時の宝珠

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10 サラの初仕事

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 入信証を受け取ると早々に教会を逃げ出す。
「奴がいたな」
「ああ、嬉しそうに舌舐め摺りしてた」

 教会を出ると気配は消えたが、急いで離れる。

「前言わなかったが、あの時の感じは食べ残した好物を持って行かれた子供みたいだった」
 殆ど小走りになりながら距離を稼ぐ。
 町の正門前の店先で膝に手を当てて息を整える、白い息がふいごの様に吐き出される。

「教会の中だけだよ」
「そうだな、少し安心だ。今日はもう、茶を飲んでから帰るか」
「そうしよう、説明書きと全然違うし、なんか変に緊張して疲れた。入信証も手に入ったし、急ぐ必要も無いしね。私カルムの実の黒蜜掛けが食べたい、クリームをたっぷり乗せたやつ」

 宿の従業員から仕入れた情報である。
 表通りから二本裏の通り、木こり小屋風の店は直に見つかった。
 店内は親子連れや小さなアベックで混んでいた。
 黒の修服姿の子供が多い。
 子供達の身なりが良いのは、午後から儀式に参加する裕福な商人の子や貴族の子弟が多いためであろう。
 あからさまな好奇の視線は少ない。
 手に入れた入信証を恐々と取り出す。
 気配が無いことを確かめ、名前に魔力を込める。
 字が薄く青い光を放つが奴の気配は現れない。

「教会の中だけだな」
「ええ、良かった。でもこれで銀貨2枚なんて良い商売よね」

 厚手の紙を透かしてみる。
 署名の周りに飾り文字と教会の印が記入されているし、随分字が多い。

「坊や達、儀式終わったの。入信証みせて貰えれば今日は半額よ」

 注文を取りに来た女給が気を効かせる。勿論半額は嬉しい。

「はい、貰ったばかりです」
 
 勇んで女給に入信証を見せる。
 しばらく見入っていた女給から意外な事を言われる。

「嘘はだめよ、これ婚姻証じゃない。御母さんのじゃだめよ」

 女給が自分の入信証を出して二人に見せる。
 明らかに違う、第一、入信証には入信証と婚姻証には婚姻証と書いてある。
 何か間違いが有ったようだ。
 ひとまず署名を光らせ、正当な持ち主であることを示して無理矢理半額をさせる。
 女給が顔を引きつらせながら注文を取って立ち去った。

「なんかおかしいと思ってた」
「ああ、この服のせいで別枠かと思ってたが・・・。普通、子供同士の結婚式やるか。まったくあの教会は。余計な心配増やしやがって」
「こんな子供同士の婚姻証なんて信じて貰えるのかしら」
「戻るのは嫌だぞ、駄目元で話してみよう」

 カルムの実が来たので相談を中止し、甘みを十分に堪能してから早々にギルドに向かう。

「ええ、大丈夫ですよ。登録できます」

 二人が説明する前に、婚姻証を見て即答である。
 口に登り掛けていた言い訳を飲み下して確認する。

「でも僕ら子供ですよ」
「婚姻に年齢制限は有りません。それに入信証よりも証明力は上ですよ」

 確かにその通りであるが・・・。

「でも、宿を移ったらギルドに届出して下さいね。役所にも教会から書類が回っているはずですから、役所にもお願いしますね。もうお二人は完全なご夫婦なんですから。それと、ここは国の領地なので国都にも写しが回ります。役所には届出2通お願いしますね。国都への便は今日出てるでしょうから、今週中にも国に登録されます」

 知らない間に事実が作られ、外堀も埋められている感がある。
 言いたい言葉を飲み込んで、取り敢えず働き口を捜して申し込む。
 カムは宿屋の手伝い、サラは書物処の写本の補助。
 子供用の仕事なので一日銀貨3枚と安いが倹約すれば暮らせない額でもない。
 何か納得出来ないまま、不完全燃焼で宿に帰る。
 部屋に戻って小さなテーブルを挟んで椅子に座る。
 サラがカムの顔をじっと見つめ、暫くしてから突然呟く。

「まぐわいはせぬぞ」

 カムが一瞬固まってから、驚いて反論する。

「当たり前だろ。まだこんな身体だし」

 カムを指差しサラが憤然として追及する。

「あー、“まだ”って言った」

 言葉の意味に思い当り、カムが動揺する。
 カムを見つめ、サラがにやりと笑みを浮かべる。
 意識されていることが解れば十分である。言質は取った。

「一時保留にしといてあげる。さっ、夕飯食べに行こ、旦那様」

 立ち上がるサラの背中を見つめて、カムは何か大きな失態を冒した気がした。
 昨日と同じに夕飯を食べ、二人で風呂に入って、大きな寝台の真ん中で身を寄せ合う。
 カムは昨日よりもサラが密着しているような気がした。

 翌朝、食事後に初出勤。
 サラは官区の書物処へ向かう。
 書類、文書を扱う部署であるが、実態は公布する文章を書き残す人間印刷所兼書類審査所。
 十数名の職員が机に向かい黙々と書類を確認しながら書き写している。
 文字は筆を使って墨で書く。
 サラに与えられた仕事は筆写に必要な墨を磨る作業である。
 大型の墨を両手で握り、鍋の様な硯で磨る。 
 磨り終わると脇の壺に流し入れて、職員の硯に柄杓を使って配る。
 単純で根気の要る仕事である。

 処長が昼前に気付く。
 通常、新しい墨磨りが入ると、最初薄い墨が配られ、筆写の手を止めて墨を磨る職員が多くなる。
 少し慣れて来ると墨は濃くなるが、濃淡の差が生じ、筆写の手を止めて墨の濃さを調整する職員が多くなる。
 何れの場合も、筆写の効率が落ち、仕事が滞る。
 今日は書類の数が多い。
 夜まで残す職員の数が多くなり、臨時の出費を会計処と話合わなければならないと考えていた。

 新しい子供の墨磨りを見て、眉を顰めていたが、今日は仕事が捗っている。
 手を止めている職員も少なく、自身も捗っている。
 しかも一回の墨付けで書ける文字が2文字も多い。
 師範クラスの書記の磨る墨と同じである。
 偶然ではない、朝から墨の濃さは驚く程安定している。

 墨磨りの技術は書字の技量と比例する。
 ここでは綺麗な字が書ける職員が少なく、貴族や王都に出す重要書類は殆ど自分が深夜まで掛かって書き上げている。
 字の綺麗な職員は喉から手が出るほど欲しい。
 もちろんギルドで書記も募集しているが、達者な字が書ける人材自体が少なく、無理な望みと諦めていた。
 駄目元で試してみる必要がある。

「君、墨磨りのお嬢ちゃん、ちょっと良いかい」

 墨磨りの子供が近づいて来る。黒い修服を着ているが、裾の白いレースにも墨の汚れは見当たらない。
 期待が大きくなる。

「君、字は書けるかい」

 他の職員が呆れて聞き耳を立てているが、多分此奴等には解らないだろう。

「はい、書けますが」
「じゃ、これをちょっと書き写して貰えるかい。そこを使って良いからね」

 脇の空いている書記席を示し、あえて難しい書体の書類を渡す。
 今晩書き写す心算の侯爵宛の文書である。
 墨を磨る、筆を選び整える、原文を置き、紙を置く。
 流れるようにこなして行く姿を見ると期待が大きくなる。
 筆を構える。
 筆を持つ位置が高い。
 筆を紙に降ろすと、美しく正確な字が並んで行く。

 “正解”心の中で呟き、歓声を上げそうになった。
 1頁があっと言う間に出来上がる。

「書記に変わってくれないか。一日の給金は中銀貨1枚と銀貨5枚」

 様子を見て、さらに上げようと考えていた。
 書記は実力主義の世界である。

「喜んで変わります」

 墨磨りよりも楽だし、それに給金も高い。半日で日当が5倍になった。
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