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槇島城の戦い~高屋城の戦い

ご武運を、お祈りしています

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「……プニ長様?」

 しかし、そんな全てが遠ざかるような感覚も、こちらを不思議そうに覗き込む帰蝶の声で取り払われていく。
 現実に引き戻された意識を彼女の方へと向けた。

「キュンキュン(何でございましょ)」
「……」
「何やらぼうっとしておられるご様子。おねむの時間ですかな?」

 六助も色々と説明してくれていたのを中断して、何やらぬふふ、と気持ち悪い笑みを浮かべながらこちらを見ている。どうやら二人が心配になるくらいぼけっとしてしまっていたみたいだ。

「キュン(そんなとこ)」
「それは大変ですね。直ちに寝床をご用意致します」

 適当に返事をすると、帰蝶が微笑みながら冗談っぽく言った。

「それでは、私はこれにて。仔細などは別の日にすると致しましょう」

 寝床の準備が着々と進む中、頃合いを見計らった六助が、一礼をしてからそう告げて去って行く。
 用意してもらった寝床に伏せ、布団をかけてもらいながらぼんやりと考える。

 いや、これから本能寺に行くからって本能寺の変が起きるとは限らない……と考えるのは楽観的すぎるだろうか。くそ、こんなことならもうちょっと日本史の勉強をやっておけば良かったな。
 でも、もし本当に明智が俺に対して謀反を起こすつもりなら、ここにいるわけにはいかない。大切な人たちを巻き込んでしまう。それは前に心に決めたことだ。だから、下手な抵抗はせずに六助の指示には従おう。
 本能寺に行って、それからどうするか考えようか。どうにか変を回避出来る手段があるかもしれない……。いや、あっちについてすぐに起きるのだとしたらどうにもならないか……。

 自分がどうするべきなのか、その答えが出る気配もないまま、意識はふんわりとした闇の中へとゆっくり溶けて行った。



 備中高松城への出兵には、帰蝶はついてこないことになった。毛利との最終決戦で大きな合戦になる可能性が高いから、ということらしい。俺としてもそちらの方が好都合だ。
 そして身支度などを済ませ、いよいよ出兵となった日の前夜のことだ。

 灯籠に柔らかく照らされた部屋で、雨が壁を叩く音の中に、布と畳の擦れる音が紛れている。
 安土城の自室内。布団を敷いてくれたりなど、俺の就寝準備を済ませてくれた帰蝶が、向かい合うように座ってから口を開いた。

「それではプニ長様、本日はこれにて失礼致します。お休みなさいませ」
「クゥン(帰蝶たん)」

 今日で今生のお別れかもしれないと思うと感傷的になり、つい弱々しい声を出してしまった。帰蝶がそこに反応する。

「如何致しましたか?」
「キュキュン、キュン(俺がいなくなっても、幸せにな)」
「どこか、お身体が悪いのですか?」

 帰蝶は俺を抱き上げて、身体のあちこちを観察する。あらぬところまでじっくり見られてしまってちょっと恥ずかしい。
 身体に異常はないとわかると、元の位置にすとんと降ろされた。

「キュキュン(ええっと)」

 言葉が通じないことを、今ほど不便だと思ったことはない。でも、言葉が通じないことを、今ほど良かったと思ったこともなかった。
 帰蝶にじっと見つめられながら、俺はまとまらない気持ちを必死にまとめて、どうにか言葉を紡いだ。

「キュン。キュキュンキュン、キュウン(好きです。君が俺なんかのお嫁さんでいてくれて、本当に良かった)」
「……」

 すると帰蝶は無言で俺をそっと抱き上げ、ぎゅっとしてくれた。
 腕に込められた力は強く、けど苦しくならない程度には加減されていて、俺は静かに瞼を閉じる。俺たちは、お互いの心から溢れ出る色んなものを噛みしめるかのように、しばらくそのままでいた。
 気が付けば雨の勢いは、止んでいるかのごとく弱まっている。しとしとと屋根を撫でるその音は、心地よいとすら感じた。
 想いが伝わったのか伝わっていないのか、そんなことはもうどうでもいい。心の底からそう思える。

 やがて帰蝶は俺を元の位置に戻して、穏やかな声音で言った。

「お休みなさい」
「キュン(お休み)」

 ゆっくりと去っていく彼女を見送ってから布団に入る。消灯のされた室内は、月光がなくとも薄闇で、帰蝶の去っていった襖がはっきりと見えた。

 翌日。明智らとは違う独自のルートで中国方面へと向かう為、俺たちの出発はいつもよりひっそりとしたものとなった。
 安土城前に集った俺と六助のお供は、馬廻衆を始めとした百騎余りで、この場にはそのうち何名かしかいない。お見送りは俺の家族と、それに仕える侍女たちのうち数名だ。

「ご武運をお祈りしています」

 帰蝶がいつもの挨拶をしてくれる。

「なるべく早めに帰って来なさいよ。子供たちの相手、してもらうんだから」
「ごぶうんを、おいのりしています」
「おいのりしています!」
「……」

 お市に茶々、初に江も普段と変わらない様子だ。

「ガルル」
「キュキュンキュン(皆を頼んだぞ)」
「ガルル」

 こいつなら、いざという時も家族たちを守ってくれそうだ。
 信ガルは最初こそ護衛役みたいな感じで俺の周りにいることが多かったものの、茶々と仲良くなってからは彼女と一緒にいることの方が多くなった。今回も、茶々の護衛として安土城でお留守番だ。俺としてもそうしてくれた方がいい。

「ワウ」
「……」
「ワフッ」

 モフ政は正直、最後までよくわからんやつだったな。今も何か話しかけてくれてるみたいだけど……って、珍しいなおい。ぼーっとしてたり、無言で俺についてきたりとかばっかりだったのに。
 でも、やっぱり内容は理解出来ない。どこか寂しそうな、悲しそうな顔をしているような気もするので、俺との別れを惜しんでくれているのだろうか。こいつは何も知らないはずなんだけど。

「キュ、キュキュン(お前も、皆を頼んだぞ)」
「ワフッ」

 まあ悪いやつではないからな。俺もこいつと離れるのはやっぱり寂しい。一応義理の兄弟ってことになってるし。
 扱いがひどいかと思いきや、実は家族たちに普通に愛されているので、俺がいなくなってもよろしくやっていって欲しいと思う。

「プニ長様、ではそろそろ」
「キュン(おう)」

 六助に出発を促されて、踵を返す。駕籠に向かって歩き出した瞬間、背後から俺を呼び止める声があった。

「プニ長様!」

 帰蝶だ。振り返ると、家族たちが驚いた様子で彼女に視線をやっている。旅立つ武士を引き留めるというのは、戦国大名の妻である女性の行動として、ましてや帰蝶のそれとしてはとても珍しいものだからだ。

「あの……」

 帰蝶は俯き気味で、右手で着物の胸元辺りを掴んでいる。いつも強く美しい彼女には珍しい仕草だった。
 しかし、それも束の間。顔を上げた帰蝶は凛とした表情をしていて、その瞳には何かの意志が宿っているようにも見える。

「ご武運を」
「キュン(ありがとう)」
「さっきも言ったじゃん、それ。どうしたの? 義姉上」
「おばうえ?」

 俺たちのやり取りを不思議に思ったお市が困惑している。茶々を始め三姉妹は皆きょとんとした様子で首を傾げていた。
 客観的に見ればそうなるのも無理はないと思う。でも、俺には帰蝶のあの一言だけで充分だった。

 再び踵を返して前を向き、歩き出す。雲一つない晴天の空を眺めながら、しっかりとした足取りで駕籠に乗り込んで行った。
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