだよ。新婚の子が3年位無くて途絶えたって話だよ。でも、制度は残っていてね。愛湯の参加は職務免除扱いだよ」

さすが温泉町、サラは妙な事に感心する。

 当日、カムはサラを伴って出勤する。
 女将に紹介してサラは女将と一緒に別室へ。
 半刻後サラが素焼きの壺が入った蔦の籠を持って現れる。
 頭に氷花祭りと同じ帽子、白い厚手の上衣に裾に茶色の波をあしらった白袴姿である。
 女将が着せ替え人形を楽しんだような笑顔で付いて来る。
 飾り人形の様で様になっている。
 帽子の脇から珊瑚の髪飾りが覗いている。

 従業員全員に見送られ馬車で会場へ向かう。
 馬車から降りると二人で会場に向かう。
 会場前の受付で参加確認し、カムは会場入り口で待機。
 会場となる元湯泉の敷地は男子禁制の場とされている。
 ホグの丘の原風景を思わせる草一つ無い湯気に覆われた岩原をサラが遠方に霞んで浮かぶ東屋目指して歩いて行く。
 帽子の裾の橙色の帯模様が白い霧の中で暫く浮かんで遠ざかって行った。
ーーーーー

 北大陸古語でホとは煮えたぎるの意味、グとは丘を意味する言葉でホグとは煮えたぎる丘のことである。
 二百年前のホグは、煮えたぎる湯が噴出する丘と丘に沿って流れる二本の川沿いに住居が散在する小さな村であった。
 丘から流れ落ちる熱湯が川で薄まり、天然の浴場を作る。
 この浴場が旅人の評判となり、王都に帰った旅人がこの浴場を模した風呂を作る。
 これが評判を呼び、王都に岩風呂の文化をもたらしたのである。

 今の様に保養地として栄えたのは、賢王と呼ばれるアネリア王の業績である。
 二百年前、日々傾く国庫を憂いたアネリア王は、対策に頭を痛めながら岩風呂に入ろうとした。
 生憎、係の者が火加減を誤り風呂が煮えたぎっている。
 係りを叱って、水で薄めさせる。
 風呂は古語でジと言い、ホジとはローマン後でスープのこと。
 ”俺が入れば良いホジとなる”と苦笑する。

 新たな資金源としてホグの利用の建案があった。
 広大な煮えたぎる丘を利用できないかと。
 賢者会議に諮問したが、危険すぎて無理との意見が大勢を占めた。
 熱湯を水で薄める係員を見て思う。
 水で冷やせばホは、へ(熱湯)にもフ(平温の湯)にも変わる。
 ホグがフグに変われば利用できる。
 北国の悲願である冬に雪が積もらない魔法の町が出現する。

 部屋に戻ると宰相を呼ぶ。
 思い付きを話してみる。
 宰相は王の意見を否定せず地図を広げてみせる。
 二人は頭を寄せて地図を睨む、ホグに近い水量豊かな川を捜して。
 ホグを囲む2筋の沢では水量不足。
 ホグの真下で合流する沢は地獄沢と呼ばれる煮えたぎる沢。
 人の居住地も沢の上流の地域に限られている。

 広域に目を向けるとトウラ山脈から流れ落ちる膨大な水を集め夏の雪解けに氾濫する豊かな川が有った。
 尾根を隔てた10ラーグ先に、概算する。
 7ラーグの水路に3ラーグの掘り抜き。
 200人の土工が300日、一人一日中銀貨1枚として金貨6千枚。
 国家予算の5分の1、大金である。

 ホグの丘は縦15ラーグ、横10ラーグの広大な土地。
 縦横100リーグの土地を年間金貨1枚で貸すと賃料は年間金貨15000枚。
 国家予算の半分である。
 宰相と二人で取らぬ白狼の皮算用に目を輝かせる。

 翌日、土工処の責任者と財務処の責任者が呼ばれ、賢者会議が反対する中プロジェクトが動き出す。
 中央太陸の豪商に資金を借り、山をくり貫き水を引く。
 幸い大きな事故も無く、一年後、無事に丘の頂上から配水管で水を流して始める。
 思惑どおり、これだけで熱湯噴き出す土地が利用可能に変わる。
 飲料水も確保され、不毛の地が、北国では珍しい雪の積もらない保養地に変わる。

 排湯を石畳の下に流し雪の積もらない道を作る。
 配水管の整備に併せて排水路も整備する。
 床下に湯を流して真冬でも暖房不要の魔法の家を実現して魅せる。
 大型船も入れる港を整備する。
 地温が下がり丘に緑が根付く。

 次第に保養地としての体裁が整うと、土地を求める他国の王や貴族達が集まり国庫が潤い始める。
 商人や地元民も温泉宿を作り人が集まり始める。
 人が集まると、これを目当てに丘裾で商売を始める人が多くなる。
 アネリア王の皮算用以上に町が急速に発展し、引水から数年で20万人都市が形成されたのである。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい

一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。 しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。 家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。 そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。 そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。 ……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──

冤罪だと誰も信じてくれず追い詰められた僕、濡れ衣が明るみになったけど今更仲直りなんてできない

一本橋
恋愛
女子の体操着を盗んだという身に覚えのない罪を着せられ、僕は皆の信頼を失った。 クラスメイトからは日常的に罵倒を浴びせられ、向けられるのは蔑みの目。 さらに、信じていた初恋だった女友達でさえ僕を見限った。 両親からは拒絶され、姉からもいないものと扱われる日々。 ……だが、転機は訪れる。冤罪だった事が明かになったのだ。 それを機に、今まで僕を蔑ろに扱った人達から次々と謝罪の声が。 皆は僕と関係を戻したいみたいだけど、今更仲直りなんてできない。 ※小説家になろう、カクヨムと同時に投稿しています。

異世界の片隅で引き篭りたい少女。

月芝
ファンタジー
玄関開けたら一分で異世界!  見知らぬオッサンに雑に扱われただけでも腹立たしいのに 初っ端から詰んでいる状況下に放り出されて、 さすがにこれは無理じゃないかな? という出オチ感漂う能力で過ごす新生活。 生態系の最下層から成り上がらずに、こっそりと世界の片隅で心穏やかに過ごしたい。 世界が私を見捨てるのならば、私も世界を見捨ててやろうと森の奥に引き篭った少女。 なのに世界が私を放っておいてくれない。 自分にかまうな、近寄るな、勝手に幻想を押しつけるな。 それから私を聖女と呼ぶんじゃねぇ! 己の平穏のために、ふざけた能力でわりと真面目に頑張る少女の物語。 ※本作主人公は極端に他者との関わりを避けます。あとトキメキLOVEもハーレムもありません。 ですので濃厚なヒューマンドラマとか、心の葛藤とか、胸の成長なんかは期待しないで下さい。  

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

悪役令嬢は訳あり執事に溺愛される

さらさ
恋愛
前世の記憶を思い出したレイラはここが前世で何度もやった乙ゲーの世界だと気がつく。 しかも自分は悪役令嬢に転生していまっている。 ここはざまぁされない様に立ち回るべきなのだけれど、レイラは心が優しすぎた。シナリオ通り悪役令嬢をすることを決める。 そして、シナリオ通り悪役令嬢として振る舞う主人を見守るのは執事のミカエル。 そんな彼にも秘密があって・・・

努力と根性と運が少々

切粉立方体
ファンタジー
”人は迷宮内で成長する”  これは精神論的な話じゃなく、この世界の理そのものだ。  人は十二歳になると女神様から魔法の力を与えられ、その代わりに加齢による成長が止まる。  そして迷宮で魔獣を倒して経験値を得て成長するという、生物学的な形態変化が起こるのだ。  だから、新年の始めに行われる女神様の魔法付与の儀式は、芋虫から蝶への変化に擬え、羽化式と呼ばれている。  女神様から付与される魔法の属性は光、闇、火、水、風、土、氷、雷の八種類で、初期レベルで、光属性は光矢の魔法と光治癒の魔法、闇属性は闇矢の魔法と影感知の魔法、火属性は火矢の魔法と火操作の魔法、水属性は水矢の魔法と水治癒の魔法、風属性は風矢の魔法と風操作の魔法、土属性は土弾の魔法と土質感知の魔法、氷属性は氷矢の魔法と温度感知の魔法、雷属性は雷矢の魔法と微電感知の魔法が与えられる。  この中で最も尊ばれるのが氷属性、強い攻撃力を有するので迷宮内での成長が早く、深い階層まで潜れるからだ。    逆にこの中で最も忌避されるのが土属性、女神の呪いとすら呼ばれている。     理由は簡単で、迷宮内にある石壁も洞窟も迷宮が作り出した偽物なので、魔法で操れる材料そのものが迷宮内に存在せず、土弾の魔法や土質感知の魔法を迷宮内で唱えても何も起きないのだ。  何故か、迷宮内の魔物には剣や槍などの物理的な攻撃が一切通用せず、魔法の力でしか倒せない。  だから迷宮で経験値を得られない土属性は成長せず、永久に芋虫のまま、蝶として羽ばたくことは出来ない。  そして僕は、十二歳の羽化式で土属性と判明し、領都を追い出された。

頭が花畑の女と言われたので、その通り花畑に住むことにしました。

音爽(ネソウ)
ファンタジー
見た目だけはユルフワ女子のハウラナ・ゼベール王女。 その容姿のせいで誤解され、男達には尻軽の都合の良い女と見られ、婦女子たちに嫌われていた。 16歳になったハウラナは大帝国ダネスゲート皇帝の末席側室として娶られた、体の良い人質だった。 後宮内で弱小国の王女は冷遇を受けるが……。

転生したらなぜか双子になってたけどそれはそれで便利だし気にせずこの素晴らしき世界を楽しみます

気まぐれ八咫烏
ファンタジー
異世界に転生した俺は、なぜか双子になっていた! なぜ?どうして?と思うが、なっていたものは仕方がない。 それはそれで受け入れてせっかくの異世界ファンタジーを楽しむことを決意。 楽しむために冒険者となり世界を旅しながら人助けをしてみたりトラブルに巻き込まれてしまったり。旅の途中でこの世界はどんな世界なのか、なぜ転生してしまったのか、そしてなぜ双子に分かれてしまったのか少しずつ見えてきます。ただ残念なことに主人公はまったり世界を楽しもう精神の持ち主なのでなかなか核心にたどり着けません(笑) と主人公の性格のせいにしていますが作者の執筆速度が遅いだけという噂。 皆様の評価やブックマークを心から欲しがっています!どぞよろしく!! なろう系異世界転生ファンタジーっぽいものを目指してます!

処理中です...