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槇島城の戦い~高屋城の戦い

新たなる英傑

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 黒を基調とした毛並み。細く引き締まった肉体や尖って直立した耳には迫力を感じる一方で、つぶらな瞳には愛嬌がある。
 ドーベルマン。十九世紀後半にドイツで生み出されたこの犬種は、世界中で警察犬として採用され、軍用犬として戦地で活躍している。彼らの特徴である尖った耳と短い尻尾は、出来る限り弱点を少なくするために断耳、断尾をすることで人工的に作られているそうだ。
 いやー本当にかっこかわいいな、ドーベルマン。どう考えてもこの世界に存在すること自体おかしい犬種だけどそんなことはどうでも良くなってしまう。

「見惚れてる場合じゃないですよ、武さん!」
「キュン(はっ!?)」

 ソフィアの言葉で我に返る。そうだ、一番の問題はそのドーベルマンが何故武田の陣営にいるのかということだけど……。
 今までの流れで考えれば武田信玄の代わりということになるだろう。恐らくは家康が言っていた通り、信玄が病死したところに召喚と。いくらかツッコミどころはあるものの、そこはどうにか納得するしかない。
 そうなると、この犬を「父上」と呼んだやばいおっさんは信玄の息子ということになるんだけど……何て名前だったかな。

「勝頼、ですよ。武田四郎勝頼」
「キュン(サンキュ)」

 またあっさりと心を見透かされた心に軽く動揺しつつ、ソフィアに礼を言った。
 あれこれと考えている内にも武田信玄? は強衛門の方にとことこと歩み寄り、言葉を発する。

「ガウ」

 未知の生物に怯えているであろう強衛門は、それでも強固な姿勢を崩さずに今は武田信玄らしき犬を睨みつけている。

「何だこの犬は! これで俺をどうしようってんだ!」
「この無礼者が! この御方は我の父上にして甲斐武田家第十九代当主、武田法性院信玄様なるぞ!」
「父上って、犬じゃねえか! そうか、これが今流行りのお犬様ってやつだな? 確かにちったぁ尊いみてぇだが、プニ長様程じゃあねえ」
「貴様っ……!」

 勝頼は全身をわなわなと震わせながら、腰に帯びた剣に手をかけた。

「ガウ」

 するとそれを嗜めるように後ろから信玄? が吠える。

「父上。ではどうしろと仰るのですか?」
「ガウ」
「こいつを放免せよと!? ……ただし条件付きで、ですか」

 驚愕した勝頼は強衛門の方に向き直り、一つ咳ばらいをしてから説明する。

「父上はこう仰っている。これから長篠城の前に顔を出し、『援軍は来ない。諦めて城を明け渡せ』と叫べば助命し所領も望みのままに与えてやると。お前の豪胆さに感心なされたのだろう。感謝せい」
「……!」

 強衛門が息を呑む。
 一見して平和的な解決策のようではある。つまり、味方である長篠城の兵に対して「諦めろ」と強衛門に説得させるということだ。そうすれば武田も徳川方も、これ以上の死傷者を出すことなく戦を終わらせることが出来る。
 でも、易々と城を明け渡すというそんな徳川への忠誠に背くような行為を、生き様を大切にするこの世界の武士たちが受け入れるのだろうか。
 俺が疑問に思っているうちにも、強衛門は返答を用意していた。

「了解致した」
「うむ。それでいい」

 まあ強衛門がこの申し出を受け入れるのは仕様のないことだと思う。味方に嘘を吐き結果として家康を裏切るのは心が痛むだろうけど、やはり生き様よりも命を大切にすべきだ。これを断ったところで彼には何の利益もない。
 勝頼は満足げにうなずくと、背後にいる信玄の方を振り返る。

「父上も満足なさっておいでだ」

 どうでもいいけど、ほぼ確実に勝頼と信玄の会話は成立していない。人間と犬だしソフィアのような存在もいないのだから当然だ。
 信玄の意として語っているのは恐らく勝頼の本音だろう。彼自身が強衛門を気に入って逃がしてやりたいということだ。ツンデレかよ。

「おい、とうもろこしを抜いてやれ」
「はっ」

 勝頼の命令で一人の足軽が強衛門に近付き、尻から生えているとうもろこしに手を伸ばし、引いた。強衛門の顔が苦悶に歪む。

「ぐっ、ふぬぬっ……」

 そしてとうもろこしは見事に抜けた。

「ぬああああぁぁぁぁっ!! ……ふう」

 ようやく尻の苦痛から解放された強衛門は、嬉しさと寂しさの入り混じったような複雑な表情をしていた。

 話がついて準備が出来ると、強衛門は長篠城の前まで連れて行かれた。縄などで拘束されてはいないものの、周囲を敵が囲っていて逃げたりは出来ない状況だ。
 城の中にいる徳川兵が強衛門をじっと見つめている。

「さあ、御屋形様の仰った通りにするんだ」
「おう」

 そして、強衛門は一歩前に出ると信じられない行動を起こす。何と自分の前に居る武田兵を掴み、城を囲む堀に放り投げたのだ。
 成すすべもなく落ちていく武田兵には見向きもせず、強衛門は全力で叫んだ。

「あと数日で数万の援軍が到着する! それまで何としても持ちこたえよ!」

 やや弛緩していた武田方の空気が一瞬で張り詰めるのがわかった。約束を反故にされた勝頼の顔が、みるみるうちに怒りに歪んで行く。

「貴様っ……! 最初から、このつもりでっ!」
「繰り返す! あと数日で数万の援軍が到着する! それまで……」
「あいつを磔にし、尻にとうもろこしをねじ込めい!」
「はっ!」

 すぐに強衛門は捕らえられ、城の前で板と向かい合う形で磔にされた。そして丸出しになった尻に勢いよくとうもろこしが差し込まれていく。

「ぐああああぁぁぁぁっ!!!!」

 彼の顔からは苦痛に抗う以外の何か別の感情が読み取れる気もしたけど、気のせいだろう。というかそうであって欲しい。

「やはりすごいですね。とうもろこし、今度私も試してみます」
「キュン? (誰に?)」

 俺や帰蝶、は恐らくないから別の神とかに対してだろうか。女神の尻にとうもろこしを……いかん、想像してしまった。

「武さんのえっち! 変態!」
「キャンキャン! (お前に言われたくないわ!)」

 長篠城内にいる徳川兵も、皆社会的に死亡した強衛門の姿を眺めながら涙を流していた。映像はそのまま城内へと切り替わる。
 指揮官らしきおっさんが拳を突き上げながら叫んだ。

「忠臣、鳥居強衛門の死を無駄にしてはならぬ! 援軍が到着するまで、ここを死守するぞぉ!」
「オオオオオオ!」

 城全体を揺るがすほどの怒号が響き渡る。どうやら強衛門は、自らの死と引き換えに長篠城内の兵の士気を上げたらしい。その後もやつの尻からとうもろこしが抜かれることはなく、その異常な姿はそこで晒され続けていた。
 それが長篠城の守護神か、あるいは不吉の象徴になるのか。それはこれからの戦いで決まる……。

 そこで俺たちは一度、鏡から視線を外した。

「キュキュンキュン(中々すごかったな)」
「ええ」

 自然と顔を見合わせた俺たちは、ほぼ同時にそれを言った。

「キュンキュン(尻にとうもろこし)」「尻にとうもろこし」
「キュ、キュキュンキュン?(お前、もしかしてこれが見たかったのか?)」

 心外だと言わんばかりに、ソフィアは頬を膨らませる。

「なっ、そんなわけないでしょう! 武さんは私の事を何だと思ってるんですか?」
「キュウンキュンキュン(おっさんで変態だと思ってるけど)」
「へえー、そんなこと言っちゃっていいんですかねえ?」

 ソフィアは意味ありげに目を細めた。

「なら、以前に私が『胸が大きい』という発言をして以来、抱っこされる度にもぞもぞ動いて帰蝶ちゃんの胸の大きさをチェックしようとしてるの、ばらしちゃいますよ?」
「キュキュン(大変申し訳ございませんでした)」
「全く、武さんは本当にえっちですねえ」
「キュウン……キュキュン! キャキャンキャイン! ワオ~ン!(だって……だってしょうがないだろ!? あんなこと言われたら気になるに決まってるじゃん! それが男ってもんじゃんかよぉ!)」
「はいはい、どうどう」

 逆ギレ気味に興奮してしまった俺は、その後もしばらくソフィアに宥められていたそうな。
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