Rain fairy〜雨の妖精〜

久恵立風魔

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美空晴翔

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 それは三年程前の春の終わり頃、ツユはこの街の城ヶ森の丘公園で悲しみの雨の中にいた。そこへ高校一年生だった晴翔が通りかかった。晴翔には聡と同じ様にツユが見えたらしく、雨の中、泣いているツユに声を掛けた。

 「君、どうしたの?何で泣いてるの?」

 そう言い、晴翔はツユに傘を差し出した。

 「何で泣いてるのか分からない。私には、悲しみの感情しかないの。悲しくて泣くことが私の任務なの。」

 「泣く事が任務か。君は面白い事言うね。じゃあ僕が悲しみ以外の喜びや、楽しみを教えて君を笑顔にしてあげるよ。だから君の事を教えて。」

 そう言うと晴翔は微笑んだ。晴翔は何も疑うことなく、そのままのツユの言う事を受け止め理解しようとした。妖精である事、実体がない事、悲しみの感情しかない事。全てを受け入れた。そして、晴翔はこの世界のいろいろな事を教えた。太陽の温かさ、月や星の輝き、鳥の囀り、海の広さ、空の青さ、父の強さ、母の優しさ、花の美しさ、命の尊さ、雨上がりの虹の光。晴翔が教えられる事全てをツユに教えた。そして次第にツユに悲しみ以外の感情が芽生えた。喜び、楽しみ、ツユは笑える様になった。それに伴い、雨は止み、晴天の日が続く様になった。ツユは感情を持つ事がこんなにも人生を彩るものなのかを知った。そしてツユは晴翔に対して恋愛感情も持つようになった。
 そんな楽しく明るい日々を過ごしていたある日、強風吹き荒れる台風と共に二人の前に一人の少女が現れた。その子の名は風上アイレーン。風を司る妖精だった。彼女は妖精界から任務を怠るツユに対してその任務を遂行するよう使命を帯びて遣わされたのであった。
 嵐の中、川沿いの道を帰り急ぐ晴翔とツユの前にアイレーンは現れた。彼女はグレーの長い髪に緑色の瞳、深緑色のワンピースを着ていた。アイレーンは二人の前に立ち塞がり、顎を上げツユを見下すように話し出した。

 「人間と戯れて楽しそうね、ツユ。あなた、雨を降らす仕事はどうしたの?あなたが仕事サボるから私の仕事が増えたじゃないの。」

 アイレーンはさも迷惑そうに話した。

 「ごめんなさい。でも、私悲しみ以外の事を晴翔から教わって泣くだけの人生が嫌になったの。私も笑いたいし、楽しい日々を送りたい。」

 「そもそもあなたが悲しまなければならないのは人間がこの世界を、自然を破壊し続けているからでしょ?私達の任務は人間からこの惑星の自然を守り、バランスを取る事。あなたは傷付いたこの自然を悲しみ泣く事で、人間と自然とのバランスを取る事。この惑星の自然を悲しみなさい。それなのにそんな人間と戯れ馴れ合うなんて滑稽だわ。」

 「晴翔は違うわ。私に自然の美しさ、尊さを教えてくれた。そして人間も、その自然の一部だということを教えてくれた。人間の全てが悪いわけじゃない。」

 ツユは目に涙を浮かべアイレーンに訴えた。アイレーンはフッと鼻で笑うと冷笑し、

 「ツユ。あなたがいくら善人の人間もいると訴えることと雨を降らすことを怠る事とは関係ないわ。あなたは自分でも言ったように単に悲しみに支配されて泣く事が辛くなって、晴翔に教えてもらった喜び、楽しみの感情に逃げているだけ。私達が人間、自然、どちらに属す存在か忘れたわけじゃないわよね?私達妖精は自然に仕える下僕。自然に従い、守る事が私達の使命よ。」

 二人の話を聞いていた晴翔は沈黙を守っていたが、静かに口を開いた。

 「アイレーンさん、ツユやあなたの仕事の邪魔を僕がしてしまっていたなら、謝ります。ごめんなさい。僕達人間が、自然を壊して、この星のバランスを壊してることも謝ります。ごめんなさい。でも、ツユに悲しみ以外の感情を教えた事は謝りません。何故ならあなた達が彼女を悲しみの感情だけで支配している事を許せないからです。彼女は妖精ですが、人間と同じでいろんな感情を持ち合わせる権利を有しているはずです。ツユを悲しみで支配しないでください。それに雨を降らすのに泣かなければならない感情は悲しみだけではないです。人間界には愛おしくて涙する事や嬉しくて涙する事もあります。ツユが泣いて雨を降らすのに、悲しみだけではなくてもいいはずです。それをこれから僕が教えます。だからどうかツユの事を許してください。」

 晴翔は静かな口調で、しかし毅然とアイレーンに話した。アイレーンは俯むき暫く考えていたが、ふと顔をあげるとニッコリ笑い、

 「晴翔。君の言いたい事は分かった。確かに君の言う通りだわ。でも、人間と妖精は交わることが出来ない。これ以上ツユが人間と馴れ合う事は許されないわ。君達二人には悪いけどツユにはこの世界から消し飛んでもらう!」

 そう言うとアイレーンは鬼の形相になりツユに向かい、ふぅーっと、息を吹きかけた。その息は突風に変わり、ツユへと襲いかかった。ツユは既の所でその突風を避けてその場に倒れた。突風はツユの背後にあった軽自動車を軽く吹き飛ばし、川の対岸へと転げ飛ばした。

 「チッ!外したか。次は外さない!」

 アイレーンはそう言うと倒れているツユに対して更に息を吹きかけた。息はまた突風に変わり倒れているツユへと吹き付けた。そこへ晴翔が傘を盾にツユの前に割って入り立ち塞がった。突風は晴翔と傘に直撃し、更に背後にいたツユまで吹き飛ばした。晴翔と傘は空高くまで吹き飛ばされ、濁流渦巻く川へと落ち、呑み込まれた。ツユは晴翔が盾になってくれたお陰でそこまで飛ばされず、対岸へと小さく飛ばされた。地面に叩き突かれたツユは目で晴翔の行方を追い、起き上がると、川に呑まれた晴翔を追った。

 「ハルト―っ!」

 ツユは声の限り晴翔の名を呼んだ。濁流の中に晴翔の姿はなかった。ツユは晴翔の名を叫びながら、川を下流へと走った。

 「ハルトー!」

 ツユは泣きながら濁流の中に晴翔の姿を探し走った。しかし、晴翔の姿は見つからない。茶色にうねる波の中に晴翔はなかった。ツユはその場に塞ぎ込みただただ泣く事しか出来なかった。ツユが泣く事で雨脚は強くなり、それに伴い川の流れも激しくなるばかりで、晴翔を見つける事は絶望的だった。

 その後、行方不明の晴翔の捜索に消防や、警察が導入されたが、結局、晴翔を発見出来なかった。
そして暫く晴翔の街は曇天が広がり、雨の降り続く遅めの梅雨となった。雨の中ツユは毎日川岸に立ち、晴翔の姿を探した。涙を零しながら。

 「そして三年経った今でも川岸に立って晴翔を探していたのか。そういえば、」

 聡は数年前に台風被害で近所の少年が行方不明になった事故を思い出していた。年齢も近いこともあり聡の記憶に鮮明に残っていた。
 聡は目と鼻を擦ると、大きく息を吸って深呼吸した。フレアも息を一つ吐くと、

 「これで分かったでしょ?人間が妖精と関わる事がどういう事か。分かったなら聡、悪い事は言わない。君もツユとの関わりを断つ事ね。」

 冷ややかにそう言うと、

 「嫌だね。俺はツユとの関わりを断たない。晴翔も言ってたように、ツユを悲しみの中から救って、ツユが悲しくて泣くのではなく、愛しさや、嬉しさで泣けるように俺が彼女にその感情を教える。そしてツユが幸せの中で泣ける様にしてやる。」

 聡は歯切れ良く言い切った。それは自信に満ちたものであった。

 「はぁーやれやれ、何も分かってないね。晴翔もその選択をしてその末路がどうなったかを。アイレーンも言ってたと思うけど人間と妖精が馴れ合うことは許されない。その事を君達二人にはわかって貰わないとね。」

 フレアは視線をプレハブ小屋へと向け睨み、構えた。ピンクの長い髪がふわりと逆立ち、赤い瞳が真紅に、そして鈍く光った。ツユはハッとして「フレア、やめて!」と叫んだ。フレアはプレハブを睨みながら不敵な笑みをもらし、

 「あそこには君達の大切なものがあったわね。まずはそれを失うことで二人で咽び泣きなさい。」

 フレアの睨んだ先から炎が次々と上がった。そしてプレハブ小屋はあっという間に火に包まれ炎上した。

 「いやぁー!やめてー!」

 ツユの涙と共に悲痛な叫びが響いた。聡はフレアの能力に一瞬たじろぎ驚いたがすぐにカバンを放り投げると炎の上がるプレハブ小屋へと突入していった。ツユはその様子を見るや「聡、やめて!君まで失いたくない!」泣きながら叫んだ。空はあっという間に真っ黒な雲が湧き立ち覆われ雨が降り出した。聡はプレハブの入り口であまりの炎の勢いに怯んだが、気を取り直し意を決して炎の中へ入って行った。

 「聡、いやぁー!」

 聡の姿は炎の中に消えていった。ツユの脳裏に三年前の悲劇が甦る。濁流の中に消えた晴翔と聡が重なり胸の騒つきが止まらない。ツユは立ち尽くし、声が嗄れる程に泣き叫んだ。ツユの涙はそのまま空から降り注ぐ雨へと変わり、辺り一面滝のような豪雨がプレハブ小屋の炎の勢いを弱めた。

 「サトシー!」

 涙声の叫びは無情に辺りに響き渡るだけで聡からの返事はない。

 「うわぁーん!」

 ツユはその場に崩れ落ち号泣した。更に雨脚は強くなり地面は見渡す限り、湖の様になった。プレハブ小屋の炎はほぼ鎮火し、煙と水蒸気がモクモクとあがっていた。その煙から浮き上がるように聡が四匹の子猫を抱えて現れた。顔や制服に少し煤を付けて聡はニッコリ笑った。その姿を見たツユは咳き込むように笑い泣き、また号泣した。

 「大丈夫。子猫達は皆無事だったよ。」

 ツユの前に子猫達を降ろすと聡は微笑んだ。

 「聡まで失うかと思った。無事で良かった。」

 安心したツユの眼からはまた大粒の涙が溢れ落ち続けた。聡はしゃがむと「ほら、悲しくなくても泣けるでしょ?それが嬉し泣きの感情だよ。」優しく囁くと口元を綻ばせた。ツユは小さく頷き、青い瞳を充血させて笑った。

 「どうもあなたとは相性が悪いようね。」

 そう言うフレアを振り返ると、身体中から水蒸気が立ち上がってきつそうにしていた。どうやら炎の属性が水属性に弱いようにフレアは雨や水が苦手の様であった。

 「フッ、まあいい。今日のところは退くわ。嬉し泣きにしろ、悲しくて泣くにしろ、泣いてくれればそれでいいわ。じゃあね。」

 フレアはその場に溶けるように消えた。
 立ち上がった二人は雨に打たれながらお互いを見つめ合った。時間が止まったように。

 「フレアは消えちゃったけど死んだの?」

 「いいえ。妖精界に戻ったと思う。」

 「そっか。なら良かった。」

 ツユの涙はもはや涙なのか雨なのか、分からない位、ぐちゃぐちゃになっていた。聡はそっとツユの頬に手を伸ばした。頬を流れる涙を拭ってあげたかったのだ。しかし聡の手はツユの頬をすり抜け、その涙に触れる事は出来ない。ただ聡の指先を伝う雨露がツユの涙の様に滴り落ちた。

 「涙を拭ってあげられないや。」

 聡は苦笑いした。聡の胸の奥を何者かが締め付ける。ツユの水色のワンピースは雨で白い肌が透けて見えていた。その光景が更に聡の胸の奥を締め付けていた。

 「聡は優しいね。」ツユは微笑んだ。涙を笑顔で隠して。

 「ねぇ。」聡はそう言うと少しの沈黙の後、言葉を絞り出すように、

 「ツユに触れる事って出来ないのかな。」

 こんな事聞くのは恥ずかしかったが、出来る事ならツユに触れたい想いの方が勝ってしまった。ツユは俯むき暫く考えてから、

 「人と妖精は交われない。でも一つだけ触れる事が出来る方法があるよ。」

 俯いたままそう答えたツユは悲しげな表情だった。「それはどうするの?」聡は静かに訊ねた。

 「それは、私達妖精が能動的に人に身体と両手を重ねる事で一時的にその人に魂を移す事が出来るの。妖精としての器を捨てその人の身体を器として一時的に借りるのね。そうすれば実体を手に入れてお互いに触れる事が出来るわ。でも・・・。」

 そう言うとツユは言葉を詰まらせた。「でも?」聡はツユに触れる事が出来る事に期待したが、その話の続きが知りたかった。

 「でも、それは一時的で、その人の魂は元に戻り、私達妖精の魂は行き場を失ってこの世界から永久に消滅してしまうの。つまり、」

 「つまり、ツユは死んでしまうって事?」

 ツユは悲しげに小さく頷いた。聡も俯むきツユとその場に立ち尽くした。空からは冷たい雨が降り注いで二人の体を打ち続けた。子猫達は雨を避け近くの木陰へと移動して二人の様子を窺うかの様に佇んでいた。
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